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第12話 決意
しおりを挟むそれからの私はリゼルとの時間を最優先に、伯爵夫人としての責務を果たすべく社交界にも顔を出していた。
しかし、出る度に気が滅入る。リゼルが眼鏡を掛け始めたことはいつの間にか知れ渡っていて「可哀想」「眼鏡など非常識だ」と、今度は嫌味ではなくストレートに避難轟々だった。
どんなに眼鏡のお陰で見えないストレスが減り精神的にも安定し、勉強もできるようになったと説明してもダメだった。
それどころか、まだ母親自ら勉強を教えていることを咎められた。子供の教育や勉強は使用人や家庭教師に任せ、夫人の仕事は社交界だと。
「マーウッド卿も、リゼル様のことを大変心配しておられましたわ」
親切な夫人たちが口々にそう言ってくれたが、そんなわけはあるか。
サイラスは「リゼルが心配」を口実に頻繁にうちに顔を出すようになった。正直完全に迷惑だが、断ればまた何を言われるかわからない。社交界にうちのことが筒抜けなのも、サイラスが使用人たちから聞き出しているに決まっているのだから。
そして今日もまたサイラスがやって来た。夫の仕事を引き継いでいるはずだが、忙しくはないのだろうか。
どうでもいい天気や時事ネタを話した後、サイラスは踏ん反り返っていた足を組み直した。
「リゼルの寄宿学校のことだが」
「何度も申し上げていますが、あの子は……」
「もう話は付けておいた。来週にも入学をさせる」
「そんな勝手な!」
「勝手だと?」
サイラスの目がギラリと光った。
「まだ何か勘違いしているようだな。兄が死んだ今、リゼルの進退を決める権利は私にある」
「そんな。リゼルの保護者は私です。私が納得しなければ、あの子を手放す気はありません」
「女にそのような権利はない」
ドン、と拳でテーブルが叩かれる。驚く私をじっとりとした目で見据えた後、サイラスが腕を組んで背もたれに沈んだ。
「子供の進退を決める権利は父親にある。父親が亡き場合は、近い親族の男が取り仕切ると言うのが当然だ。其方のような粗悪な出身の者にはわからようだがな」
サイラスが没落貴族の娘である私と夫の再婚に良い顔をしなかったことは知っている。高貴な血族に誇りのあるサイラスには、私のようなものが親族に入ることが気に食わなかったのだろう。
だが、私のことはどう言われてもいい。リゼルは絶対に手放さない。
原作のリゼルは寄宿学校を出ていた。詳しくは書かれていなかったが、そこで何かを拗らせたことが示唆されていた。絶対に阻止しないと。
「リゼルは私が育てます」
「其方が決める権利はないと言っているだろう。だいたい、本当の親でもないくせに」
「あの子は私の子です!」
立ち上がって反論する私に、サイラスが一瞬息を飲んだ。
「亡き夫に代わり、私が責任をもってリゼルを立派に育てます。あの子に必要なのは親の愛情なのです」
「愛情だと? 笑わせる。其方が金目当てで兄上に近づいたことは誰もが知っている。その上、リゼルを手元に置き次期当主を懐柔するつもりか」
「そんなつもりはありません。私はただ――」
「まだ私に逆らう気か! この女は」
サイラスが激高して立ち上がり、大きく腕を振り上げた。殴られる!
