獣人辺境伯と精霊に祝福された王女

緋田鞠

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***

 シャーロット・アナムルズ。
 マハト国王ハビエルと、王妃アナリーゼの第十二王女として、彼女は生を受けた。
 ハビエルとアナリーゼには、王女ばかりが十一人生まれていた。
 アナリーゼの年齢もあり、最後の子供になるだろうと思われたシャーロットの妊娠中、国王夫妻は、どうにか王子を授けて欲しい、と、祈り続けたと言う。
 マハト王国に、国教はない。
 森羅万象全てに精霊が宿ると言う精霊信仰が広く信じられており、国王夫妻もまた、精霊に願ったのだった。
 これまでの十一人の王女を妊娠中にも、同様に願っていたが、願った回数も願いの強さも比ではない。
 だが…生まれたのは、シャーロット。
 またしても姫が生まれた事に、落胆しなかったわけではないが、こればかりは仕方ない、と受け入れた国王夫妻の元に、シャーロットの世話をしている乳母のローレから、
「不思議な事が起きるのです」
と、報告があったのは、シャーロットが生後五か月を過ぎた頃だった。
「不思議な事とは、何なの?ローレ」
 ローレは、下級貴族の未亡人だった。
 二人目の子供を産んだ矢先、夫と生まれたばかりの娘を事故で失った彼女は、亡夫の親族に、男児がいない事を理由に家督を取り上げられ、家から追い出されてしまった。
 幼い上の娘を抱えて呆然としている所を、苦境を知ったアナリーゼに雇用されたのだ。
 夫と言う保護者を失ったらどうなるのか、想像出来ていなかった世間知らずな面はあるが、これまでのシャーロットへの接し方に、アナリーゼは何の不満もない。
 そのローレの困惑した様子に、アナリーゼは優しく声を掛けた。
「それが…」
 言葉を濁すローレに、
「今更、何が起きても驚かないわ。十二人の子供を授かった事も、その全員が姫である事も、そうそうない事よ。それ以上に驚く事なんて、なかなかないもの」
と笑うと、ローレは少し表情を緩めて、
「実は…」
と切り出した。
「私の気のせいだと思っていたのですが…どうも、姫様は精霊に好かれているようなのです」
「精霊に?」
 精霊は、自然物に宿る命。
 彼らは気ままな性格で、特定の人間を好む事は滅多にない。
「ある日、姫様の部屋に、庭師が花を持って来てくれました。長く楽しめるようにと、まだ蕾の多いものを」
「えぇ」
「ところが…一日もしないうちに、全てが満開に咲いてしまいました」
「暖かかったとか…日当たりが良かったとか…?」
「最初は、私もそう思っておりました。ですが、そんな事が幾度も続いて…ある時、見たのです」
「何を見たのかしら?」
 ローレは、こくり、と喉を鳴らす。
「姫様が…私の娘のカーラにあやされて、声を出して笑われた時でした。ポンポンポン、と続けざまに、蕾が花開いたのです」
 アナリーゼは、驚いて目を見開いた。
「まだまだ固くて、咲くには数日掛かるだろう蕾でした。それ以来、姫様のご機嫌と蕾の綻び具合を意識して見ているのですが…やはり、気のせいではなく、姫様がご機嫌にされていると、花が咲くのです」
「そう…」
 精霊が特定の人間を慕う事は、滅多にないとは言え、過去に同様の事例がなかったわけではない。
 だが、過去の記録は百年単位で昔の話の為、詳細は伝わっていない。
「精霊は気ままな存在だから、いつまでシャーロットの傍にいてくれるかは判らないけれど、精霊に好かれているのであれば、それは喜ばしい事だと思うわ」
 アナリーゼの言葉に、ローレは不安そうな顔をしつつも、頷く。
「さようですね…」
「でも、もしも何か変化があったら、教えてくれるかしら?」
「はい、王妃様」
 シャーロットは、精霊に愛されている。
 城の者がそれを目の当たりにするまでに、それから然程、時間は要らなかった。
