80 / 198
75 マティアス⑨
しおりを挟む
目が覚めベルを鳴らす。
室内に入ってきた爺と数人の使用人がカーテンを開ければ…外は晴れ晴れとした青空が広がっていた。
まるで今日という日を祝福しているかのように。
「おはようございます、陛下。」
「ああ、おはよう。」
「…いよいよで御座いますな。」
「ああ。……いよいよ、今日だ。」
いつも以上に、嬉しそうに目を細めた爺は恐らく俺以上に張り切っている。
朝食を食べ終えた後に着替えをと持ってきた礼服は今までのどの場所で着たものよりも気合いの入ったもので…思わず笑みが漏れた。
「これはまた見事な…。サイカやディーノに気合いが入りすぎていると思われないか?特にディーノには後でからかわれそうなんだが。」
「何を仰りますか!今日は其ほどに大切な日です!」
「そうか…はは、そうだな。嬉しいという気持ちを今更隠す事もないか。」
黒を貴重にした軍装には金色の細やかな…それでいて絢爛な刺繍が見事に施されている。
サッシュは勿論のこと上から羽織る外套にも同じく手の込んだ刺繍が施され…一月という短い間にも関わらず職人がいい仕事をしてくれたのだと分かる。
「…ああ、駄目だ。浮かれてるのが自分でも分かる。」
「そうで御座いましょうとも。私も年甲斐もなくうきうきとしておりますから!」
「ああ、分かるぞ。いつもより目が爛々としているからな。」
今日という日は素晴らしい一日になるだろう。
そんな予感がした。
湯に浸かりそう変わりはしないだろうが頭から爪先まで丹念に支度を整え礼服に体を通す。
いつも以上に緊張した面持ちで支度を整える使用人たち。
一つの綻びもない様にそれはそれは丹念に、丁寧に。
「…陛下、整いました。」
「そうか。礼を言う。」
この使用人の女たちも毎回俺を見て顔を青くさせる。
いい加減に慣れて欲しいものだが仕方がない。
無礼だと毎回処罰していればキリがないし、サイカに出会った今はもうどうも思わない。
「さて…では行くか。」
「控えております。」
「ああ。爺には後で、きちんとサイカを紹介する。
それまでは見守っていてくれ。」
「畏まりました。」
向かうは謁見の間。
既に父と母、そして数人の臣下たちが集まっている。
性格が悪いと言われても仕方がないが…別に臣下たちを呼ぶ必要はなかったのだ。ただの顔合わせだけである今日は。
婚約式は臣下や懇意にしている貴族、他国の王族を呼んで大々的に披露目会をするが今日はただの挨拶。サイカの紹介だけだ。
それでも両親だけではなく数人の臣下を呼びつけたのは…俺の個人的な私怨だった。
醜い化け物と蔑まれ堪え続けたこれまでの人生。
サイカという唯一無二の宝を手に入れ俺は変わる。
嫌悪する視線も、悪意の言葉も、もう引け目を感じたりはしない。
この世で一番愛しい女が俺を愛してくれているのだから。
部屋に入るなり集まる視線。
そのどれもがやはりいいものではない。
俺を見て馬鹿にした様な視線を寄越す者もいれば今にも嫌味の一つでも言いそうににやにやと卑しい笑みを浮かべる者。
母は青い顔のまま緊張した様子で俺を一瞬だけ見た後…目を反らす。
父は目を反らしはしないものの…やはり少しだけ表情を歪ませていた。
「…マティアス…理由もなく皆を集めた様だが…一体今日は何だというのだ。
何か問題でもあったのか…?」
「いいえ父上。問題はありません。」
「…では何故、」
「父上、母上。お忙しい身でありながら時間を下さり有難う御座います。そして皆も…急な呼び掛けに応じてくれ心から感謝する。
今日集まってもらった理由は…俺が側妃と離縁したことで恐らく皆がこの国の未来を案じ不安に駆られたことだろう。
その不安を取り除く為に皆に集まってもらった。」
その場がざわりと煩くなる。
父も母も、そして皆も。“まさか”と怪訝な表情だった。
「国を存続させる為には世継ぎがいる。その事は重々理解している。
側妃の件で父上や母上には特に…心労をかけたことでしょう。」
「あ、ああ、」
「ですがご安心下さい。
…俺には今、心から愛した女がいます。
俺の唯一無二の妃になってくれる事を了承してくれた…愛しい女を、今日は父上と母上、そして皆に紹介したく集まってもらいました。」
視線が、表情が雄弁に語る。
“お前のような醜い化け物を愛してくれる女がいるか”と。
その表情を見て笑みが漏れた瞬間、ゆっくりと扉が開いた。
天上におわす女神の如く。言葉には表しがたい程美しい、この世に二人といない極上の女。
窓から射す日の光がより一層サイカの神々しいまでの美しさを引き出し、皆が息を飲む音が聞こえた。
俺の瞳の色に合わせたのだろうか。青いドレスは光沢によって輝きを放ち…まるでサイカの全てが俺のものだと周りに知らしめている様だった。
ディーノに手を引かれゆっくりと近付くサイカ。
緊張している面持ちが俺と目が合った途端に和らぐ。
ふわりと、まるで太陽の女神のように美しく、そして愛らしいその笑顔。
「サイカ。」
「マ…陛下…。」
「大丈夫だ。俺も、そしてディーノもいる。何も心配はない。」
「はい。…陛下も、お義父様もいるから…だから大丈夫。」
ディーノと目配せをし頷く。
筋書きは念入りに考えた。
「上皇両陛下、お久しぶりです。
本日は我が娘サイカと陛下の婚約…そのご挨拶に参りました。
サイカは亡くなった古い知人の娘で…これまで消息が掴めずずっと探しておりましたが…数ヵ月前に漸く見つけることが出来…二月程前に養子に迎える事が出来ました。
サイカ、上皇両陛下にご挨拶を。」
「はい。…上皇両陛下、初めまして。わたくしはサイカ・クライスと申します。
お会いでき大変光栄に御座います。」
まるで時が止まったように呆けた顔の父と母。
そして周りも…サイカの余りの美しさに同じく自身の時を止めていた。
