光と音を失った貴公子が望んだのは、醜いと厭われた私の声でした。

緋田鞠

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   ***

 私が、エミリアと出会ったのは、十七の夏でした。
 エミリアは一つ下の十六歳。
 目に痛い位に青い夏空に、深い赤の髪が、よく映えていたのを覚えています。
 幼年学校の夏季休暇で、セルバンテスと共にコバルに滞在していた時の事です。
 二人で遠乗りに出掛け、隣領であるネランドとの境を訪れた時、街道沿いの高い木を見上げて困った様子の少女と遭遇しました。
 どうしたのかと尋ねると、風に帽子を浚われ、高い枝に引っ掛かってしまった、と言うのです。
 振り返った少女の美しさに、私もセルバンテスも、一目惚れしました。
 それが、エミリアでした。
 腰まで届く深紅の髪に、赤に紫が混じったような不思議な虹彩の瞳、小さな顔も、大きな目も、男ばかりの幼年学校に慣れていた私達には、天上から舞い降りた天使のように見えたものです。
 二人で先を争って木に登り、先に帽子に辿り着いたのはセルバンテス。
 セルバンテスと競ってあれだけ悔しい思いをしたのは、初めてだったかもしれません。
 それから、夏季休暇の間ずっと、私達はエミリアに会いに行きました。
 最初は口数の少なかった彼女が、自分の事について話してくれるようになった頃には、夏季休暇も終わろうとしていました。
 エミリアは、ネランド領主であるコール侯爵のお世話になっている、と話していました。
 彼女は、孤児だと言うのです。
 チートスの出で、ロイスワルズに移住するつもりで一家で旅をしていたけれど、途中、事故によりエミリア以外が亡くなったのだ、と。
 エミリアが十五の時の話だと言っていました。
 途方に暮れていた所を保護してくれたのが、コール侯爵なのだそうです。
 その頃のコール侯爵は先代ですが、慈善家でエミリア以外にも困窮している子供を支援されていた事を覚えています。
 私もセルバンテスも、エミリアの心を手に入れようと必死でした。
 学校がある間は、まめに手紙を出し、長期休暇にはコバルに帰って直接顔を見る。
 セルバンテスも私もお互いの気持ちを判った上で、恨みっこなしの真剣勝負だと話していました。
 そして、確たる返答を貰う事もないまま、幼年学校を卒業する前に、二人で並んで、エミリアに求婚しました。
 セルバンテスは王都に近い侯爵家の次男、卒業後には王城に勤める事が決まっていました。
 爵位は兄上が継ぐけれど、結婚時に子爵位を得る事も可能でした。
 私もまた、卒業後は王宮で書記官として勤める事が決まっていました。
 兄弟はおりませんから、地方とは言え、伯爵位を継ぐ身です。
 エミリアは…孤児である自分に貴族の奥方は務まらない、体が強くないから後継者を産む事が出来そうもない、と断りました。
 けれど、私達は二人とも、エミリアがただの移民とは思っていませんでした。
 彼女の所作は洗練されて美しく、言葉遣いも綺麗で、明らかに貴族としての教育を受けているのが判ったからです。
 没落したのか、家督争いに負けたのか、様々な可能性をセルバンテスと話し合いましたが、所詮は学生の考える事。
 エミリアの出自を確かめるような伝手などありません。
 後継者だって、確かに貴族の結婚に血統を繋ぐ意味合いが強い事は理解していましたが、セルバンテスは嫡子ではないし、私の家は元々子供が生まれにくい家系で、結婚した所で子に恵まれるかは天の采配によるもの。
 ですので、後継者に固執していたわけではありません。
 それに、私達はエミリアと結婚したかったのであって、貴族女性を望んでいたわけではなかったのです。
 しつこく求婚を続けると、エミリアは最終的に折れてくれました。
 セルバンテスと私、どちらの手を取るのか。
