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閑話 ライズとルシア
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「……は?……んだ、これ。」
「…どうしたの?」
「……意味が分からない、……婚約者…?この、美女が?……この美女があいつの、…婚約者…?……う、そだ。こんなの、嘘だ。嘘だ!!こんな事があってたまるかっ!!」
「な、何?ライズ、どうしたの…?何をそんなに怒っているの?」
「あいつに女が出来るなんて俺は認めない!!」
「…あ、あいつ…?……一体、誰の事を、」
持っていた新聞を床に叩きつけた夫、ライズが苛立ったままダイニングを出ていく。
握りつぶされて歪な形になった新聞を拾い、広げた一面には…陛下と婚約者との逢瀬が詳細に書かれていた。
「……婚約……?……へい、か、が……?」
どうしてか。この時胸がちくりと痛んだ。
『…アスガルト国の長女…ルシア・カルビナ・アスガルトと申します…。
へ…陛下におかれましては…ご機嫌、麗しゅう…』
『…遠路遙々よく参られた。
長い旅路は疲れたであろう。今日はよく休むといい。』
『…あ、ありがとう、存じます…。へ、陛下の、優しいお心遣い、…痛み入ります、』
わたくしの故郷であるアスガルト国は中小様々な国に囲まれた小さな国。
周辺の国では未だに争っている国もあり…マティアス陛下との結婚は国を守る為の政略結婚だった。
この世界で三つしかない大きく栄えた国の一つ。揺るぎない力を持ち、そして豊かな資源に恵まれている大国、レスト帝国。
レスト帝国、ドライト王国、リスティア連合国。
わたくしの故郷のような小さな国であれば可能性としては低いけれど…この三つの国の偉い方に会う機会があった場合は決して粗相をしてはいけないと小さい頃から何度も言われてきた。
レスト帝国は特に。この三つの国の中でも一番力があると言っても過言ではないから。
わたくしはまさか、十七になった自分がそのレスト帝国へ嫁ぐ事になるなんて少しも思っていなかった。
『お父様、お母様。お呼びでしょうか。』
『おおルシア!待っていたぞ…!』
十七になったある日、わたくしは父と母からレスト帝国へ嫁ぐようにお願いをされた。
国を守る為に、大国からの庇護が必要であると。
三つある大国からレスト帝国が選ばれたのは…陛下の見目があったから。
『我が国のような小さな国を…大国が守ってくれるはずがない。
だがルシア、新しく皇帝陛下となった王太子殿下の見目は酷く醜いと聞く。恐らく伴侶を見つける事も難儀するだろう。』
『…ルシア。辛いだろうけど、どうかお願い。
この国を守る為なの…。』
『ドライト王国、リスティア連合国よりは受け入れてくれる可能性は遥かに高い。
頼むルシア。お前がレスト帝国に嫁いでもいいと頷いてくれさえすれば…この国は最も力のある大国の庇護を受けられるのだ…。』
そう言われてしまえば頷かないわけにはいかない。
わたくしはアスガルト国の第一王女。
十七年生きてきた故郷。父や母、弟や妹が暮らす故郷。
わたくしの身一つで守れるならと頷いた。
頷いたとしてもレスト帝国が是と言わなければわたくしの婚姻はない。
…けれどレスト帝国からは是の返事が返ってきて…わたくしはレスト帝国に、大国の尊き方であるマティアス陛下に嫁ぐ事となった。
初めてマティアス陛下にお会いすればもう恐ろしくて堪らなかった。
美しい金色の髪。だけど、その顔は酷く醜い方だった。
ぱっちりとした二重。筋の通った鼻。薄い唇、そして太っていない身体も。その全てが余りにも醜くて恐ろしかった。
これ程醜い容姿であれば…確かに結婚も難儀するだろう。陛下に嫁ぎたいと思う女はいないだろう。わたくしのような事情でもなければ。
きっと女に生まれていれば美しいと言われたかもしれないけれど…だけど、残酷な事に男に生まれてしまっただから仕方がない。
陛下と結婚し、これから夫婦生活を送らなければならない。
それがどういう事かをわたくしは…陛下に初めてお会いした時に漸く実感した。
『……俺の姿を見れぬようにするか?』
『………っ、』
『このままか、それとも目隠しをするか…そなたの希望はどちらだ。無礼とは思わぬ。言ってみよ。』
『……もうし、わけ、ありません……目隠しを…。』
『…分かった。そなたの望む通りにしよう。』
初夜は散々だった。
陛下の骨ばった手が、筋肉ばかりの身体がわたくしに触れる度気持ちが悪くて…目を瞑っても陛下のあの醜い顔が頭から離れなくて、余計に気持ち悪くて堪らなかった。
早く終わって欲しいと何度も何度も願って、気持ち悪さと痛みで初夜は終わった。
『…大丈夫か。』
『……俺が居ては休めないだろう。…部屋を出るからゆっくり休め。』
わたくしを労る陛下の言葉には答えなかった。
どうしてわたくしがこんな目に。もう二度としたくないと、そう思った。
それからわたくしは…どうしても陛下を受け入れられなかった。
『庭を散歩してみないか』
『食事を一緒に』
『人目が気になるなら配慮する。気分転換をしないか。』
『ルシア、』
陛下の誘いは全て体のいい言い訳をして断った。
あの気持ちの悪い、恐ろしい程醜い顔を見たくもない。
大国の王に無礼だとは自分でも思ったけれど…どうしても無理だった。
陛下はわたくしの無礼や我が儘をいつも許した。
断った理由が言い訳と知っていても、自分が疎まれていると知っていても、ただ一言『そうか』と許した。