「…父上、母上。俺はサイカという宝を妃に迎えたく思います。
皆も安心してほしい。」
はっとした様子の臣下たち。
まさか。馬鹿な。こんな事あるはずがない。あんな美女が陛下と…。
そう囁かれているのが聞こえるとサイカが俺を見てにこりと微笑む。
「上皇両陛下の御前での発言、どうかお許し下さい。
わたくしは未熟な若輩者では御座いますが…この身、この命を以て心から愛する陛下を…生涯支えていきたく思っております。」
“心から愛する陛下”とサイカが周りに伝える。
ざわめきは大きくなり、誰もがサイカに釘付けになった。
「陛下と出会えた事はわたくしの喜び。
わたくしは陛下に愛され…その大きな愛を感じるたび、女として生まれた喜びと幸せを実感しています。
わたくしも同じように陛下を愛し続けたい。大きな愛をわたくしに与えて下さるように…わたくしも、わたくしの全てで陛下を愛しております。」
それは。その笑みは。
…それは本当に美しい笑みだった。
大輪の薔薇が今、見事に咲き誇るように。
誰もを魅了し虜にする、愛され、幸せに満ちた女の美しい笑顔だった。
この場にいる誰もがその事実を感じ取っただろう。
このサイカの笑みが決して作られたものではなく、強要されたものでもなく、俺が無理矢理ものにしたのでもなく、俺とサイカが心から愛し合う男女として婚約するに至ったのだと思い知った事だろう。
誰もが顔を赤らめ、サイカに魅入る。
父も母も臣下たちも、そして部屋の周りに整列していた騎士たちも。
天上におわす女神の如く。
世にも美しい極上の女の、愛され、幸せに満ちた笑顔に魅入り、顔を赤らめ呆けることしか出来ず、そしてこの信じがたい事実をその胸に刻んだ事だろう。
「婚約証明書に署名をする。
誰か、ここに書面を!」
呼び掛けると爺が台に乗せた証明書を持ってくる。
その目にはうっすらと涙の膜が張っていた。
「…サイカ。」
「はい、マティアス。」
陛下と呼ばず俺の名を呼ぶサイカ。
そう、いつものサイカだ。
このありのままのサイカが、一番魅力的だとそう俺は思う。
恐らく周りにもこの飾らない、素のサイカが一番愛らしく、美しく見えるだろう。
俺の名を書いた後その隣にサイカ・クライスと文字が書面に書き込まれ…俺たちの意思だけでなく名実共にサイカが俺の婚約者となった。
「これで…サイカは俺の婚約者だ。」
「嬉しい…」
「ああ…俺もとても嬉しい。」
こつんと額を合わせる。
サイカは無意識だろうが俺としては追い討ちをかけるように周りに相思相愛だという事実を見せびらかすことが出来、心の中ではしたり顔だった。
「…愛している、サイカ。」
「私も…愛してる、マティアス…。」
そのまま更に見せつけるように口付けをすれば…流石にディーノに咳払いをされ我に返ったサイカは顔を真っ赤に染め狼狽えていた。
「これ以上は愛しい婚約者が恥ずかしいようですので…父上、母上。御前を失礼致します。
皆も、時間を割いて集まってくれたこと…改めて礼を言う。
サイカ、そのまま顔を覆っていていい。抱えるぞ。」
「ひゃ…!ま、マティアス…!」
「上皇両陛下。娘共々、これにて失礼致します。
婚約式にはまた改めてご挨拶に伺いますので。」
謁見の間から出るとくつくつとディーノが笑い…俺も我慢出来ずに吹き出した。
「はは!見たかマティアス、皆すごい顔をしていたぞ…!」
「く、ははは、見たとも…!父上も母上も、皆も随分愉快な顔になっていたな…!想像だにしていなかったに違いない。」
側妃がいなくなり新たに妃をと言われた事も多々あった。
“国の存続に関わります”と最もらしい事を言いながら奴らは内心笑っていたに違いない。
醜い化け物に嫁ぎたい女がいるものかと。
次もまた、嫌々嫁いでくるに違いない。
憐れな醜い化け物。我らが王の何と憐れな事かと。
その醜い化け物に新たな女…心に決めた婚約者が既にいるとも思っていなかったろう。
その婚約者がまさか女神のように美しい、とんでもない美貌を持っているとも。
俺とサイカが相思相愛の仲で結ばれているということも。
理解出来ず、いや、理解を拒んでいたに違いない。
だが真実はどうだ。奴らは嫌という程思い知ったことだろう。
「マ、マティアス、お義父様、…わ、私…最後に挨拶してない…!し、失礼だったんじゃ…!」
「いいや大丈夫だ。二人も周りも呆けていたしな。」
「挨拶は済んでいたし気にするな。それに…今回はマティアスとサイカの仲がいい所を見せつける事が目的にも含まれていたんだ。
今頃は我に返って大騒ぎになっているんじゃないか?」
「だろうな。ああ、愉快愉快。
…サイカ、こんな下らない事に付き合わせて悪かった。…俺の個人的な意趣返しに付き合ってくれて…ありがとう。」
「ううん、それはいいの。
私はマティアスの味方。」
「サイカ……本当に、感謝する。」
ふわりと優しく微笑むこのサイカの笑顔。
日の光を詰め込んだような、大輪の薔薇が咲き誇るような、美しい笑顔。
俺を思い、俺を慈しみ、愛しいと雄弁に語るこの笑顔を実際に目の当たりにして父も母も、奴らも真実を思い知っただろう。
受け入れがたいものが、拒絶したいものが、それが真実、事実であると。
神に見放された醜い化け物が、神に愛された美しい女神と愛し合っているその事実、真実を。
「ここが俺の部屋だ。」
「…マティアスの…?」
「どうした?」
「ううん。王族…王様の部屋って、もっと派手というか…豪華絢爛な感じかと思ってたけど…すごく落ち着くなって思っただけです。」
「ああ…余り華美な部屋は好みじゃなくてな。」
「だが所々ある細工は全て見事なものだぞサイカ。
部屋全体を絢爛にするより調度品や家具などに重きを置く方がセンスがいい。」
「確かにそうですね…!
