婚約者を喪った私が、二度目の恋に落ちるまで。

緋田鞠

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「…なるほど…」
 レニ嬢の身の回りの世話をさせる為に、バーデンホスト家には、最も信の置ける我が家の侍女長アネットを派遣した。
 勿論、私があの家で抱いた違和感を包み隠さず伝え、レニ嬢のこれまでの生活について、それとなく探る事を指示した上で、だ。
 彼女ならば、バーデンホスト家の使用人を容易に懐柔出来る。
 アネットが、バーデンホスト家に行ってから二週間。
 中間報告として寄越された手紙を読んで、思わず、声が低くなった。
「どうなさいましたか」
 マティアスに、アネットからの手紙を無言で渡すと、普段、表情を制する事に長けている男の眉間に、深く皺が刻まれていく。
「…何と言う…」
 アネットによると。
 レニ嬢の部屋、として通された部屋には、確かに侯爵家の格に相応しい家具が揃えられていたが、それらはかき集めた物のように色味や素材に統一感がなかった。
 また、部屋の場所も、家長一家の住む区域から離れた北側。
 クローゼットには流行りから三、四年遅れたドレスが掛かっていたものの、それらはいずれも、レニ嬢の体のサイズに合っておらず、色合いもそぐわない。
 食事は、晩餐のみ他の家族と共にしている。
 しかし、侯爵夫妻とリアーヌ嬢は、レニ嬢が席に着く前に食事を始めている事が多く、アネットを伴ったレニ嬢が席について初めて、彼女の不在に気づく様子だったとの事。
 つまりは、これまで、レニ嬢と食卓を囲む習慣がなかったと言う事だろう。
 バーデンホスト家が、レニ嬢付きだと言っている侍女も一名いるが、アネットから見て、彼女とレニ嬢の意思疎通は図れていない。
 主人とその侍女と言う距離感では、ないそうだ。
 レニ嬢は、風呂で湯浴みの世話をされる事にも慣れておらず、ドレス選びも髪型の指定も、困った様子で口を噤むと言うから…アーベルバッハ家から侍女が送り込まれる事で、慌ててバーデンホスト侯爵が形だけ整えた可能性が高い。
 そもそも、侯爵令嬢についている侍女が一名と言う時点で、少なすぎる。
 一日の食事は、アネットの目から見ても、質、量共に問題はないが、レニ嬢は食べきれず、申し訳なさそうに残す。
 それでいて、この二週間で、かさついていた肌に潤いが少しずつ取り戻され、うっすらと肉がついてきた、と嬉しそうに報告すると言う事は…これまでは、食事の内容すら、他の家族と違うものだったと言う事だ。
「…これはつまり、愛のない先妻の娘だから、不当に扱われている、と言う事なのだろうな」
「マルグリット様のご存命中からウルリーケ様を堂々と伴っていた事から考えて、不当に扱っている、と言う自覚が、バーデンホスト候におありかは判りませんが…」
 …あぁ…。
 私の常識で言えば、公の場で、正妻を差し置いて妾を妻として扱うのは、恥知らずな行為だ。
 だが、バーデンホスト侯爵は、『真実の妻』と言う呼称で、その行為を堂々と貫き通した。
 ならば、学院に通わせる事も、社交界デビューもさせなかった娘であっても、虐げているつもりはないかもしれない。
 少なくとも、レニ嬢には折檻されたような痕は残っていないらしいし、両親やリアーヌ嬢に、恐れや怯えを見せる様子はないそうだ。
 何よりも、忌憚なく言えば、バーデンホスト侯爵にはレニ嬢の境遇に対する後ろめたさを感じない。
 つまりは、不干渉で来た、と言う事なのだろう。
 愛の反対は無関心、とは、よく言ったものだ。
 無関心故に放置していただけならば、これまで表に出て来なかったのも、彼女の存在を秘する為ではなく、忘れていたから、と言う可能性がある。
「レニ嬢のお母上は、彼女が十歳までは御存命だった筈だな?」
「死亡届によれば、そうです。ですが、マルグリット様の姿が公の場で確認されたわけではありませんので…」
 領民の戸籍を管理するのは領主の仕事だが、貴族の戸籍を管理するのは王宮の仕事だ。
 れっきとした侯爵夫人であったマルグリット夫人の届も、王宮に行われている筈だ。
「だが、亡くなったと報告して直ぐに後妻と再婚しているのだ。敢えて死を伏せる必要はなかろう」
 ましてや、夫人の実家であるエアハルト家は、もうその時点で亡いのだから。
「レニ嬢は、基本的な仕草は美しかった。恐らくは、お母上のご指導を受けていたのだろうな。だが、エスコートされる事に慣れておらず、人との会話にも戸惑っている様子だった。彼女がアーベルバッハ家に来たら、何がしかの教師を雇い入れるべきだろう」
「さようですね」
「学院に通っていないと言う事は、学習面も基礎は進めた方がいいか…」
「…ジークムント様。どうぞ、レニ様とご相談の上で、お進め下さい」
 マティアスの指摘に、はたと気が付く。
 そうだ。
 妻になるからと言って、レニ嬢を好奇の目に晒すつもりはない。
 必要最低限の場にだけ、顔を出してくれればいい。
 けれど…放っておけない、と思ってしまうのは、彼女が見せた笑顔が、心に引っ掛かっているからだ。
 飾りの妻になってくれ、と望まれて、何故、彼女は笑ったのだろう。
 皮肉気な笑みでも、諦めの笑みでもなかった。
 そう…何とも晴れやかで、純粋な好意の覗く笑みだった。
 淑女が、初めて会った、素性のよく知れぬ身勝手な男に見せていい笑みではない。
 私の見た所、彼女と、父親と継母との関係は、完全に破綻している。
 明らかにリアーヌ嬢のお下がりのドレスを与えられている所から見ても、彼女との関係も、決して良好な物ではない。
 そのような屋敷の中で、家族とは名ばかりの人々と暮らす息苦しさを思い、手を差し伸べたいと思うのは、一人の年長者として、正しい事ではないだろうか。
 王命とは言え、縁があって、我が家に嫁いでくれるのだ。
 夫婦として誠実であれないからこそ、家族としての関係を良い物にしたい。
 ――それは、欺瞞に過ぎないのだろうか。

