獣人辺境伯と精霊に祝福された王女

緋田鞠

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 こうして、指定された夜会に、シャーロットは自分の存在に気づかれないよう、ヴェールで顔を隠して出席した。
 チョコレート色の髪色は然程珍しくないだろうが、明るいペリドットの瞳との組み合わせは、人々に容易にシャーロットの事を思い出させるだろう。
 例え、大々的に披露されずとも、末王女のシャーロットが成人の祝いに出席した、と、ハビエルが公表してくれれば、消去法的に、顔の判らないヴェールの娘がシャーロットであると知れよう。それで、王女としての役割を果たせると思っていた。
 だが、実際にはただ出席するだけの事も出来ず、足を挫いて、辺境伯の手を煩わせる事となったわけだが。
 ヴィンセントが医務室までシャーロットを連れて行くと、直ぐに診察しようと駆け寄ってきた医師が、相手が『祝福された姫』シャーロットである事に気づいて、躊躇した。
 彼は、実際に診察に訪れる事はないとは言え、シャーロットの主治医なのだ。
 シャーロット自身に、相手を祝福しようと言う気持ちがあろうがなかろうが、精霊達が彼女の精神状態に左右されるのは確かだから、忌避されるのは仕方ない、と、シャーロットは諦念を持って俯く。
「姫君。失礼ながら、私が御身に触れるお許しを頂けますか?」
「え…バーナディス辺境伯様?」
「長い事、戦地におりますので、多少の医療の心得はあるのです」
 シャーロットの足は挫いただけだから、しっかりと冷やして固定すれば問題ない。
「いえ…辺境伯様のお手を煩わせるわけには。自分で致しますので」
 塔から出ない身は怪我などした事がないから、うまく出来ないかもしれないが、呪われた体に触れさせてしまう事を思えば、大した事ではない。
 だが、椅子にそっとシャーロットを座らせると、ヴィンセントは目線で医師に、治療の為の道具を持って来させる。
「なかなか、包帯を自分で巻くのは難しいものなのですよ」
 話しながらヴィンセントは絹の手袋を外すと、跪いた己の膝にシャーロットの痛めた右足を乗せ、するっと彼女の靴を脱がせた。
 華奢なヒールに、アンクレットのような細い鎖をストラップにした靴は可愛らしいが、普段、柔らかな羊の革で作られた室内履きしか履いていないシャーロットには窮屈だ。
 ずきずきと痛む足首の他に、踵に出来た水疱が潰れたらしい。
 じわりと血が滲んでいるのを見て、ヴィンセントが眉を顰めた。
「靴擦れなさっていますね。反対の足も痛みますか」
 世間に疎いとは言え、シャーロットも年頃の娘だ。
 精悍な顔立ちの若い男性であるヴィンセントに足に触れられ、羞恥に頬を染める。
「バーナディス辺境伯様、どうぞ、お止め下さいませ。…祝福の影響がないとお聞きしても、心配なのです」
 彼の気持ちを不快にさせたくなくて、ヴィンセントに触れられるのが嫌なのではなく、己の呪いが影響を及ぼさないかが不安なのだ、との思いを滲ませると、ヴィンセントは微笑んだ。
「姫君は、お優しいのですね」
「いえ、そう言う事ではなく…」
 獣人族であれば祝福の影響を受けないのであれば、彼の背後に控えている部下に処置して貰うのではいけないのだろうか。
 そう思って、縋るようにロビン達に目を向けるが、彼らは複雑そうな顔をしているものの、ヴィンセントのする事に異議を唱えるつもりはないようだった。
「姫君。靴擦れの処置も致します。申し訳ないのですが、ストッキングを脱いで頂いても?」
 脹脛に靴下吊りで留めている絹のストッキング越しでは、靴擦れで擦り剥いた皮膚の手当ても、挫いた足首の手当ても出来ない。
 何を言っても、ヴィンセントの意思が変わらない事を悟って、シャーロットは諦めたように頷いた。
 礼儀正しく顔を背けるヴィンセントを伺いながら、シャーロットは少しだけ裾を捲って、ストッキングを固定していた留め具を外す。
「失礼致します」
 普段の生活で、絹のストッキングを穿く事などない。
 滑らかな肌触りのストッキングを、ヴィンセントの手で取り去られて、シャーロットは思わず吐息を零す。
 恐らく彼は、シャーロットを子供だと思っているから、このように触れるのだ。
 実際、世間知らずの十八歳であるシャーロットと、自身が爵位を持っているヴィンセントでは、年齢の差だけではなく、経験の差も大きく隔たっている。
 ヴィンセントはまず、両踵の潰れた水疱を消毒して、清潔な布を当てた。
 続いて、捻挫した足首にシャナの葉で作られた湿布を当て、包帯で丁寧に固定していく。
 ふわ、と、シャナの葉の爽やかな香りが漂った。
「…終わりました」
 ヴィンセントは、治療中、息を詰めていたのか、ふっと深く息を吐いた。
 シャーロットの小さな足を、両手で掬うようにして暫し見つめると、彼の瞳に、切なそうな色が浮かぶ。
「有難うございます、辺境伯様」
 礼を述べるシャーロットに、一拍遅れて、ゆっくりと彼の目が向けられた。
「…庭園を姫君が歩いた跡に、可憐な花が咲いた事を、昨日の事のように覚えております」
 シャーロットも、覚えている。
 まだ、塔の外を歩けていた頃。
 シャーロットが歩くと、芝生に足跡の形の小さな花畑が生まれた事を。
 父も母も姉達も、城の者が皆、シャーロットに嬉しそうな顔を見せてくれていた事を。
 あの頃が、一番、幸せだったのだと思う。
 何も怖い事などなかった。
 勿論、足跡に花が咲く事が、精霊の祝福によるものだと言う事も知らなかった。
 自分は、世界中から愛されているのだと、疑う事なく信じていた。
 けれど、あの日…あの、三歳の誕生パーティの日に、全てが一変した。
 パーティでの出来事は、殆ど覚えていない。
 余りの悲しみに記憶を消してしまったのだろうと、ローレは言っていた。
 僅かに覚えているのは、苦痛に歪む父の顔と、恐怖で青褪めた母の顔。
 化け物を見るような目で、こちらを見ていた大勢の大人達の顔。
 唯一の救いは、悲しみに押し潰されそうだったシャーロットの手を誰かが暖かな手で握り、自分の心を護る為に眠りに落ちたシャーロットを、優しく抱き上げてくれた事だ。
 記憶に残る最後に触れた手が、あの暖かな手で良かった、と思う。
 もうずっと…長い事、庭など歩いていない。
 今日だって、十五年振りに北の塔から出たものの、王宮まで真っ直ぐ脇目も振らずにやってきた。余所見をする余裕は、欠片もなかったのだ。
 柔らかな芝を踏む事など、当然なく、その足跡に咲く花もない。
「…昔の事ですわ」
 まだ十八なのに、シャーロットの全てを諦めきった声音に、ヴィンセントの鼈甲色の瞳が揺らぐ。
 何か言いたげに口を開いたが、それは音をなさないまま、唇を噛んだ。
「やはり、あの時…」
 小さく聞こえた声に、シャーロットが顔を上げると、誤魔化すように微笑まれる。
「姫君」
 ヴィンセントの大きく暖かな手が、自分の足に恭しく添えられたままなのに気づいて、シャーロットは戸惑うように視線を揺らした。
「変わらぬ忠誠を」
 そう言うと、ヴィンセントはそっと、シャーロットの痛めていない左足の甲に、触れるだけの口づけを贈る。
 それは、騎士があるじに誓う誓約の口づけに似ていた。
 驚いたシャーロットが足を引くと、ヴィンセントは逆らわずに手を離す。
「広間にお戻りになりますか?」
「…いいえ。お父様にお会い出来ましたから…わたくしのお役目は果たした事と思います」
「では、お部屋にお戻りになりますか?」
「えぇ、そうしようかと」
 問題は、部屋が塔の六階だと言う事だ。
 護衛の騎士が、塔の出入り口を一日中警護しているが、彼らとシャーロットが個人的に言葉を交わした事はおろか、顔を合わせた事もない。
 頼んだ所で、シャーロットを部屋まで連れて行ってくれるかは、不明だ。
 医務室の医師の反応を見る限り、祝福を恐れて、躊躇される事は想像に難くない。
 もう夜会に顔を出したのだから、階段を這いずるように上ってドレスが傷んでも、仕方がないと思うしかない。
 どうせ、二度と日の目を見る事のないドレスなのだから。
「では、私がお送りしましょう」
「これ以上のご迷惑をお掛けするわけには参りません」
「姫君のなさる事で、私が迷惑に感じるものなど、ありませんよ」
 躊躇したものの、幾ら固定されたとは言え、痛めた足で塔まで戻れる自信のなかったシャーロットは、ヴィンセントの言葉に甘える事にした。