あ、外を見てもいいですか?」
「ああ、構わない。」
華美、豪華、絢爛。
そういった物に囲まれる方が余計に惨めになった。
美しい物に囲まれた部屋に醜い化け物がぽつんと一人佇む。
対極にいるような気がして…その事に気付いてからは部屋の内装も変えた。
王子、皇帝にしては質素な部屋になったと思う。
他国の王が仮にこの部屋を見れば…レスト帝国は財政難かと思われても仕方ない部屋かも知れない。
ああだけど。
「…すごい景色…帝都が見渡せる…。」
「だろう?眺めがいいんだ。」
サイカ一人いるだけでどの部屋よりも絢爛になるのだな。
窓から射し込む光に照らされ、その身を一層輝かせているサイカ。
部屋の中が明るくなったような気がするのはきっと気のせいではない。
「陛下、お茶をお持ちしました。」
「入ってくれ。…サイカ、爺を紹介しよう。」
「?」
サイカの肩に腕を回し寄り添うように立つ。
俺とサイカが並んで立っているのを見た爺は嬉しそうに微笑んだ。
「何度か伝えたと思うが…爺は幼い頃から俺の側に居てくれた恩人だ。
悪い事をした時はよく叱られたものでな…だがこの城で一番、俺が信頼する人物なんだ。」
「この方が…!…初めまして、サイカ・クライスと申します。
…お会いできて…すごく、嬉しいです…!」
「此方こそお会い出来て大変、大変嬉しく思います。
私は陛下付きの執事であり城の筆頭執事をしております…ミケーレ・クレミーと申します。どうぞミケーレとお呼び下さい。
…そしてサイカ様、今後とも陛下をどうぞ…どうぞ末永く宜しくお願い致します…!」
「はい…!此方こそ、どうぞ末永く宜しくお願い致します…!」
「…っ、はは、いけませんな…。年を取るとどうも涙腺が弱くなって。…クライス侯爵閣下にもお礼申し上げます…。」
「礼など何も。…全てはマティアス自身の力。
マティアスが自分で己の未来を掴んだ結果と言える。
俺は何もしておらんよ。」
「ふふ、そういうことにしておきましょう。
サイカ様、砂糖とミルクは必要ですか?」
「あ、はい!頂きます…!」
鼻唄でも歌いそうな爺は楽しそうに紅茶を入れる。
俺やディーノの前にセットされた紅茶を置くと次はにこにことサイカの前に紅茶を置き…
「レモンタルトで御座います。サイカ様はレモンはお好きでしたかな?」
「レモンタルトは大好きです。お屋敷でもよく作ってもらいます。」
「それはよう御座いました!沢山ありますので是非お代わりをなさって下さい。」
「ありがとうございます…!」
…にこにこと言えばいいのか、デレていると言えばいいのか。
こんな甘々な爺は見た事がない気がする。
サイカに気がある…のは流石にないだろうが一体どうしたのかと観察する。
「ミケーレ。俺の娘はレモンよりオレンジの方が好きだ。」
「…なる程…では次回はオレンジタルトに致しましょう。」
「更に言えばオレンジよりリンゴが好きだ。」
「ほほう。ではアップルパイも用意せねばなりませんね。」
一見他愛ない会話の様に聞こえるがどことなく二人の間に火花が散っている様な気がしなくもない。
爺がディーノと張り合っているような気もする。
「…こほん。…爺も、サイカを気に入ったようだな。」
「ええ、それは勿論ですとも。
サイカ様は陛下から聞き及んでいた通りの素晴らしいご令嬢で御座いました…。
謁見の間でのサイカ様のお言葉…陛下を深く思って下さっていると伝わりました。…私は誇らしく…そして感動致しましたとも…。」
「…また涙腺が緩んでいるぞ。」
「はは、申し訳御座いません。年です。」
「…ミケーレさんは…マティアスの事を本当に大切に思っているんですね。」
「…?」
「マティアス、私に話してくれたでしょう?
“爺と数人のいい人間がいてくれたから”って。マティアスがミケーレさんを大切に思っているのと同じで、きっとミケーレさんもマティアスがすごく大切に思ってる。」
「…まあ、それは。」
「うーん、ええと、言いたい事は少し違うというか。」
「?」
ううんと目を瞑ったサイカは暫く考え込んで、そして再び俺を見た。
「…前にとっておきの場所に行ったでしょう?
