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第一章 甘えるということ
10話
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シイナがポートランド家に引き取られてから数週間が経った。
初めは何もかも遠慮して、恐々と周りと接していた。気を許していたのもアルベリヒやナナ、ジェイクなど初めから関わっていた人に限られていたが、徐々に他の人とも話すようになっていった。
長年の癖からか敬語で話すことを止めることはできなかったが、アルベリヒはシイナが話しやすい方でいいと言った。それを聞いてからシイナは無理して敬語を外すことをやめた。
アルベリヒとは食事の時や寝る前に会えるだけで日中ずっと一緒にいられるわけではなかった。だけどシイナが望めばどんなに忙しくても時間を作ってくれた。
アルベリヒはシイナが自分からいろんな話をするのを根気強く待ってくれた。今日何をした、何があった……他の人からしたら中身の無い内容に聞こえるかもしれないが、優しく笑いかけながらしっかりと聞いてくれるアルベリヒにシイナはいつも一生懸命いろんな話をした。
夜寝る時は必ずシイナが寝入るまでそばにいてくれた。ある日、シイナが眠るまで手を繋いでいてほしいとお願いしたら快く快諾してくれた。手から伝わる温もりが、シイナの足先まで行き渡るようだった。
朝になるとナナやアンナ、ニカが日ごとに分担してシイナの支度をしてくれた。ナナ達がそばにいない時は大抵ジェイクがシイナの話し相手になってくれた。
ジェイクはシイナの知らないことをたくさん知っていた。この世界には一面塩水でできた海と呼ばれる場所があり、木が生い茂る想像もつかないほどでかい山もあるとか。
ポートランド家が治める領地は畜産にも加工品にも厚く、いろんな事業をうまいことまわしている、とジェイクは誰かから聞いたことをさも自分の知識かのように自慢げに話すこともあった。
シイナはどんなジェイクの話も興味津々で聞き続けた。孤児院の外がこんなに広いなんてシイナは思いもしなかったのだ。
そんなジェイクとの時間の中でもとびっきりシイナが気に入ってるのはシイナの部屋に置かれた絵本を読む時間だった。
シイナはほとんど字を読むことができないため、絵本などは絵と雰囲気を楽しむものだった。だけどジェイクがシイナの代わりに絵本を読んでくれた。
ずっと知りたかった絵本の中の世界に触れることができて、シイナはとても嬉しかった。
今日もシイナはジェイクと一緒に部屋で絵本を読んでいた。一人ぼっちだったオオカミが羊と友達になって世界を旅する話だった。
ジェイクの声を聞きながらシイナはふと考えた。
(私にも本を読むことができるのかな?ジェイクみたいにすらすらと自分で読めたらきっともっと楽しいだろうな)
シイナが文字を読めるようになるためには文字を習う必要がある。つまり先生が必要になる。すでに十分すぎるほどの生活を送っているのにこれ以上望むのはいけないことのように感じた。
それでも……。
「私も、自分で字が読めるようになりたいなぁ」
無意識のうちに小さな声で漏らした本音をジェイクは聞き逃さなかった。ジェイクは手に持っていた絵本を閉じてシイナに向き直った。
その時になってシイナは心の願望を口に出してしまったことに気がついた。
「ち、ちがうっ!……えと、その……」
顔の前で両手を振り今の発言を無かったことにしようとするが慌ててしまい何も言うことができなかった。
「それなら、旦那様にお願いしてみたらいいですよ」
ジェイクが当然のことのように言う。シイナは身体を硬直させ、振っていた手をゆっくりと膝の上に置いた。
「……でも、これ以上わがままは、言えない」
膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。ジェイクはシイナの言葉を飲み込むように「うーん」と人差し指を顎に当てた。
「それは、わがままじゃないと思います」
ジェイクの言葉に顔を上げる。
「お嬢さまが勉学に励みたいと言えば旦那様はきっと協力してくださると思います。それに、旦那様はお嬢さまがやりたいことをやりたいって言ってくるのを待っているような気もします」
「そう、かな……。私、これ以上望んだら悪い子にならない、かな?」
「勉学に励むことは子どもに与えられた最低限の権利だと聞いたことがあります。それを考えると、お嬢さまがそれを望むことが悪い子に繋がるとは思いません」
「最低限の、権利……」
「俺はもっとお嬢さまはやりたいことをやりたいと伝えたほうがいいと思います。我慢する必要はないですよ。甘えたっていいんですよ。……だってお嬢さまは旦那様の娘なんですから」