「母上!」
ぎゅっと目を閉じた瞬間、声と共に扉が開いた。目を開けると、リゼルが棒を持って立っている。私の前に立ちふさがると、サイラスと対峙した。
「母上をいじめるな!」
「リゼル……誰に向かってそんなものを振りまわしている」
「うるさい! 俺は母上の味方だ! 母上をいじめるなら叔父上だって許さないぞ!」
サイラスの怒りに燃えていた目が、すっと氷のように冷たくなった。
「……兄上のような目をしおって」
思わずリゼルの肩を抱くと、サイラスがチッと舌打ちをした。
「目上の人間にこのような態度を取るとは。やはり母親ではまともな躾はできないと見える。眼鏡まで掛けさせて、これでは頭が足りないと公言しているようなものだ。出来が悪いこやつにはお似合いだがな。うちのアルフレッドとは大違いだ」
そう言い捨てて、サイラスは出て行った。その後ろ姿をリゼルは棒を構えたままずっと睨みつけていた。
バタンと乱暴に扉が閉まった瞬間、リゼルの手から棒が落ちる。
「母上!」
リゼルが飛びつくように抱き着いてきた。
「母上、大丈夫だった? 叔父上に何を言われたの? いじめられたの? 俺のせい?」
「大丈夫よ。リゼルのせいじゃないわ」
リゼルが私の身体に顔をうずめた。じっと動かないリゼルの背中を擦ろうとすると、思いがけぬことを言い出す。
「……父上は、叔父上とケンカした後に死んじゃったんだ」
「そ、そうだったの?」
初めて聞いた。夫が亡くなる前日は、相変わらず私は遊び歩いていた。朝方に帰宅する直前、夫が倒れたと連絡があったことは覚えている。
「母上は死なないよね?」
眼鏡の奥、紫の瞳を潤ませながら見上げるリゼルの頭を撫でた。
「死なないわよ、大丈夫。お父様の分まで、お母様がリゼルと一緒にいるから」
リゼルはまだ潤んだ瞳で安心したように笑った。でもまだ不安げに「俺の眼鏡、やっぱり変? バカに見える?」と、こてっと首を傾げながら言う。
せっかく眼鏡が気に入ったというのに、サイラスは本当に余計なことしか言わない。そう心の中で毒づきながら、そっと白いフレームに触れる。
「そんなことないわ。むしろ、とっても賢そうに見える」
「本当?」
「ええ、とっても賢くてかわいい」
「かわいいは嫌だ! かっこいいがいい!」
リゼルが腰に手を当てて頬を膨らます。やはりかわいいと微笑みそうになるが、なんとか堪える。
「ごめんなさいね。とってもかっこいいわ」
えへへ、と得意気に笑うリゼルがまたかわいい。私はリゼルの前で膝を突くと、リゼルを抱きしめた。
「大好きよ、リゼル」
「母上は俺が大好きなんだな」
「ええ、そうよ。誰よりも、一番大好き」
「俺も母上が一番大好きだ!」
私はリゼルと顔を見合わせて笑った。
あれからサイラスはうちの来なくなったが、代わりに社交界に私の悪い噂を流し始めた。
リゼルを甘やかしている。寄宿学校にも通わせず、家庭教師もつけず教育を受けさせていない。リゼルを洗脳して屋敷の財産をすべて手に入れようとしている。そして眼鏡を掛けるほど頭の弱いリゼルが伯爵家を継げるのか。
あることないこと言い触らされ、私はもう社交界に行くことをやめた。行ったところで、どうせ嫌味や説教に付き合わされるだけだ。行かなくてもどうせ陰口を叩かれているのだから、勝手に言わせておけばいい。
リゼルはバカではなく賢いということは、きっといずれ誰もが知ることになるはずだ。だって、あの子は本当に良い子なのだから。
それよりも、リゼルの言っていたことが引っかかっていた。夫が亡くなる直前にサイラスと会っていた。そんなこと、サイラスからも聞いたことがなかった。
当時サイラスはうちにやって来ることはほとんどなく、葬儀の時「久々の再会がこんな形になるとは」とまで言っていた。なぜ隠す必要があるのだろうか。
夫の死は心臓発作による突然死だと言われていた。嫁がしっかりしていないからだと言われていることは私だって知っている。実際そうだと思っていた。私が夫のことなど何一つ気にしていなかったから……
でも、もし他に原因があるとしたら。
調べよう。今更わかることは少ないだろうし、手がかりはないかもしれないが、それでも真実を知りたい。
何年掛かっても、真実を見つけ出す。
それが生前何もできなかった夫に対する、私のせめてもの贖罪だ。
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