その時マティアスが肉親じゃない事を気にしてたのがこう…引っ掛かって。」
「ああ。」
「確かにどれだけ親しくても、肉親と部下…臣下は違う。
だけど、幼いマティアスをずっと側で見てきたミケーレさんは…臣下でもあるけど肉親でもあるんじゃないかなと思うんです。」
そう。肉親と臣下では決定的に違う。
爺は優しく厳しく俺を見守ってくれた。幼い頃からずっと苦労をかけてきた。
けれど爺はあくまでも臣下だった。
俺を周りの子供たちと変わらない様に世話を焼いてくれたがけれど決して甘やかしてはくれなかった。
それが王族であるが故に、何れは俺が、レスト帝国を統治する皇帝になるからであると理解している。
俺が普通に生まれていれば両親からの愛情を受けていたに違いない。
待ち望んだ第一子だったのだ。
周りにいる子供たち…と同じ様にはいかないかも知れないが、父に、母に甘え、泣き言を言ってもある程度の年齢までは許されるべき子供の特権。
俺にはその特権が無かった。
爺は俺を甘やかす事はなく、ただ優しく時に厳しく見守ってくれた。
王になる為に生まれた俺を、肉親ではなく臣下として見守ってくれたのだ。
それが、肉親と臣下での違い。
「まだ出会ってそう月日も経っていないにも関わらず…お義父様は私を本当の娘として愛してくれているんだって、その心に嘘偽りもないと私は感じています。
それと同じようなものを、私はミケーレさんに感じてて…その、」
「うん、続けて。」
「ずっとマティアスを見守ってきたミケーレさんは、きっとマティアスと同じ様に歯痒い思いをしたんじゃないかって。」
「……。」
「肉親であるか、臣下か。それをマティアスが気にしているように…ミケーレさんも同じように、ううん…一番、歯痒い思いをしたんじゃないかと思ったの。」
サイカの言葉を聞いて爺を見る。
爺は驚いた様子で目を見開き、そして次には何か強い気持ちを堪えるように顔を歪めた。
「……爺…そうなのか?」
「……。」
「爺、話してくれ。…知りたい。」
「………ずっとお側で見守って参りました。
…最初は同情もあったのかも知れません。ですが…まだ幼かった陛下が我が儘の一つも言わず、泣き叫ぶ事もなく耐える姿を見て、なんと健気な事かと…。爺、と呼ばれるたびに愛しく、けれど私は王家に…陛下にお仕えする身。
どれだけ陛下を可愛く思おうとも…肉親と同じようには出来ませんでした…。」
「…っ、」
「ずっとずっと、お側で見守って参りました。
陛下のお心が沈み、笑みも減り、それでも…それでも、何も出来ない自分がなんと無力で情けない事か。
子供である陛下が一つ一つ、何かを諦めていくその姿をただ見ているだけの自分が、なんと惨めだった事か…。」
「そんな事を…」
「本当は、心行くまで甘やかして差し上げたかった。
子供は大人に甘えるものですと、そう言って差し上げたかった…。
立場が、その言葉を言わさずに……、」
ああ。俺はなんと愚か者だろうか。
側に、これほどにも俺を思ってくれていた者がいた。
それなのに肉親とは違うなど、爺の思いを踏みにじるような事を思っていた自分が恥ずかしい。
「…ありがとう、爺。そしてすまない…すまなかった。
それほど、俺に心を砕いてくれていたと知らず…俺は勝手に孤独だと決めつけて、」
「いいえ!それは仕方のないことです!陛下が謝る事では御座いません!私とて、言えずにいたのです…!
…ですが陛下はサイカ様に出会われ…お強くなられただけでなく…明るくもなられました。
ああ、本来の陛下はこうだったのかと、…私は嬉しくて、本当に嬉しくて…!」
「ああ、…ああ。もういい。爺、もういい。
ありがとう。…俺をいつも見守ってくれて、本当に感謝する。
そしてどうかこれからも…俺を見守っていて欲しい。頼む。」
「…へい、陛下、…坊っちゃん、…勿論です、爺は死ぬまで、陛下のお側に、」
ぼろぼろと堪えていた涙を流す爺。
今日はどれだけ涙腺を弱めれば気が済むんだと笑いそうになったが…だが本当に嬉しいものだ。
爺は肉親ではない。臣下だ。肉親であれば…父であればいいのにとどれだけ願ったことか。
肉親と臣下は決定的に違う。
だが臣下だとしても、これほどまでに爺は俺の事を考えてくれいた。
俺が悩み苦しんだように、歯痒さを感じていたように、爺もまた、悩み苦しみ、歯痒さを感じていたと今日初めて知った。
「…サイカ、ありがとう。」
涙の膜を張りながら、美しい、それは美しい笑みで俺を見つめるサイカ。
そなたは本当に、俺にとって得難い宝だ。
神が憐れみ、俺に授けた俺の女神だ。
「ああ…本当に幸せだ…」
温かな日が射し込む部屋の中、いつもは静かなその部屋の中では笑い声が響いていた。
室内に入ってきた爺と数人の使用人がカーテンを開ければ…外は晴れ晴れとした青空が広がっていた。
まるで今日という日を祝福しているかのように。
「おはようございます、陛下。」
「ああ、おはよう。」
「…いよいよで御座いますな。」
「ああ。……いよいよ、今日だ。」
いつも以上に、嬉しそうに目を細めた爺は恐らく俺以上に張り切っている。
朝食を食べ終えた後に着替えをと持ってきた礼服は今までのどの場所で着たものよりも気合いの入ったもので…思わず笑みが漏れた。
「これはまた見事な…。サイカやディーノに気合いが入りすぎていると思われないか?特にディーノには後でからかわれそうなんだが。」