 歩けるようになったシャーロットを連れて、ローレが庭を散歩した時の事。
 初めて、外を自分の足で好きに歩く事を許されたシャーロットは、大喜びで芝生の上を歩き回っていた。
 満面の笑みを浮かべ、とたとたと覚束ない足取りで、キャッキャと声を上げて歩くシャーロットの後ろを、いつでも支えられるように手を差し伸べながら歩いていたローレは、シャーロットの足跡に、花が咲いている事に気づいた。
 シャーロットが歩を進める度に、足跡に色鮮やかな花が咲く。
 丁寧に手入れされた芝生に、点々と花の道が出来ていく。
「奇跡だわ…」
 美しい光景を見て、アナリーゼと姉王女達は喜んだ。
 シャーロットが笑い、喜びと共に歩を進めると、花が咲く。
 その姿を見て喜ぶ母と姉達の姿を見て、シャーロットは更に喜ぶ。
 『精霊に祝福された姫』として、シャーロットの名は、実しやかに貴族達の話題に上がるようになっていった。
 シャーロットが二歳を過ぎた頃。
 シャーロットは、チョコレート色の巻き毛に、ペリドットのような明るい緑の瞳を持つ可愛らしい幼女へと成長していた。
 絹糸のように細い髪は梳るだけで艶々と輝き、緑の瞳は潤んだような光を放っている。
 その姿の愛らしさと、精霊に祝福された奇跡から、シャーロットの周囲には、人が絶えない。
 人々の愛情を一身に受けて、益々幸せに満ちたシャーロットに、新たな祝福が齎された。
 彼女が喜びの涙を流すと、涙が宝石へと転じるのだ。
 瞳から零れた時には確かに透明な液体だった筈が、薔薇色のふっくらした頬を転げ落ちる間に、色とりどりの小さな宝石へと変化する。
 まだまだ幼い二歳の王女は、眠くなっても泣くし、空腹を覚えても泣くものだ。しかし、悲しみの涙は宝石になる事はない。
 漸く自我の芽生え始めた年齢のシャーロットが嬉し涙を流す事など、滅多にあるものではないが、人々の注目はそこには集まらなかった。
 宝石を生み出す姫、と言う話題の衝撃の前には、嬉し涙かどうかといった問題は、些事に過ぎない。
 マハト王国は豊かな国だが、彼らにしてみても、無から生み出される宝石は心を奪われるものだったのだ。
 そして、三歳の誕生日。
 初めて、シャーロットが貴族の前に披露される事となった。
 マハト王国では、三歳の誕生日を迎えるまでは、子供は皆、精霊の子。
 三歳を過ぎて初めて、人の子として認められる。
 医療が未発達だった時代は、三歳を迎える前に亡くなる子が多かった為、幼くして亡くなった子は、精霊の世界に帰ったのだろう、と言われていた。
 王族の慣習で、国内の主たる貴族を招いた誕生パーティが王宮で催される事となり、ハビエルとアナリーゼは一抹の不安を胸に抱いていた。
 シャーロットが精霊の祝福を受けた姫である事は、王族が声高に喧伝したわけでもないのに、既に貴族の間で常識となっている。
 問題なのは、祝福の中身だ。
 喜べば、花が咲く。
 その程度のものであれば、微笑ましく見るだけでいいだろう。
 これが市井の娘であれば、見世物になる危険性もあるが、シャーロットは王女だ。
 だがしかし、シャーロットの涙が宝石に転じると言う噂が、既に広まってしまっている。
 条件として、「嬉し涙を流した時」とつくのだが、噂は噂だ。正確な話が広まっているとは思えない。
 つまりは、痛めつけられて流す苦痛の涙でも宝石になると思われていれば、金の卵を産む雌鶏として扱われる危険性があるのだ。
 三歳までは、精霊の子。
 人の子となった時期に、祝福が失われる可能性に賭けていたものの、その気配はない。
 なんだかんだと理由をつけて、披露目を先延ばしにしていたが、いつまでも躱せるものでもなかった。
 ハビエルは熟慮した結果、十分な護衛を配置して、シャーロットのお披露目パーティを開く決断を下す。
 場所は、王宮の中庭に面した広間。
