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7-1.胸騒ぎ

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 結局、碧さんが帰ってきたのはその日の夜だった。

「昨日はごめんね。オーディション前でちょっとピリピリしちゃってた」

 なんて苦笑する碧さんは、いつもと変わらないように見えた。俺の作ったからあげを美味しい美味しいと何度も言って食べてくれる。

 その心遣いに、また胸が痛む。

 この時代の碧さんはまだ若いけど、もう大人だ。表面上は今までと変わらずにいてくれるから、俺も同じように接している。
 
 それでも、その日からSilk Roadの話も、仕事の話も一切してくれなくなった。オーディションがいつなのかもわからず、毎日帰ってくる碧さんの顔色を窺ってしまう。

 落ち込む碧さんをどう励ませばいいのか。また余計な事を言って怒らせてしまわないだろうか。もしかしたら未来が変わって、合格しているかもしれない……なんて淡い期待を祈り続ける。
 
 けど、未来は変わらなかった。

「ダメだった」

 珍しく碧さんが残した夕食を下げていると、ぽつりと呟く声が聞こえた。
 今日がXデーだったらしい。

「言霊だなんだとか言ったくせにカッコ悪いね。今回は運が……実力が足りなかった」

 無理して笑う碧さんが痛々しい。

「そんなことないですよ。碧さん、あんなに頑張ってたじゃないですか。受かった人の運がめちゃくちゃ良かっただけですよ」
「運も実力のうちって言うからね」

 ああ、またドツボにハマってしまった。
 こういうとき、漫画の名台詞のようないい言葉が言えたらいいのに。俺の中に語彙が足りない。

 長い沈黙を無理やり打ち破る。

「あの! 酒でも飲みませんか? 俺コンビニで買ってきます」
「いいよ、明日早くからアフレコあるから」
「あ、そ、そうですか……」

 勢いよく立ち上がったはいいが、すぐにゆっくりと座布団に座り直す。
 碧さんはコーラや炭酸をよく飲むが、酒は全然飲んでない。酒に弱いと聞いたことがあるか、若い頃からだったのか。

 俺じゃ気の利いた言葉も、声優としてのアドバイスもできない。

 愚痴でも零してくれれば何時間でも聞くのに。こういうときは寝るしかないと、碧さんは布団を被ってしまった。向けた背中が物悲しくて、悔しくて、いつもより早くに電気を落とした。
 

 時は過ぎ、カレンダーは3月になった。
 あれからSilk Roadを読んでる姿を見ないし、俺がバイトしてるコンビニに立ち読みに来ることもなくなった。
 
 それだけならいいが、時々険しい顔で床を見つめていたり、話しかけてもぼんやりして気づいてくれないことも多い。
 まだ落ち込んでいるんだろう。あまり思い詰めないといいけど。

 今の俺にできることは、おいしいご飯を作って待っていることだけだ。
 バイト帰りに、すっかり馴染みになったスーパーに立ち寄る。今夜はオムライスにしよう。ケチャップじゃなく、豪勢にホワイトソースだ。ミネストローネも作ろう。

 食材の下ごしらえをして、碧さんの帰りを待つ。碧さんが帰って来る19時直前に作れば、あったかいのを食べてもらえる。
 
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