 どちらを選んでも支え続けるから、と話すと、エミリアは躊躇した後、私を選んでくれました。
 エミリアは、打算があって結婚したわけではありません。
 私達が結婚を求めたから、応じてくれただけです。
 結婚の際は、コール侯爵が後見人として署名をして下さいました。
 彼女は孤児だと言っていましたから、チートスの親族を探して連絡する事もせず、卒業後に一緒に暮らす事になりました。
 私は王宮勤めだったので、王都のトゥランジア邸で生活を始めました。
 共に生活するようになって判ったのは、エミリアの申告通り、彼女の体が弱い、と言う事です。
 何かの拍子に寝込んで寝台から起き上がれなくなる、と言う事が何度もありました。
 病ではなく薬はない、ただの体質、と言われ、心配ではありましたが、暫くすると元気になったので、然程、大きな問題だと思っていなかったのはあります。
 実際、熱が出るわけでも、咳が出るわけでもなく、ただただ疲労感で起き上がれなくなるだけで、本人が辛そうにしていなかった事から、大変な事だと受け止めていなかったのです。
 私は、幸せでした。
 エミリアは、私とは違う視点で物事を見ていて、彼女と話すのはとても楽しく刺激に満ちていました。
 書記官となって最初の頃は、理想と現実の挟間に苦しんだ事もあるけれど、エミリアの笑顔を見るだけで、何処からか力が湧いて来たのです。
 結婚したのは私とでしたが、セルバンテスとも変わらずに仲が良く、口さがない人に穿った噂を流された事もありましたが、私達は三人とも気にしておりませんでした。
 後継者について、全く考えていなかったわけではありません。
 ですが、私にとってはエミリアの命の方が大事だったので、子供を望んだ事は一度もありません。
 子供がいれば、それはそれで幸せだろうけれど、どうしても欲しい、とまでは思っていなかったのです。
 いざとなれば、養子を取ればいいのですから。
 けれど、結婚して十年経とうかと言う頃に、エミリアの方から「どうしても子供が欲しい」と言い出しました。
 子供が生まれたら、コバルに帰って、自然の中で伸び伸びと育てたい、と。
 そうして、望んだ通りに妊娠した時に、エミリアが作ったのが、守護石でした。
 家で使うちょっとした魔法石に、エミリアが魔法陣を刻むのは日常の事でしたが、共に暮らし始めて、初めて見る魔法陣です。
 あれこれ調べた今となっては、何故、魔法陣を描けるのか疑問に思わなくてはならなかったのですが、当時は、チートス出身であれば、大なり小なり、描けるものなのだと聞いていたのです。
 エミリアに魔法陣の意味を問うと、
「チートスに伝わる特別な魔法陣で、身に着けた者の命を護るものなの。生まれた子供を護ってあげたいから」
と、答えました。
 きっとその時にはもう、エミリアは自分の寿命を感じていたのでしょう。
 振り返れば、だからこそ、一人残される私の為に、子供を望んだのだと判ります。
 出産は、三日がかりでした。
 陣痛に長く苦しんで、体力がすっかりなくなった時に、アマリアを産み落とし…無事に生まれた事に安心する私の手を取って、エミリアは、こう言ったのです。

「チートスのレナルド様に、伝えて欲しい」 

 それが、最期の言葉でした。
 エミリアを亡くし、生まれたばかりの娘に掛ける言葉でも、夫である私に残す言葉でもなく、見知らぬ男の名を残されて…私は、荒みました。
 もし、これがセルバンテスの名であったら、諦めもついたかもしれませんが、そうではなかった…。
 どれだけ荒もうと、アマリアは生まれている、けれど、私は動く事が出来ませんでした。
 茫然自失として何の役にも立たなかった私の代わりに、アマリアの面倒を見てくれたのがセルバンテスです。
 仕事だけは機械的に続けていたけれど、家庭ではぼろぼろだった私を支えてくれたのも、また、セルバンテスです。
 エミリアの葬儀を手配し、アマリアの名付け親となり、時には屋敷に泊まり込んで、私達の世話をしてくれました。
 エミリアを亡くして半年程経った頃に、少しずつ前を見る事が出来るようになって…その時に、エミリアの最期の言葉を、セルバンテスに伝えました。
 何があったとしても、エミリアは私の妻であったし、アマリアは私の子です。
 一時的に取り乱したものの、エミリアに対する憤りはありませんでしたから、最期の望みを叶えたいと考えたからです。
 結局の所、エミリアに対する感情は、愛情しか残っていないのです。
 ただ、チートスのレナルド様、と言われても、家名もなく探す当てなどなかった。
 セルバンテスであれば、王城の家令として勤めていますから、私より余程、幅広い人脈と情報を持っています。
 何らかの糸口を、見つけてくれると思っていました。
 すると、チートスのレナルド、と聞いて、セルバンテスが顔色を変えました。
 「王太子殿下がレナルド様だ」と言うのを聞いて、思い出しました。
 チートスは先代国王陛下の体調不良が噂されて長く、次期国王陛下の名として、確かに挙がっていた名だったからです。
 孤児であるエミリアと王太子殿下に関係があるなど、理性で考えればありえないと思うのに、エミリアの佇まいに貴族を感じていた私は、それを否定する事も出来ず…自分なりに、レナルド陛下について調べてみました。
 セルバンテスもまた、調べてくれて…結果、エミリアは元々、チートス王都ザカリヤで暮らしていたのではないか、と言う結論に達しました。
 エミリアが、チートスでは生まれてくる子に持たせるのだ、と当たり前のように話していた守護石が、チートス王家秘伝との噂がある事も、その時に知りました。
 そして、レナルド王太子殿下が、精力的に国内を視察していらっしゃる事、どうやら、人探しをしていらっしゃる様子である事も。
 探し人は、赤い髪に赤い瞳だと言うのです。
 これらの情報から、私達は、エミリアはチートス王家に極めて近しい位置にいた人間なのだと結論づけました。
 チートス王家内部の情報など、一介の文官に調べられるものではありません。
 けれど、偶然、チートスで宮廷に出入りしていたと言う商人から、王城に、赤い髪と赤い瞳の少女がいた事を聞き出す事が出来ました。
 幼い頃から城に住んでいるから、国王陛下の娘なのではと言う噂もあった、とも。
 王の娘ならば相応の扱いを受けている筈だが、地味な身なりをしていたから、根も葉もない噂だ、とその者は笑っていましたが。
 …単なる噂とは、思えませんでした。
 使用人の娘であれば、そのような幼いうちから、人目につく場所に出て来る事はありません。
 それに、エミリアの所作は、貴族であれば高位貴族、王族と言われればそうだろうと、素直に信じられるものだったのですから。
 ただ、対外的に発表されているチートスの系譜に、エミリアの名はありません。
 チートスは側室を持てますが、側室の子としても名はありません。
 エミリアがよく、話していました。
「真実であれば、何でも話せばいいわけではないわ。真実にこそ、傷つく事もたくさんあるもの」
と。
 何らかの理由で、レナルド王太子殿下の前から去ったエミリアと、エミリアを探し続けるレナルド殿下。
 様々な可能性を考え、一つの推論に達しました。
 若い男女が共にいられない状況、それでいて、互いに相手を強く心に残している。即ち、引き裂かれた恋人なのでは…。
 確信の持てるような証拠は、ありません。
 けれど、僅かに見える真実を繋ぎ合わせていくと、それこそが事実のように思えて来るのです。
 惹かれあったエミリアとレナルド殿下、けれど、エミリアは王の隠された娘と言う出自を知ってしまう。
 異母兄妹では結婚出来ない。
 だから、姿を消さざるを得なかったのでは。
