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閑話 サイカの知らない裏側で
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「…陛下。今宜しいでしょうか。」
「爺か。どうした?サイカが来たか?」
「いえ……サイカ様ではなく…ルシア様が来られたと報告が御座いました。」
「ルシア?……ああ、成る程。ライズとの間に何かあったのだろう。……しかし、あの娘は元王女でありながら何も学んで来なかったのだろうか。望めば子爵夫人である自分が皇帝である俺に会えると本気で思っているのなら考えものだな。」
「全くで御座います!」
元側妃であったルシアが自分を訪ねて来た、その大凡の理由をマティアスは見当が付いていた。
ルシア・カルビナ・アスガルト。
小国であるアスガルトの第一王女だったルシアは絵に書いたような“お姫様”であり、生まれてからレスト帝国に、マティアスに嫁ぐまでは何不自由なく生きていた。
ルシアが自国で政に少しも関与しなかったのは貴族の令嬢や妃、王女という存在はただ家の為に嫁ぎ、嫁いだ先で子を生む事だけが使命とそう思っている人間であった為。
同じ女王という立場であっても、他国では政に関与している王族は多く存在する。
マティアスに嫁ぐまでの間ルシアは故郷で自由に過ごし、欲しいものや望んだものを概ね叶える事が出来ていた。
マティアスの側妃だった頃も変わらず“お姫様”だったルシアがライズと一緒になり子爵夫人となってしまえば…今までのように“お姫様”ではいられない。
それはルシアが故郷を守る為にその身一つで嫁ぐのとは訳が違う。
王宮ではマティアスや多くの臣下たちが国を守る為に働いている。大国であるレスト帝国に嫁いだルシアの出来る事は極端に少なく、子を生む事がルシアの仕事だったと言っても良かった部分はあるが。
ライズと一緒になった今の立場であれば、子爵となったばかりの夫を支え、夫と共に協力して家を、領地を守らなければならない必要がある。
大国の皇帝に嫁ぐという事とライズの妻になるという事は大きな違いがある。
「王女側妃であった頃とは違う環境。それはルシアにとっても慣れぬ事だろう。それに、結婚して毎日ライズと共に暮らしていれば…恋人であった当時は気付かなかった事も気付いてくる。」
「子爵の性格で御座いますね。」
「ああ。あの男は一方的に俺を敵視していたに違いない。理由は分からんが。ルシアと関係を持ったのもそういったものが関係していると、俺はそう思っている。
相当に性格の悪い男だ。だが、ルシアはそれを知らずに結婚した。」
「…成る程…。毎日一緒に過ごすようになって、そういった部分が見えてきた、という事ですな…。
しかしそれで、陛下に何を望んでおられるのでしょうか。
陛下よりも子爵をお選びになったのはルシア様ですのに。」
「そこが、ルシアがまだ自分の事を“お姫様”と思っている証拠だな。ルシアはライズを愛していると言うが…結局は自分が一番可愛いのだろうよ。子爵になったライズはこれまで自由に過ごしてきたツケを身を持って味わっている。」
「…領地にいる民の命が懸かっておりますからね…。」
「その通りだ。子爵領は伯爵領であった領土を二分してもいる。二分と言っても伯爵領より小さな領土だ。それを、伯爵領だった頃より暮らしにくいとなれば奴の父や兄にも知られてしまう。そうなると、だ。只でさえルシアの件で立場が悪くなってしまい今も必死になって面子を保とうとしているアーノルド家の面々は…ライズを責めるだろう。だからこそライズは一秒たりと時間を無駄に出来ない。」
「当然で御座いますな。」
「だがな爺。お姫様が抜けていないルシアは自分が我慢をしているつもりでいるんだ。
以前のように長くライズと過ごせない事も、何もかも。自分は沢山我慢をしているとそう思っている。現実を見れていない。」
「……子供、でしたか。」
「そうだ。」
そんなお姫様なルシアが自分を訪ねてきた理由は恐らく、ライズの性格を知ってしまい、一緒には暮らせないとそう思って訪ねてきたのだろう。マティアスの庇護を求めて。
元側妃である自分をマティアスがお腹の子を含めて何とかしてくれる、救ってくれるとそう思っているに違いない。
「浅慮よな。」