咎めもしない、罰する事もしない陛下を、わたくしは情けない男とそう思った。
ライズと出会ってからわたくしの世界は変わった。
毎日が楽しくて幸せ。
ライズと出会ってからも陛下から一緒に過ごさないかと誘いを受けたけれど、全て断った。
何度も何度も。暫くすると…陛下からの誘いは来なくなった。
少しの罪悪感はあったけれど、陛下と過ごすならライズと過ごしたい。
わたくしはライズに夢中だった。セックスも含めて。
気持ち悪いだけ、痛いだけ。全く気持ちよくなかった陛下とのセックス。セックスとはそういうものだと思ってた。
でも、ライズとのセックスは違った。
わたくしとライズは朝から夕方まで愛し合って、思いを重ねていった。
気持ちがよくて、楽しくて、幸せを感じた。陛下ではなくライズと結婚出来たなら、どんなに嬉しいか。
醜くて苦手な陛下ではなく、愛するライズと一緒に暮らせたなら…どんなに幸せか。
「……そう、思っていたのに。」
結婚して、ライズは少し変わった様に思う。
結婚する前まではわたくしにとても優しかった。
いつまでも甘い言葉を囁いてくれて、わたくしを大切にしてくれていたのに。なのに今は少し違う。
子爵位を継いで忙しい事くらいわたくしにだって分かってる。
わたくしや子供の為に朝から夜まで必死になっているのも分かってる。
だからわたくしは沢山我慢をしている。なのに、ライズは分かってくれない。
したい事も沢山ある。ライズと一緒に…以前のように甘い時間を過ごしたいのを、わたくしだって我慢しているのに。
なのにライズはわたくしのそんな気持ちを分かってくれない。
わたくしに寄り添ってくれない。
「……陛下は、わたくしを気遣ってくれたわ…。
わたくしが冷たくしても、疎んでいると分かっても、…歩み寄ろうとして下さったわ…。」
結婚して少しずつライズの嫌な所が増えてくるのと同時に陛下の優しさに気付く。気付いて比べてしまう。
結婚する前のライズの優しさを疑ってしまう。
愛して一緒になった夫が小さな男に見えてしまうのと同時に、疎んでいた陛下の器の大きさに気付いてしまう。
そして今、新聞に描かれている陛下と、陛下の婚約者だという令嬢の絵姿を見て嫌な気持ちになる。
「…駄目駄目!…わたくしにはライズがいるじゃない…!それに…この子だって。」
ダイニングから出ていった夫は何処へ行ったのだろう。
寝室?それとも執務室?
ライズを探して屋敷を歩くと執務室から大きな音が聞こえてきて、部屋を除くと夫が様々な物を床に叩きつけては散乱させていた。
「だ、旦那様、どうされたのです…!お止め下さい…!」
「煩いっ!!使用人のくせに俺に指図するな!!」
「っ、」
「もう嫌だ…!嫌だ嫌だ嫌だ…!!何で俺がこんな目に合わないといけないんだよ…!!
朝から晩まで領地の事ばかり…!!父さんも兄さんもまだかまだかって煩いんだよ…!!今までこんな面倒な事やってこなかったんだから遅くて当然だろうが!!手伝いもしないくせに催促すんなよ!!」
「……貴族に生まれたからには当然の義務でございます。
…手伝わないのではなく、お二人はお二人でこの領地より広い伯爵領を治めなければならないのですから…手伝えないのは仕方のない事です…。」
「お、まえ…!!俺を馬鹿にしたな…!?使用人のくせにでしゃばった事言いやがってっ…!!」
本棚にあった本を乱暴に取り出し、ライズは使用人に向けて投げ付けた。
分厚い本が勢いよく頭に当たってしまった使用人は倒れ込むようにして床に崩れる。
わたくしは恐くて部屋に入る事が出来なかった。
「どいつもこいつも煩い事ばかり言いやがって!
俺は悪くない!俺に楯突いたお前が悪いんだよ!
俺は悪くない!あの日まで俺の人生は全部が思い通りにいってたんだ!!それを陛下…あの男が!!あの醜い男が俺の幸せを取り上げたんだ!!」
「…っ、旦那様、」
「女は皆俺を好きになった!母さんも他も、俺は何もしなくていいとそう言った!!父さんも兄さんも!あの日まで俺の自由にさせてたんだ!!全部あの男のせいだろ!!俺がこんな大変な目に合ってるのも!あの男がそう命じたから!!
俺がこんなにしんどい思いをしてるのもあいつのせいだ!!
なのに、なのに、あいつに婚約者…!?それも、あんな美しい女と!!」
「旦那様、お止め下さい…!旦那様の、今のお言葉は、陛下に対しての無礼と…!」
「無礼?…ははは…!事実だろう!?
あの男の容姿はとんでもなく醜いじゃないか!!女たちが嫌悪して顔をしかめるくらい不細工じゃないか!!
自分の妻にも気持ち悪がられるくらい、惨めな醜い男だっただろうがっ!!
あんな記事は嘘だ!あんな醜い男を誰が愛せるっ…!!今までもこれからも、誰にも愛されず疎まれながら生きていけばいいんだよっ…!!」
「旦那様!」
「あの男の婚約者も、嫌々に決まってる!
あの男の婚約者も、俺を好きになるに決まってる!
あいつを好きになる女なんていない!!ルシアだってそうだった!!小国の王女、国の庇護を求めた身でありながらルシアは俺を好きになった!!あんな醜い男より!俺の方がいいに決まってる!」
ライズの言葉を聞いて愕然とした。
これが夫の本性かと。逆恨みにしか思えない夫の、陛下への一方的な悪意。
いつもは見惚れる程整った夫の顔が醜く歪んで見えた。
「…あ、……ああ…、」
信じられない気持ちで階段を下りてその場にいた使用人たちに声をかける。
「…お願い。帝都まで連れて行って…。」
「え…?奥様、何を…、」
「わたくしを帝都まで連れていって頂戴!
