2 / 30
2-1.新しいご主人様
しおりを挟むどれくらい眠っていたのか。シェルはまどろみの中から目を覚ました。
その柔らかな感覚に、一瞬自分が天国にいるのではないかと錯覚した。
ようやく意識が晴れて、硬い床ではなく暖かいベッドの中にいると気づく。
そして、自分が何故ここにいるかも思い出した。
引き取り屋からシェルを買い取ったのは、年の頃は26,7の男だった。
成犬になったばかりのシェルから見れば、その逞しい体格からも相まってずっと大人に見えた。
男に連れられた家は、レンガ造りの屋敷だった。
家族や使用人たちがいる様子はなく、この広い屋敷に一人で暮らしているようだ。
すぐに風呂に入れられ、食事を与えられた。
それから用意された寝室に入った途端、緊張の糸が切れて泥のように眠ってしまった。
柔らかなベッドに手をついて起き上がる。
昨夜は部屋を見まわす間もなく寝てしまったが、部屋にはベッドとサイドテーブル、その上にシェードの付いたランプが置かれていた。ドアの横には鏡が吊るされている。
簡素な部屋だが、暖かなレンガ色の壁紙とカーペットで無機質な印象はない。
用意されたシルクの寝巻は滑らかで、何度も頬に袖を擦りつけてしまう。
頬に当たる髪は綺麗に洗われて、元の透き通るような白銀を取り戻していた。
細く萎びているようだった尻尾も、長い毛並みがふさふさと広がっている。
シェルは子犬の頃、1人暮らしの老婦に飼われていた。
ペットとして可愛がられていたが、突然老婦が姿を消した。老婦に一目会いたいと家を出て彷徨っていたところ、引き取り屋に捕らえられた。
新しい主人の元へと売られたが、主人は大勢の獣人をペットとしてではなく、奴隷として労働させていた。
死んだように生かされている状態の日々が続く中、次第に大型犬として成長していくシェルを持て余した主人は再び引き取り屋に売り飛ばした。
まともな飼い主が非合法の引き取り屋から犬を飼うなどありえない。
もう犬として主人に愛されることはないだろうと諦めていた心に、希望の明かりが灯っていた。
音もなく扉が開いた。反射的に身構える。
顔を出した男は、ラフな黒いシャツにスラックスを履いていた。
「起きたか」
「ご主人様……!」
慌ててベッドから降りようとしたが、そのままでいいと手で制される。
ベッドサイドに立ったルーカスを見上げると、漆黒の双眸にじっと見下ろされた。
「あの、助けていただいて……いえ、僕を飼っていただいてありがとうございます。僕、ご主人様のためになんでもします。頑張ります!」
男の瞳が僅かに揺れた気がした。
はたと、シェルはまだ男の名前すら聞いていなかったと思い出す。
「ご主人様のお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「……ルーカス」
新しい主人の名。ルーカスさま、とシェルが噛みしめるように繰り返す。
ふさふさの尻尾を揺らすシェルとは裏腹に、ルーカスの瞳が冷めていった。
「わからないか?」
何を問われたのかわからず、シェルは首を傾げた。
「そうだよな」と自嘲気味に笑ったルーカスが、シェルの肩を掴んだ。
10
あなたにおすすめの小説
恵方巻を食べてオメガになるはずが、氷の騎士団長様に胃袋を掴まれ溺愛されています
水凪しおん
BL
「俺はベータだ。けれど、クラウス様の隣に立ちたい」
王城の厨房で働く地味な料理人ルエンは、近衛騎士団長のクラウスに叶わぬ恋をしていた。身分も属性も違う自分には、彼との未来などない。そう諦めかけていたある日、ルエンは「伝説の恵方巻を食べればオメガになれる」という噂を耳にする。
一縷の望みをかけ、ルエンは危険な食材探しの旅へ! しかし、なぜかその旅先にはいつもクラウスの姿があって……?
勘違いから始まる、ベータ料理人×氷の騎士団長の胃袋攻略ラブファンタジー!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~
水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。
アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。
氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。
「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」
辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。
これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる