幸せは、歩いて来ない。ならば、迎えに行きましょう。

緋田鞠

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 迎賓館前の芝生広場には、華やかに着飾った人々のさざめきが広がっている。
 フェリシア様と健闘を誓い合って別れてから、私は無事にダリウス様を見つける事が出来た。
 何しろ、ダリウス様は十年振りに社交の場に出て来たのだ。
 筆頭公爵家当主、国王の実弟、先の戦いの英雄。
 どの肩書も注目を集めるものだ。
 何とか挨拶をしたい、と考える人々が周囲を取り囲んでいるから、人だかりを探せばすぐに見つかる。
 彼に近づこうにも隙を見つけられず、もどかしく、どうしたものか、と思っていた所に、
「ダリウス様!」
 甘く可愛らしい女性の声が、ダリウス様の名を呼ぶのが聞こえた。
 公の場で、家名ではなく個人の名を呼ぶのは、親しい仲である事を顕示する目的しかない。
 一瞬、空気がピリ、と緊張したけれど、声の持ち主が黒髪に緑の瞳の美しい女性である事に気づいた人々が、サッと道を空ける。
 …ブリジット・セラ・ボーディアン王女殿下だ。
 姿絵よりも少し大人びて見えるのは、成長期だからか服装やお化粧の為か。
 流石、園遊会に参加するような高位貴族は、彼女の正体に直ぐに気が付いたらしい。
 ブリジット殿下は、周囲には目もくれず、優雅な足取りでダリウス様の前まで歩み寄る。
「…ご無沙汰しております、ブリジット・セラ・ボーディアン王女殿下」
 ダリウス様は、表情を変えないまま、綺麗な所作で胸に手を当て、騎士の礼を執った。
「ダリウス様。わたくし、貴方に再会するこの日を心待ちにしておりましたの。堅苦しいご挨拶は要りませんわ。どうぞ、楽になさって?」
 ブリジット殿下にとって、ダリウス様は兄王子の敵だと聞いたけれど、今の様子だけでは、見初めた、と言う話に信憑性が湧いて来る。
 どう見ても恋する乙女の瞳の輝きが演技ならば、ブリジット殿下は相当な女優だ。
「今後、ボーディアンとマスカネルは親密な間柄になる事を望まれております。わたくしが生涯暮らす国になるのかもしれませんもの。是非、この国のお話を伺いたいの。エスコートして頂けるかしら」
 断られる可能性など微塵も考えていない口調で、ブリジット殿下が、ダリウス様に繊手を差し伸べる。
 その手を一瞥してから、ダリウス様は周囲にぐるりと視線を巡らせ、私に目を留めて小さく微笑んだ。
 表情の変化に乏しいダリウス様が微笑んだ事に、周囲がざわつく。
「その栄誉は是非、他の者にお授けください。私の同行者が、待っておりますので」
「え?」
 腕に今、正に添えようとされていたブリジット殿下の手をするりと交わして、ダリウス様が私を呼んだ。
「ミカエラ。おいで」
「はい」
 …これまで、これ程の人間の注目を浴びた事はない。
 物理的な痛みを感じる程の視線に臆しそうになる心を叱咤しながら、フェリシア様との地獄の特訓で身に着けた『ノーレイン家の淑女』に相応しい歩みで、ダリウス様の隣へと歩を進めた。
 すなわち、背筋はピンと真っ直ぐに、一歩は女学校で教わるよりも僅かに大きく堂々と、視線は下げずに真っ直ぐ前を、微笑みは柔らかさよりも凛々しさを強調して。
 武勇を誇るキャンビル辺境伯家のご令嬢だったフェリシア様と同じく、己自身で己の身を守れるご令嬢こそ、ノーレイン家に求められているのだ、と体現する為に。
 今日の私は、ノーレイン公爵家の敏腕侍女達に磨き上げられて、当社比三割増、いや、五割増で姿になっている。
 まず、徹底的に肌を磨かれ、真珠のパウダーをはたかれて、やたらとキラキラしている。
 更に、慎ましい胸は何処から寄せて上げたのか不明な肉で補強され、普段は精々、
「細いですね」
としか言われない私の体に、女性的なラインが生まれている。