帝都の、王宮へ!お願いよ!!」
「か、畏まりましたっ…すぐ、準備を整えます…!」
屋敷から離れて、馬車の中で先ほど見た夫を思い出す。
恐ろしかった。とても恐ろしい。
あれ程激昂した姿はこれまで見た事もなくて。使用人を罵り、怪我まで負わせた夫が、意味の分からない事ばかり捲し立てる夫が恐ろしかった。
そして、とても小さい男だとそう思った。
結婚するまでは何て美しくて素敵な人かしらとそう思っていたのに。
夫の醜く歪んだ顔が、とても気持ち悪い。
「陛下の方が、わたくしを大切にしてくれたわ。
陛下の方が。…ライズの元で幸せに暮らせと陛下は言って下さったけれど…今のライズとじゃ無理よ…。
陛下はわたくしを思って下さっていた。」
最後に交わした陛下との会話にはわたくしを案じる陛下の優しさが深く伝わった。
それまで気付かなかったけれど、陛下は情けない方ではなくて優しい方なのだと。
「…真実、わたくしを思って下さっていたのは陛下だった。
……きっとやり直せるわ。陛下はライズに嫁ぐわたくしに優しい言葉をかけて下さったんだもの。わたくしを思ってたからこそ、あの優しい言葉をかけて下さったに違いないわ…。」
気になるのは陛下の婚約者である令嬢。
でもきっと何も問題ないはず。
だって相手は貴族令嬢だもの。そしてわたくしは小国ながらも王女だった。
お腹の子はライズの子だけど、でもきっと優しい陛下は受け入れて下さる。何とかして下さる。
今度はちゃんと陛下の子を生んであげればいい。
絵姿はとても美しい女だったけれど…きっとそう書かせたのだろう。実際よりもうんと美しく。そういう事はよくある事だから。
それに、きっと陛下の顔を見て怯えているはず。
陛下の容姿を見て、出会った頃のわたくしのように恐れているはず。
「……陛下。…わたくし、もうライズとやっていける自信がないわ…。」
三日かけて帝都についたわたくしは陛下に会えるその瞬間を今か今かと応接間で待っていた。
数ヵ月前まで過ごしていた王宮はどこも変わっておらず、懐かしい気持ちになりながら。
十分、二十分と待って、漸く大きな扉が開く。
陛下にはまず謝罪して、ライズとはもう無理だと伝えなければ。
そう思っていたのに…部屋に入ってきたのは陛下の側にいつもいた執事長だった。
「ルシア様、お待たせ致しました。」
「…あの、…陛下は?わたくし、陛下に会いに来たのですけど…。陛下を呼んで下さるかしら…。お話ししたい事があるの。」
「……僭越ながら申し上げます。
今のルシア様の身分では、軽々しく陛下にお会いする事は出来ません。」
「どうして!?わたくしはアスガルト国の王女よ!」
「いいえ。この国での貴女様の身分はアーノルド子爵夫人で御座います。」
「っ、でも、わたくしはそれまでは陛下の妻だったわ!
側妃という立場だったのよ!陛下にわたくしが来ている事をお伝えして!」
「お伝えしております。しかし陛下は誰よりもご多忙の身であり、この後も大切なご予定が御座います。…それに…突然来られたのは貴女様の方。無礼であると弁えて頂きたく存じます。」
「な…!貴方の方が無礼だわ…!今は子爵夫人でも、わたくしは一国の王女だった身!使用人である貴方より身分は上!
だと言うのに何て無礼なの!陛下を呼んで!陛下に話があるのよ!」
老いた執事長に腹が立った。この人では話にならない。
陛下を呼んで欲しいと伝えているのに、陛下を呼んで来てはくれない。
「その陛下が、軽々しく会う事は出来ないと申しておりますので。代わりに私が用件を伺います。」
「っ、」
「ご心配されずとも、陛下にはきちんと内容をお伝えしますので。」
納得は出来なかったけれど、でも内容を話せば陛下に取り次いでもらえると思ったわたくしは老いた執事長にここまで来た経緯を話す。
ライズの醜い一面を、本性を知ってしまった事。
部屋で暴れていただけでなく執事に暴言を吐き、そして怪我まで負わせていた事。あの時の夫が酷く恐ろしかった事を伝えると…執事長は溜め息を吐いた。
「…ルシア様。貴女様は…アーノルド子爵を強く愛していたのではなかったのですか?王であり夫君であった陛下に無礼と分かっていながら…陛下の誘いを断り続け、その間も逢瀬をし続けていたではありませんか。そして、アーノルド子爵の子を宿した。」
「な、…そ、その時は、ライズのああいった部分を知らなかったの…だから、」
「だから、何なのです。そんな事は関係ありませんよ。
失礼を承知で言わせて頂きますが、こうなったのも全てご自身の蒔いた種。貴女様が子爵ではなく陛下を大切にしていれば…今こうなってはいなかった。
全ては貴女様ご自身で決めた事。陛下よりも子爵をお選びになった。」
「だ、だから!だからやり直したいと言っているのよ!
陛下がどれ程わたくしを思って下さったか!その優しさにわたくしはやっと気付いたの!貴方が勝手に決めないで!わたくしを受け入れるかは陛下が決めるべきでしょう!?使用人風情が主人の返事を待たず勝手に決めつけないで頂戴!!」
「……貴女様は気付いておられないのですね。」
「何をよ!!」
「今の貴女様は、ご自身が恐ろしいと言ったアーノルド子爵と同じに御座います。
暴れて物を投げたりはしておりませんが…激昂し、使用人風情と罵る。」
「!!」
「婚約者であるご令嬢とお会いする為、陛下は政務に励んでおられます。お二人は心から愛し合っていらっしゃいますので…陛下はご令嬢と少しでも長く一緒に過ごす為に今も頑張っておられます。
ですからルシア様。貴女様の都合でお忙しい身である陛下をこれ以上煩わせないで頂きたいのです。」
執事長からの『心から愛し合っている』という言葉に、嘘だと思った。
この執事長はわたくしの事が以前から嫌いで、わたくしを傷付ける為に態とそんな嘘を言っているのだと。
愛し合っている?陛下と、婚約者の令嬢が?