 結婚の話を長く渋ったのは、最後にレナルド殿下に言葉を残したのは、ずっと心に、レナルド殿下への贖罪があったからなのではないか。
 レナルド殿下が二人の血縁をご存知の上かご存知ないままかは判らないけれど、今もまだ、エミリアを探していらっしゃる。
 寝ているアマリアを見て、私は恐怖しました。
 エミリアによく似た深紅の髪に、赤に紫を混ぜた瞳。
 まだ赤子で、顔立ちがどちらに似ているかなど判らない時期でも、髪と目の色は、エミリアそのものでした。
 エミリアを探しているレナルド殿下ならば、きっと一目でエミリアの子と判ってしまう。
 そう気づくと、王都で育てるのが怖くなって、領地で育てさせる事にしました。
 いずれ、国王になられてロイスにおいでになる時に、王都で育った赤い髪の娘は目に留まってしまうでしょう。
 領地で、屋敷の奥深くに隠すように育てれば、他国の田舎の娘の話など、お耳に届くわけがないと思ったのです。
 エミリアが、コバルの自然の中で子供を育てたい、と希望していた事も、私の決断の後押しをしました。
 アマリアが生まれた時点で、エミリアがチートスを出て十年以上が経過しています。
 それでも、レナルド殿下は捜索を諦めていらっしゃらない。
 隠し通せる、と思う時と、いずれ見つかる、エミリアの代わりに取り上げられるのではないか、と不安に駆られる時があって、私は、万が一の為に動く事にしました。
 もしも。
 もしも、アマリアが、先王の孫としてチートス王家に連れて行かれてしまったら。
 地方貴族の子女としての教育だけでは、王家の中でやっていけないでしょう。
 役に立たない娘として、非情な扱いを受けるかもしれません。
 そう思うと、せめて、と、王家で習うであろう基礎的な知識を身に着けさせる事にしました。
 しかし、アマリアが困らないように知識は教える一方で、誰の目にも触れないよう、厳重に屋敷に囲い込みました。
 矛盾しているようですが、アマリアが苦労するのも、アマリアを奪われるのも、私自身が耐えられると思えなかったのです。
 全てが、推測の上に起こした行動です。
 人から見れば、妄想が過ぎると言われる事も判っていましたが、どうしても、ありえない、と思えなかった。
 事実…今、レナルド陛下は、アマリアに辿り着かれたのですから。
 アマリアの存在を秘す為に、二十年以上、離れて暮らしていたのに、先般、王都に呼び寄せたのは、アマリアが婚約破棄されたからです。
 地方貴族と結婚して、地方貴族として一生を終えられるのであれば、それで良かった。
 アマリアに、何も伝える気はなかった。
 けれど、私も五十を迎え、先の事を考えるようになりました。
 婚約破棄され、このままでは、私が亡くなった後、彼女を保護する者がいない事が不安になって…アマリアの幸せとは一体何だったのか、考え直したのです。
 今は、アマリアを王都に呼び寄せてよかったと思っております。
 心から愛する方に、出会えたようですから。
 レナルド陛下、エミリアからの言伝をお伝えします。
 長い事、お伝え出来ずに申し訳ございませんでした。
 エミリアの愛を信じていたけれど、最期に言葉を残した貴方に嫉妬をしていたのです。
「レナルド様、エミリアは幸せでした」
 それが、エミリアの最期の言葉です。



 ギリアンが話す間、誰も一言も発しなかった。
 全てを告白した後、疲れ切ったようにギリアンは黙り込む。
 ランドールは、セルバンテスが話していた「よいようにも悪いようにも変わる秘密」について考えていた。
 それは間違いなく、アマリアが、チートス王家に連なる、と言う話の事だろう。
 よいように転べば、地方貴族の伯爵令嬢との婚約には口を挟む者達も、チートス国王陛下の姪となれば、文句を言えなくなる。
 悪いように転べば、ギリアンが心配していたように、チートス王家にアマリアの身柄を取り上げられてしまう。