 後継者となる可能性が高い王子のお披露目には、国内の貴族がこぞって参加するものだが、王女のお披露目では、年齢の近い息子を持つ高位貴族の参加が殆どだった。
 将来の婚約者候補として、顔を売る事が目的なので、上の王女達の時には然程の人数にはならず、会場全体に目を配る事が出来た。
 だが、噂の祝福された姫を見ようと言う野次馬根性からなのか、シャーロットのお披露目パーティに参加希望する者は、想定以上に多くなってしまった。
 シャーロットが祝福された姫である事を殊更に言い立てるつもりはないが、祝福が目的で参加する者は、何も奇跡を見ずには帰らないだろう。そう考えて、中庭を解放し、さり気なく護衛騎士を立てる。
 招待客の相手をしなくてはいけないハビエルとアナリーゼの代わりに、シャーロットには乳母のローレをつけて、会場内を自由に歩かせる事にした。
 可愛いドレスを着て、美味しいお菓子を食べて、大満足のシャーロットがにこにこしながら歩けば、花が咲く奇跡を多くの者が目にするだろう、との目算があったからだ。
 ――…そして、事件は起こった。
 シャーロットは、綺麗なピンクのひらひらしたドレスを着て、大喜びで会場を歩いていた。
 薔薇色の頬に、好奇心で輝く大きな緑の瞳、チョコレート色の巻き毛が、くるくると彼女の背を彩っている。
 少女の愛らしさに、『祝福された姫』と言う以上の微笑ましさを感じて、招待客は頬を緩めた。
 会場には、常よりも多くの花が飾られている。
 そのどれもがまだ固い蕾である事に首を捻っていた招待客達は、傍をシャーロットが通りかかった時にその理由を知るのだ。
「あじめまちて!ろってです!きょおは、ぱーてぃにきてくえてあいがとじゃいまちた!」
 まだまだ回らない口で、ちょこんとお辞儀したシャーロットがにこりと微笑むと、固い蕾がぽぽぽんと弾けて満開の花を咲かせる。
 その様を目の前で見た招待客は息を飲み、
「これが、精霊の祝福…」
と、感動の溜息を吐いた。
 ご機嫌なシャーロットは、大勢の招待客一人一人に名乗り、挨拶し、その祝福を余す事なく、披露する。
 広間での挨拶を終えると、シャーロットは元気よく、中庭へと向かった。
 うきうきと踊るような足取りを、花の足跡が追っていく。
 その時だった。
「…本物の祝福か…」
 招待客の一人が小さく呟くと、何の予備動作もなく、す、と、すれ違うシャーロットの腕を掴む。
 そのまま、流れるように抱きかかえ、思い切り駆け出した。
「やぁぁぁ…っ!」
 躊躇ない動きに唖然とした他の招待客達は、一歩も動けない。
 その姿も目に入らないまま、シャーロットから三歩程離れていた乳母のローレ、少し離れた位置にいた護衛騎士が、慌てて男を追った。
 だが、大勢の招待客の合間を縫うように走る男を、なかなか捕らえる事が出来ない。
 何しろ、男の腕には、シャーロットが抱えられているのだ。下手に手出しして、シャーロットを盾にされては困る。
「あなしてよぉ!ろってはまだ、ぱーてぃいるのぉ!」
 シャーロットは、自分が拉致されようとしている事に気づいていない。
 初めて出席出来たパーティを楽しみ、本人なりに招待客をもてなしているつもりだったのに、突然連れ出されて、怒っていた。
「やらぁってばぁ!」
 ひと際強く、シャーロットが叫んだその時。
 苛立った男が、シャーロットの口を片手で塞いだ。
 シャーロットの顔に、初めて恐怖が浮かぶ。
 このように手荒に扱われた事など、生まれてこの方、ないのだ。
「あぁぁっ」
 手のひらで強く押さえつけられて、シャーロットのくぐもった苦鳴が漏れる。
「ぐ…っ」
 突然。
 男が低く唸ったかと思うと、失速した。
 シャーロットの口を塞いでいた右腕を、左手で押さえてしゃがみ込んだ隙に、シャーロットはその腕から逃れる。
「シャーロット!」
