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102 どうにもならない事もある
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「…母親として失格だと自覚しています。
わたくしはあの子が生まれてからずっと、母親であった事などなかったのですから。」
人間同士、話せば分かり合える。
今はそうでなくても根気よく話し合えばいつか、分かり合える。必ず。……なんて。実際はそんな事はない。
「…マティアスが、どんな思いでいたか…分かっていたのに、知っていたのに……傍に居てあげる事もしなかったんですか…?」
「…ええ。そうね…。知っていたけど、傍にいる事さえしなかったわ。」
ついさっきまであんなに笑い声が響いていたのに、今は重苦しい。
花に囲まれ、明るい、きらびやかな部屋とは正反対に。
皇太后陛下の顔は陰っている。
「昔話をしましょうか。」
私に視線を合わせる事なく始まったのは皇太后陛下がどんな人生を歩み今に至ったか、そんな話だった。
皇太后陛下は小さくも大きくもない国だけど、豊かな領土を持つ国の王女で、彼女には美人と称される容姿の姉と、醜い容姿の妹がいたのだと言う。
大きな差別のある世界だ。当然美人な姉は溺愛され、皇太后陛下も普通に両親や周りから愛されていたけれど、醜い妹だけは冷遇されていた。
姉や自分は可愛いドレス、美しい宝石、ペットや本、玩具など欲しいものを日常的に与えられたけれど、醜い妹は必要な時だけしか与えられない。
王族貴族の集まりがあっても部屋から出るなと言われ、妹は言われた通りに部屋に引きこもり、自分たちはその間、美味しい物を食べたりダンスをしたりと楽しんでいた。
「人間って不思議なものよね。
自分さえよければ周りの事なんてどうでもいい。
妹が苦しんでいても、自分さえ楽しければ、幸せであればそれでいい。
…妹でも、そんな風に思ってしまっていたのだから。」
「………。」
人は自分が一番可愛い。確かにそうだ。
私だって自分に余裕がある時にだけ人に優しく出来る人間なのだから。
自分が苦しい時に誰かを助ける事なんて出来ないし、そんな余裕もない。
もしも、私がとんでもなく苦しんでいて、隣に同じように苦しんでいる人がいたとして。そして誰かがこう言う。“どちらか一人を救ってあげる”と。
私はきっと、“隣の人を助けてあげて”とは言えないだろう。
悩みはするかも知れない。けれど、結局は自分を選ぶと思う。
私は聖人君子でもなく、聖女でもなく、神様でもなく、特別な力なんて何もない、どこにでもいる一人の人間だから。
「わたくしは、…妹のようにはなりたくないと思ったの。
妹のような、苦しんで苦しんで、苦しみだけしかない人生は、何があっても嫌だと思ったのよ。声を掛ける事もしなかった。声を掛けたら…妹の味方だと思われたら、周りにどう思われるか恐くて。だから…寄り付きもしなかった。」
「……。」
「ある日、父から妹はいなくなったと聞かされた。
わたくしが、レスト帝国に嫁ぐ少し前の事だった。」
「…亡くなったのですか…?」
「さあ。…実際はどうなのか分からないわ。…会ってなかったから。病気だったのか、捨てられたのか、自ら逃げ出したのか。……殺されたのか。」
「ころされ…!?」
「よくある事よ。…特に権力を持つ家に生まれたならね。
…邪魔な存在を消すなんて、よくある事なの。
……わたくしは、恐ろしかった。妹のように醜い存在は、邪魔と思われた存在は、生きる事さえ自由に出来ないのだと知って……恐ろしく感じた。」
故郷である国を出て、そして皇太后陛下は大国、レスト帝国へ嫁ぐ。
マティアスのお父さん、上皇陛下の妃に選ばれた理由は一つ。
皇太后陛下の国が豊かな領土を持っていたからだ。
山を掘れば鉄が、銅が、銀が、宝石の原石が採掘出来る。