元王女であったにも関わらず、上の立場としてあるまじき浅い考えにマティアスは冷ややかな笑みを落とした。
「爺に任せる。爺であれば俺の考えを汲み取った上で対応してくれると安心出来るからな。…説教でもしてやればいいさ。」
「ははは。畏まりました。」
ルシアとミケーレのやり取りの数日後、ライズは毎日を怯えて過ごしていた。
妻が屋敷を出て、帝都へ向かったと報告を受けてからライズは生きた心地がしなかった。己のせいであっても。
ライズはマティアスへの深い憎しみも当然持っているが…憎しみよりも恐怖の方が大きい。
今自分がこうなっているのも全てマティアスの策の内で、自分はその手の平で踊らされていただけだった。
王宮に呼び出されたあの日にライズはそれを理解し、マティアスを恐ろしい男だと認識した。一番敵に回してはならない男だったのだと後悔した。
“約束を違えるな”
そう、有無を言わさぬ圧でライズに告げた言葉をライズは忘れてはいない。忘れられるはずもない。
マティアスに嵌められたと父親や兄に訴えたが…お前の責任だろうがとそう言われてしまった。
もし、仮にそうだとしても、出来る事など一つもないと。
貴族としてのアーノルド家の立場を悪くさせてしまったライズはそれ以上何も言えるはずがなく…ライズは自由に過ごしてきたツケを払わなくてはならなくなった。
朝も昼も夜も自由に過ごせる時間などなく、領地で抱えている問題に毎日頭を抱え過ごしている。
終わったと思えばまた新しい問題が容赦なくライズを追い詰める。
人を、暮らしを、その領地を守る大役に酷く疲弊しながら子爵となったライズは毎日を過ごしている。
もう二度とルシアの機嫌を損ねてはならない。
もしまたルシアを不安にさせたり機嫌を損ねてルシアがマティアスを訪ねでもしたら…自分はどうなってしまうのか。
約束を違えてしまったと知られてしまえば、自分は破滅してしまう。
だからライズは自分の時間を削ってまで妻となったルシアを今日も気遣う。
心の底で、どうして自分がこんな目に合わなければならないのかと自問しながら。
「馬鹿だろ。王女として十七年、何を学んで来たんだ。お前の元側妃は。」
「知らん。」
「何故お前とやり直せると思った。子はどうするつもりだったんだ。私生児として公に出さず…とかじゃないだろうな。
民どころか貴族の反感を買うぞ。」
「知らん。」
「筆頭侯爵の娘であるサイカが小国の王女より下なわけないだろ。」
「知らん。」
「大国が何故大国であるかの由縁を知らなかったというのは問題だな。…そういう教育を受けて来なかったのか?世界共通の常識だぞ? 」
「それだけアスガルト国の教育水準が低いという事だろう。」
「ああ…納得した。だから長い歴史を持っていながらも小国止まりなんだな。」
ミケーレからルシアとの会話の内容を聞いてマティアスは目頭を押さえ頭痛に耐えた。
自分の予想以上にルシアの浅慮さが露見して。それだけではなく世界共通の常識すら欠落していた事実も知って。
翌日マティアスを訪ねて城へ来たリュカも同じように目頭を押さえた。
リュカはリュカで大切な話があってマティアスを訪ねてきたのだが…愛する婚約者に会った翌日であるにも関わらず何処か疲れた様子の従兄弟を不思議に思い問うてみた所、今の話である。
「…馬鹿は思わぬ行動を取るからな…。僕もお前の心労はよく分かるぞ…。」
「…ああ…。」
はああ。と大きな溜め息が二人から漏れて、テーブルに置かれてあった紅茶に口を付けるとまた溜め息が漏れる。
「…下らない話を聞かせてしまったな。
用件を聞こうか。」
「別に構わない。……僕の用件は…ベルナンド侯爵の事だ。」
「…ベルナンドか…。」
ベルナンド侯爵とはディーノに続いて力ある貴族であり、婚約式の際にサイカを良からぬ目で見ていた男のこと。
リュカらの話を聞いたマティアスは当然、その日の内からベルナンド侯爵、また一緒にいたバロウズ伯爵の動向を監視するようにした。
ベルナンドの屋敷には毎日様々な人が出入りをしているものの、今の所は特別何かがあった様子はない。…と、マティアスは報告を受けている。
「当然お前もベルナンド、それからバロウズの動向は監視していると思うが…僕の方でも様子を見ている。」
「だろうな。」
「………はぁ。やはりか。
