獣人辺境伯と精霊に祝福された王女

緋田鞠

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***

 シャーロットが繭に籠って、何の変化もないまま、夜が明けた。
 固い地面に敷布を敷いただけで横たわっていたヴィンセントは、まんじりともせず、朝を迎える。
 ウィルヘルムの言葉を、繰り返し繰り返し、考えていた。
 領主としての自分は、間違った選択をしたとは思わない。
 けれど、シャーロットを愛する一人の男としては、間違っていたのだと、今では判っている。
 シャーロットが好意を向けてくれている事には、気が付いていたのに。
 それが、男女の間にある愛情だと自惚れるには、共に過ごす時間が足りなかった。
「この中に、シャーロットが?」
 不意に背後から話し掛けられて、ヴィンセントは、声を掛けられるまで人の接近に気づいていなかった自分に驚く。
 どれだけ、注意力散漫になっていると言うのだろう。
 こんな体たらくでは、シャーロットを守れない。
 だが、そんな焦燥を欠片も見せずに、頷いた。
「ウィルヘルムの目の前で、棘に飲まれた、と」
「そうかい」
 朝も早くから領主館に駆け付けたのは、マチルダだった。
 マチルダは薬師として、庭師のガレンとは異なる方面の植物に詳しい事から、ロビンかウィルヘルムが呼んだのだろう、と、ヴィンセントは考える。
「何の植物か、判るか?」
「そうだねぇ…随分と巨大化しているようだが、ミナドの棘に似ているように見えるね」
「ミナド?」 
 領兵を率いる身として、それなりに薬草にも精通している自負のあるヴィンセントでも、初めて聞く名前だった。
「そう一般的に馴染みのあるもんじゃない。何しろ、これは、肉体の傷を癒すわけでも、内腑の病を癒すわけでもないからね」
「それは…どう言う…」
「ミナドはね、心の傷を癒す薬になるんだよ」
「!」
 ヴィンセントは、大きく息を飲んだ。
 判っていた。
 判っていたつもりだったのに。
 自分の行動が、言動が、どれだけシャーロットの心を傷つけていたのかと、まざまざと思い知らされる。
 キュウ、と胸の奥が締め付けられるように痛んで、思わず右手で押さえた。
「シャーロットは…ウィルと話していて、こうなったと聞いた。すまなかったね」
「いや、ウィルヘルムには何の責もない。悪いのは、俺だ」
 ヴィンセントが悲壮な顔で眉を寄せるのを見て、マチルダが溜息を吐く。
「自分を責めて、周囲に断罪して貰えば、それで満足かい?そうじゃないだろ?あんたは、シャーロットを救いたいんじゃないのか」
「!それはっ」
 だが、手をこまねいているのは事実だ。
 ヴィンセントは、思わず反論しようとして、唇を噛んだ。
「…刃物で棘を除去しようとしても、次々と新しい棘が伸びて来て、内部の様子を覗く事すら出来ない。何か、他の方法が考えられるだろうか」
 ヴィンセントのその問いには答えず、マチルダはミナドについて説明する。
「ミナドは、刺を薬に加工するんだ。実際のミナドは、この棘の三分の一もない大きさだけどね。一つ一つ、丁寧に刺を取って、表皮を剥く。それを煎じて飲むと、傷ついて波立った心が穏やかになり、前を向く手助けになる。昔から、薬師の間では失恋に効く薬、と言われているね」
「失恋…」
 十五年に及ぶ塔での生活に、心を凍らせすり減らしたシャーロットを、優しく甘やかして、絶対の味方だと吹き込んで、寄りかかろうとする寸前に、突き放した。
 自分のした事は、そう言う事だ。
「精霊がミナドを選んだのは、シャーロットが深く傷ついた事と関係あるんだろうが…さて、どうすれば棘の繭から出て来るか」
 マチルダは言いながら、棘に手を伸ばす。
 冷静な薬師の目で観察している事に、ヴィンセントはホッとした。
 今の自分が、冷静さに欠けている事はよく判っている。
 パキ、と音がしたかと思ったら、マチルダの手の中には、刺が一つ、乗っていた。
 暫く様子を見ていても、刺が再生する気配も、棘が増殖する気配もない。
「ふむ…刺を取るだけなら、お咎めなし、か。見える範囲の刺を撤去するよ」
「判った」
 棘の繭は、丁度、シャーロットの身長の三分の二程の長さがある。
 恐らく、膝を抱えるように丸まった状態で、棘に巻かれたのだろう、と、ヴィンセントは考えていた。
 両端から、黙々と刺を撤去していくが、その間、繭に変化はない。
 一時間程して、表面の刺は、地面に接している部分以外、全て取り除く事が出来た。
「あたしは、これを薬にしてみよう。本当にミナドと同じものかどうかは、加工してみないと判らないからね」
 マチルダの言葉に、ヴィンセントは頷く。
「頼む」
 それから、棘ではなく蔓に覆われたような状態の繭を、改めてじっと見つめた。
「加工には時間が掛かるよ。あんたはこれから、どうする?」
「…シャーロットの、傍にいる」
「そうかい」
 マチルダは、それ以上、何も言わずに天幕を後にする。
 ヴィンセントは、改めて地面に横たわり、刺を撤去した事で触れても怪我をする事のなくなった繭に、そっと腕を伸ばした。
 添い寝するように緑の繭に腕を回すと、目を閉じる。



 戦場では、不眠不休のまま、活動する事も少なくないが、戦いの場での興奮状態と、今の心的負担は全く種類が異なる。
 気づくと、ヴィンセントは眠りに落ちていたようだった。
 目を開けた所で、慣れた気配に気づいて、ゆっくりと上半身を起こす。
「ロビン」
「あぁ、お目覚めか。心配すんな。お前が寝た後は、俺が見張りしてたから」
「そうか…有難う」
「吹っ切れたか」
 ロビンの言葉に、ヴィンセントは一瞬、言葉を失った。
 ロビンはずっと、シャーロットへの想いとノーハンの民への想いの挟間で苦悩するヴィンセントを見ていた。
 どちらも守ろうとした結果が、今だ。
 ならば…どちらかを選ぶしか、ない。
「そう、だな」
 ヴィンセントは、シャーロットを選んだ。
 愛する人を、自身の手で守っていく事を。
「ウィルから提案があった。当面、ヴィンスが辺境伯としてノーハンを治める。お嬢様を妻として迎え入れればいい」
「だが…」
「まぁ、聞け。子供なんてのは、授かりもんだ。誰と結婚した所で、無事に生まれるとも限らねぇのに、『子供の血の濃さ』を理由に、端から諦める必要はねぇだろ。それに、お前達の子供が、どう言う特徴を持って生まれるかは、生まれてある程度育ってからじゃねぇと判らん。だから、辺境伯を継ぐのは難しいと判断したら、その時点で、ウィルに継がせりゃいい。具合のいい事に、ウィルはお前の十五歳下だ。子供がある程度、育った時点でも十分に若い」
 ヴィンセントは、虚を突かれたようにロビンを見遣った。
「それは…」
「な?考えれば、単純な話だ。お嬢様の資質云々じゃなく、後継者が問題だってんなら、その判断が出来るようになるまで、待ったっていいだろ?ウィルは、正しくスペアとして、領主の勉強を進める、と言ってる」
 ヴィンセントは、弟の顔を思い浮かべる。
 「兄さんが領主なんだから」「兄さんの補佐はするけど」と、自分は表に立つべきではない、と頑なだったウィルヘルム。
 番の子として掛けられる大きな期待を、苦痛に感じている事には気づいていた。
 十分な能力はあるのだから、と、一方的に辺境伯の地位を押し付けようとしたのは、ヴィンセントだ。
「ウィルヘルムが…」
「ウィルはな。お嬢様が、好きなんだとよ」
「!」
 気がついてはいたものの、第三者の口から聞くと、辛い。
 ウィルヘルムのシャーロットへの好意を、利用しようとしていたのは、ヴィンセントだと言うのに。
「でもな、ヴィンスの事を一生懸命好きでいるお嬢様だからこそ、好きなんだ、と言ってた」
「そう、か…」
 ウィルヘルムの言葉は、真実半分、虚偽半分だろう、と思う。
 だが、ウィルヘルムがその形で収めてくれるのであれば、甘えていいのだろうか。
「…ウィルヘルムは、大きくなったな」
「お前が、ちゃんと目標として立ってたからだ」
 ロビンの言葉に、有難く頷く。
 いつからか…そう、両親を亡くしてから、一人で立っている気になっていた。
 ノーハンと言う、マハトの中でも特殊な環境の領地を、何としてでも守らねばと、一人で肩肘を張って、意気込んでいた。
 シャーロットに、求婚出来るだけの地位が必要だったから。
 だが、ヴィンセントの周囲には、優秀な人材がたくさんいるのだ。
 もう少し、彼等を頼っても良かったのではないのか。
「…ヘンリクを、説得出来るだろうか」
「近習達も、お前の味方につくと言ってる。勿論、ヘンリクだけ説得した所で、反対勢がゼロになるわけじゃあねぇが、領主館の中だけでも、お嬢様にとって、安全な場所にしときたいだろ?」
「あぁ」



 ヘンリクの説得は、拍子抜けする位にスムーズに進んだ。
 彼の反応を見て、最初から、この提案をしていたら受け入れたのだろう、とヴィンセントは思う。
 何しろヘンリクは、シャーロットには何の問題もない、と断言していたのだから。
 ヘンリクは、ヴィンセントの覚悟を見ていたのだ。
 人族も同じだろうが、獣人族もまた、一枚岩ではない。
 ただでさえ、氏族ごとの特性が大きく異なっている彼等を掌握するのは、容易な事ではない。
 人族と親密に暮らす氏族もあれば、徹底して避ける氏族もある。
 ヴィンセントは、これまで、自分が受けて来た評価や批判から、それを肌で感じていたつもりだったが、今回の件で、更に身に染みて実感した。
 人族が獣人族を、獣人族が人族を、互いに恐れるのは、相手が未知の存在だからだ。
 獣人族は、体格が大きく身体的能力が高い。
 人族は、身体の脆弱性を補う為に、膨大な知識を持ち、知恵を働かせる。
 互いに互いを恐れて、対話が十分ではなかった。
 どうせ、理解して貰えない、と、真正面から向き合う事を放棄し続けた結果が、今なのだろう。
 ヴィンセントは、両親が睦まじく暮らしていた頃の事を覚えている。
 祖父母の住むアテム領主館に遊びに行き、そこで暮らす人々に温かく迎え入れられた事も、母に会いに来た祖父母が、領主館で遊んでいた獣人族の子供達と、笑いながらゲームに興じていた事も。
 個と個として向き合えば、親しくなれるのだ。
 異種族なのだから、と理由づけるのは、双方の種族にとっての冒涜だろう。
「御心が定まったようで、ようございました」
 そう言ったヘンリクが、憂えるように眉を顰めたのは、シャーロットの現状を判っているからだ。
 もしも、ヘンリクがもっと早くにヴィンセントとシャーロットが結ばれる方法を提示していたら、この事態は引き起こされなかった、と言う、自責の念がある。
「何としてでも、シャーロットを繭から救い出す。話はそこからだ」
 宣言するヴィンセントに、ヘンリクは深く頷く。
 バーナディス家を守るべき家令の立場であるからと言って、彼が、ヴィンセントの気持ちを軽んじているわけでは、決してないのだから。



 その夜、夜陰に紛れるように領主館を訪れたのは、ロベルトとカーラだった。
 前回、訪れた時にはなかった大きな天幕に驚いていた彼等は、シャーロットの現状を知って、言葉を失った。
「…申し訳ない」
 ヴィンセントが頭を下げると、茫然としていたカーラは、慌てて彼を制す。
「お止め下さい、辺境伯様。私のようなものに、そのような事をなさってはいけません」
「だが、貴女はシャーロットの姉代わりだと」
「恐れ多くも、姫様がお生まれになった時より、お側におりますし、僭越ながら、家族のように接して頂きました。…ですから、私は本当に、辺境伯様に感謝しているのです。どうぞ、お顔をお上げ下さい」
 カーラに再度促されて、ヴィンセントは顔を上げた。
「私は…姫様の祝福は、半ば失われたものと思っておりましたので、正直、驚きましたが、つまりは、姫様のお気持ちが活性化していると言う事でございましょう。塔では、姫様は、笑う事も泣く事も怒る事も、久しくなかったのです」
 カーラは、辛そうに目を伏せる。
「代り映えのない毎日の中で、気持ちを動かされる事はそうございません。ですが、気持ちが揺れ動くのは、酷く疲れるものです。姫様に穏やかにお過ごし頂くには、感情の起伏が少ない方がよろしいのではないかと思う事もありましたが…日ごとに表情が薄れ、お人形のようになっていく姫様に、心痛める思いでございました」
 震えるカーラの手を、隣に座るロベルトが、ギュッと握った。
 カーラは、一瞬、ロベルトに感謝するような眼差しを向けた後、ヴィンセントに顔を向け直す。
「…塔では、私も母も、姫様に指一本触れる事を許されませんでした。触れた私達の身に何が起きるか判らない、と、陛下がご心配なさった結果です。ですが…陛下も妃殿下も、三歳の幼子の事を、十分にご存知なかったのです」
 確かにシャーロットは、三歳の中では、成長が早かったと思う。
