黎明事変

由良ゆらら

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黎明事変 終章「残響」

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朝の光が、やわらかく街を包んでいた。誰もいない通り。路面に積もった夜露が、黎明色の空を映して、淡く光る。風が吹くたびに、鈴の音のような微かな共鳴が、遠くで響いた。それは、もう誰の音でもない。世界そのものが、静かに息をしている音だった。
蓮見澪は、校舎跡の丘の上に立っていた。あの日、空が裏返り、光も音も消えた場所。いまは、ただ穏やかな風だけが流れている。
両手を握り、澪はゆっくりと目を閉じた。指先が触れると、掌の中で小さな“欠片”が光を放つ。――紅の、黎明の欠片。世界が崩れた夜、彼女が拾い上げた、唯一の形見だった。澪は、微笑む。
その笑みは、涙と呼吸のあいだにあった。
「……紅。あの日、あなたは“見ないこと”を選んだ。そして、世界は“息をすること”を思い出した。」
風が吹く。黎明の欠片が、かすかに鳴った。
「私には、あなたのように赦すことはできない。でも――赦しがあったことを、忘れないでいようと思う。」
言葉は空に溶け、風に攫われて、遠くまで運ばれていく。
「祈りって、きっと、そういうことだよね。赦しをもう一度願うんじゃなくて、赦しが在ったことを、この世界に、残しておくこと。」
澪の瞳に、黎明の欠片の色が映り込む。その光は、どこかで紅と同じ色をしていた。――見なくても、在る。その言葉が、心の奥で静かに響く。理も、人も、鬼も、赦されたこの世界で。

丘の向こうに、朝日が昇る。雲の隙間から零れた光が、まるで“呼吸”のように地平線を染めていった。澪は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。世界と、同じリズムで。
風の中に、鈴の音がひとつ鳴った。それは、遠く――けれど確かに、“あの人たち”の声のようだった。
「またいつか、世界が鬼を欲したら――」
そのとき、風が変わった。冷たくもなく、暖かくもない。ただ、世界のどこかが“息を始めた”ような気配。
街の空気が、ゆっくりと動く。石畳の隙間に溜まっていた露が、ひと粒、陽に溶けて消える。
――その瞬間、世界が、微かに脈打った。
まるで、誰かの心臓が、世界の奥で、再び鼓動したかのように。

澪は空を見上げる。そこに、誰の姿もない。けれど、風が確かに“彼女”の声を運んでいた。
「息をしているよ――もう、見なくても大丈夫。」
朝の光が、澪の頬を照らす。風は優しく、彼女の髪を撫でて通り過ぎた。
その余韻の中で、世界は、静かに呼吸を続けていた。
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