 男への憤怒の余り、顔を真っ赤にして駆け寄るハビエルを見て、シャーロットは泣きながら微笑み、いつものように、彼の左足に飛びついた。
「ととたま!」
 零れ落ちる涙が宝石に変わるのを驚愕と共に見ていた人々は、ハビエルの顔色が一瞬にして青褪め、その額に脂汗が浮かんでいる事に気づいて慌てふためく。
「陛下?!」
「シャーロット…少し、離れておくれ」
 ハビエルに乞われたシャーロットは、口を尖らせて不満を表明した。
「やっ!」
「シャーロット、離れなさい」
 たった今、恐怖に襲われたばかりの幼い娘に対して掛ける言葉として、相応しいとは思えない。
 いつになく厳しい言葉に、シャーロットが、恐々と抱き着いていたハビエルの左足から一歩下がる姿を見て、追いついたアナリーゼが、両手を広げた。
「シャーロット、こちらにいらっしゃい」
「かかたま…」
「ならん、アナリーゼ」
 ハビエルの強張った声に、アナリーゼが愕然として顔を上げる。
「陛下…?」
「シャーロットに、触れては、いけない」
 脂汗を垂らすハビエルの体が、ドサリと芝生に倒れ込むのを見て、悲鳴が上がった。
 そのまま、はくはくと荒く息をする姿に、近くに立っていた黒い衣服に黒いスカーフを頭に巻いた招待客が、
「陛下、緊急時ですので、失礼致します」
と、おもむろに彼のトラウザーズの左足の裾をまくる。
「これは…」
 ハビエルの左足が、眩いばかりの黄金色に輝いている。
 そっと、黒衣の男性が黄金の皮膚に触れると、そこは人間の肌とは思えない硬質な手触りを返した。
「何て事だ…」
 芝生の上に転がる色とりどりの宝石が、太陽の光を反射してきらきら輝く。
 ハビエルの足もまた、純金の輝きを放っている。
 目には艶やかな光景の筈なのに、何処か寒々しい。
 黒衣の男性は、ハッとしたように黄金に変じた足を隠したが、既に、多くの招待客の目に晒された後だ。
 トラウザーズの上から、固い左足に触れる。
「陛下、私が御身に触れているのが判りますか」
「…いや、判らん…左足の感触がない…」
「痛みは」
「先程まで、体が自分のものではなくなったような違和感と吐き気があったが、今は落ち着いた」
「さようですか…」
「…これをどう見る、バーナディス辺境伯」
 ハビエルは、己の足を検分してくれた黒衣の男性貴族――人族よりも精霊に近いと言われる獣人族であり、マハト王国唯一の獣人貴族であるザイオン・バーナディスに、静かに問うた。
「…姫君の、祝福のお力かと」
「であろうな…」
 ハビエルが、深く息を吐く。
 その言葉を聞いて、アナリーゼが怯えたようにシャーロットを見遣り、母であるアナリーゼの反応に、周囲の貴族が慄いた視線をシャーロットに向ける。
 大人達がこれまで彼女に向けていた好意的な視線ではなく、脅え、恐れ…そのような視線を向ける事に、シャーロットは、何が起きたか判らないながらも、敏感に反応した。
 突然の周囲の態度の変化に戸惑い、縋るように視線を向けたアナリーゼが、びくりと肩を震わせて視線を逸らすのを見て、シャーロットの大きな瞳から再び涙が零れる。
 その涙は、宝石には変化せず、ただピンクのドレスを濡らしていった。
 自らのスカートを掴むシャーロットの手が、小刻みに震えている。
「ヴィンセント」
 ザイオンは、傍に控えていた息子の名を呼んだ。
 彼もまた、黒一色の衣装を纏い、黒いスカーフを頭に巻いている。
 青年と呼ぶには幼く、少年と呼ぶには線の鋭い頬は、彼が現在、正に成長の途上にある事を示している。
「はい、父上」
「姫君を、安全な場所へ。乳母殿、案内をお願い出来ますか」
「は、はい」
 恐る恐るシャーロットに近づくローレとは異なり、ヴィンセントは、躊躇なくシャーロットに手を差し伸べた。
「姫様、お手をお貸し下さいませ。お部屋まで、私とご一緒して頂けますか」
「…ろってはもぉ、おへやなの?」
「姫様は、大勢のお客様にとても上手にご挨拶なさいましたからね。もうお昼寝の時間ではありませんか?」
「ろって、まらねむく…ふぁ、いもん」
 言いながらも欠伸をして、目元をこするシャーロットに、ヴィンセントはにこりと微笑む。
 鼈甲色の瞳が細められ、成人を間近に控えた年頃の彼を、年齢相応に見せた。
「おや、欠伸をなさっておいでですね。このままでは、お庭で眠ってしまわれるかもしれませんよ?」
「えぇ~?ろって、くましゃんとねる…」
「では、お部屋までお連れしましょうね。手を繋いでいきましょう。もしも、途中で眠くなったら、ご遠慮なく仰って下さい。私が、抱っこして差し上げます」
「うん…」
 緊張から解放されたからなのか、突然態度の変わった大人達に対する防衛本能なのか、明らかに睡魔に襲われているシャーロットを優しく促して、ヴィンセントはシャーロットの小さな手をそっと繋ぐと、固唾を飲んで見守る人々の視線に気づかない顔で、中庭を去った。
「…そなたの息子は、幾つになったのだったか」
 その様子を見ていたハビエルが、ザイオンに問う。
「ヴィンセントは、もう直ぐ十五になります。成人に向けて、領政の現場に連れていく機会も増えました」
「実に鮮やかな手腕だった。十五とは思えん豪胆さだな。…誠に、そなた達には精霊の祝福の影響はないのか」
「…そう伝えられている、と言う他、ございませんな。何せ、姫君の前に祝福を受けた者は、随分と昔。我が身で試したわけではございません」
 シャーロットと入れ違いになるように、取り押さえられていた誘拐犯が、ハビエルの前に引き立てられて来た。
 男は右腕を押さえて苦悶の声を漏らし、抵抗する気力を失っている。
「何と言う事だ…」
 男が押さえる右腕を確認したザイオンが、思わず声を漏らした。
 男の腕は、肘から先が山火事に遭った木々の枝のように、真っ黒に炭化していたのだ。
 予備知識なく見せられたら、男が過去に悲惨な火傷を負ったのだと思う事だろう。
 だが先程まで、三歳児とは言え、人を抱きかかえ、その口を塞ぐ事が出来ていたのだから、これは過去の火事による怪我などではない。
 推測されるのは、シャーロットが感じた恐怖を、精霊が男の身に『祝福』したのだろう、と言う事だけだ。
 そして、解放された喜びが『祝福』となり、抱き着いたハビエルの足を黄金に変えたのだ。
「皆の者」
 ザイオンの手を借りて立ち上がったハビエルの声は、決して大きくはなかったが、固唾を飲んで状況を見守っていた人々の間によく通った。
「我が娘シャーロットは、精霊の祝福を受けている。それは、事実だ。だが、そなた達も知っての通り、祝福を受けた者の数は少なく、実態には不明な点が多い」
 ここで一度言葉を切って、ゆっくりと睥睨する。
「シャーロットの身の安全が図れるようになるまで、表舞台に立たせる事はないし、シャーロットへの面会希望も認めない。婚約の打診も同じ事だ。今日のような事が起きるのは、想像に難くないのでな」
 幾人かの貴族が下を向いた。
 涙から宝石を生み出し、触れたものが黄金に変わる姫。
 富を生み出す姫と言う記号でシャーロットを見て、係累との婚約を望んでいた者達だろう。
 披露パーティ終了後、ハビエルは言葉通り、シャーロットの保護を最優先にした。
 彼女はこれまで住んでいた王宮の奥宮から、厳重な警備に守られた北の塔へと部屋を移す事になる。
 本来、北の塔は罪を犯した王族が終生幽閉される場であり、逃亡と拉致を防ぐ為の手立てが整っている場所だ。
 精霊の祝福が、失われるまで。
 そう考えて、簡易的な滞在場所として北の塔にシャーロットを移したハビエルだったが、シャーロットの祝福は、失われる事はなかった。
 マハト王国では精霊信仰が広く信じられているものの、宗教ではない為、系統立てて研究している者はいない。趣味で過去の文献を集めている者がいる程度で、詳細を知る者は存在しないのだ。