 ロビン達、獣人族の従者の視線が痛いが、背に腹は代えられない。
 先程と同じように、ヴィンセントは軽々とシャーロットを抱き上げる。
 シャーロットの下半身を掬うようにして左腕に乗せると、彼女を驚かせないようにゆっくりと立ち上がった。
「治療に手を貸して下さって有難う」
 手を出しあぐねてウロウロしていた医師にシャーロットが告げるのを聞いて、ヴィンセントの顔に笑みが浮かぶ。
「医師殿、快く場をお貸し頂いた事に感謝します」
 何も出来ずにいた医師は、その言葉に、泣きそうな顔で頷いた。



 ヴィンセントは、王宮の中を、真っ直ぐに北の塔まで向かっていった。
 北の塔は、王宮内で最も高い建物の為、敷地内の何処からでも見る事が出来るが、その分、正確な位置が測りづらい。
 道案内が必要かと思っていたシャーロットは、迷いのないヴィンセントの足取りに、口を噤む。
「…バーナディス辺境伯様は、北の塔をご存知なのですね」
「伺った事はございませんが。我々は、人族よりも地形の把握に長けているのです」
 そんなものか、と、シャーロットは頷く。
 塔の下まで辿り着くと、大きな体躯のヴィンセントに抱えられてきたシャーロットを見て、護衛の騎士達が目を見開いた。
「王女殿下…このお方は…」
 騎士達が、シャーロットと顔を合わせる事はない。
 ただ、夜会に参加する為、部屋で着替えて外に出た彼女の姿をほんの一時間前に見た事があるだけだ。
 ヴェールを掛けているから、顔ではなく、服装で判断しているのだろう。
「私は、ヴィンセント・バーナディス。ノーハンをお預かりしている辺境伯です。この場の責任者の方は、いらっしゃいますか?」
 服装から獣人族である事は推測していただろうが、獣人族の中で最も位の高い辺境伯と知って、慌てふためく騎士に、ヴィンセントは慇懃に尋ねる。
「はっ、私であります。北翼部隊第二隊長ロベルト・ワイルズです」
 ピシッと右の拳を左胸に当てて敬礼する騎士の顔を、シャーロットはまじまじと見つめた。
 彼の名と声には聞き覚えがある。
 麦わらのような明るい茶色の髪に、黒にも見える紺色の瞳のロベルトは、派手さはないが整った顔立ちをしている。
 鍛錬を欠かさないのだろう厚い胸板に、実直そうな人柄の現れた敬礼の姿勢が眩しい。
「ワイルズ隊長殿。姫君は足首を痛められ、ご自身で歩く事が出来ません。姫君を、お部屋までお連れ出来る方はいらっしゃいませんか」
 ロベルトの背後で、一般騎士達が顔を見合わせた。
「申し訳ございません、バーナディス辺境伯様。我々の任務は、北の塔の護衛であり、侵入者の排除であります。王女殿下のお体に触れる許しを得ていないのです」
 ヴィンセントは、落胆した様子も見せずに頷く。
「そうでしょうね。ご無理を申し上げました」
「いいえ。お役に立てずに申し訳ございません」
 彼らの会話を聞きながら、シャーロットは、六階までの階段を自力で上る決意を固める。
「バーナディス辺境伯様。送って頂き、感謝致します。ここからは、わたくしが…」
「ご無理をなさってはいけませんよ。大切なお体なのですから。ワイルズ隊長殿、私は陛下のご許可を受けて、姫君の介添えをしております。姫君をお部屋までお連れしてもよろしいですか」
 ロベルトは、躊躇う様子を見せた。
 北の塔の護衛に任じられている北翼部隊であっても、塔の内部に入る事はない。
 塔に出入りしているのは、唯一、王女付き侍女であるカーラだけだ。
 だが、それは他にシャーロットの傍に侍る者がいないからであって、カーラしか許可されていないと言うわけではない。
 北翼部隊に命じられているのは、不審者を塔に近づけない、この一点のみ。
 ロベルトは暫し考えた後、シャーロットが自身で歩く意思を見せている上に、自分達がシャーロットを連れて行く事が出来ない現状では、他に選択肢がないと思ったのだろう。
「バーナディス辺境伯様。それでは、王女殿下をお連れ頂けますでしょうか。お付きの皆様は、失礼ながら、我々と共に塔の外に留まって頂けるようお願い致します」
 ロビンは不満気な顔をしたが、ヴィンセントの目線を受けて、渋々と頷く。
 騎士が守っている塔の扉が、ロベルトの指示の元、ゆっくりと開かれた。