そんな事有り得ない。だって、陛下の容姿は凄く醜いから。
すごくすごく、醜いから。
わたくしもそうだったけれど、城にいる侍女たちも、ううん、女も男も。誰もが陛下の容姿を嫌悪してたのをわたくしは知っている。
陛下のご両親である上皇両陛下でさえも。この執事長は別として。
陛下を愛せる女なんていない。
あのとても醜い陛下の容姿を、受け入れられる女なんて。陛下の優しさを知ったわたくし以外に。
「どれだけ貴女様が望もうとも、陛下にお会いする事は出来ません。本日も、別の日であろうと。
陛下が愛しておられるのは大切な婚約者であるご令嬢ただお一人で御座いますので。」
「嘘だわ!嘘を吐かないで!わたくしも皆も、陛下の容姿が受け入れられなかったんだもの!愛し合っているなんて、そんな事有り得ないわ…!!」
「…何と無礼極まりない…。
ルシア様。嘘も何も御座いません。陛下が真実、心から愛しておられるのは一人だけ。サイカ・クライス侯爵令嬢ただお一人だけ。
クライス侯爵閣下はこの国に四つある候爵位の中でも一番力を持つ方。更に言えば大国、レスト帝国で一部…ではありますが。それなりの地位にいる方々は大国ではないアスガルト国や他の国々の王族貴族よりも立場が上。…そう、教えられたはずです。」
「………。」
「小さな国の王族であれば尚更。何かの機会にこの国に来る事も、陛下やレスト帝国の貴族が向かう事も御座います。
教えられませんでしたか?無礼や不敬、粗相がないようにと。
この意味は三つの大国が他の国々とは大きく違うという事です。」
「それは…、」
「レスト帝国、ドライト王国、リスティア連合国。
この三つの国は何もかもが桁違いであり、人口、医療、商業、資源、財、軍事力。あらゆる事が他の国々と大きな差が御座います。そう、とても大きな差が。それが理由です。
つまりこの国の貴族の中でも力あるクライス侯爵閣下の…そのご令嬢であるサイカ様は…アスガルト国の王女である貴女様よりも高貴な方となります。大きな立場の違いがあるのです。」
幼い頃から三つの大国の、偉い方に会う機会があった場合は粗相をしてはいけないと言われてきた。
大きな国だから失礼のないように。ただそれだけの理由だと思っていた。だって政の事なんて分からないもの。
政をするのはお父様やお父様の後を継いで王になる弟、そしてお父様たちを支える臣下たち。
王女であるわたくしや妹は政には関わらない。だからそんな理由があったなんて、一国の王女であるわたくしよりも、この国の一部の貴族の方が身分が上だなんて分かるわけないもの。
「さ、お分かり頂けたならお帰り下さい。
子爵については…陛下がお力を貸して下さるかも知れませんが…確実では御座いませんので。」
今日は会えそうもない。色々と混乱していたけれどそれだけは分かって、わたくしは執事長に付き添われながら応接間を出て歩く。
その時だった。
「サイカ!待ちわびたぞ…!」
「マティアス!ごめんなさい、予定よりもずっと遅くなってしまって…。」
「いい。その間に色々仕事を片付けておいたからな。
おいで…。夜にディーノが迎えに来るまで…二人きりでゆっくりと過ごそう。
……ああ、会いたかった。」
「私も…早くマティアスに会いたくて堪らなかった…。」
陛下の表情を見て言葉を失う。嬉しそうな、幸せそうな陛下の顔は…わたくしの知らない顔だった。
わたくしがいた頃はあんな顔しなかった。あんな風に笑う事もなくて、あんな風に甘い声でもなくて。
それに…婚約者である令嬢。
新聞に描かれていた絵姿よりもすごく美人で、綺麗で。
あんなの、あんなとんでもなく美人な女に、勝てるわけない。
勝てない。あれには勝てない。美貌も立場もあちらが上。勝てるはずがない。
「…理解して頂けましたか?」
「……。」
「であれば…もう何も考えずにアーノルド子爵の元へお帰りになられるのが一番宜しいでしょう。
…生まれてくる我が子の為にも。子爵も環境が大きく変わり心が疲れてしまっているのではないでしょうか。
落ち着いて話し合えば解決する事も御座いますよ。
…愛し合って結ばれた、夫婦なのですから。」
「………ええ…。」
「“ーーーーーーーーーーーーーー。”」
そんな、呆然としたまま領地へ戻ったわたくしを、ライズは心配してくれた。
「使用人から帝都に行ったと聞いて心配したよ…!
ごめん、ごめんルシア。疲れてて、俺…凄く疲れてて…、恐い思いをさせてごめんよ…。
どうかしてたんだ本当に…君と一緒になって、子供も出来て、幸せなのに…でも、ルシアとゆっくり出来る時間もないくらい…毎日が忙しくて…。」
「ライズ…」
「帝都の何処に行ってたの?誰かに会いに行った?」
「…いいえ。…会おうと、そう思ったけど…会えなかったの…。」
「本当にごめんよルシア。もっと君と時間を取れるように頑張るから…。だから、勝手に帝都へ行くのだけはしないでほしい…。」
「ライズ…!ええ、分かったわ…!わたくし、寂しかったの…。貴方も恐くって…、それで、思わず…。
今日の貴方は、違うのよね?いつもの貴方よね?
