獣人少女は幸せな明日を夢見る

豆茶

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第一章 甘えるということ

8話

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 ようやくシイナが泣き止み落ち着いた頃には陽が高いところまで昇っていた。シイナは泣き腫らした目を擦る。昨日も今日もたくさん泣いたな、と心の中で思った。
 他の子供達に意地悪をされたり大人たちに打たれたりして泣くことはよくあった。でもその涙とは違う涙もあるのだと初めて知った。
「アルベリヒ様」
 二人が静かに中庭のテラスで過ごしていると昨日少しだけ話したことのあるニュートンが近づいてきた。
「こちらにおりましたか」
 ニュートンは一礼するとにこやかに笑いながらそう言った。アルベリヒは目だけで礼を返すとシイナを地面に降ろした。
「ナナはどこにいる」
「ナナさんなら中庭の入り口にいます。呼んできましょうか?」
「いや、いい。私たちも中へ戻る。……シイナ、私は少しやる事がある。その間ナナに屋敷を案内してもらうといい」
 アルベリヒにそう言われたシイナは素直に頷いた。それを確認したアルベリヒはシイナに手を差し伸べた。どうやら入り口までエスコートをしてくれるようだった。
 シイナは少しだけ遠慮がちにその手を取った。それを見ていたニュートンは僅かに目を見開き驚いた様子を見せていたが、アルベリヒの方を向いていたシイナは気が付かなかった。
 そんなニュートンを横目に見ながらアルベリヒはシイナの手を引いて歩き出した。固まっていたニュートンも慌ててその後ろをついてきた。
 中庭に続く入り口はどうやら一箇所ではないようで、シイナが最初入ってきた扉とは別のところへと案内された。ニュートンが扉を開けると廊下にはナナが立っていた。ナナはシイナを見ると笑顔を見せた。
「ナナ、屋敷の案内をしてやってくれ。それと、ジェイクとの顔合わせも済ませてくれ」
「畏まりました、旦那様。……さぁ、シイナ様。こちらへどうぞ」
 シイナはアルベリヒと繋いでいた手を離したくなくて、名残惜しそうに見る。するとアルベリヒは苦笑いを浮かべた。
「屋敷の案内が終わったらまた書斎に連れてきてもらうといい。またシイナの話を聞かせてくれ」
 繋がれていない方の手で頭を撫でられる。初めて会った時からアルベリヒはよくシイナの頭を撫でてくれる。その手が気持ち良くてシイナはアルベリヒに撫でられるのが好きになっていた。
 アルベリヒに撫でてもらったシイナは満足したようにそっと手を離した。そしてナナの方にパタパタと駆け寄った。
「それでは行きましょう」
 今度はナナがシイナに手を差し伸べてくれた。シイナはその手をしっかりと握った。そして歩き出したナナについて行く。少し歩いたところでシイナは頭だけを後ろへと向けた。まだそこにアルベリヒが居るのか確かめたかった。
 後ろを向くとちゃんとアルベリヒがシイナ達の事を見送っていた。そしてシイナと目線が合うと僅かに口角を上げて笑った。その笑顔は今まで見たどの人の笑顔よりも上品で綺麗だと思った。
 シイナはぼっと赤くなる顔を誤魔化すように左右に振る。そして今度こそ振り返らずにその場を立ち去った。
「……アルベリヒ様もそんな表情を見せるなんて、初めて知りましたよ」
 アルベリヒは隣でニュートンが驚いた様子でアルベリヒの顔を凝視していたのに気づいており、シイナ達の姿が見えなくなったところでニュートンを睨むように目を細めた。
「なんのことだ」
「自覚がないんですか!」
「?」
 ニュートンが「嘘でしょ」と小さな声を漏らしながら驚きのあまり後ろにのけぞった。アルベリヒはニュートンが何をそんなに驚いているのか分からず、また知る必要もないと割り切り息を吐く。
「それよりも、シイナの事だ」
 シイナたちが去っていった方をまた見つめる。
「あの子のこれまでの経歴を全て洗い直せ。奴隷商人に連れ去られた後からあの孤児院に至るまでの全てを、だ」
「……畏まりました。他はどうしますか?」
「シイナを虐げてきた全ての人間に報復する。とくにこの国において人身売買が禁忌であると知りながら裏でこそこそと動いていた奴らは、全員必ず生きている事を後悔させてやる」
 私怨を多分に含んだアルベリヒの命令にニュートンは冷や汗を流す。
 アルベリヒ・ポートランドは歩く法律と言われるほど法や規則、規律に厳しい人だった。たとえ同じ奴隷商人の摘発であっても法に則り処罰を下し、法から逸脱した対処はしないはずだ。厳格、そして冷徹の男として貴族間では有名なほどだった。
 そんなアルベリヒがたった一人の少女のために私怨混じりの行動をとることがニュートンには驚きだった。
 もちろんニュートンもアルベリヒと一緒にシイナという少女を探していたから、ある程度の事情は知っているつもりだった。だけど、今のアルベリヒを見るに、ニュートンは認識を改めるしかなかった。
 アルベリヒは規則や規律に厳しいのではなく、それらがアルベリヒの関心の外にあるからこそ元からあるレールに沿って仕事をしているだけなのだろう。
 アルベリヒの関心の内側にあることに対しては、つまりシイナに関わることに関しては地獄の果てまで追いかけて罰を与えなければ気が済まないといったところか。
「なんだ?何か問題でもあるのか?」
 ニュートンが返事をしない事に不思議そうな顔を見せる。ニュートンは静かに息を吐き出すと意識を戻した。
「いえ。なんでもございません。それでは、数日中に調べてお伝えします」
「あぁ、頼んだ。私の方でも伝手を使って調べよう」
 そう言うとアルベリヒは書斎の方に向かって歩き出した。ニュートンは礼を取りアルベリヒを見送った。アルベリヒが見えなくなるとニュートンはふぅっと息を吐いた。
 奴隷商人はこの国で禁止されている奴隷つまり人間の売買を行うこともあり逃げ隠れするのが上手い。そんな彼らを過去から遡って洗い出すのは骨が折れそうだった。
(だが、そんなことも言ってられない、か)
 ニュートンは頭の中でこれからの算段をつけながら部下の元へと歩き出した。