「何を仰りますか!今日は其ほどに大切な日です!」
「そうか…はは、そうだな。嬉しいという気持ちを今更隠す事もないか。」
黒を貴重にした軍装には金色の細やかな…それでいて絢爛な刺繍が見事に施されている。
サッシュは勿論のこと上から羽織る外套にも同じく手の込んだ刺繍が施され…一月という短い間にも関わらず職人がいい仕事をしてくれたのだと分かる。
「…ああ、駄目だ。浮かれてるのが自分でも分かる。」
「そうで御座いましょうとも。私も年甲斐もなくうきうきとしておりますから!」
「ああ、分かるぞ。いつもより目が爛々としているからな。」
今日という日は素晴らしい一日になるだろう。
そんな予感がした。
湯に浸かりそう変わりはしないだろうが頭から爪先まで丹念に支度を整え礼服に体を通す。
いつも以上に緊張した面持ちで支度を整える使用人たち。
一つの綻びもない様にそれはそれは丹念に、丁寧に。
「…陛下、整いました。」
「そうか。礼を言う。」
この使用人の女たちも毎回俺を見て顔を青くさせる。
いい加減に慣れて欲しいものだが仕方がない。
無礼だと毎回処罰していればキリがないし、サイカに出会った今はもうどうも思わない。
「さて…では行くか。」
「控えております。」
「ああ。爺には後で、きちんとサイカを紹介する。
それまでは見守っていてくれ。」
「畏まりました。」
向かうは謁見の間。
既に父と母、そして数人の臣下たちが集まっている。
性格が悪いと言われても仕方がないが…別に臣下たちを呼ぶ必要はなかったのだ。ただの顔合わせだけである今日は。
婚約式は臣下や懇意にしている貴族、他国の王族を呼んで大々的に披露目会をするが今日はただの挨拶。サイカの紹介だけだ。
それでも両親だけではなく数人の臣下を呼びつけたのは…俺の個人的な私怨だった。
醜い化け物と蔑まれ堪え続けたこれまでの人生。
サイカという唯一無二の宝を手に入れ俺は変わる。
嫌悪する視線も、悪意の言葉も、もう引け目を感じたりはしない。
この世で一番愛しい女が俺を愛してくれているのだから。
部屋に入るなり集まる視線。
そのどれもがやはりいいものではない。
俺を見て馬鹿にした様な視線を寄越す者もいれば今にも嫌味の一つでも言いそうににやにやと卑しい笑みを浮かべる者。
母は青い顔のまま緊張した様子で俺を一瞬だけ見た後…目を反らす。
父は目を反らしはしないものの…やはり少しだけ表情を歪ませていた。
「…マティアス…理由もなく皆を集めた様だが…一体今日は何だというのだ。
何か問題でもあったのか…?」
「いいえ父上。問題はありません。」
「…では何故、」
「父上、母上。お忙しい身でありながら時間を下さり有難う御座います。そして皆も…急な呼び掛けに応じてくれ心から感謝する。
今日集まってもらった理由は…俺が側妃と離縁したことで恐らく皆がこの国の未来を案じ不安に駆られたことだろう。
その不安を取り除く為に皆に集まってもらった。」
その場がざわりと煩くなる。
父も母も、そして皆も。“まさか”と怪訝な表情だった。
「国を存続させる為には世継ぎがいる。その事は重々理解している。
側妃の件で父上や母上には特に…心労をかけたことでしょう。」
「あ、ああ、」
「ですがご安心下さい。
…俺には今、心から愛した女がいます。
俺の唯一無二の妃になってくれる事を了承してくれた…愛しい女を、今日は父上と母上、そして皆に紹介したく集まってもらいました。」
視線が、表情が雄弁に語る。
“お前のような醜い化け物を愛してくれる女がいるか”と。
その表情を見て笑みが漏れた瞬間、ゆっくりと扉が開いた。
天上におわす女神の如く。言葉には表しがたい程美しい、この世に二人といない極上の女。
窓から射す日の光がより一層サイカの神々しいまでの美しさを引き出し、皆が息を飲む音が聞こえた。
俺の瞳の色に合わせたのだろうか。青いドレスは光沢によって輝きを放ち…まるでサイカの全てが俺のものだと周りに知らしめている様だった。
ディーノに手を引かれゆっくりと近付くサイカ。
緊張している面持ちが俺と目が合った途端に和らぐ。
ふわりと、まるで太陽の女神のように美しく、そして愛らしいその笑顔。
「サイカ。」
「マ…陛下…。」
「大丈夫だ。俺も、そしてディーノもいる。何も心配はない。」
「はい。…陛下も、お義父様もいるから…だから大丈夫。」
ディーノと目配せをし頷く。
筋書きは念入りに考えた。
「上皇両陛下、お久しぶりです。
本日は我が娘サイカと陛下の婚約…そのご挨拶に参りました。
サイカは亡くなった古い知人の娘で…これまで消息が掴めずずっと探しておりましたが…数ヵ月前に漸く見つけることが出来…二月程前に養子に迎える事が出来ました。
サイカ、上皇両陛下にご挨拶を。」
「はい。…上皇両陛下、初めまして。わたくしはサイカ・クライスと申します。
お会いでき大変光栄に御座います。」
まるで時が止まったように呆けた顔の父と母。
そして周りも…サイカの余りの美しさに同じく自身の時を止めていた。
「…父上、母上。俺はサイカという宝を妃に迎えたく思います。
皆も安心してほしい。」
はっとした様子の臣下たち。
まさか。馬鹿な。こんな事あるはずがない。あんな美女が陛下と…。
そう囁かれているのが聞こえるとサイカが俺を見てにこりと微笑む。
「上皇両陛下の御前での発言、どうかお許し下さい。