あの時の恐い貴方は、疲れていただけなのよね?」
「当たり前じゃないか…!俺はルシアと俺たちの子を守るって約束したんだから…!愛しているよ、ルシア…。」
「ライズ…。わたくしもよ…わたくしも、貴方を愛してるの…。」
“今の居場所を大切になさいますよう。”
老いた執事長の声が、頭の中でいつまでもこだましていた。
「…どうしたの?」
「……意味が分からない、……婚約者…?この、美女が?……この美女があいつの、…婚約者…?……う、そだ。こんなの、嘘だ。嘘だ!!こんな事があってたまるかっ!!」
「な、何?ライズ、どうしたの…?何をそんなに怒っているの?」
「あいつに女が出来るなんて俺は認めない!!」
「…あ、あいつ…?……一体、誰の事を、」
持っていた新聞を床に叩きつけた夫、ライズが苛立ったままダイニングを出ていく。
握りつぶされて歪な形になった新聞を拾い、広げた一面には…陛下と婚約者との逢瀬が詳細に書かれていた。
「……婚約……?……へい、か、が……?」
どうしてか。この時胸がちくりと痛んだ。
『…アスガルト国の長女…ルシア・カルビナ・アスガルトと申します…。
へ…陛下におかれましては…ご機嫌、麗しゅう…』
『…遠路遙々よく参られた。
長い旅路は疲れたであろう。今日はよく休むといい。』
『…あ、ありがとう、存じます…。へ、陛下の、優しいお心遣い、…痛み入ります、』
わたくしの故郷であるアスガルト国は中小様々な国に囲まれた小さな国。
周辺の国では未だに争っている国もあり…マティアス陛下との結婚は国を守る為の政略結婚だった。
この世界で三つしかない大きく栄えた国の一つ。揺るぎない力を持ち、そして豊かな資源に恵まれている大国、レスト帝国。
レスト帝国、ドライト王国、リスティア連合国。
わたくしの故郷のような小さな国であれば可能性としては低いけれど…この三つの国の偉い方に会う機会があった場合は決して粗相をしてはいけないと小さい頃から何度も言われてきた。
レスト帝国は特に。この三つの国の中でも一番力があると言っても過言ではないから。
わたくしはまさか、十七になった自分がそのレスト帝国へ嫁ぐ事になるなんて少しも思っていなかった。
『お父様、お母様。お呼びでしょうか。』
『おおルシア!待っていたぞ…!』
十七になったある日、わたくしは父と母からレスト帝国へ嫁ぐようにお願いをされた。
国を守る為に、大国からの庇護が必要であると。
三つある大国からレスト帝国が選ばれたのは…陛下の見目があったから。
『我が国のような小さな国を…大国が守ってくれるはずがない。
だがルシア、新しく皇帝陛下となった王太子殿下の見目は酷く醜いと聞く。恐らく伴侶を見つける事も難儀するだろう。』
『…ルシア。辛いだろうけど、どうかお願い。
この国を守る為なの…。』
『ドライト王国、リスティア連合国よりは受け入れてくれる可能性は遥かに高い。
頼むルシア。お前がレスト帝国に嫁いでもいいと頷いてくれさえすれば…この国は最も力のある大国の庇護を受けられるのだ…。』
そう言われてしまえば頷かないわけにはいかない。
わたくしはアスガルト国の第一王女。
十七年生きてきた故郷。父や母、弟や妹が暮らす故郷。
わたくしの身一つで守れるならと頷いた。
頷いたとしてもレスト帝国が是と言わなければわたくしの婚姻はない。
…けれどレスト帝国からは是の返事が返ってきて…わたくしはレスト帝国に、大国の尊き方であるマティアス陛下に嫁ぐ事となった。
初めてマティアス陛下にお会いすればもう恐ろしくて堪らなかった。
美しい金色の髪。だけど、その顔は酷く醜い方だった。
ぱっちりとした二重。筋の通った鼻。薄い唇、そして太っていない身体も。その全てが余りにも醜くて恐ろしかった。
これ程醜い容姿であれば…確かに結婚も難儀するだろう。陛下に嫁ぎたいと思う女はいないだろう。わたくしのような事情でもなければ。
きっと女に生まれていれば美しいと言われたかもしれないけれど…だけど、残酷な事に男に生まれてしまっただから仕方がない。
陛下と結婚し、これから夫婦生活を送らなければならない。
それがどういう事かをわたくしは…陛下に初めてお会いした時に漸く実感した。
『……俺の姿を見れぬようにするか?』
『………っ、』
『このままか、それとも目隠しをするか…そなたの希望はどちらだ。無礼とは思わぬ。言ってみよ。』
『……もうし、わけ、ありません……目隠しを…。』
『…分かった。そなたの望む通りにしよう。』
初夜は散々だった。
陛下の骨ばった手が、筋肉ばかりの身体がわたくしに触れる度気持ちが悪くて…目を瞑っても陛下のあの醜い顔が頭から離れなくて、余計に気持ち悪くて堪らなかった。
早く終わって欲しいと何度も何度も願って、気持ち悪さと痛みで初夜は終わった。
『…大丈夫か。』
『……俺が居ては休めないだろう。…部屋を出るからゆっくり休め。』
わたくしを労る陛下の言葉には答えなかった。
どうしてわたくしがこんな目に。もう二度としたくないと、そう思った。
それからわたくしは…どうしても陛下を受け入れられなかった。
『庭を散歩してみないか』
『食事を一緒に』
『人目が気になるなら配慮する。気分転換をしないか。』
『ルシア、』
陛下の誘いは全て体のいい言い訳をして断った。
あの気持ちの悪い、恐ろしい程醜い顔を見たくもない。
大国の王に無礼だとは自分でも思ったけれど…どうしても無理だった。
陛下はわたくしの無礼や我が儘をいつも許した。
断った理由が言い訳と知っていても、自分が疎まれていると知っていても、ただ一言『そうか』と許した。
咎めもしない、罰する事もしない陛下を、わたくしは情けない男とそう思った。
ライズと出会ってからわたくしの世界は変わった。
毎日が楽しくて幸せ。
ライズと出会ってからも陛下から一緒に過ごさないかと誘いを受けたけれど、全て断った。
何度も何度も。暫くすると…陛下からの誘いは来なくなった。
少しの罪悪感はあったけれど、陛下と過ごすならライズと過ごしたい。
わたくしはライズに夢中だった。セックスも含めて。
気持ち悪いだけ、痛いだけ。全く気持ちよくなかった陛下とのセックス。セックスとはそういうものだと思ってた。
でも、ライズとのセックスは違った。
わたくしとライズは朝から夕方まで愛し合って、思いを重ねていった。
気持ちがよくて、楽しくて、幸せを感じた。陛下ではなくライズと結婚出来たなら、どんなに嬉しいか。
醜くて苦手な陛下ではなく、愛するライズと一緒に暮らせたなら…どんなに幸せか。
「……そう、思っていたのに。」
結婚して、ライズは少し変わった様に思う。
結婚する前まではわたくしにとても優しかった。
いつまでも甘い言葉を囁いてくれて、わたくしを大切にしてくれていたのに。なのに今は少し違う。
子爵位を継いで忙しい事くらいわたくしにだって分かってる。
わたくしや子供の為に朝から夜まで必死になっているのも分かってる。
だからわたくしは沢山我慢をしている。なのに、ライズは分かってくれない。
したい事も沢山ある。ライズと一緒に…以前のように甘い時間を過ごしたいのを、わたくしだって我慢しているのに。
なのにライズはわたくしのそんな気持ちを分かってくれない。
わたくしに寄り添ってくれない。
「……陛下は、わたくしを気遣ってくれたわ…。
わたくしが冷たくしても、疎んでいると分かっても、…歩み寄ろうとして下さったわ…。」
結婚して少しずつライズの嫌な所が増えてくるのと同時に陛下の優しさに気付く。気付いて比べてしまう。
結婚する前のライズの優しさを疑ってしまう。
愛して一緒になった夫が小さな男に見えてしまうのと同時に、疎んでいた陛下の器の大きさに気付いてしまう。
そして今、新聞に描かれている陛下と、陛下の婚約者だという令嬢の絵姿を見て嫌な気持ちになる。
「…駄目駄目!…わたくしにはライズがいるじゃない…!それに…この子だって。」
ダイニングから出ていった夫は何処へ行ったのだろう。
寝室?それとも執務室?
ライズを探して屋敷を歩くと執務室から大きな音が聞こえてきて、部屋を除くと夫が様々な物を床に叩きつけては散乱させていた。
「だ、旦那様、どうされたのです…!お止め下さい…!」
「煩いっ!!使用人のくせに俺に指図するな!!」
「っ、」
「もう嫌だ…!嫌だ嫌だ嫌だ…!!何で俺がこんな目に合わないといけないんだよ…!!
朝から晩まで領地の事ばかり…!!父さんも兄さんもまだかまだかって煩いんだよ…!!今までこんな面倒な事やってこなかったんだから遅くて当然だろうが!!手伝いもしないくせに催促すんなよ!!」
「……貴族に生まれたからには当然の義務でございます。
…手伝わないのではなく、お二人はお二人でこの領地より広い伯爵領を治めなければならないのですから…手伝えないのは仕方のない事です…。」
「お、まえ…!!俺を馬鹿にしたな…!?使用人のくせにでしゃばった事言いやがってっ…!!」
本棚にあった本を乱暴に取り出し、ライズは使用人に向けて投げ付けた。
分厚い本が勢いよく頭に当たってしまった使用人は倒れ込むようにして床に崩れる。
わたくしは恐くて部屋に入る事が出来なかった。
「どいつもこいつも煩い事ばかり言いやがって!
俺は悪くない!俺に楯突いたお前が悪いんだよ!
俺は悪くない!あの日まで俺の人生は全部が思い通りにいってたんだ!!それを陛下…あの男が!!あの醜い男が俺の幸せを取り上げたんだ!!」
「…っ、旦那様、」
「女は皆俺を好きになった!母さんも他も、俺は何もしなくていいとそう言った!!父さんも兄さんも!あの日まで俺の自由にさせてたんだ!!全部あの男のせいだろ!!俺がこんな大変な目に合ってるのも!あの男がそう命じたから!!
俺がこんなにしんどい思いをしてるのもあいつのせいだ!!
なのに、なのに、あいつに婚約者…!?それも、あんな美しい女と!!」
「旦那様、お止め下さい…!旦那様の、今のお言葉は、陛下に対しての無礼と…!」
「無礼?…ははは…!事実だろう!?
あの男の容姿はとんでもなく醜いじゃないか!!女たちが嫌悪して顔をしかめるくらい不細工じゃないか!!
自分の妻にも気持ち悪がられるくらい、惨めな醜い男だっただろうがっ!!
あんな記事は嘘だ!あんな醜い男を誰が愛せるっ…!!今までもこれからも、誰にも愛されず疎まれながら生きていけばいいんだよっ…!!」
「旦那様!」
「あの男の婚約者も、嫌々に決まってる!
あの男の婚約者も、俺を好きになるに決まってる!
あいつを好きになる女なんていない!!ルシアだってそうだった!!小国の王女、国の庇護を求めた身でありながらルシアは俺を好きになった!!あんな醜い男より!俺の方がいいに決まってる!」
ライズの言葉を聞いて愕然とした。
これが夫の本性かと。逆恨みにしか思えない夫の、陛下への一方的な悪意。
いつもは見惚れる程整った夫の顔が醜く歪んで見えた。
「…あ、……ああ…、」
信じられない気持ちで階段を下りてその場にいた使用人たちに声をかける。
「…お願い。帝都まで連れて行って…。」
「え…?奥様、何を…、」
「わたくしを帝都まで連れていって頂戴!