 頭から足元まで隠れるような薄汚れたマントを身につけた背の低い男が、物陰で息を潜めていた。男は先に偵察に出た別の男が帰ってくるのを待っていた。
 しばらくそこに身を潜めていると、トッと軽い音とともに同じくマントを身につけた何者かが空から男の下に降りてきた。
「どうだ?」
 背の低い男が待ちわびていたように近づいてきたその男に尋ねる。男は背の低い男よりも大きく体格もしっかりとしていた。
「ダメだ。あれはすでに他のやつが介入してるだろうな」
「……そうか。同胞は連れ去られた後か」
「俺がこの情報を掴んだのも数日前だっていうのに……クソっ!これならもっと早くに動けばよかった!」
 地団駄を踏むように大男が怒る。背の低い男は仕方なさそうに肩を下げた。
「仕方がないさ。それよりも次を考えよう。お前、あの制服に見覚えはあるか?」
 背の低い男が物陰から見える教会の方に視線を向ける。その教会の入り口には白を基調とした制服に身を包んだ複数の人間が何かをしていた。
「いや、あれはきっと私兵だろうな。この国の近衛兵や騎士団の服じゃない」
 大男は少し考え込むように手を顎に当てて答える。背の低い男は「そうか」と小さく呟く。
「あれがどこの貴族のものか調べられるか?」
「今すぐは難しいが、少し時間をくれたら必ず見つけてくるぜ」
「さすが、頼もしいな」
 背の低い男は鼻を鳴らす。そして忌々しそうに教会を前にいる人間たちを一睨みすると踵を返した。
「行こう。ここにいても仕方がない。他にもたくさんの同胞が俺たちの助けを待ってる」
 大男もその男の後を追うように歩き始める。その時狭い路地に強い風が吹き込む。
 大男は間一髪フードを抑えることでフードが外れる事を防いだが、背の低い男のフードは風で飛ばされ頭から滑り落ちた。
 背の低い男はサラサラとした短い金髪の間に毛並みのいい獣の耳を隠し持っていた。
 そう、彼らは普通の人ではなかった。
 背の低い男は小さく舌打ちをするとサッとフードを被り直した。まるで誰かに見つかるのを恐れているかのように。
「必ず、同胞は全員助けてみせる」
 前方を強く睨みつけながら二人の獣人がその場で跳躍した。
 狭くて暗い路地には誰もいなくなった。
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