海に出れば沢山の魚が、塩が。
そういった豊かな資源が皇太后陛下の故郷にあり、皇太后陛下はレスト帝国の国母になったのだという。
「最初は、わたくしに大国の王妃が務まるのか不安だった。
でもレスト帝国に嫁げば…故郷は守られる。
大きな国の庇護下に入るというのはとても幸運な事だから。
色んな事を言われたわ。毎晩泣いた。でもわたくしは、決してその場では泣かなかった。俯く事もしなかったわ。」
「……。」
レスト帝国に嫁いでから、毎日涙を流していた皇太后陛下。
だけど彼女には味方がいた。それが上皇陛下だった。
慰められ、励まされ、優しく労ってくれて。そうして二人は夫婦として絆を深めていったのだ。
政略だけだったものが、いつの間にかそこに愛が生まれた。
「子が中々出来なくて、その事も色々言われるようになった時にあの人はこう言ってくれた。
“他に妃は娶らない”と。いつか、わたくしの故郷より利益のある国の女性が現れるかも知れない。それに、子が出来ないわたくしは、どうなってしまうのか。いつもそんな不安があったけれど…あの人はわたくしの不安を知って、応えてくれた。」
上皇両陛下の絆は深いんだな、とそう感じた。
二人の間には確かな絆と愛情があるけれど、だけどそこにマティアスは含まれないのかと…そう考えると何とも言えない気持ちになる。
そして六年間という長い苦しみに耐えた二人は、ついに我が子を授かる事が出来た。
大国、レスト帝国の誰もが待ち望んだ、第一子。マティアスを。
「膨らむお腹さえ愛しく思った。
どんな子が生まれるのかしら。男か女か。男であって欲しい。でも、どちらでもいいわと思った。
子が生まれれば、子が出来ない女とは言われないもの。
それに、女であっても女王にはなれるから。
毎日が幸せだった。早くお腹の子に会いたいと思ってた。」
「……そう、ですか…。」
「……だけど、そんな気持ちも生まれるまで。
あの子を生んだ瞬間に感じたのは絶望だった。
あの子は、生まれながらに醜い子だと分かったから。
この子はわたくしの妹のような人生を歩むのだわ。そう思うと……愛しさよりも、自分可愛さが勝ったのよ…。」
何て自分勝手なのだろうと思った。
そう思ったけれど、だけどきっと皇太后陛下はそれも自覚をしているのも分かったから、言葉を掛けるのは止めた。
「我が子だもの。愛してあげなくちゃと思った。
きっとこれから沢山辛い思いをする。苦しみしかない人生になる。妹のように、孤独な人生を歩む事になる。
だから、母親であるわたくしは、愛してあげなければ。
でも気付いたの。“愛してあげなくては”と思う時点で、愛してないのだと。妹の時と同じ。妹であっても、我が子であっても、…わたくしは自分を一番、愛している人間だった。」
「………。」
「あの子が生まれた事で、また…周りがわたくしを責める様になった。
レスト帝国は終わりだと、そう言ってくる者も沢山いた。
あの子に弟妹がいないのも、わたくしが、子を生む事を恐がったから。側妃を娶れとそんな声もあった。だけど、あの人はそうしなかった。自分を責めるようになったわたくしを、あの人は放っておけなかったのね…。」
「……。」
「母親として何一つ、あの子に何もしなかった。
我が子なのに、まるで妹を見ているような、そんな気持ちだった。わたくしは、あの子の母親になれない。薄情な人間なの。
自分可愛さに我が子を遠ざけたわたくしに、その資格はない。」
「……この先も、ですね…?」
「ええ……この先もよ。今までも、これからも。
わたくしはあの子の母親には…ならないわ…。」
人間同士、話せば分かり合える。
今はそうでなくても根気よく話し合えばいつか、分かり合える。必ず。……なんて。実際はそんな事はない。
いつか、皇太后陛下が母親として、マティアスに接する事が出来るように。
父親と母親、息子として、仲良くお喋りが出来る日が。笑い合える日が。