 考え込んでいたランドールは、アマリアの反応を確認していなかった事に気づいた。
 慌てて彼女の顔色を確認するが、多少、青褪めているものの、思ったよりも冷静に受け止めているように見える。
「…なるほど、あれは、夫にも全く自分の話をしていなかったのだな」
 レナルドが、低く言うと、太い溜息を吐いた。
「エミリアらしいが…」
 じっと目を閉じて、一つ頷くと、脇に座らせたアマリアの顔を見る。
「話してやった方がよいか」
「お願い致します」
「…そうか、そなたがそう言うのであれば」
 レナルドは、重々しく口を開いた。


   ***

 エミリアは、名をエミリア・ハンナと言う。
 母親は、チートスの宮廷魔術師であったオリヴィア・ハンナ。
 父親は、そなた達の推測通り、ライアン・チートス前国王陛下だ。
 父は…施政については優秀な方だったが、艶福家でな。
 私の母である正妃の他に、法令で定められた上限である側室五人を持ち、それに飽き足らずに他にも手をつけていらした。
 そうと知られていないのは、正式な婚姻関係にない女性のうち、子を孕んだのが、オリヴィアだけだったからだ。
 オリヴィアは、チートスとシャナハンを隔てるミュアー山脈の麓の村出身の女性だった。
 そこには、チートス有数の魔法石の鉱脈があり、鉱夫が多く住むが、ハンナ一族は鉱夫が入植する以前より、彼の地に住まっていたと聞く。
 チートス建国以前の統治者の一族である、との噂もあるが、確かな事は判らん。
 ハンナ一族は、女系の一族でな、女は皆、赤い髪赤い瞳で生まれる。
 勿論、オリヴィアもまた、赤い髪に赤い瞳の女性だった。
 男が生まれぬから、よそから婿を取るのだが、どんな色を持つ男と子を産もうと、赤い髪と瞳で生まれるので、「赤い魔女」との異名もあった。
 魔女と言う名が示す通り、ハンナ一族は、優秀な魔術師の一族だ。
 父王は、その噂を聞いて、ご自身で村に宮廷魔術師を探しに行き、そこで一族きっての実力者と言われたオリヴィアと出会った。
 地元を離れる気はないと言うオリヴィアを、国王権限で半ば強引に召喚したのだと後に聞いた。
 オリヴィアは、事実、優秀な魔術師だった。
 チートス王家秘伝と呼ばれている守護石の魔法陣も、そもそもはオリヴィアがもたらしたものだ。
 チートス王家の知識に、かの魔法陣はなかった。
 その上、父は、オリヴィアの魔術の知識だけに飽き足らず、彼女の美貌にも目を付け、寵愛なさった。
 オリヴィアは妊娠が判った時に城を去ろうとしたが、優秀な宮廷魔術師を失うわけにはいかず、当時の官吏達が必死に引き留めたらしい。
 とは言え…幾ら父の寵愛を受けていても、オリヴィアを、正式に側室にする事は出来なかった。
 チートスで王家に入れる者は、貴族に限られる。
 貴族出身ではないオリヴィアが、宮廷魔術師になった事すら異例だったのだ。
 その為、エミリアを父の子と認知する事は出来なかった。
 公的な身分ではないとは言え、城の中枢にいる者であれば、誰もがエミリアを父の子として遇していたが、それに納得しなかったのが側室とその子達だ。
 側室の子として生まれた私のきょうだいは、同じ王の子とされながらも、いずれは臣下に下らねばならない。
 私と扱いが異なる事に不満を抱いて、自分達より下と見做しているエミリアを攻撃するのが常だった。
 側室達は、エミリアが確たる王家の血筋と言う証拠を持つゆえに存在を否定出来ず、一方で誇りの高さゆえに、同列に扱う事は出来なかったようだ。
 側室達とその実家の怒りを恐れる余り、エミリアは他の者達にも距離を置かれていた。
 だが、エミリアは、使用人の子と言う扱いを彼らに受けながらも、折れる事なく、真っ直ぐに育ってくれた。
 私は、正妃唯一の子で、王太子となる為に育てられていたから、表立ってエミリアを庇う事は出来なかったが、他の異母きょうだい達よりも余程、エミリアに共感していた。