「王女殿下。カーラ殿は現在、控えの間にお戻りです。只今、呼び出しの者を向かわせますので、暫しお部屋でお待ち下さい」
 ロベルトの言葉に、シャーロットは振り返った。
「…それには及びません。カーラに夜間の勤務はないのですから。わたくしの事はお気になさらず、皆様は務めて下さい」
「ですが…」
「よいのです。わたくしは、自分の事は自分で出来ますもの」
 やんわりと、だが確かな拒絶に、ロベルトは口を噤む。
 カーラの時間を使わせたくない、と言う気持ちも確かだろうが、そこに、『一人になりたい』との気持ちも感じたからだ。
「…承知致しました」
 黙ったまま、シャーロットとロベルトのやり取りを見ていたヴィンセントが、シャーロットに確認する。
「お連れしてもよろしいですか」
「はい。お手数ですが、よろしくお願い致します」
 北の塔の内部は、暗かった。
 所々、心許ない篝火が掲げられており、その灯りのせいで、却って闇が深く見える。
 表面を滑らかに削られた石が隙間なく積み上げられた塔は、外壁に添って螺旋状に階段があり、中心部分に小部屋が作られている。
 現在は、六階以外は無人で、シャーロット付き侍女であるカーラも、この塔に住んでいるわけではない。
 大柄なヴィンセントには窮屈だろう狭い階段を、彼はシャーロットの体を庇うように抱え直して無言で上っていく。
 シャーロットの居室がある六階が最上階で、階段を登り切った先から部屋となっていた。
 扉はなく、厠以外に部屋の仕切りもない。
 その代わり、下の階にはない窓が開いている。
 頭を出すのが精一杯の小さな窓には硝子もなく、虫除けの為に目の細かいレースのカーテンが留められていた。
 窓際に小振りの文机と椅子、必要最低限の衣類しか入らないクローゼット、本がぎっしりと詰められた小さな書棚、布張りの衝立の裏に簡素な寝台。
 衝立と言っても、長身のヴィンセントであれば、上から覗けてしまう。
 それだけが、王女であるシャーロットの持ち物だった。
 ヴィンセントは、顔を動かさずとも全てを把握出来る小さな小さな部屋を見て、ぐ、と息を飲んだようだった。
「バーナディス辺境伯様。この度は、大変なお手数をお掛け致しました」
 立ち竦んだヴィンセントに、シャーロットが落ち着いた声を掛ける。
「…姫君は…こちらのお部屋で十五年、過ごされていたのですか」
 低いヴィンセントの声に、シャーロットは頷いた。
「えぇ。北の塔の他のお部屋に比べれば、風も通りますし、日も入りますし、快適なのですよ」
 この部屋の広さでは、体を動かす事はおろか、立ち歩く事すら出来ない。
 抱きかかえているシャーロットの足の細さと体の薄さを思い出して、ヴィンセントが眉根を寄せる。
 シャーロットが精霊に祝福された姫だと言うのならば、この状態を、何故、精霊が認めているのか。
「…さようですか」
 しかし、ヴィンセントは、シャーロットの言葉を否定せず、ただ頷く。
 王家のする事に、口を挟める立場ではない事を、彼は十分、理解していた。
「申し訳ございません、椅子に下ろして頂けますか?」
 おずおずとシャーロットが口を開くと、ヴィンセントは、自分がシャーロットを抱えたままだった事に漸く気が付く。
「大変失礼致しました。姫君が羽根のように軽いので、忘れておりました」
 冗談めかした言葉に、シャーロットの頬が僅かに上がった。
 そして、慌てたようにその笑みを消す。
 シャーロットの様子に気づいていながらも、ヴィンセントは何も言わず、文机の前に置かれた椅子に、そっとシャーロットを座らせた。
「足首の痛みはいかがですか」
「先程よりは、落ち着いているように思います」
「ご無理はなさらずに。シャナの葉は乾燥すると効果が失われますので、湿布を一日に二度は交換し、同じように包帯で固定なさるとよいでしょう」
「はい、そのように致します」
 シャーロットは素直に頷いてから、苦し気に言葉を続ける。
「北翼部隊の皆さんにも、悪い事をしてしまいました。きっと今頃、混乱が落ち着いて、辺境伯様にお願いしてしまった事の是非を話し合っている事でしょう。…わたくしと顔を合わせるだけでも、彼等には負担が大きいのに、申し訳ない事をしました…」