わたくしは未熟な若輩者では御座いますが…この身、この命を以て心から愛する陛下を…生涯支えていきたく思っております。」
“心から愛する陛下”とサイカが周りに伝える。
ざわめきは大きくなり、誰もがサイカに釘付けになった。
「陛下と出会えた事はわたくしの喜び。
わたくしは陛下に愛され…その大きな愛を感じるたび、女として生まれた喜びと幸せを実感しています。
わたくしも同じように陛下を愛し続けたい。大きな愛をわたくしに与えて下さるように…わたくしも、わたくしの全てで陛下を愛しております。」
それは。その笑みは。
…それは本当に美しい笑みだった。
大輪の薔薇が今、見事に咲き誇るように。
誰もを魅了し虜にする、愛され、幸せに満ちた女の美しい笑顔だった。
この場にいる誰もがその事実を感じ取っただろう。
このサイカの笑みが決して作られたものではなく、強要されたものでもなく、俺が無理矢理ものにしたのでもなく、俺とサイカが心から愛し合う男女として婚約するに至ったのだと思い知った事だろう。
誰もが顔を赤らめ、サイカに魅入る。
父も母も臣下たちも、そして部屋の周りに整列していた騎士たちも。
天上におわす女神の如く。
世にも美しい極上の女の、愛され、幸せに満ちた笑顔に魅入り、顔を赤らめ呆けることしか出来ず、そしてこの信じがたい事実をその胸に刻んだ事だろう。
「婚約証明書に署名をする。
誰か、ここに書面を!」
呼び掛けると爺が台に乗せた証明書を持ってくる。
その目にはうっすらと涙の膜が張っていた。
「…サイカ。」
「はい、マティアス。」
陛下と呼ばず俺の名を呼ぶサイカ。
そう、いつものサイカだ。
このありのままのサイカが、一番魅力的だとそう俺は思う。
恐らく周りにもこの飾らない、素のサイカが一番愛らしく、美しく見えるだろう。
俺の名を書いた後その隣にサイカ・クライスと文字が書面に書き込まれ…俺たちの意思だけでなく名実共にサイカが俺の婚約者となった。
「これで…サイカは俺の婚約者だ。」
「嬉しい…」
「ああ…俺もとても嬉しい。」
こつんと額を合わせる。
サイカは無意識だろうが俺としては追い討ちをかけるように周りに相思相愛だという事実を見せびらかすことが出来、心の中ではしたり顔だった。
「…愛している、サイカ。」
「私も…愛してる、マティアス…。」
そのまま更に見せつけるように口付けをすれば…流石にディーノに咳払いをされ我に返ったサイカは顔を真っ赤に染め狼狽えていた。
「これ以上は愛しい婚約者が恥ずかしいようですので…父上、母上。御前を失礼致します。
皆も、時間を割いて集まってくれたこと…改めて礼を言う。
サイカ、そのまま顔を覆っていていい。抱えるぞ。」
「ひゃ…!ま、マティアス…!」
「上皇両陛下。娘共々、これにて失礼致します。
婚約式にはまた改めてご挨拶に伺いますので。」
謁見の間から出るとくつくつとディーノが笑い…俺も我慢出来ずに吹き出した。
「はは!見たかマティアス、皆すごい顔をしていたぞ…!」
「く、ははは、見たとも…!父上も母上も、皆も随分愉快な顔になっていたな…!想像だにしていなかったに違いない。」
側妃がいなくなり新たに妃をと言われた事も多々あった。
“国の存続に関わります”と最もらしい事を言いながら奴らは内心笑っていたに違いない。
醜い化け物に嫁ぎたい女がいるものかと。
次もまた、嫌々嫁いでくるに違いない。
憐れな醜い化け物。我らが王の何と憐れな事かと。
その醜い化け物に新たな女…心に決めた婚約者が既にいるとも思っていなかったろう。
その婚約者がまさか女神のように美しい、とんでもない美貌を持っているとも。
俺とサイカが相思相愛の仲で結ばれているということも。
理解出来ず、いや、理解を拒んでいたに違いない。
だが真実はどうだ。奴らは嫌という程思い知ったことだろう。
「マ、マティアス、お義父様、…わ、私…最後に挨拶してない…!し、失礼だったんじゃ…!」
「いいや大丈夫だ。二人も周りも呆けていたしな。」
「挨拶は済んでいたし気にするな。それに…今回はマティアスとサイカの仲がいい所を見せつける事が目的にも含まれていたんだ。
今頃は我に返って大騒ぎになっているんじゃないか?」
「だろうな。ああ、愉快愉快。
…サイカ、こんな下らない事に付き合わせて悪かった。…俺の個人的な意趣返しに付き合ってくれて…ありがとう。」
「ううん、それはいいの。
私はマティアスの味方。」
「サイカ……本当に、感謝する。」
ふわりと優しく微笑むこのサイカの笑顔。
日の光を詰め込んだような、大輪の薔薇が咲き誇るような、美しい笑顔。
俺を思い、俺を慈しみ、愛しいと雄弁に語るこの笑顔を実際に目の当たりにして父も母も、奴らも真実を思い知っただろう。
受け入れがたいものが、拒絶したいものが、それが真実、事実であると。
神に見放された醜い化け物が、神に愛された美しい女神と愛し合っているその事実、真実を。
「ここが俺の部屋だ。」
「…マティアスの…?」
「どうした?」
「ううん。王族…王様の部屋って、もっと派手というか…豪華絢爛な感じかと思ってたけど…すごく落ち着くなって思っただけです。」
「ああ…余り華美な部屋は好みじゃなくてな。」
「だが所々ある細工は全て見事なものだぞサイカ。
部屋全体を絢爛にするより調度品や家具などに重きを置く方がセンスがいい。」
「確かにそうですね…!