…以前にも言ったが…僕はお前程恐ろしい男を他に知らないぞ。何もかも分かってるみたいで恐ろしい。」
「馬鹿を言うな。何もかも分かるならこんな苦労はしない。
そうであったならそなたらに頼らずともサイカを守れるし、サイカを俺の妃にだけ出来ただろう。…そうしないのは分からない未知を警戒しているからだ。」
「…そうだな。…お前の読みは正しい。
お前がサイカを愛している事実は式にいた殆どの人間が理解しただろう。そのサイカを守る為にあらゆる手間を惜しまない事も、分かる人間には分かる。
…恐らくはベルナンドもその一人だ。」
「……そうか。」
「お前がサイカを守る為にベルナンドを警戒しているように、ベルナンドもお前を警戒している。サイカの美しさに惹かれた…あの場にいた貴族たち全員に対してお前が警戒していてもおかしくないとベルナンドはそう思ったはずだ。…あれでもクライス候の次に力を持つ侯爵。狸爺だからな。」
「ああ。そうである可能性を考えた。だがこうも思った。そなたは俺の従兄弟でもあるが公爵であり、俺との謁見は何らおかしくない。ヴァレリアは城に勤めている身、カイルは俺の護衛。そのそなたらが、サイカの後ろにいるという事はベルナンドとて予想しておらんだろうと。」
「当然だ。お前の他に後三人、それも多くの女に嫌悪され敬遠されている醜い僕たちが恋人だと誰が想像出来る。
…だからマティアス。お前にはこのままベルナンド、バロウズ両方の監視を続けてもらい…二人の警戒がお前に向いたままにしてもらいたい。」
「ああ。その方がそなたらが動きやすいだろうからな。」
リュカが独自で調べた結果、ベルナンド侯爵はまさに“狸爺”だった。
貴族らしいといえばらしい性格。強欲で自己中心的、自信家でもあり…そして他者を大勢犠牲にしてこれまでに力を付けてきた男。
「これまでも法に触れないぎりぎりの事をしているんだが…証拠を残さないようにするのも上手い。いや、証拠を残さないというよりはベルナンド自身に辿り付くのが難しいと言った所か。
自分に危険が近付いていると知れば容赦なく他人…身内すら切り捨てる。」
「…何年か前にそういった事があったな。…禁止されている人身売買の疑いを侯爵自らが国に報告した。主犯は侯爵家に仕える者の仕業であったと。
侯爵は父に告げるまで知らぬ事だった…そう、父が判断したと聞いた。」
「奴が狸爺である部分はそこにある。」
「ああ。逆に感心すらする。領地で人身売買が為されている疑いがあると、それが広がり調査が入る前に侯爵自らが屋敷の者であったと国に告げる。…聞き取りをする前に告げた事が真実味を増してより効果的だった。」
「そうだ。恐らく主犯はベルナンド侯爵自身。
罪を着せられた主犯とそれから実行犯は収監される前日に…自殺している。死んで詫びると遺書を残して。」
「大方ベルナンドの手の者に殺されたのだろう。檻の中で自白されては困るからな。」
「そうに違いない。…厄介な害虫だ。」
「だが動いてくれるのだろう?」
「……分かりきった事を聞くなよ。全部お見通しだろ。僕が動く事を、お前は分かっていた。
サイカの後ろに僕たちがいる事をベルナンドはまだ知らない。
だからお前より疑いの目を向けられず二人を探る事が出来ると…そう思っていたんだろう?」
「…物事には幾つもの可能性がある。サイカが俺の婚約者として公になってからも。幾つもの可能性がな。
予想していてもその通りにならない事の方が多い。だが、幾つもの可能性を考え方々に手を打っていれば…その内のどれかは上手くいく場合もある。それだけだ。」
それだけだとマティアスは言うが、それだけの事が出来る人間は少ない。
さも何でもないように言ってのけるマティアスに自分の従兄弟はつくづく底知れない男だとリュカは思う。
自分が提案する前から、マティアスは今日のリュカの話を考えていたに違いない。
式の後に男たちが話をしてから。その後何が起こるか、どんな事が起きるのか。その幾つもの可能性をマティアスは枝分けして考え、それぞれに対応出来るように手を打つ。
つくづく底知れない男だ。恐ろしい男だ。
リュカがぶるりと体を震わせマティアスを見れば、マティアスは口許に笑みを浮かべていた。
「…お前が敵でない事を安堵すべきだな、僕は。」
「それは俺の台詞だ。…仮にリュカ。そなたが俺の敵であったなら…そう思うとそなたは厄介だ。俺にとって非常にやりにくい相手だろうとも。」