 エミリアもそれを理解してくれて、私達は人目を避けるように会っては、語り合ったものだ。
 その姿を見て、恋仲だの何だの囃していた者がいるのは知っている。
 だが、実際の所…敵意ばかりの城の中で、彼女は私にとって唯一、血縁を感じられる妹だったのだ。
 エミリアには、持病と言うべきか、生まれもっての体質があった。
 それがあったから、オリヴィアは娘の為に、どんなに辛く当たられても、宮廷魔術師としての生活を続けざるをえなかった。
 エミリアは、人間が生きる為に必要とする魔力が、先天的に少ない状態で生まれた。
 チートスの庶民の間で「虚弱体質」と言われるものだな。
 体が活動するのに必要な魔力を体内で作り出す力が十分でない故に、突然として倒れる。
 暫く休めば、魔力が回復して動けるようになるが、生きる力が乏しい為、寿命は長くない。
 そう言うものだ。
 実際には、魔力が枯渇する前に魔法石から魔力を補充してやれば、ずっと健康に過ごす事が出来る。
 城の中で、その事を知っていた者は多くはない筈だ。オリヴィアが、上手に隠していたからな。
 ただでさえ、辛く当たられる立場の娘の弱みを見せたい親など、いない。
 それに、宮廷魔術師であれば、幾らでも魔法石を手に入れる事が出来る。
 チートスは魔法石の産出が多いとは言え、庶民の手には高価なものだ。
 ましてや、体内の魔力を補充する為の魔法石など、容易に入手出来るものでもない。
 オリヴィアは、エミリアの為に、城に留まっていたのだ。
 暗黙の了解とは言え、幸いにも、エミリアは父の子として公表されていないからな。
 政略結婚の駒にもなりえないし、オリヴィアについて魔術師としての勉強もしていたから、望めばずっと、城で暮らせる筈だったのだ。
 …ところが。
 エミリアが十四になった年、父の体調が乱れ始めた。
 チートスでは、王太子になれるのは正妃の産んだ男子のみ。
 だが、正妃に男子がなければ、側室の産んだ男子の中から選ばれる。
 魔法石の産出の多さと関係しているのかどうかは判らんが、チートスは元々、貴族や庶民の別なく、虚弱体質の子が生まれやすく、成人前に亡くなる子が多い。
 正妃の産んだ子が、蒲柳の質である事も少なくない。
 だからこそ、側室制度を作って、王家の血統を絶やさないようにしているのだ。
 そこで側室達は、私さえいなければ、自分の息子が立太子する可能性に気が付いたらしい。
 気づけば、命を狙われる事が増え、私は自分の身の回りの事で手一杯になっていた。
 父が亡くなり、私が即位すれば、母は王太后になるが、母は私に関心がなかったものだから、側室達の暗躍に気づく事も、それを止める事もなかった。
 夫に顧みられず、奢侈のみが楽しみだった母は、贅沢三昧でな。
 国庫を憂えて財布の紐を引き締めようとする私とは、折り合いが悪かった。
 父が体調不良であるが故に、少しずつ仕事を任されるようになった私は、母の散財を制限するようになり、母は不満が溜まっていたらしい。
 欲しいものを思う儘に購えなくなった時、母は、エミリアの存在を思い出した。
 そして、エミリアを、裕福な商人に支度金目当てで、嫁がせようとした。
 側室の子は、背後に側室の実家があるから手が出せないが、平民出身の宮廷魔術師の子など、どうとでも扱えると思ったのだろうな。
 漸く十五になろうとする娘を、五十を過ぎた男に金目当てで嫁がせるなど、正気の沙汰ではない。
 それも、事もあろうに、国王の血を引く娘、と言うのを売り文句にしたのだ。
 …私がそれを知ったのは、エミリアが嫁がされる前日の事だった。
 暗殺から身を護る事、国政、あらゆる事に忙殺され、エミリアと顔を合わせる事も出来なくなっていた間の話だ。
 エミリアが、最後の挨拶だ、と、仕事で移動中の私に話し掛けた事で事態が判明したが、急な話で、王太子権限では結婚を妨ぐ事が出来なかった。