あ、外を見てもいいですか?」
「ああ、構わない。」
華美、豪華、絢爛。
そういった物に囲まれる方が余計に惨めになった。
美しい物に囲まれた部屋に醜い化け物がぽつんと一人佇む。
対極にいるような気がして…その事に気付いてからは部屋の内装も変えた。
王子、皇帝にしては質素な部屋になったと思う。
他国の王が仮にこの部屋を見れば…レスト帝国は財政難かと思われても仕方ない部屋かも知れない。
ああだけど。
「…すごい景色…帝都が見渡せる…。」
「だろう?眺めがいいんだ。」
サイカ一人いるだけでどの部屋よりも絢爛になるのだな。
窓から射し込む光に照らされ、その身を一層輝かせているサイカ。
部屋の中が明るくなったような気がするのはきっと気のせいではない。
「陛下、お茶をお持ちしました。」
「入ってくれ。…サイカ、爺を紹介しよう。」
「?」
サイカの肩に腕を回し寄り添うように立つ。
俺とサイカが並んで立っているのを見た爺は嬉しそうに微笑んだ。
「何度か伝えたと思うが…爺は幼い頃から俺の側に居てくれた恩人だ。
悪い事をした時はよく叱られたものでな…だがこの城で一番、俺が信頼する人物なんだ。」
「この方が…!…初めまして、サイカ・クライスと申します。
…お会いできて…すごく、嬉しいです…!」
「此方こそお会い出来て大変、大変嬉しく思います。
私は陛下付きの執事であり城の筆頭執事をしております…ミケーレ・クレミーと申します。どうぞミケーレとお呼び下さい。
…そしてサイカ様、今後とも陛下をどうぞ…どうぞ末永く宜しくお願い致します…!」
「はい…!此方こそ、どうぞ末永く宜しくお願い致します…!」
「…っ、はは、いけませんな…。年を取るとどうも涙腺が弱くなって。…クライス侯爵閣下にもお礼申し上げます…。」
「礼など何も。…全てはマティアス自身の力。
マティアスが自分で己の未来を掴んだ結果と言える。
俺は何もしておらんよ。」
「ふふ、そういうことにしておきましょう。
サイカ様、砂糖とミルクは必要ですか?」
「あ、はい!頂きます…!」
鼻唄でも歌いそうな爺は楽しそうに紅茶を入れる。
俺やディーノの前にセットされた紅茶を置くと次はにこにことサイカの前に紅茶を置き…
「レモンタルトで御座います。サイカ様はレモンはお好きでしたかな?」
「レモンタルトは大好きです。お屋敷でもよく作ってもらいます。」
「それはよう御座いました!沢山ありますので是非お代わりをなさって下さい。」
「ありがとうございます…!」
…にこにこと言えばいいのか、デレていると言えばいいのか。
こんな甘々な爺は見た事がない気がする。
サイカに気がある…のは流石にないだろうが一体どうしたのかと観察する。
「ミケーレ。俺の娘はレモンよりオレンジの方が好きだ。」
「…なる程…では次回はオレンジタルトに致しましょう。」
「更に言えばオレンジよりリンゴが好きだ。」
「ほほう。ではアップルパイも用意せねばなりませんね。」
一見他愛ない会話の様に聞こえるがどことなく二人の間に火花が散っている様な気がしなくもない。
爺がディーノと張り合っているような気もする。
「…こほん。…爺も、サイカを気に入ったようだな。」
「ええ、それは勿論ですとも。
サイカ様は陛下から聞き及んでいた通りの素晴らしいご令嬢で御座いました…。
謁見の間でのサイカ様のお言葉…陛下を深く思って下さっていると伝わりました。…私は誇らしく…そして感動致しましたとも…。」
「…また涙腺が緩んでいるぞ。」
「はは、申し訳御座いません。年です。」
「…ミケーレさんは…マティアスの事を本当に大切に思っているんですね。」
「…?」
「マティアス、私に話してくれたでしょう?
“爺と数人のいい人間がいてくれたから”って。マティアスがミケーレさんを大切に思っているのと同じで、きっとミケーレさんもマティアスがすごく大切に思ってる。」
「…まあ、それは。」
「うーん、ええと、言いたい事は少し違うというか。」
「?」
ううんと目を瞑ったサイカは暫く考え込んで、そして再び俺を見た。
「…前にとっておきの場所に行ったでしょう?