二人が根気よく歩み寄れば、そんな未来があるかも知れない。
話し合えば、理解しようと歩み寄れば。
だけど実際は、どうにもならない事がある。
相手に、確固たる信念がある場合は特に。
こうと決めた信念を、曲げる事はしない。きっと、この女は。
マティアスにとって、どこまでも悪者でいるつもりなんだ。
それが、皇太后陛下にとっての償いの形。否、きっと…夫婦二人の償いの形かも知れない。
「…サイカ嬢。……陛下を支え、共にこの国を守って頂戴。
マティアスの傍にいて、国の未来を背負って頂戴…。」
自分が一番可愛いとそう言う人だけど。
だけど、マティアスを愛していない訳じゃない。
どこまでも自分勝手な決断をするこの女は、最後の最後まできっと、どんな形であれ、我が子であるマティアスを愛している事を伝えない。その決意を、信念を、曲げたりしない女なんだ。
「…無礼をお許し下さい、皇太后陛下。」
「……。」
「皇太后陛下に言われずとも、私はマティアスの傍にいます。私の大切な、愛しい男の傍にいます。
マティアスを幸せにして、私も幸せになります。
皇太后陛下に頼まれたからではありません。私自身の望みです。……ですから、どうぞ安心して下さい。」
「……ふふ…!本当、豪気な令嬢だこと…。
わたくしにそんな物言いをする令嬢は…貴女くらいよ。
気に入ったわ。もしも困った事があったなら…遠慮なく、わたくしを頼りなさい。利用しなさい。」
「有り難う存じます。」
「これでお茶会は終わりよ。…さ、陛下の所に行きなさい。
きっと心配して…今も、首を長くして待っていらっしゃるわ。」
「はい。…では、失礼致します。」
背を向け去ろうとした瞬間、サイカ嬢、と呼び止められる。
振り向けば、穏やかに微笑んだ皇太后陛下が、“ありがとう”と礼を言い、私はその言葉に応え部屋を後にした。
きっと、皇太后陛下と私が話した内容をマティアスは知っている。
何かあれば俺を呼べと言ったマティアス。直ぐに駆けつけるからとそう言ったマティアス。
その場にいないのに?と返した私の言葉に、何とでもなると言ったマティアスの事だから、多分何とかしてあの場の状況を知り得ているのだと思う。
皇太后がマティアスの名を口に出したのはたったの一度だけ。
けれどあの一度しか出さなかった言葉に、皇太后陛下の全ての気持ちが込もっていたのを感じた。
「…マティアス。」
「…お帰り、サイカ。」
案内された部屋に入れば、ソファーに座っているマティアスが迎えてくれた。
いつもと変わらないように見えるけど、でもやっぱり何処か違う。
大丈夫だったかと伺うマティアスの膝に座り、私はマティアスを抱き締めた。
この人はあの場の何もかもを知っている。
だけど、皇太后陛下の事を何も言わないという事は、マティアスもまた、彼女の話を納得したからだ。
互いにそれでいいと、そう結論付けたからだ。
「…疲れただろう?」
「疲れました。…とても疲れたから、今は…マティアスに癒されたいです。…大好きなマティアスに、沢山甘えたい…。」
「いいとも。存分に甘えてくれ。」
逞しいマティアスの胸板に寄り添い、耳を当てる。
規則正しい鼓動の音。マティアスが生きている証。
「私を好きになってくれて、ありがとう。
私を愛してくれて、ありがとう。
守ってくれて、大切にしてくれて、ありがとう。
…生まれてきてくれて、ありがとう…マティアス。」
私を呼び止め、“ありがとう”と言った皇太后陛下に、私はこう応えた。
“私の方こそ。マティアスを生んで下さり、ありがとうございます”と。
その瞬間、皇太后陛下はまるで心の底から安堵したように笑みを浮かべ、マティアスと同じ、美しい青い瞳から涙を流した。
『貴女は、喜んでくれるのね。』
そう、呟いて。
人間同士、話し合えば絶対に分かり合える、歩み寄れるなんて思っていない。
そこに強い信念があるならば尚の事、それが出来ない事もある。
誰かの感情を、全て察する事など出来ない。全てを推し量る事なんて出来ない。
だから人は伝える。言葉や行動で、伝えて、相手を理解したり、歩み寄ったり。
だけどあの女は、マティアスに伝える事を生涯、しないだろう。
そしてマティアスも、伝える事をしない。
母親の思いを、その覚悟を知って。
ぽたぽたと大粒の涙を流していても、生涯伝えはしない。
「…俺は、生まれて良かったか?」
「当たり前です。私は嬉しいもの。」
「望まれていなかったとしても?」
「私が望んでます。」
「…そうか。……そなたは…俺が生まれた事を喜んでくれるか…。そなたが、俺を、望んでくれていたか…。」
今、皇太后陛下はどんな気持ちでいるのだろう。
去り際の言葉で、彼女の矛盾している感情に気付いた。
子を作れと責められ、国の為に子を産めと責められ、六年という長い間苦しんで、やっと授かった我が子はこの世界では蔑まれる対象である醜い子で、祝福されるべき、目出度い事であるはずなのに、誰も喜んでくれない。
マティアスが生まれた瞬間に、絶望したとあの女は言った。
不遇な扱いを受けてきた妹と重なって、マティアスの歩む道が険しいと悟って。そして再び、自分も苦しむのだと理解して。
自分可愛さにマティアスを遠ざけたとあの女は言った。
だけど恐らく喜びもあったのだ。あの女の中には。ちゃんと、マティアスを生んだ喜びが。愛する男との間に宿った命を、愛しいと思う心が。
喜びがあったから、人から祝福されたかったのだ。
何て矛盾した感情。でも、愛と憎しみは表裏一体という言葉があるのだから…そういうものなんだろうと思う。
絶望と、恐れと、愛しさ。色んな感情があの女の中にあったに違いない。ずっと。今までもこれからも。
色んな感情の中に、確かにそこにある愛情を伝えず、母親として接しない事が皇太后陛下の覚悟で、償いで、生涯曲げる事のない信念。
同情はしないし、きっと皇太后陛下もして欲しくはないだろう。
これからだって、マティアスに歩み寄ろうともしないだろう。
わたくしはあの子が生まれてからずっと、母親であった事などなかったのですから。」
人間同士、話せば分かり合える。
今はそうでなくても根気よく話し合えばいつか、分かり合える。必ず。……なんて。実際はそんな事はない。
「…マティアスが、どんな思いでいたか…分かっていたのに、知っていたのに……傍に居てあげる事もしなかったんですか…?」
「…ええ。そうね…。知っていたけど、傍にいる事さえしなかったわ。」
ついさっきまであんなに笑い声が響いていたのに、今は重苦しい。
花に囲まれ、明るい、きらびやかな部屋とは正反対に。
皇太后陛下の顔は陰っている。
「昔話をしましょうか。」
私に視線を合わせる事なく始まったのは皇太后陛下がどんな人生を歩み今に至ったか、そんな話だった。
皇太后陛下は小さくも大きくもない国だけど、豊かな領土を持つ国の王女で、彼女には美人と称される容姿の姉と、醜い容姿の妹がいたのだと言う。
大きな差別のある世界だ。当然美人な姉は溺愛され、皇太后陛下も普通に両親や周りから愛されていたけれど、醜い妹だけは冷遇されていた。
姉や自分は可愛いドレス、美しい宝石、ペットや本、玩具など欲しいものを日常的に与えられたけれど、醜い妹は必要な時だけしか与えられない。
王族貴族の集まりがあっても部屋から出るなと言われ、妹は言われた通りに部屋に引きこもり、自分たちはその間、美味しい物を食べたりダンスをしたりと楽しんでいた。
「人間って不思議なものよね。
自分さえよければ周りの事なんてどうでもいい。
妹が苦しんでいても、自分さえ楽しければ、幸せであればそれでいい。
…妹でも、そんな風に思ってしまっていたのだから。」
「………。」
人は自分が一番可愛い。確かにそうだ。
私だって自分に余裕がある時にだけ人に優しく出来る人間なのだから。