 シャーロットは、夜会の為に部屋で着飾って、慣れないヒールのついた靴で、ゆっくりゆっくり壁に縋りながら階段を降り、カーラの手で扉が開けられた時の事をはっきりと記憶している。
 普段、扉から出入りするのはカーラのみ。
 そのカーラを従えて出て来たシャーロットを見て、明らかに背筋を強張らせ、脅えた表情を浮かべた騎士が大勢いた。
 彼らの間に、十五年前の出来事がどう伝わっているのかは判らない。
 けれど、どう伝わっていたとしても、「触れた体が炭になる」のも「黄金になる」のも、恐ろしい事に変わりはない。
「…姫君。今宵は、お会い出来て光栄でした」
 自分の思いに耽っていたシャーロットは、ヴィンセントの言葉にハッと顔を上げる。
「わたくしこそ、バーナディス辺境伯様がいらっしゃらなければ、今頃、どうなっていたか…何から何まで、有難うございました」
 王家の人間が、家臣に簡単に礼を言うなど、止められる事だ。
 だが、シャーロットは王女としての教育を受けていないからか、「人としてこうあって欲しい」と言う乳母の教育によるものか、謝礼を述べる事に一切の躊躇がない。
「…本来でしたら、王女の身分にある者は、身を護って下さった方に、褒賞を与えるべきなのだそうです。ですが…お恥ずかしながら、わたくしは、バーナディス辺境伯様にお渡し出来るものを、何も持っていなくて」
 言葉だけではなく恥ずかしそうに部屋を見回して、律儀に頭を下げるシャーロットに、ヴィンセントはくすりと笑みを零した。
「そのような物は不要…と言いたい所ですが、では、姫君のご尊顔を拝謁する栄誉を賜れますか?」
「え…そのような事でよろしいのですか」
 シャーロットがヴェールを被っていたのは、夜会の場で、不要に騒ぎ立てられないようにする為、不躾な視線を直接目の当たりにしたくなかった為だ。
 今更、最初から、彼女がシャーロット王女本人であると気づいていたヴィンセントに隠しておく必要はない。
 シャーロットが、ヴェールを固定していた髪飾りを外すと、ペリドットの明るい緑の瞳が現れる。
 暗い室内でも潤んだような光を放つ大きな瞳に、つんとした小さな鼻、薔薇の蕾のようにふっくらした赤い唇。
 それらが、綺麗な卵型の小さな顔に、バランスよく収まっている。
 十八の年齢にしては、些か幼い容姿だろう。
 日の光に当たらないせいで、色は抜けるように白い。
 ほつれたチョコレート色の巻き毛が、首筋に張り付いているのが妙に艶めかしかった。
 ヴェールを外して、遮るもののないまま、シャーロットは瞬きして、ヴィンセントにぎこちなく微笑みかける。
「改めまして、シャーロット・アナムルズでございます。どうぞ、シャーロットとお呼び下さい、バーナディス辺境伯様」
 ヴィンセントはシャーロットの前に跪くと、彼女の右手を壊れ物に触れるかのように恭しく持ち上げた。
 また、口づけを受けるのではないか。
 貴族の挨拶として、唇を触れさせる振りだけする、と言う知識はあるが、社交界に出るどころか、両親や従者との接触すらないシャーロットは、ヴィンセントの手の熱に動揺を隠せない。
 先程、足の甲に触れられた時は、何も想像していなかったから、驚いている間に嵐のように過ぎ去った。
 けれど、今は違う。先程、何をされたのか鮮明に記憶しているだけに、覚えず、指先が小さく震えてしまう。
 シャーロットの震えに気づいたヴィンセントは、安心させるように、にこりと微笑むと、そっとシャーロットの手を離した。
「御名をお許し頂き、光栄です…シャーロット様は、十五年前とお変わりなく愛らしい。再び、お会い出来た事に感謝致します」
「バーナディス辺境伯様…」
 離れた熱に、隙間風が吹くような寂しさを覚えて、シャーロットは戸惑う。
 触れられるのは怖い筈なのに、離れていくのも怖いだなんて。
「シャーロット様。お名残り惜しいですが、ご婦人の部屋にいつまでも滞在する事は許されません。私はここで失礼致します」
「…はい、バーナディス辺境伯様。有難うございました」
 再会を望む言葉は、互いになかった。
 優雅に一礼して、部屋を去るヴィンセントの後姿が消えても、シャーロットは暫く、階段を見つめ続けていた。
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