固く握り締められたシイナの両手を溶かすようにジェイクが上から手を握りしめる。シイナはその温もりに肩の力を抜いた。
「そうと決まれば!善は急げと言います!今から旦那様のところへ向かいましょう!」
ジェイクはやる気に満ち溢れた声でそう言った。そしてその場に立ち上がるとシイナの手首を握ってシイナの腕を引っ張る。
「えっ!い、今から!?」
シイナが驚きで目を見開く。そして腕を引っ張られたことで体のバランスを崩しながら立ち上がる。
「そうです。今からです!……大丈夫ですよ、今ならきっと書斎にいると思いますから」
アルベリヒの所在の心配よりもアルベリヒの仕事の邪魔をしてしまうのではないかとシイナは心配になった。
「で、でも!今はお仕事してる時間……。邪魔するのは……」
尻込みするシイナにジェイクは首を横に倒す。シイナが心配していることが理解できていないようだった。
「俺から見ても、旦那様はお嬢さまのことをとても大切に思ってるように見えます。だから、ちょっとくらいお仕事の邪魔をしても、旦那様はお怒りにならないと思いますよ」
シイナの心配事は大したことじゃないと言わんばかりの言い方だった。そうやって言われてもシイナは変なことをしてアルベリヒに失望されたくなかった。
手を引っ張って連れて行こうとするジェイクに反抗するようにシイナは足を踏ん張る。だけど力の差は歴然でどれだけシイナが足に力を込めてもジェイクに引っ張られるままに足が前へと出てしまう。
「俺もそばにいますから。だからちょっとだけ、勇気を出してみませんか?」
渋るシイナを説得するようにジェイクはシイナの顔を覗き込む。下から覗き込むようにしてシイナを見るジェイクの瞳にシイナは弱かった。
シイナはジェイクの視線から逃げるように目を逸らす。
(勇気……伝えてもいいのかな)
アルベリヒがシイナの話を蔑ろにしたことはこれまで一度だってなかった。アルベリヒはちゃんとシイナの話を聞いて、シイナを真綿で包むように愛してくれた。
まるで夢のようなことだと思いながら、シイナもその愛は偽物じゃないと少しずつ実感を得ていた。そうシイナが思えるように、アルベリヒもこの屋敷の人たちも、みんながシイナを大切にしてくれていた。
シイナはそっとジェイクの手を握り返した。ジェイクが驚いたように僅かに目を見開いた。そしてすぐに花が咲くような笑顔を見せた。
どう転ぶのかは分からないけれど、シイナはジェイクの言う通り勇気を振り絞ってみることにした。
初めは何もかも遠慮して、恐々と周りと接していた。気を許していたのもアルベリヒやナナ、ジェイクなど初めから関わっていた人に限られていたが、徐々に他の人とも話すようになっていった。
長年の癖からか敬語で話すことを止めることはできなかったが、アルベリヒはシイナが話しやすい方でいいと言った。それを聞いてからシイナは無理して敬語を外すことをやめた。
アルベリヒとは食事の時や寝る前に会えるだけで日中ずっと一緒にいられるわけではなかった。だけどシイナが望めばどんなに忙しくても時間を作ってくれた。
アルベリヒはシイナが自分からいろんな話をするのを根気強く待ってくれた。今日何をした、何があった……他の人からしたら中身の無い内容に聞こえるかもしれないが、優しく笑いかけながらしっかりと聞いてくれるアルベリヒにシイナはいつも一生懸命いろんな話をした。
夜寝る時は必ずシイナが寝入るまでそばにいてくれた。ある日、シイナが眠るまで手を繋いでいてほしいとお願いしたら快く快諾してくれた。手から伝わる温もりが、シイナの足先まで行き渡るようだった。
朝になるとナナやアンナ、ニカが日ごとに分担してシイナの支度をしてくれた。ナナ達がそばにいない時は大抵ジェイクがシイナの話し相手になってくれた。
ジェイクはシイナの知らないことをたくさん知っていた。この世界には一面塩水でできた海と呼ばれる場所があり、木が生い茂る想像もつかないほどでかい山もあるとか。
ポートランド家が治める領地は畜産にも加工品にも厚く、いろんな事業をうまいことまわしている、とジェイクは誰かから聞いたことをさも自分の知識かのように自慢げに話すこともあった。
シイナはどんなジェイクの話も興味津々で聞き続けた。孤児院の外がこんなに広いなんてシイナは思いもしなかったのだ。
そんなジェイクとの時間の中でもとびっきりシイナが気に入ってるのはシイナの部屋に置かれた絵本を読む時間だった。
シイナはほとんど字を読むことができないため、絵本などは絵と雰囲気を楽しむものだった。だけどジェイクがシイナの代わりに絵本を読んでくれた。
ずっと知りたかった絵本の中の世界に触れることができて、シイナはとても嬉しかった。