 排泄も直ぐに覚えたし、食事も食べこぼしは殆どなかった。
 舌足らずな所はあったが、お喋りも上手で、大人の話もよく理解していた。
 だが、シャーロットは王女だ。
 着替えは侍女に任せるものだし、湯浴みも一人でする必要はない。
 寧ろ、一人でしてはいけない立場の人間だ。
 そのシャーロットに、たった三歳のシャーロットに、指一本触れるな、身の回りの事は全て自分でさせよ、と言う。
 何よりも、三歳の子供に最も必要な愛着の形成が、出来ない。
 肌に触れ、抱き締め、愛情を伝える事こそ、最も大事だ、と、乳母だったローレは考えていた。
 だが、ハビエルの出した条件の中で、どのようにシャーロットに愛情を伝え、愛されている自信を育てさせればいいのか、判らない。
 カーラはその時、まだ七つだったが、長じてからローレに、
「初めて、アナリーゼ様に抗議したわ…」
と聞いた。
 自分の身はどうなってもいいから、シャーロットを抱き締めさせてくれ。
 三歳の幼子には、人肌の温もりが必要だ。
 どれだけ訴えても、ハビエルとアナリーゼは、決して頷かなかったと言う。
 北の塔に、王城の私室から持ち込めたものは殆どない。
 数少ない持ち物の一つが、アナリーゼに与えられたくまのぬいぐるみだった。
「姫様にとって、『くまさん』は、父であり、母であり、姉であり、心の拠り所以上の存在でした」
 三歳のお披露目パーティの日を境に、激変したシャーロットの暮らし。
 幼いシャーロットは、くまのぬいぐるみに必死にしがみつくようにして、成長したのだ。
「辺境伯様。お披露目パーティの日、姫様をお部屋までお連れ下さったのは、辺境伯様ですよね?」
 確信を持ったカーラの問いに、ヴィンセントは頷く。
「あの日以降、姫様は、より一層、『くまさん』を大切になさるようになりました。『おっきいくまさんが、だっこしてくれたから、がんばる』と仰って」
「!」
「私は、『くまさん』を抱き締める事で、ぬいぐるみに抱き締め返されるように感じているのだと考えておりましたが…違ったのですね。あのような衝撃的な事故の後、両親からも拒まれた姫様を、恐れずに抱っこして下さった辺境伯様の事を、心から信頼なさったのでしょう。あの時の出来事が、ご記憶にあったかは定かではありませんが、夜会で辺境伯様に再会なさってからの姫様は、表情がとても柔らかくなりました。安らいでいる、と言うのか、心の底から、安心しているご様子で…ですから私は、何が何でもついていかなくては、と頑なにならずに済んだのです」
 夢現の中で、シャーロットは、ヴィンセントの腕に抱え上げられた温もりを、覚えていたと言うのか。
 シャーロットと話をしていても、お披露目パーティでどのような事故が起きたのかは知っていても、自身の記憶としては語っていなかった。
 だから、ヴィンセントの事など、欠片も記憶していないと思っていたのに。
 心の片隅にでも、存在が残っていたのだとしたら。
 ヴィンセントは思わず、天井を仰いで小さく呻いた。
「シャーロット…」
 愛おしい人の名を呼ぶ声が、微かに震える。
 いけない、と思いつつも、何処かで期待してしまう。
 ただ好意を寄せてくれているだけではなく、彼女にとっても、自分は、『特別な相手』なのではないか、と。
「辺境伯様、一つ、ご報告が」
 ロベルトが声を上げたのは、その時だった。
「何だろうか」
「ノーハンに向かう道中、気になる話を耳にしました。フェルディナンド・ロトン卿が、私設騎士団を連れて、北上していると…」
「フェルディナンド・ロトン卿…陛下の妹君のご子息か」
 ハビエルの妹姫は、ロトン公爵家に降嫁して、子息三名、息女一名を出産している。
 フェルディナンドは三男の名だった筈だ。
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 フェルディナンドが、どのような目的で、シャーロットを捜索しているのか。
 それが判らなければ、手の打ちようもない。
 ヴィンセントが、背後に控えるロビンにちらりと視線を遣ると、ロビンは頷いた。
 この先、領地への出入りは厳しく監視される事となる。
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