 それに、一度妨害された所で、母が諦めるとは思えない。
 だから私は、オリヴィアとエミリアに、いっその事、王宮を出るように提案した。
 元々、エミリアは書類上、王族に連なっているわけではない。
 婚姻関係にある相手のいないまま、オリヴィアが生んだと言う形になっている。
 オリヴィアは宮廷魔術師と言うだけなのだから、退職する事も可能だ。
 問題はエミリアの魔力を補充する為の魔法石だけで、母子が王宮に留まる理由はそれのみ。
 であれば、魔法石の問題を解決出来ればそれでよい。
 私は、護衛騎士をつけるから、辺境まで逃げるように指示した。
 オリヴィアをミュアー麓の村から召喚した事実を知る者は殆どいない。ほとぼりが冷めた頃に村に戻ればよい、と提言した。
 当座を凌ぐ魔法石と、路銀代わりの宝石を持たせ、身の安全を確保出来そうな場所に辿り着いたら、護衛騎士を王宮に帰せばよい。
 そうすれば、騎士を通じて私にだけ、居場所が判るからな。
 そこで一、二年を過ごしてから、村に戻ればよいと考えた。
 落ち着き先を探した後は、護衛騎士を通じて定期的に魔法石を届ける約束になっていた。
 ――…だが、密かに王宮を脱した後、エミリアから連絡が来る事はなかった。
 護衛の為につけた騎士も、王宮に戻って来なかった。
 勿論、探し回った。
 大掛かりに捜索すると、母に気づかれる。だから、自分の足で、視察の名目で各地を巡った。
 人目につかないように逃げよ、と指示していたから、証言を得る事は容易ではなかったが、全くなかったわけではない。
 体の大きな男、赤い髪の女、よく似た少女の、親子三人と思われる旅人の姿は、幾つかの街で見たと言う者がいた。
 その噂を追っていくと、一つの村に辿り着いた。
 ロイスワルズとの国境に近い村で、訪ねてみると、刃物の切傷が元で亡くなった赤い髪に赤い瞳の三十代らしい女性を埋葬した事があると言う。
 荷物など、身元の判りそうなものは身に着けていなかったから、行旅死亡人として扱ったらしい。
 幾つかの証言を合わせると、路銀の宝石目当てで、オリヴィア達が襲われたらしい事が判った。
 だが、エミリアの姿はなかった。
 護衛につけた騎士は、私が立太子する前から傍に置き、信を置いていた騎士でな。
 裏切ったとは考えたくなかった。
 野盗に襲われ、エミリアしか護れなかったのだろう、オリヴィアを埋葬する時間すら取れずに逃げたのだろう、と。
 だが、落ち着いて考えると、オリヴィアもエミリアも、オリヴィアが描いた守護石を身に着けていたのだ。
 そこらの野盗に襲われても、問題はない筈だ。
 …となると、『誰か』が言葉巧みに、守護石を体から離させたに違いない。
 ――私は、裏切り者の手にエミリアを預けてしまった事を悟った。
 エミリアに持たせた魔法石が、不足するであろう時期に入り、私は焦った。
 オリヴィアを殺害した護衛だが、エミリアは美しい娘だ。
 殺さずに、他の方法で金を稼ごうとするかもしれない。
 何とか助け出さなくては、と…国内を捜し歩いて、十年以上が経ってしまった。
 いつからか、心の一部で生存を諦めていたのは確かだ。
 魔法石の供給がない状況で、エミリアの体がどれだけ持つか判らない。
 だが一方で、赤い髪に赤い瞳の娘を埋葬した、と言う村に行き当たらない事で、生きている可能性を捨て切れなかった。
 …まさか、ロイスワルズに逃げ出していたとは…。
 体を健康に維持する為には、魔法石が必要なのだ。魔法石の入手が比較的容易なチートスから出るとは、思いもしなかった。
 だが、命を護る事ではなく、自らの尊厳を最優先にするのであれば、他国で暮らすと言う方法も正解だったのだろう。
 ましてや、私が信を置く騎士を護衛につけた事を、よく理解していたエミリアなのだから、私自身が彼女を裏切ったのだと思い込んでいても、不思議はなかった。