「シャーロット。精霊の声が聞こえても、耳を傾けてはいけないよ。精霊の世界に、連れて行かれてしまうかもしれないからね」
 ハビエルは、シャーロットに精霊と交流する事を禁じた。
 精霊と親しくすればする程、その祝福はシャーロットを案じて過激なものになるのではないか、と、危惧したからだ。
 精霊の祝福が失われないのであれば、シャーロットの意思である程度のコントロールが出来ないものか試みようとしたが、そもそも、精霊とは人に使役されえない存在。
 そのような存在を、どのようにコントロールすればよいのやら、検討もつかない。
 精霊の存在を無視するようにしてみたり、敢えて怒らせてシャーロットから興味を削ぐようにしてみたり、思いつくものはあれこれと試してみた。
 だが。
 何とかして娘を表舞台に戻したいと努力していたハビエルが、八方塞がりである事に気づくのに、そう時間は掛からなかった。
 最初は、少なくとも一か月に一度は面会していた国王夫妻の足が、末娘の元から遠のいていったのは、仕方のない事なのだろう。
 数か月に一度の訪れが、一年に一度になり…そして、いつしか、シャーロットはマハト王国の成人である十六を迎える。
 北の塔に「保護」されているシャーロットは、塔から出る事を許されていない。
 ハビエルは侍女をつけようとしたが、シャーロットの『祝福』を恐れて、侍女になる者がいない。
 国王命令で侍女に任命すると、その場で退職願を出す者が相次ぎ、侍女をつける事を断念した。
 仕方なく、三歳を迎えて乳母としての役割を終えたローレが、引き続き、シャーロットの世話につく事になった。
 シャーロットより四つ年長の、ローレの娘カーラも一緒だ。
 塔の中には十分な設備がない為、食事は王宮の厨房で作られたものを、ローレが塔の六階にあるシャーロットの居室まで運ぶ。
 お湯も同じ事で、厨房で沸かした湯を、六階まで運ぶ。
 ぐるぐると螺旋状に階段を上りながら重い湯を運ぶのは、女性の身には相当に負担が大きい。
 奥宮にいた頃、たっぷりの湯で入浴していたシャーロットは、次第に、温くなった湯で絞った布で体を清拭するだけの生活を送る事になった。
 本来であれば家庭教師について、王女に相応しい教養とマナーを教わるのだが、家庭教師もまた、『祝福』を恐れてシャーロットの指導についてくれない。
 ローレは貴族出身とは言え下位貴族だったので、基本的なマナーはともかく王族に相応しい教養を教える事は出来ず、ハビエルは代わりに本を与える事にした。
 シャーロットの世界は狭い。
 本で得た知識に、六階の部屋の窓に切り取られた世界。
 顔を見る相手と言えば、ローレとカーラのみ。
 一年に一度、塔の下を訪れる両親に、窓越しに頭を下げるだけ。言葉を交わす事も、いつしかなくなった。
 視力は悪くはない筈だが、遠すぎて、表情を確認する事など出来ない。
 幼い頃は、乳母であるローレが意識して、体を使う運動をさせてくれていたが、狭い部屋は運動するには向かず、体が成長してからは、立ち歩く事も滅多になくなった。
 日がな一日、椅子に座って、裁縫をするか何度も繰り返し読んだ本を読み返すか。
 王女らしい装いなどする事はなく、木綿の生地を自ら縫って衣服に仕立てる。
 自分が、マハト王国の末王女である知識はあるが、王族としての義務など、一つも果たしていない。
 それでも。
 十六を迎えた時には、もしかしたら塔から出られるかもしれない、と期待をした。
 マハト王国で成人を迎えた貴族の令息令嬢は、皆、王城で開かれる夜会に出席し、成人を祝うものだ、と本で読んだからだ。
 病気等の理由で遅れる者もいるが、おおよそ、十六から十八までに、成人の挨拶を国王にするのだと聞いた。