帝都の、王宮へ!お願いよ!!」
「か、畏まりましたっ…すぐ、準備を整えます…!」
屋敷から離れて、馬車の中で先ほど見た夫を思い出す。
恐ろしかった。とても恐ろしい。
あれ程激昂した姿はこれまで見た事もなくて。使用人を罵り、怪我まで負わせた夫が、意味の分からない事ばかり捲し立てる夫が恐ろしかった。
そして、とても小さい男だとそう思った。
結婚するまでは何て美しくて素敵な人かしらとそう思っていたのに。
夫の醜く歪んだ顔が、とても気持ち悪い。
「陛下の方が、わたくしを大切にしてくれたわ。
陛下の方が。…ライズの元で幸せに暮らせと陛下は言って下さったけれど…今のライズとじゃ無理よ…。
陛下はわたくしを思って下さっていた。」
最後に交わした陛下との会話にはわたくしを案じる陛下の優しさが深く伝わった。
それまで気付かなかったけれど、陛下は情けない方ではなくて優しい方なのだと。
「…真実、わたくしを思って下さっていたのは陛下だった。
……きっとやり直せるわ。陛下はライズに嫁ぐわたくしに優しい言葉をかけて下さったんだもの。わたくしを思ってたからこそ、あの優しい言葉をかけて下さったに違いないわ…。」
気になるのは陛下の婚約者である令嬢。
でもきっと何も問題ないはず。
だって相手は貴族令嬢だもの。そしてわたくしは小国ながらも王女だった。
お腹の子はライズの子だけど、でもきっと優しい陛下は受け入れて下さる。何とかして下さる。
今度はちゃんと陛下の子を生んであげればいい。
絵姿はとても美しい女だったけれど…きっとそう書かせたのだろう。実際よりもうんと美しく。そういう事はよくある事だから。
それに、きっと陛下の顔を見て怯えているはず。
陛下の容姿を見て、出会った頃のわたくしのように恐れているはず。
「……陛下。…わたくし、もうライズとやっていける自信がないわ…。」
三日かけて帝都についたわたくしは陛下に会えるその瞬間を今か今かと応接間で待っていた。
数ヵ月前まで過ごしていた王宮はどこも変わっておらず、懐かしい気持ちになりながら。
十分、二十分と待って、漸く大きな扉が開く。
陛下にはまず謝罪して、ライズとはもう無理だと伝えなければ。
そう思っていたのに…部屋に入ってきたのは陛下の側にいつもいた執事長だった。
「ルシア様、お待たせ致しました。」
「…あの、…陛下は?わたくし、陛下に会いに来たのですけど…。陛下を呼んで下さるかしら…。お話ししたい事があるの。」
「……僭越ながら申し上げます。
今のルシア様の身分では、軽々しく陛下にお会いする事は出来ません。」
「どうして!?わたくしはアスガルト国の王女よ!」
「いいえ。この国での貴女様の身分はアーノルド子爵夫人で御座います。」
「っ、でも、わたくしはそれまでは陛下の妻だったわ!
側妃という立場だったのよ!陛下にわたくしが来ている事をお伝えして!」
「お伝えしております。しかし陛下は誰よりもご多忙の身であり、この後も大切なご予定が御座います。…それに…突然来られたのは貴女様の方。無礼であると弁えて頂きたく存じます。」
「な…!貴方の方が無礼だわ…!今は子爵夫人でも、わたくしは一国の王女だった身!使用人である貴方より身分は上!
だと言うのに何て無礼なの!陛下を呼んで!陛下に話があるのよ!」
老いた執事長に腹が立った。この人では話にならない。
陛下を呼んで欲しいと伝えているのに、陛下を呼んで来てはくれない。
「その陛下が、軽々しく会う事は出来ないと申しておりますので。代わりに私が用件を伺います。」
「っ、」
「ご心配されずとも、陛下にはきちんと内容をお伝えしますので。」
納得は出来なかったけれど、でも内容を話せば陛下に取り次いでもらえると思ったわたくしは老いた執事長にここまで来た経緯を話す。
ライズの醜い一面を、本性を知ってしまった事。
部屋で暴れていただけでなく執事に暴言を吐き、そして怪我まで負わせていた事。あの時の夫が酷く恐ろしかった事を伝えると…執事長は溜め息を吐いた。
「…ルシア様。貴女様は…アーノルド子爵を強く愛していたのではなかったのですか?王であり夫君であった陛下に無礼と分かっていながら…陛下の誘いを断り続け、その間も逢瀬をし続けていたではありませんか。そして、アーノルド子爵の子を宿した。」
「な、…そ、その時は、ライズのああいった部分を知らなかったの…だから、」
「だから、何なのです。そんな事は関係ありませんよ。
失礼を承知で言わせて頂きますが、こうなったのも全てご自身の蒔いた種。貴女様が子爵ではなく陛下を大切にしていれば…今こうなってはいなかった。
全ては貴女様ご自身で決めた事。陛下よりも子爵をお選びになった。」
「だ、だから!だからやり直したいと言っているのよ!
陛下がどれ程わたくしを思って下さったか!その優しさにわたくしはやっと気付いたの!貴方が勝手に決めないで!わたくしを受け入れるかは陛下が決めるべきでしょう!?使用人風情が主人の返事を待たず勝手に決めつけないで頂戴!!」
「……貴女様は気付いておられないのですね。」
「何をよ!!」
「今の貴女様は、ご自身が恐ろしいと言ったアーノルド子爵と同じに御座います。
暴れて物を投げたりはしておりませんが…激昂し、使用人風情と罵る。」
「!!」
「婚約者であるご令嬢とお会いする為、陛下は政務に励んでおられます。お二人は心から愛し合っていらっしゃいますので…陛下はご令嬢と少しでも長く一緒に過ごす為に今も頑張っておられます。
ですからルシア様。貴女様の都合でお忙しい身である陛下をこれ以上煩わせないで頂きたいのです。」
執事長からの『心から愛し合っている』という言葉に、嘘だと思った。
この執事長はわたくしの事が以前から嫌いで、わたくしを傷付ける為に態とそんな嘘を言っているのだと。
愛し合っている?陛下と、婚約者の令嬢が?