今日もシイナはジェイクと一緒に部屋で絵本を読んでいた。一人ぼっちだったオオカミが羊と友達になって世界を旅する話だった。
ジェイクの声を聞きながらシイナはふと考えた。
(私にも本を読むことができるのかな?ジェイクみたいにすらすらと自分で読めたらきっともっと楽しいだろうな)
シイナが文字を読めるようになるためには文字を習う必要がある。つまり先生が必要になる。すでに十分すぎるほどの生活を送っているのにこれ以上望むのはいけないことのように感じた。
それでも……。
「私も、自分で字が読めるようになりたいなぁ」
無意識のうちに小さな声で漏らした本音をジェイクは聞き逃さなかった。ジェイクは手に持っていた絵本を閉じてシイナに向き直った。
その時になってシイナは心の願望を口に出してしまったことに気がついた。
「ち、ちがうっ!……えと、その……」
顔の前で両手を振り今の発言を無かったことにしようとするが慌ててしまい何も言うことができなかった。
「それなら、旦那様にお願いしてみたらいいですよ」
ジェイクが当然のことのように言う。シイナは身体を硬直させ、振っていた手をゆっくりと膝の上に置いた。
「……でも、これ以上わがままは、言えない」
膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。ジェイクはシイナの言葉を飲み込むように「うーん」と人差し指を顎に当てた。
「それは、わがままじゃないと思います」
ジェイクの言葉に顔を上げる。
「お嬢さまが勉学に励みたいと言えば旦那様はきっと協力してくださると思います。それに、旦那様はお嬢さまがやりたいことをやりたいって言ってくるのを待っているような気もします」
「そう、かな……。私、これ以上望んだら悪い子にならない、かな?」
「勉学に励むことは子どもに与えられた最低限の権利だと聞いたことがあります。それを考えると、お嬢さまがそれを望むことが悪い子に繋がるとは思いません」
「最低限の、権利……」
「俺はもっとお嬢さまはやりたいことをやりたいと伝えたほうがいいと思います。我慢する必要はないですよ。甘えたっていいんですよ。……だってお嬢さまは旦那様の娘なんですから」
固く握り締められたシイナの両手を溶かすようにジェイクが上から手を握りしめる。シイナはその温もりに肩の力を抜いた。
「そうと決まれば!善は急げと言います!今から旦那様のところへ向かいましょう!」
ジェイクはやる気に満ち溢れた声でそう言った。そしてその場に立ち上がるとシイナの手首を握ってシイナの腕を引っ張る。
「えっ!い、今から!?」
シイナが驚きで目を見開く。そして腕を引っ張られたことで体のバランスを崩しながら立ち上がる。
「そうです。今からです!……大丈夫ですよ、今ならきっと書斎にいると思いますから」
アルベリヒの所在の心配よりもアルベリヒの仕事の邪魔をしてしまうのではないかとシイナは心配になった。
「で、でも!今はお仕事してる時間……。邪魔するのは……」
尻込みするシイナにジェイクは首を横に倒す。シイナが心配していることが理解できていないようだった。
「俺から見ても、旦那様はお嬢さまのことをとても大切に思ってるように見えます。だから、ちょっとくらいお仕事の邪魔をしても、旦那様はお怒りにならないと思いますよ」
シイナの心配事は大したことじゃないと言わんばかりの言い方だった。そうやって言われてもシイナは変なことをしてアルベリヒに失望されたくなかった。
手を引っ張って連れて行こうとするジェイクに反抗するようにシイナは足を踏ん張る。だけど力の差は歴然でどれだけシイナが足に力を込めてもジェイクに引っ張られるままに足が前へと出てしまう。
「俺もそばにいますから。だからちょっとだけ、勇気を出してみませんか?」
渋るシイナを説得するようにジェイクはシイナの顔を覗き込む。下から覗き込むようにしてシイナを見るジェイクの瞳にシイナは弱かった。
シイナはジェイクの視線から逃げるように目を逸らす。
(勇気……伝えてもいいのかな)
アルベリヒがシイナの話を蔑ろにしたことはこれまで一度だってなかった。アルベリヒはちゃんとシイナの話を聞いて、シイナを真綿で包むように愛してくれた。
まるで夢のようなことだと思いながら、シイナもその愛は偽物じゃないと少しずつ実感を得ていた。そうシイナが思えるように、アルベリヒもこの屋敷の人たちも、みんながシイナを大切にしてくれていた。
シイナはそっとジェイクの手を握り返した。ジェイクが驚いたように僅かに目を見開いた。そしてすぐに花が咲くような笑顔を見せた。
どう転ぶのかは分からないけれど、シイナはジェイクの言う通り勇気を振り絞ってみることにした。
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