その時マティアスが肉親じゃない事を気にしてたのがこう…引っ掛かって。」
「ああ。」
「確かにどれだけ親しくても、肉親と部下…臣下は違う。
だけど、幼いマティアスをずっと側で見てきたミケーレさんは…臣下でもあるけど肉親でもあるんじゃないかなと思うんです。」
そう。肉親と臣下では決定的に違う。
爺は優しく厳しく俺を見守ってくれた。幼い頃からずっと苦労をかけてきた。
けれど爺はあくまでも臣下だった。
俺を周りの子供たちと変わらない様に世話を焼いてくれたがけれど決して甘やかしてはくれなかった。
それが王族であるが故に、何れは俺が、レスト帝国を統治する皇帝になるからであると理解している。
俺が普通に生まれていれば両親からの愛情を受けていたに違いない。
待ち望んだ第一子だったのだ。
周りにいる子供たち…と同じ様にはいかないかも知れないが、父に、母に甘え、泣き言を言ってもある程度の年齢までは許されるべき子供の特権。
俺にはその特権が無かった。
爺は俺を甘やかす事はなく、ただ優しく時に厳しく見守ってくれた。
王になる為に生まれた俺を、肉親ではなく臣下として見守ってくれたのだ。
それが、肉親と臣下での違い。
「まだ出会ってそう月日も経っていないにも関わらず…お義父様は私を本当の娘として愛してくれているんだって、その心に嘘偽りもないと私は感じています。
それと同じようなものを、私はミケーレさんに感じてて…その、」
「うん、続けて。」
「ずっとマティアスを見守ってきたミケーレさんは、きっとマティアスと同じ様に歯痒い思いをしたんじゃないかって。」
「……。」
「肉親であるか、臣下か。それをマティアスが気にしているように…ミケーレさんも同じように、ううん…一番、歯痒い思いをしたんじゃないかと思ったの。」
サイカの言葉を聞いて爺を見る。
爺は驚いた様子で目を見開き、そして次には何か強い気持ちを堪えるように顔を歪めた。
「……爺…そうなのか?」
「……。」
「爺、話してくれ。…知りたい。」
「………ずっとお側で見守って参りました。
…最初は同情もあったのかも知れません。ですが…まだ幼かった陛下が我が儘の一つも言わず、泣き叫ぶ事もなく耐える姿を見て、なんと健気な事かと…。爺、と呼ばれるたびに愛しく、けれど私は王家に…陛下にお仕えする身。
どれだけ陛下を可愛く思おうとも…肉親と同じようには出来ませんでした…。」
「…っ、」
「ずっとずっと、お側で見守って参りました。
陛下のお心が沈み、笑みも減り、それでも…それでも、何も出来ない自分がなんと無力で情けない事か。
子供である陛下が一つ一つ、何かを諦めていくその姿をただ見ているだけの自分が、なんと惨めだった事か…。」
「そんな事を…」
「本当は、心行くまで甘やかして差し上げたかった。
子供は大人に甘えるものですと、そう言って差し上げたかった…。
立場が、その言葉を言わさずに……、」
ああ。俺はなんと愚か者だろうか。
側に、これほどにも俺を思ってくれていた者がいた。
それなのに肉親とは違うなど、爺の思いを踏みにじるような事を思っていた自分が恥ずかしい。
「…ありがとう、爺。そしてすまない…すまなかった。
それほど、俺に心を砕いてくれていたと知らず…俺は勝手に孤独だと決めつけて、」
「いいえ!それは仕方のないことです!陛下が謝る事では御座いません!私とて、言えずにいたのです…!
…ですが陛下はサイカ様に出会われ…お強くなられただけでなく…明るくもなられました。
ああ、本来の陛下はこうだったのかと、…私は嬉しくて、本当に嬉しくて…!」
「ああ、…ああ。もういい。爺、もういい。
ありがとう。…俺をいつも見守ってくれて、本当に感謝する。
そしてどうかこれからも…俺を見守っていて欲しい。頼む。」
「…へい、陛下、…坊っちゃん、…勿論です、爺は死ぬまで、陛下のお側に、」
ぼろぼろと堪えていた涙を流す爺。
今日はどれだけ涙腺を弱めれば気が済むんだと笑いそうになったが…だが本当に嬉しいものだ。
爺は肉親ではない。臣下だ。肉親であれば…父であればいいのにとどれだけ願ったことか。
肉親と臣下は決定的に違う。
だが臣下だとしても、これほどまでに爺は俺の事を考えてくれいた。
俺が悩み苦しんだように、歯痒さを感じていたように、爺もまた、悩み苦しみ、歯痒さを感じていたと今日初めて知った。
「…サイカ、ありがとう。」
涙の膜を張りながら、美しい、それは美しい笑みで俺を見つめるサイカ。
そなたは本当に、俺にとって得難い宝だ。
神が憐れみ、俺に授けた俺の女神だ。
「ああ…本当に幸せだ…」
温かな日が射し込む部屋の中、いつもは静かなその部屋の中では笑い声が響いていた。
143
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
私が美女??美醜逆転世界に転移した私
鍋
恋愛
私の名前は如月美夕。
27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。
私は都内で独り暮らし。
風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。
転移した世界は美醜逆転??
こんな地味な丸顔が絶世の美女。
私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。
このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
転生先は男女比50:1の世界!?
4036(シクミロ)
恋愛
男女比50:1の世界に転生した少女。
「まさか、男女比がおかしな世界とは・・・」
デブで自己中心的な女性が多い世界で、ひとり異質な少女は・・
どうなる!?学園生活!!
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた
いに。
恋愛
"佐久良 麗"
これが私の名前。
名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。
両親は他界
好きなものも特にない
将来の夢なんてない
好きな人なんてもっといない
本当になにも持っていない。
0(れい)な人間。
これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。
そんな人生だったはずだ。
「ここ、、どこ?」
瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。
_______________....
「レイ、何をしている早くいくぞ」
「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」
「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」
「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」
えっと……?
なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう?
※ただ主人公が愛でられる物語です
※シリアスたまにあり
※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です
※ど素人作品です、温かい目で見てください
どうぞよろしくお願いします。
黒騎士団の娼婦
星森
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜
具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです
転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!?
肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!?
その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。
そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。
前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、
「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。
「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」
己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、
結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──!
「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」
でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……!
アホの子が無自覚に世界を救う、
価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる