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第11話 鮮やかな世界
しおりを挟むそれから、リゼルの生活は文字通り鮮やかになった。
執事に「今日はネクタイピンをしていないのだな」と言ってみたり、メアリーに「リボンの柄が昨日と違う」と言いまわっていた。余程見えるということが楽しいらしい。
大切にしなさいと言い聞かせるまでもなく、リゼルは眼鏡を宝物のように扱っていた。毎日眼鏡を丁寧に拭き、慎重に眼鏡ケースから出し入れしていた。
文字が見えることも嬉しいのか、勉強にも身が入るようになった。読み書きはすぐに覚え、計算もできるようになった。時計も計量カップのメモリも読める。癇癪を起こすことも少なくなった。思っていた以上に今まで見えていなかったのだろう。
どうして今まで気づいてやれなかったのか、母としてそれが悔やまれる。しかし、時間は元には戻らない。今できることを、と私は懸命にリゼルに勉強を教えた。
とはいえ、今世の私は「貴族の女性に勉学など不要」と思っていたのでロクに勉強してこなかった。読み書き程度はなんとかなるが、計算などは前世の記憶を頭をフル回転して思い出す。なんとか8歳のリゼルに教える程度のことはできた。
「じゃあ、今日はここまでにしましょう」
計算問題の丸付けが終わった。全問正解だ。ノートに花丸を描き、リゼルに返す。リゼルはそれを嬉しそうに受け取って、大事そうにしまった。
「今日も全問正解ね。すごいわ、リゼル」
「母上もすごいぞ。母上は女なのに、とても頭が良いんだな」
にっこりとそう言われたのだから、何の他意もなくただ褒めてくれているのだろう。しかし、少し引っ掛かる。
「女は勉学などできないと、叔父上が言っていた」
あいつ……! と苛立つ気持ちは抑え、努めて冷静になる。人として大切なことを伝える良い機会だ。
「頭の良い悪いに男も女も関係ないわ。女性は勉強をする機会が持てない人が多いから、叔父様はそう思われたのね。でも女性も男性も平等よ」
「平等?」
「みんな同じと言う意味よ。女性も男性も、貴族も平民も本来は皆平等なの」
「貴族と平民は同じじゃない!」
「身分の差は確かにあるけれど、みんな同じ人間でしょう。身分に関わらず、お互い尊重し合うのが大切なのよ」
「執事たちも同じなのか? コックも? メアリーも?」
「そうよ。みんな私たちのために働いてくれているの。貴族だからやってもらって当たり前なんて思ってはいけないわ。感謝の気持ちを忘れてはいけないの」
リゼルは腕を組んで、首を傾げた。
「母上の話は難しい……」
「難しいことじゃないわ。何かしてもらったら、ありがとうと言えばいいのよ。リゼルは賢い子だから、できるわね」
「できるぞ! 俺はバカじゃないからな!」
リゼルが白い眼鏡を指でぐいと押し上げた。
それから何日もしないうちに、眼鏡に否定的だった使用人たちの反応も変わっていった。
リゼルに勉強ができることがわかり、更によく「ありがとう」と言うようになったと専らの評判だ。「あの眼鏡は魔法だ」なんて声まで聞こえてくる。
文字の勉強も兼ねて、リゼルは毎晩読み聞かせをねだるようになった。ベッドサイドに腰かけ、本を読む。
この世界にはまだ児童文学や絵本と言うものがないのか、長い本を読むことになる。全部は無理なので切りのいいところで「今日はここまで」と終わりにする。
名残惜しそうにしながら、リゼルは丁寧に眼鏡を眼鏡ケースへしまった。部屋のランプを消そうとすると、リゼルがぽつりと呟く。
「母上がこんな風に俺と一緒にいてくれるなんて、まだ夢を見てるみたいだ」
「え……?」
リゼルはにこりと笑ってベッドの中に潜り込んだ。
「おやすみなさい、母上」
「お、おやすみなさい、リゼル。良い夢を見てね」
紫の瞳を閉じて、リゼルは夢の中へ旅立った。
記憶を取り戻す前の私の振る舞いは、リゼルに深い傷を負わせてしまった。あの頃の私は私ではないと思っても、そんなことはリゼルに関係ない。
あの子の傷を完全に癒すことができるかはわからない。でもこれからは、私は絶対にリゼルの味方。いつでも必ず傍にいるから。
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