マティアスもまた、リュカに対して底知れないものを感じている。
リュカはマティアスの意図を読み解くのが早い。
皆で集まって話をする時も、リュカが一番にマティアスの考えに気付く。
頭の良さだけの話ではない。人付き合いを避けていてもリュカの能力は高い。
これまでは余り屋敷から出ず、人を避けて生活をしてきたリュカは…サイカと出会い、変わり、それまで眠らせていた能力を開花させるに違いない。その片鱗をマティアスは幾度も感じた。
だからこそ、こうしてリュカは自分に会いに来ている。
どうすればいいか。何が起こるか。その幾つもある可能性を考え、最善の行動を起こした。
マティアスが言わずとも、頼まずとも自らの意思で行動を起こしたのだから。
「お前にそう言われるとは光栄だ。
…僕は、お前に近付きたい。」
「……。」
「サイカを守るという点で、お前以上の存在はいない。
だが言ってしまえば…お前で事足りては困るんだ。
お前に僕を認めてもらう必要があると、僕はそう思っている。」
「十分認めているんだが。」
「いいや、もっとだ。
もっと、今以上に。お前が僕らを身限れば…僕らはサイカを失うだろう。僕らが足枷になった時、僕らはサイカを失ってしまう。そうならないように各々の役割を果たさなくてはならないし、そしてそれは…僕らが自身で役割を見つけなければ意味もない。」
「…ほう。」
「お前はそういう男だと僕は知っている。
優しい男じゃないんだ。お前は。…サイカ以外にはな。」
「全く。……やはり…そなたが一番の曲者だ。
ではリュカ。ベルナンドとバロウズ両方についてはそなたに任せる。…頼むぞ。」
「ああ。勿論だ!…それまで僕たちはサイカに会うのを今以上に止めた方がいい。僕たちが頻繁に会うのもだ。ヴァレリアとカイルにはお前から伝えておいてくれ。」
「ああ。」
「その間は…マティアス。サイカの事はお前に任せる。
必ずサイカを守れよ。」
「言われずとも。」
サイカは知らない。
自身に危険が迫る可能性がある事を。
知らないのはサイカを愛する男たちが、そう望んでいるから。
サイカに知らせる事なく手を打ち、常と変わらない平穏な日々を過ごさせる為にそうしている事を。
不安にもさせず、心配もさせず。愛する女が悲しい涙を流す事なく日々を楽しく、幸せに過ごせるように。
その為だけに、男たちは動く。
「爺か。どうした?サイカが来たか?」
「いえ……サイカ様ではなく…ルシア様が来られたと報告が御座いました。」
「ルシア?……ああ、成る程。ライズとの間に何かあったのだろう。……しかし、あの娘は元王女でありながら何も学んで来なかったのだろうか。望めば子爵夫人である自分が皇帝である俺に会えると本気で思っているのなら考えものだな。」
「全くで御座います!」
元側妃であったルシアが自分を訪ねて来た、その大凡の理由をマティアスは見当が付いていた。
ルシア・カルビナ・アスガルト。
小国であるアスガルトの第一王女だったルシアは絵に書いたような“お姫様”であり、生まれてからレスト帝国に、マティアスに嫁ぐまでは何不自由なく生きていた。
ルシアが自国で政に少しも関与しなかったのは貴族の令嬢や妃、王女という存在はただ家の為に嫁ぎ、嫁いだ先で子を生む事だけが使命とそう思っている人間であった為。
同じ女王という立場であっても、他国では政に関与している王族は多く存在する。
マティアスに嫁ぐまでの間ルシアは故郷で自由に過ごし、欲しいものや望んだものを概ね叶える事が出来ていた。
マティアスの側妃だった頃も変わらず“お姫様”だったルシアがライズと一緒になり子爵夫人となってしまえば…今までのように“お姫様”ではいられない。
それはルシアが故郷を守る為にその身一つで嫁ぐのとは訳が違う。
王宮ではマティアスや多くの臣下たちが国を守る為に働いている。大国であるレスト帝国に嫁いだルシアの出来る事は極端に少なく、子を生む事がルシアの仕事だったと言っても良かった部分はあるが。
ライズと一緒になった今の立場であれば、子爵となったばかりの夫を支え、夫と共に協力して家を、領地を守らなければならない必要がある。
大国の皇帝に嫁ぐという事とライズの妻になるという事は大きな違いがある。
「王女側妃であった頃とは違う環境。それはルシアにとっても慣れぬ事だろう。それに、結婚して毎日ライズと共に暮らしていれば…恋人であった当時は気付かなかった事も気付いてくる。」
「子爵の性格で御座いますね。」
「ああ。あの男は一方的に俺を敵視していたに違いない。理由は分からんが。ルシアと関係を持ったのもそういったものが関係していると、俺はそう思っている。
相当に性格の悪い男だ。だが、ルシアはそれを知らずに結婚した。」
「…成る程…。毎日一緒に過ごすようになって、そういった部分が見えてきた、という事ですな…。
しかしそれで、陛下に何を望んでおられるのでしょうか。
陛下よりも子爵をお選びになったのはルシア様ですのに。」
「そこが、ルシアがまだ自分の事を“お姫様”と思っている証拠だな。ルシアはライズを愛していると言うが…結局は自分が一番可愛いのだろうよ。子爵になったライズはこれまで自由に過ごしてきたツケを身を持って味わっている。」
「…領地にいる民の命が懸かっておりますからね…。」
「その通りだ。子爵領は伯爵領であった領土を二分してもいる。二分と言っても伯爵領より小さな領土だ。それを、伯爵領だった頃より暮らしにくいとなれば奴の父や兄にも知られてしまう。そうなると、だ。只でさえルシアの件で立場が悪くなってしまい今も必死になって面子を保とうとしているアーノルド家の面々は…ライズを責めるだろう。だからこそライズは一秒たりと時間を無駄に出来ない。」
「当然で御座いますな。」
「だがな爺。お姫様が抜けていないルシアは自分が我慢をしているつもりでいるんだ。
以前のように長くライズと過ごせない事も、何もかも。自分は沢山我慢をしているとそう思っている。現実を見れていない。」
「……子供、でしたか。」
「そうだ。」
そんなお姫様なルシアが自分を訪ねてきた理由は恐らく、ライズの性格を知ってしまい、一緒には暮らせないとそう思って訪ねてきたのだろう。マティアスの庇護を求めて。
元側妃である自分をマティアスがお腹の子を含めて何とかしてくれる、救ってくれるとそう思っているに違いない。
「浅慮よな。」
元王女であったにも関わらず、上の立場としてあるまじき浅い考えにマティアスは冷ややかな笑みを落とした。
「爺に任せる。爺であれば俺の考えを汲み取った上で対応してくれると安心出来るからな。…説教でもしてやればいいさ。」
「ははは。畏まりました。」
ルシアとミケーレのやり取りの数日後、ライズは毎日を怯えて過ごしていた。
妻が屋敷を出て、帝都へ向かったと報告を受けてからライズは生きた心地がしなかった。己のせいであっても。
ライズはマティアスへの深い憎しみも当然持っているが…憎しみよりも恐怖の方が大きい。
今自分がこうなっているのも全てマティアスの策の内で、自分はその手の平で踊らされていただけだった。
王宮に呼び出されたあの日にライズはそれを理解し、マティアスを恐ろしい男だと認識した。一番敵に回してはならない男だったのだと後悔した。
“約束を違えるな”
そう、有無を言わさぬ圧でライズに告げた言葉をライズは忘れてはいない。忘れられるはずもない。
マティアスに嵌められたと父親や兄に訴えたが…お前の責任だろうがとそう言われてしまった。
もし、仮にそうだとしても、出来る事など一つもないと。
貴族としてのアーノルド家の立場を悪くさせてしまったライズはそれ以上何も言えるはずがなく…ライズは自由に過ごしてきたツケを払わなくてはならなくなった。
朝も昼も夜も自由に過ごせる時間などなく、領地で抱えている問題に毎日頭を抱え過ごしている。
終わったと思えばまた新しい問題が容赦なくライズを追い詰める。
人を、暮らしを、その領地を守る大役に酷く疲弊しながら子爵となったライズは毎日を過ごしている。
もう二度とルシアの機嫌を損ねてはならない。
もしまたルシアを不安にさせたり機嫌を損ねてルシアがマティアスを訪ねでもしたら…自分はどうなってしまうのか。
約束を違えてしまったと知られてしまえば、自分は破滅してしまう。
だからライズは自分の時間を削ってまで妻となったルシアを今日も気遣う。
心の底で、どうして自分がこんな目に合わなければならないのかと自問しながら。
「馬鹿だろ。王女として十七年、何を学んで来たんだ。お前の元側妃は。」
「知らん。」
「何故お前とやり直せると思った。子はどうするつもりだったんだ。私生児として公に出さず…とかじゃないだろうな。