 アネットから送られた採寸表を元に、レニ嬢がアーベルバッハ家で過ごすのに必要となる日常着のドレスを仕立てさせる。
 長い前髪で目の色はきちんと確認出来ていないものの、彼女の栗色の髪には、柔らかな色合いが似合うと思う。
 イルザは、私の瞳に合わせて濃い紫を身に付ける事を好んでいたが、レニ嬢には、濃い色よりも淡いラベンダーの方が合うだろう。
 別に、紫に拘る必要もない。
 彼女の白い肌ならば、淡い色合いも、落ち着いたくすみがかった色合いも、似合う筈だ。
 装飾品はどのような物がいいだろう。大粒のものよりも、小粒を連ねたものがいいだろうか…そう、自然と考えている自分に、自分で驚く。
 久し振りに、女性のドレスや装飾品の事を考えた。
 名ばかりとは言え妻になって貰うのだから、気を遣うのは当然だが、人任せにせず、イルザ以外の女性にそのような配慮をするとは…。
 自分自身の行動ながら、戸惑ってしまう。
 そう、きっと、一任出来るアネットが、此処にいないせいだ。
 誰へともなく、言い訳をする。
 当座の服を仕立て、レニ嬢が過ごす為の部屋も用意した。
 日当たりが良く、アーベルバッハ家自慢の庭が良く見える部屋だ。
 気に入らなければ、別の部屋を選んでくれても、構わない。
 部屋数だけなら、あるのだから。
 壁をクリーム色に、腰壁を一段明るい茶色に塗り替え、寒々しくなく、そして、何色にも合わせられるようにした。
 カーテンや布張りのソファも、勝手に選ばせて貰ったが、希望があれば対応するように、家令のバスティアンには話してある。
「いよいよ、明日でございますね」
 仕上がったレニ嬢の為の部屋を眺めていると、バスティアンが感慨深げに言った。
 彼は、母の降嫁に王家から付き従って来て、アーベルバッハ家に仕えるようになった男だ。
 母に生涯の忠誠を誓ったと聞くが、両親は、私が七歳の時に事故で亡くなっている。
 まだ十歳の兄と私に、下心を持ってすり寄る分家に、神経を尖らせていた事は想像に難くない。
 幸いにも、亡くなった母の兄である陛下が後見となって下さった事で、幼い子供達だけでも、家の乗っ取りに合わず、財産を散逸させる事なく、暮らせたのだ。
 苦労して家督を継いだ兄も、結婚する前に、二十六歳で亡くなった。
 そして、私の婚約者だったイルザも、また。

 アーベルバッハの血は、呪われている。

 そのような事を言う者達がいる事も、知っている。
 真実ではない噂に振り回された人々が、当時、どれだけいた事か。
 だが、彼等には、私が両親と兄、そしてイルザから受けた深い愛情を否定する権利等、欠片もない。
 バスティアンからすれば、誰の言葉も聞かず独り身を貫いていた私が、こうして、無事に花嫁を迎えられるかどうか、やきもきしていたのだろう。
 バスティアンには、養子の計画は話していない。
 私が、分家に優秀な子息がいないか調べている事を知っているだろうが、アーベルバッハ家を支える為の人材探しと考えている筈だ。
 母の子であるからこそ、私を守り続けてくれたバスティアンに、実子を持つ気がない、と言えなかった。
 恐らくは、レニ嬢と結婚するのだから、後継者の心配はなくなったと、安心しているに違いない。
 バスティアンにとって、母の血がアーベルバッハの家に連綿と引き継がれる事が、最重要事項なのだから。
 頭の片隅に、罪悪感のようなものがある。
 それが、誰に対してのものかは判らない。
 母への忠誠を誓うバスティアンに、か。
 育った家から引き離される養子に、か。
 …女性としての選択肢を奪われた、レニ嬢に、か。
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