そんな事有り得ない。だって、陛下の容姿は凄く醜いから。
すごくすごく、醜いから。
わたくしもそうだったけれど、城にいる侍女たちも、ううん、女も男も。誰もが陛下の容姿を嫌悪してたのをわたくしは知っている。
陛下のご両親である上皇両陛下でさえも。この執事長は別として。
陛下を愛せる女なんていない。
あのとても醜い陛下の容姿を、受け入れられる女なんて。陛下の優しさを知ったわたくし以外に。
「どれだけ貴女様が望もうとも、陛下にお会いする事は出来ません。本日も、別の日であろうと。
陛下が愛しておられるのは大切な婚約者であるご令嬢ただお一人で御座いますので。」
「嘘だわ!嘘を吐かないで!わたくしも皆も、陛下の容姿が受け入れられなかったんだもの!愛し合っているなんて、そんな事有り得ないわ…!!」
「…何と無礼極まりない…。
ルシア様。嘘も何も御座いません。陛下が真実、心から愛しておられるのは一人だけ。サイカ・クライス侯爵令嬢ただお一人だけ。
クライス侯爵閣下はこの国に四つある候爵位の中でも一番力を持つ方。更に言えば大国、レスト帝国で一部…ではありますが。それなりの地位にいる方々は大国ではないアスガルト国や他の国々の王族貴族よりも立場が上。…そう、教えられたはずです。」
「………。」
「小さな国の王族であれば尚更。何かの機会にこの国に来る事も、陛下やレスト帝国の貴族が向かう事も御座います。
教えられませんでしたか?無礼や不敬、粗相がないようにと。
この意味は三つの大国が他の国々とは大きく違うという事です。」
「それは…、」
「レスト帝国、ドライト王国、リスティア連合国。
この三つの国は何もかもが桁違いであり、人口、医療、商業、資源、財、軍事力。あらゆる事が他の国々と大きな差が御座います。そう、とても大きな差が。それが理由です。
つまりこの国の貴族の中でも力あるクライス侯爵閣下の…そのご令嬢であるサイカ様は…アスガルト国の王女である貴女様よりも高貴な方となります。大きな立場の違いがあるのです。」
幼い頃から三つの大国の、偉い方に会う機会があった場合は粗相をしてはいけないと言われてきた。
大きな国だから失礼のないように。ただそれだけの理由だと思っていた。だって政の事なんて分からないもの。
政をするのはお父様やお父様の後を継いで王になる弟、そしてお父様たちを支える臣下たち。
王女であるわたくしや妹は政には関わらない。だからそんな理由があったなんて、一国の王女であるわたくしよりも、この国の一部の貴族の方が身分が上だなんて分かるわけないもの。
「さ、お分かり頂けたならお帰り下さい。
子爵については…陛下がお力を貸して下さるかも知れませんが…確実では御座いませんので。」
今日は会えそうもない。色々と混乱していたけれどそれだけは分かって、わたくしは執事長に付き添われながら応接間を出て歩く。
その時だった。
「サイカ!待ちわびたぞ…!」
「マティアス!ごめんなさい、予定よりもずっと遅くなってしまって…。」
「いい。その間に色々仕事を片付けておいたからな。
おいで…。夜にディーノが迎えに来るまで…二人きりでゆっくりと過ごそう。
……ああ、会いたかった。」
「私も…早くマティアスに会いたくて堪らなかった…。」
陛下の表情を見て言葉を失う。嬉しそうな、幸せそうな陛下の顔は…わたくしの知らない顔だった。
わたくしがいた頃はあんな顔しなかった。あんな風に笑う事もなくて、あんな風に甘い声でもなくて。
それに…婚約者である令嬢。
新聞に描かれていた絵姿よりもすごく美人で、綺麗で。
あんなの、あんなとんでもなく美人な女に、勝てるわけない。
勝てない。あれには勝てない。美貌も立場もあちらが上。勝てるはずがない。
「…理解して頂けましたか?」
「……。」
「であれば…もう何も考えずにアーノルド子爵の元へお帰りになられるのが一番宜しいでしょう。
…生まれてくる我が子の為にも。子爵も環境が大きく変わり心が疲れてしまっているのではないでしょうか。
落ち着いて話し合えば解決する事も御座いますよ。
…愛し合って結ばれた、夫婦なのですから。」
「………ええ…。」
「“ーーーーーーーーーーーーーー。”」
そんな、呆然としたまま領地へ戻ったわたくしを、ライズは心配してくれた。
「使用人から帝都に行ったと聞いて心配したよ…!
ごめん、ごめんルシア。疲れてて、俺…凄く疲れてて…、恐い思いをさせてごめんよ…。
どうかしてたんだ本当に…君と一緒になって、子供も出来て、幸せなのに…でも、ルシアとゆっくり出来る時間もないくらい…毎日が忙しくて…。」
「ライズ…」
「帝都の何処に行ってたの?誰かに会いに行った?」
「…いいえ。…会おうと、そう思ったけど…会えなかったの…。」
「本当にごめんよルシア。もっと君と時間を取れるように頑張るから…。だから、勝手に帝都へ行くのだけはしないでほしい…。」
「ライズ…!ええ、分かったわ…!わたくし、寂しかったの…。貴方も恐くって…、それで、思わず…。
今日の貴方は、違うのよね?いつもの貴方よね?
あの時の恐い貴方は、疲れていただけなのよね?」
「当たり前じゃないか…!俺はルシアと俺たちの子を守るって約束したんだから…!愛しているよ、ルシア…。」
「ライズ…。わたくしもよ…わたくしも、貴方を愛してるの…。」
“今の居場所を大切になさいますよう。”
老いた執事長の声が、頭の中でいつまでもこだましていた。
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