民どころか貴族の反感を買うぞ。」
「知らん。」
「筆頭侯爵の娘であるサイカが小国の王女より下なわけないだろ。」
「知らん。」
「大国が何故大国であるかの由縁を知らなかったというのは問題だな。…そういう教育を受けて来なかったのか?世界共通の常識だぞ? 」
「それだけアスガルト国の教育水準が低いという事だろう。」
「ああ…納得した。だから長い歴史を持っていながらも小国止まりなんだな。」
ミケーレからルシアとの会話の内容を聞いてマティアスは目頭を押さえ頭痛に耐えた。
自分の予想以上にルシアの浅慮さが露見して。それだけではなく世界共通の常識すら欠落していた事実も知って。
翌日マティアスを訪ねて城へ来たリュカも同じように目頭を押さえた。
リュカはリュカで大切な話があってマティアスを訪ねてきたのだが…愛する婚約者に会った翌日であるにも関わらず何処か疲れた様子の従兄弟を不思議に思い問うてみた所、今の話である。
「…馬鹿は思わぬ行動を取るからな…。僕もお前の心労はよく分かるぞ…。」
「…ああ…。」
はああ。と大きな溜め息が二人から漏れて、テーブルに置かれてあった紅茶に口を付けるとまた溜め息が漏れる。
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用件を聞こうか。」
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「当然お前もベルナンド、それからバロウズの動向は監視していると思うが…僕の方でも様子を見ている。」
「だろうな。」
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「馬鹿を言うな。何もかも分かるならこんな苦労はしない。
そうであったならそなたらに頼らずともサイカを守れるし、サイカを俺の妃にだけ出来ただろう。…そうしないのは分からない未知を警戒しているからだ。」
「…そうだな。…お前の読みは正しい。
お前がサイカを愛している事実は式にいた殆どの人間が理解しただろう。そのサイカを守る為にあらゆる手間を惜しまない事も、分かる人間には分かる。
…恐らくはベルナンドもその一人だ。」
「……そうか。」
「お前がサイカを守る為にベルナンドを警戒しているように、ベルナンドもお前を警戒している。サイカの美しさに惹かれた…あの場にいた貴族たち全員に対してお前が警戒していてもおかしくないとベルナンドはそう思ったはずだ。…あれでもクライス候の次に力を持つ侯爵。狸爺だからな。」
「ああ。そうである可能性を考えた。だがこうも思った。そなたは俺の従兄弟でもあるが公爵であり、俺との謁見は何らおかしくない。ヴァレリアは城に勤めている身、カイルは俺の護衛。そのそなたらが、サイカの後ろにいるという事はベルナンドとて予想しておらんだろうと。」
「当然だ。お前の他に後三人、それも多くの女に嫌悪され敬遠されている醜い僕たちが恋人だと誰が想像出来る。
…だからマティアス。お前にはこのままベルナンド、バロウズ両方の監視を続けてもらい…二人の警戒がお前に向いたままにしてもらいたい。」
「ああ。その方がそなたらが動きやすいだろうからな。」
リュカが独自で調べた結果、ベルナンド侯爵はまさに“狸爺”だった。
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「これまでも法に触れないぎりぎりの事をしているんだが…証拠を残さないようにするのも上手い。いや、証拠を残さないというよりはベルナンド自身に辿り付くのが難しいと言った所か。
自分に危険が近付いていると知れば容赦なく他人…身内すら切り捨てる。」
「…何年か前にそういった事があったな。…禁止されている人身売買の疑いを侯爵自らが国に報告した。主犯は侯爵家に仕える者の仕業であったと。
侯爵は父に告げるまで知らぬ事だった…そう、父が判断したと聞いた。」
「奴が狸爺である部分はそこにある。」
「ああ。逆に感心すらする。領地で人身売買が為されている疑いがあると、それが広がり調査が入る前に侯爵自らが屋敷の者であったと国に告げる。…聞き取りをする前に告げた事が真実味を増してより効果的だった。」
「そうだ。恐らく主犯はベルナンド侯爵自身。
罪を着せられた主犯とそれから実行犯は収監される前日に…自殺している。死んで詫びると遺書を残して。」
「大方ベルナンドの手の者に殺されたのだろう。檻の中で自白されては困るからな。」
「そうに違いない。…厄介な害虫だ。」
「だが動いてくれるのだろう?」
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「…物事には幾つもの可能性がある。サイカが俺の婚約者として公になってからも。幾つもの可能性がな。
予想していてもその通りにならない事の方が多い。だが、幾つもの可能性を考え方々に手を打っていれば…その内のどれかは上手くいく場合もある。それだけだ。」
それだけだとマティアスは言うが、それだけの事が出来る人間は少ない。
さも何でもないように言ってのけるマティアスに自分の従兄弟はつくづく底知れない男だとリュカは思う。
自分が提案する前から、マティアスは今日のリュカの話を考えていたに違いない。
式の後に男たちが話をしてから。その後何が起こるか、どんな事が起きるのか。その幾つもの可能性をマティアスは枝分けして考え、それぞれに対応出来るように手を打つ。
つくづく底知れない男だ。恐ろしい男だ。
リュカがぶるりと体を震わせマティアスを見れば、マティアスは口許に笑みを浮かべていた。
「…お前が敵でない事を安堵すべきだな、僕は。」
「それは俺の台詞だ。…仮にリュカ。そなたが俺の敵であったなら…そう思うとそなたは厄介だ。俺にとって非常にやりにくい相手だろうとも。」
マティアスもまた、リュカに対して底知れないものを感じている。
リュカはマティアスの意図を読み解くのが早い。
皆で集まって話をする時も、リュカが一番にマティアスの考えに気付く。
頭の良さだけの話ではない。人付き合いを避けていてもリュカの能力は高い。
これまでは余り屋敷から出ず、人を避けて生活をしてきたリュカは…サイカと出会い、変わり、それまで眠らせていた能力を開花させるに違いない。その片鱗をマティアスは幾度も感じた。
だからこそ、こうしてリュカは自分に会いに来ている。
どうすればいいか。何が起こるか。その幾つもある可能性を考え、最善の行動を起こした。
マティアスが言わずとも、頼まずとも自らの意思で行動を起こしたのだから。
「お前にそう言われるとは光栄だ。
…僕は、お前に近付きたい。」
「……。」
「サイカを守るという点で、お前以上の存在はいない。
だが言ってしまえば…お前で事足りては困るんだ。
お前に僕を認めてもらう必要があると、僕はそう思っている。」
「十分認めているんだが。」
「いいや、もっとだ。
もっと、今以上に。お前が僕らを身限れば…僕らはサイカを失うだろう。僕らが足枷になった時、僕らはサイカを失ってしまう。そうならないように各々の役割を果たさなくてはならないし、そしてそれは…僕らが自身で役割を見つけなければ意味もない。」
「…ほう。」
「お前はそういう男だと僕は知っている。
優しい男じゃないんだ。お前は。…サイカ以外にはな。」
「全く。……やはり…そなたが一番の曲者だ。
ではリュカ。ベルナンドとバロウズ両方についてはそなたに任せる。…頼むぞ。」
「ああ。勿論だ!…それまで僕たちはサイカに会うのを今以上に止めた方がいい。僕たちが頻繁に会うのもだ。ヴァレリアとカイルにはお前から伝えておいてくれ。」
「ああ。」
「その間は…マティアス。サイカの事はお前に任せる。
必ずサイカを守れよ。」
「言われずとも。」
サイカは知らない。
自身に危険が迫る可能性がある事を。
知らないのはサイカを愛する男たちが、そう望んでいるから。
サイカに知らせる事なく手を打ち、常と変わらない平穏な日々を過ごさせる為にそうしている事を。
不安にもさせず、心配もさせず。愛する女が悲しい涙を流す事なく日々を楽しく、幸せに過ごせるように。
その為だけに、男たちは動く。
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このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
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