 そうであれば、私の目や護衛の目があるチートスに住む事を、良しとはしないだろう。
 王都に戻り、私と連絡を取ろうとする可能性など、あるわけもなかった。
 …アマリアの噂を聞いたのは、半年程前だ。
 私が、赤い髪赤い瞳の女性を探している事を知っている者が、ロイスワルズの王宮で見掛けたと連絡してきたのだ。
 推定される年齢を聞いて、エミリアでない事は判った。
 だが、エミリアの娘かもしれない期待は持てた。
 娘がいると言う事は、少なくとも子供を産むまでは、エミリアは生きていたと言う事だからな。
 アンジェリカがロイスワルズに行こうとしているのを察知して、侍従のアイヴァンに、赤い髪赤い瞳の娘に接触するよう、密命を与えた。
 アンジェリカはランドール殿に執心しているから、アイヴァンが王宮を探る位の期間は、居座るだろうと踏んでいた。
 まさか、アンジェリカ自身がアマリアに目をつけるとは…。
 アイヴァンが、何を思ってランドール殿に攻撃を仕掛けたのかは私にも判らん。
 全く余計な事をしてくれた。アマリアにも怪我をさせたと言うではないか。
 帰国したアンジェリカは、アマリアの瞳の話をして、あの娘が欲しい、と私に訴えた。
 その話を聞いて、アマリアがエミリアの娘である確信が持てた。
 赤い髪の者はいる。赤い瞳の者もいる。だが、赤い髪に赤い瞳は、ハンナ一族以外に聞いた事がない。
 その上、赤い瞳に紫が混ざっているのは、極めて珍しいと言えるだろう。
 チートス王家で言う「宝石の瞳」は、王家の血に連なる者だけに現れる特徴なのだ。
 宝石の瞳は、王の血を引く者に必ず出る特徴、と言う者と、出る可能性が高い特徴、と言う者に分かれていてな。
 宝石の瞳を持たない王の子は、「本当に王の子なのか」と疑われながらも、「絶対に王の子ではない」と言われるわけでもない、針の筵に座らされているようなものなのだ。
 父の子は、私とエミリアを含めて十五人いたが、そのうち、宝石の瞳だったのは、私とエミリア二人のみだ。
 父が、多くの女性に手を出していながらも、オリヴィア以外が孕まなかった事を思うと…宝石の瞳が、王の子に必ず出る特徴、と言うのはあながち間違いでもないのではないかと思える。
 そして、側室達の子が宝石の瞳を持たぬからこそ、父は多くの女性に手を出したのではないか、とな。
 私の子は十一人だが、そのうち、宝石の瞳を持つのは、王太子ローワン、アンジェリカの他に三人だ。
 半数以上の者が、宝石の瞳を持たぬ「疑わしい子」だが、絶対に私の子ではない、と言い切れないのだから、子の母を糾弾する事も出来ない。
 正妃の子は全員、宝石の瞳を持つのが、救いと言えなくもない。
 だが、確実に言えるのは、宝石の瞳は王の子にしか現れない、と言う事だ。
 だからこそ、側室達は、オリヴィアを使用人として扱いながらも、エミリアが王の子であると認めざるを得なかった。
 …私は、唯一同じ特徴を継いだ妹を、護ると約束した唯一人の妹を、護ってやる事が出来なかった。
 国王と言う身分になれば、何でも思うように出来ると思っていたが、結局は、妹一人、見つけ出してやる事が出来なかった。
 漸く、手掛かりを見つけ出したと思った時には、亡くなって二十年以上が経過していた…。
 その上、忘れ形見の娘の扱いを知って、エミリアが王宮にいた時の事を思い出して、無性に腹が立ってな。
 自らの不甲斐なさが、憤りに変わったのもあると思う。
 八つ当たりだな、許せとは言わんが、同じ女性を思う者として、判ってくれるのではないかと期待している。
 …トゥランジア伯爵。
 エミリアを、最期まで愛しんでくれて感謝する。
 妹の最期の言葉に、私も救われた。
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