自分が苦しい時に誰かを助ける事なんて出来ないし、そんな余裕もない。
もしも、私がとんでもなく苦しんでいて、隣に同じように苦しんでいる人がいたとして。そして誰かがこう言う。“どちらか一人を救ってあげる”と。
私はきっと、“隣の人を助けてあげて”とは言えないだろう。
悩みはするかも知れない。けれど、結局は自分を選ぶと思う。
私は聖人君子でもなく、聖女でもなく、神様でもなく、特別な力なんて何もない、どこにでもいる一人の人間だから。
「わたくしは、…妹のようにはなりたくないと思ったの。
妹のような、苦しんで苦しんで、苦しみだけしかない人生は、何があっても嫌だと思ったのよ。声を掛ける事もしなかった。声を掛けたら…妹の味方だと思われたら、周りにどう思われるか恐くて。だから…寄り付きもしなかった。」
「……。」
「ある日、父から妹はいなくなったと聞かされた。
わたくしが、レスト帝国に嫁ぐ少し前の事だった。」
「…亡くなったのですか…?」
「さあ。…実際はどうなのか分からないわ。…会ってなかったから。病気だったのか、捨てられたのか、自ら逃げ出したのか。……殺されたのか。」
「ころされ…!?」
「よくある事よ。…特に権力を持つ家に生まれたならね。
…邪魔な存在を消すなんて、よくある事なの。
……わたくしは、恐ろしかった。妹のように醜い存在は、邪魔と思われた存在は、生きる事さえ自由に出来ないのだと知って……恐ろしく感じた。」
故郷である国を出て、そして皇太后陛下は大国、レスト帝国へ嫁ぐ。
マティアスのお父さん、上皇陛下の妃に選ばれた理由は一つ。
皇太后陛下の国が豊かな領土を持っていたからだ。
山を掘れば鉄が、銅が、銀が、宝石の原石が採掘出来る。
海に出れば沢山の魚が、塩が。
そういった豊かな資源が皇太后陛下の故郷にあり、皇太后陛下はレスト帝国の国母になったのだという。
「最初は、わたくしに大国の王妃が務まるのか不安だった。
でもレスト帝国に嫁げば…故郷は守られる。
大きな国の庇護下に入るというのはとても幸運な事だから。
色んな事を言われたわ。毎晩泣いた。でもわたくしは、決してその場では泣かなかった。俯く事もしなかったわ。」
「……。」
レスト帝国に嫁いでから、毎日涙を流していた皇太后陛下。
だけど彼女には味方がいた。それが上皇陛下だった。
慰められ、励まされ、優しく労ってくれて。そうして二人は夫婦として絆を深めていったのだ。
政略だけだったものが、いつの間にかそこに愛が生まれた。
「子が中々出来なくて、その事も色々言われるようになった時にあの人はこう言ってくれた。
“他に妃は娶らない”と。いつか、わたくしの故郷より利益のある国の女性が現れるかも知れない。それに、子が出来ないわたくしは、どうなってしまうのか。いつもそんな不安があったけれど…あの人はわたくしの不安を知って、応えてくれた。」
上皇両陛下の絆は深いんだな、とそう感じた。
二人の間には確かな絆と愛情があるけれど、だけどそこにマティアスは含まれないのかと…そう考えると何とも言えない気持ちになる。
そして六年間という長い苦しみに耐えた二人は、ついに我が子を授かる事が出来た。
大国、レスト帝国の誰もが待ち望んだ、第一子。マティアスを。
「膨らむお腹さえ愛しく思った。
どんな子が生まれるのかしら。男か女か。男であって欲しい。でも、どちらでもいいわと思った。
子が生まれれば、子が出来ない女とは言われないもの。
それに、女であっても女王にはなれるから。
毎日が幸せだった。早くお腹の子に会いたいと思ってた。」
「……そう、ですか…。」
「……だけど、そんな気持ちも生まれるまで。
あの子を生んだ瞬間に感じたのは絶望だった。
あの子は、生まれながらに醜い子だと分かったから。
この子はわたくしの妹のような人生を歩むのだわ。そう思うと……愛しさよりも、自分可愛さが勝ったのよ…。」
何て自分勝手なのだろうと思った。
そう思ったけれど、だけどきっと皇太后陛下はそれも自覚をしているのも分かったから、言葉を掛けるのは止めた。
「我が子だもの。愛してあげなくちゃと思った。
きっとこれから沢山辛い思いをする。苦しみしかない人生になる。妹のように、孤独な人生を歩む事になる。
だから、母親であるわたくしは、愛してあげなければ。
でも気付いたの。“愛してあげなくては”と思う時点で、愛してないのだと。妹の時と同じ。妹であっても、我が子であっても、…わたくしは自分を一番、愛している人間だった。」
「………。」
「あの子が生まれた事で、また…周りがわたくしを責める様になった。
レスト帝国は終わりだと、そう言ってくる者も沢山いた。
あの子に弟妹がいないのも、わたくしが、子を生む事を恐がったから。側妃を娶れとそんな声もあった。だけど、あの人はそうしなかった。自分を責めるようになったわたくしを、あの人は放っておけなかったのね…。」
「……。」
「母親として何一つ、あの子に何もしなかった。
我が子なのに、まるで妹を見ているような、そんな気持ちだった。わたくしは、あの子の母親になれない。薄情な人間なの。
自分可愛さに我が子を遠ざけたわたくしに、その資格はない。」
「……この先も、ですね…?」
「ええ……この先もよ。今までも、これからも。
わたくしはあの子の母親には…ならないわ…。」
人間同士、話せば分かり合える。
今はそうでなくても根気よく話し合えばいつか、分かり合える。必ず。……なんて。実際はそんな事はない。
いつか、皇太后陛下が母親として、マティアスに接する事が出来るように。
父親と母親、息子として、仲良くお喋りが出来る日が。笑い合える日が。
二人が根気よく歩み寄れば、そんな未来があるかも知れない。
話し合えば、理解しようと歩み寄れば。
だけど実際は、どうにもならない事がある。
相手に、確固たる信念がある場合は特に。
こうと決めた信念を、曲げる事はしない。きっと、この女は。
マティアスにとって、どこまでも悪者でいるつもりなんだ。
それが、皇太后陛下にとっての償いの形。否、きっと…夫婦二人の償いの形かも知れない。
「…サイカ嬢。……陛下を支え、共にこの国を守って頂戴。
マティアスの傍にいて、国の未来を背負って頂戴…。」
自分が一番可愛いとそう言う人だけど。
だけど、マティアスを愛していない訳じゃない。
どこまでも自分勝手な決断をするこの女は、最後の最後まできっと、どんな形であれ、我が子であるマティアスを愛している事を伝えない。その決意を、信念を、曲げたりしない女なんだ。
「…無礼をお許し下さい、皇太后陛下。」
「……。」
「皇太后陛下に言われずとも、私はマティアスの傍にいます。私の大切な、愛しい男の傍にいます。
マティアスを幸せにして、私も幸せになります。
皇太后陛下に頼まれたからではありません。私自身の望みです。……ですから、どうぞ安心して下さい。」
「……ふふ…!本当、豪気な令嬢だこと…。
わたくしにそんな物言いをする令嬢は…貴女くらいよ。
気に入ったわ。もしも困った事があったなら…遠慮なく、わたくしを頼りなさい。利用しなさい。」
「有り難う存じます。」
「これでお茶会は終わりよ。…さ、陛下の所に行きなさい。
きっと心配して…今も、首を長くして待っていらっしゃるわ。」
「はい。…では、失礼致します。」
背を向け去ろうとした瞬間、サイカ嬢、と呼び止められる。
振り向けば、穏やかに微笑んだ皇太后陛下が、“ありがとう”と礼を言い、私はその言葉に応え部屋を後にした。
きっと、皇太后陛下と私が話した内容をマティアスは知っている。
何かあれば俺を呼べと言ったマティアス。直ぐに駆けつけるからとそう言ったマティアス。
その場にいないのに?と返した私の言葉に、何とでもなると言ったマティアスの事だから、多分何とかしてあの場の状況を知り得ているのだと思う。
皇太后がマティアスの名を口に出したのはたったの一度だけ。
けれどあの一度しか出さなかった言葉に、皇太后陛下の全ての気持ちが込もっていたのを感じた。
「…マティアス。」
「…お帰り、サイカ。」
案内された部屋に入れば、ソファーに座っているマティアスが迎えてくれた。
いつもと変わらないように見えるけど、でもやっぱり何処か違う。
大丈夫だったかと伺うマティアスの膝に座り、私はマティアスを抱き締めた。
この人はあの場の何もかもを知っている。
だけど、皇太后陛下の事を何も言わないという事は、マティアスもまた、彼女の話を納得したからだ。
互いにそれでいいと、そう結論付けたからだ。
「…疲れただろう?」
「疲れました。…とても疲れたから、今は…マティアスに癒されたいです。…大好きなマティアスに、沢山甘えたい…。」
「いいとも。存分に甘えてくれ。」
逞しいマティアスの胸板に寄り添い、耳を当てる。
規則正しい鼓動の音。マティアスが生きている証。
「私を好きになってくれて、ありがとう。
私を愛してくれて、ありがとう。
守ってくれて、大切にしてくれて、ありがとう。
…生まれてきてくれて、ありがとう…マティアス。」
私を呼び止め、“ありがとう”と言った皇太后陛下に、私はこう応えた。
“私の方こそ。マティアスを生んで下さり、ありがとうございます”と。
その瞬間、皇太后陛下はまるで心の底から安堵したように笑みを浮かべ、マティアスと同じ、美しい青い瞳から涙を流した。
『貴女は、喜んでくれるのね。』
そう、呟いて。
人間同士、話し合えば絶対に分かり合える、歩み寄れるなんて思っていない。
そこに強い信念があるならば尚の事、それが出来ない事もある。
誰かの感情を、全て察する事など出来ない。全てを推し量る事なんて出来ない。
だから人は伝える。言葉や行動で、伝えて、相手を理解したり、歩み寄ったり。
だけどあの女は、マティアスに伝える事を生涯、しないだろう。
そしてマティアスも、伝える事をしない。
母親の思いを、その覚悟を知って。
ぽたぽたと大粒の涙を流していても、生涯伝えはしない。
「…俺は、生まれて良かったか?」
「当たり前です。私は嬉しいもの。」
「望まれていなかったとしても?」
「私が望んでます。」
「…そうか。……そなたは…俺が生まれた事を喜んでくれるか…。そなたが、俺を、望んでくれていたか…。」
今、皇太后陛下はどんな気持ちでいるのだろう。
去り際の言葉で、彼女の矛盾している感情に気付いた。
子を作れと責められ、国の為に子を産めと責められ、六年という長い間苦しんで、やっと授かった我が子はこの世界では蔑まれる対象である醜い子で、祝福されるべき、目出度い事であるはずなのに、誰も喜んでくれない。
マティアスが生まれた瞬間に、絶望したとあの女は言った。
不遇な扱いを受けてきた妹と重なって、マティアスの歩む道が険しいと悟って。そして再び、自分も苦しむのだと理解して。
自分可愛さにマティアスを遠ざけたとあの女は言った。
だけど恐らく喜びもあったのだ。あの女の中には。ちゃんと、マティアスを生んだ喜びが。愛する男との間に宿った命を、愛しいと思う心が。
喜びがあったから、人から祝福されたかったのだ。
何て矛盾した感情。でも、愛と憎しみは表裏一体という言葉があるのだから…そういうものなんだろうと思う。
絶望と、恐れと、愛しさ。色んな感情があの女の中にあったに違いない。ずっと。今までもこれからも。
色んな感情の中に、確かにそこにある愛情を伝えず、母親として接しない事が皇太后陛下の覚悟で、償いで、生涯曲げる事のない信念。
同情はしないし、きっと皇太后陛下もして欲しくはないだろう。
これからだって、マティアスに歩み寄ろうともしないだろう。
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