 …けれど、十六の年、父であるハビエルから、シャーロットが夜会に出席するよう命じられる事はなかった。
 シャーロットの日々は、平坦で変化がない。
 塔の周辺には常に護衛の騎士が詰めており、食事は念入りに毒見されて冷めている。
 恐怖に脅える事も、怒りに震える事もない代わりに、シャーロットは笑う事もなくなった。
 生まれた時からずっと、世話をしてくれたローレが亡くなった時も、悲しい、と思う気持ちはあっても、涙が出る事はなかった。
 ローレが塔にやって来る事がなくなり、風邪で臥せっている、と、十三の時に正式にシャーロット付きの侍女となったカーラから報告を受けていたが、それから一か月後、治療の甲斐なく亡くなった、と聞いても、実感が持てなかった。
 塔から出られないシャーロットは、葬式に出る事も出来ず、墓前に参る事も出来ない。
 カーラを疑いたかったわけではないが、ローレが亡くなったのが真実と確認する術もまた、なかったのだから。
「…カーラを信じてないわけじゃないのよ。でも、ローレがもういないだなんて、信じられないの」
「姫様…」
「ごめんなさい。長い事、ローレには世話になったのに、涙の一つも出ないなんて、薄情でしょう?」
「いいえ、決してそのような」
 シャーロットが生まれた時から傍にいるカーラだけが、シャーロットが唯一、会話の出来る相手だった。
「…ローレがこんなに早くに逝ってしまったのは、私のせいね…私の事が、心身共に負担だったのは、判るもの。本当にごめんなさい、カーラ…」
「姫様。確かに母は、姫様の事をご心配申し上げておりました。でも決して、それが原因となったわけではありません。…今、国内を、不穏な噂が流れているのですわ。それが負担となったのです」
「不穏な噂…?」
 シャーロットが首を傾げると、カーラは少し躊躇いながら、口を開いた。
「陛下には、王子がおありではありません。その為、王国の後継者争いが始まっていると噂されているのです」
「あぁ…」
 シャーロットの十一人いる姉は全員、既に嫁いで王宮を出ていると聞いた。
 一番上の姉とは二十四歳離れており、一番目から三番目の姉の第一子の方が、シャーロットよりも年上だ。
 三歳になるまで、精霊の子として外に出た事がないし、あの事件以来、塔の中にいるから、姉達の子供の名前どころか性別すら知らないが、王孫として、名が挙がっていると言う事なのだろうか。
「さようですね、姉姫様方のお子様で、後継に名乗りを上げてらっしゃる方もいらっしゃいます」
「と言う事は、他にもいらっしゃるの?」
「はい。陛下には男のご兄弟はいらっしゃいませんが、妹君のお子様ですとか、先王陛下の弟君のお子様ですとか」
 直系男子がいないだけに、王族の血が入っている者がこぞって、名乗りを上げているのだと言う。
「…それは…お父様も、大変でしょうね」
 何処か他人事なのは、本当に他人事だと思っているからだ。
 女の身であるシャーロットに、後継者争いが関係するとは思えなかった。
「姫様。姫様とも無関係なお話ではないのですよ」
 だから、カーラが困ったような顔をする事に驚く。
「どうして?」
「現在の所、陛下はご健勝でいらっしゃいます。けれど、母の事があるように、人の命は儚いものでございます。いつ、どのような形で、王位が受け渡されるか判りません。その時に、どの方が後継となるかで、姫様の扱いが変わる可能性があるのです」
「!」
 考えてもみなかった指摘を受けて、シャーロットは黙り込んだ。
 物心がついてからずっと、塔の中で生活してきた。
 十六を迎えても塔から出されないから、自分は死ぬまで、塔で生活するものだと思い込んでいた。
 だがそれは、あくまで、シャーロットの父が王位にあるからの話。
 次代の王の考え次第では、扱いが大きく変化する可能性は十分にある。
 何しろシャーロットは、何も生み出す事のない姫。
 王族でありながら公務を果たす事もなければ、貴族令嬢のように社交に勤しんで家の繋がりを作る事もなく、平民女性のように労働しているわけでもない。
「それは…確かに…」
「私はもう随分と、姫様の祝福を見ておりません。けれど、それは祝福が失われたと言う事と等しくはございませんでしょう。ある方は、『精霊に祝福された姫』として、他国に嫁入りなさり、縁を作る事こそ国益に叶う、と仰います。ある方は、姫様の為に神殿を建立して、そこで生涯お過ごし頂く事が、精霊と人の繋がりを示すよい方法である、と仰います。ある方は、国の礎を確固たるものとすべく、姫様を娶る、と仰います」
「何ですって」
 精霊の祝福を受けたこの身を、妻として望む者がいるとは思っていなかった。
 シャーロットの身を害そうとした誘拐犯に向けたように、悪意ある者のみに作用する祝福ならばまだいい。
 だが、喜びと共に触れた父の体を黄金に変えてしまった。
 精霊は気まぐれな存在であり、人と相容れる事はない。
 精霊の祝福は、祝福されているシャーロットの気持ちも周囲の状況も、全く慮られていない。
 夫婦と言う、手を触れずに済ませる事の出来ない関係に、望む者がいるとは思えなかった。
「…名目上の妻、と言う事ですわ」
「あぁ、そうよね」
 思わず納得してしまったが、カーラは憤りも露わに続ける。
「母は、姫様を…道具のように扱う声に、怒りを禁じえなかったのです」
「カーラ…有難う、怒ってくれて」
 祝福。
 この国の人々は、シャーロットに向けられた精霊の思い入れをそう呼ぶ。
 けれど、これは実質、呪いだ。
 呪いだからこそ、恐れられ、塔に封じられている。
 成人を迎え、その後の扱いを考えあぐねて、放置されている。
 次代の王の考え次第で、行き先が全く変わってしまう。
 だが、シャーロット自身では、自分の進む道を選ぶ事など、出来ないのだ。
 それから、二年。
 ハビエルは健在だが、後継者争いは日に日に激化していると聞く中、久し振りに、父から書簡が届いた。
「お父様からお手紙なんて、珍しいわね」
 カーラが恭しく捧げた書簡の封を、滅多に使わないペーパーナイフで切ると、シャーロットは早速読み進める。
「…何て事…」
「どうされましたか?姫様」
 青褪めたシャーロットの顔を、カーラが窺った。
「一か月後に王宮で開かれる夜会に、出席するようにと…」
 マハト王国では、十六から十八の間に、成人の報告の為に夜会に出席しなくてはいけない。
 シャーロットは十八歳。
 これ以上、引き延ばす事は出来ないと言う事だろうか。
 十五年の長きに渡って、塔に保護されているシャーロットだが、表舞台に立たないだけに、返って人々の記憶から、消える事がないらしい。
 彼らの中のシャーロットは、悲惨な十五年前の事件で止まっているのだから。
「一か月後ですって?まぁ、急いでドレスの手配をしなくては」
「ドレスは…王宮の方で仕立てて下さるそうよ。カーラに、採寸の報告に来るよう伝言が記されているわ」
 シャーロットは、落した視線の先に、己のチョコレート色の髪の毛先を見て、憂鬱そうに溜息を吐いた。
 シャーロットの髪は、緩く巻いた巻き毛だ。
 誰も彼女の体に触れてはならない為、自分自身の手で切っている髪は、巻いているお陰で多少不揃いでも目立ちにくい。
 しかし、ただ傷んだ毛先だけを整えているだけなので、王女に相応しい威厳等皆無である事を、誰よりも判っていた。
「えぇ、勿論、伺います。姫様のドレスですよ、楽しみですね」
 若い娘らしく、夜会に着るドレスの事を想像して頬を紅潮させたカーラが、不安そうなシャーロットの顔を見て、声を潜める。
「姫様…ご不安ですか…?」
「そうね…何が不安なのかも判らない位、何もかも不安だわ…」
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