 因みに、この場合の「細い」は、華奢と言う意味ではない。
 勿論、纏っているのは王家御用達職人の手によるドレスと宝飾品。
 私には到底手が出ないそれは、ダリウス様からの贈り物だ。
 高級香油を塗り込まれた髪は艶々で、何故か銀色に光って見える灰色の髪は、私には再現不可能な複雑な結い上げ方をされている。
 使用された化粧品も手に取った事すらない高級品で、お約束の、
「これが、私…?」
を、思わず言いたくなる仕上がり。
 普段と全然違うけれど、社交場は戦場なのだ。
 これ位の装備をしないと、ダリウス様のパートナーとして顔を上げていられない。
 私が招かれるままにダリウス様の横に並ぶと、ブリジット殿下は僅かに眉を顰めた。
 淑女ならば、男性よりも半歩下がって控えなさい、と教わるからだろう。
 男性の中でも長身のダリウス様と私の身長差は、ちょうど頭一つ分位。
 今日はいつもよりも高いヒールだから、もう少し差が縮まる。
 ブリジット殿下は私よりも頭半分以上小さいので、私達二人が並ぶと、威圧感を感じる筈だ。
 同時に、周囲から「これは…」と呟く声が聞こえた。
 今日のダリウス様は、黒地に銀青色の刺繍を入れた礼装。
 私は、深いコバルトブルーのドレスだ。
 二人が並べば、ダリウス様の刺繍が私の髪色である事、私のドレスがダリウス様の瞳の色である事は、一目瞭然だろう。
 互いの色を身に付けたのは、勿論、ただならぬ仲であると見せつける為。
 ダリウス様は私に微笑みかけると、打って変わって表情を消し、ブリジット殿下に対面する。
「ご紹介致します、殿下。こちらは、」
「ダリウス様」
 パシン。
 ダリウス様の言葉を、ブリジット殿下が扇を手に打ち付けて遮った。
 ダリウス様は、ぴく、と眉を動かして、口を噤む。
 紹介中に相手の声を遮るなんて、それこそ、淑女らしくない行動だと思うのだけれど、何しろ、王女殿下。
 ダリウス様より高位の方のされる事なので、こちらが抗議する事は出来ない。
 ただ、ブリジット殿下の評価が大暴落するだけだ。
「ボーディアン王家から正式に、わたくしとの縁談の申し込みがあった筈なのですけれど…どうやら、ダリウス様まで、まだ、お話が届いていらっしゃらないようね?」
 なるほど。ブリジット殿下は、私の存在を黙殺する事にしたらしい。
 ボーディアン王女との縁談を前にすれば、他のどんな話も吹き飛ぶだろう、と確信を持った発言に、ダリウス様は眉を顰めた。
 周囲から「おぉ」と声が漏れたのは、長きに渡り敵対国だった隣国王女との縁談が齎す影響を考えての事だ。
 同時に、顔を歪めたご令嬢達は、王女と並べられては勝ち目がないと判断したのか。
「ブリジット・セラ・ボーディアン王女殿下」
 静かに、ダリウス様がブリジット殿下の名を呼ぶ。
 フルネームで呼ぶ他人行儀さに、ブリジット殿下は首を少し傾げた。
「そのお話は正式にお断り致しましたが、まだ、殿下のお耳に届いていないのですね」
「な…」
 ダリウス様は目を眇め、口元に冷笑を浮かべる。
「どうぞ、素敵な時間をお過ごしください」
 ダリウス様が、表情と裏腹に優雅に挨拶をする隣で、私も倣うように膝を折った。
 体の軸がぶれず綺麗な礼だ、と、女学校時代、教師に褒められてクラスの手本になったのだ。
 フェリシア様にも、これだけは褒められた。
 そのまま、私を伴って歩み去るダリウス様の背中越しに、
「どう言う事…?!」
 悲鳴のような声が聞こえたけれど、黙殺するダリウス様に従って、私も微笑を浮かべたまま、ついて行く。
 ざわ、と周囲の空気が動揺したのは、明らかにダリウス様がブリジット殿下をばっさりと切り捨てたからだ。
 マスカネルは戦勝国で、ボーディアンは敗戦国。
 けれど、ダリウス様は公爵で、ブリジット殿下は王女なのだ。
 立場を考えれば無下にする事は出来ない方との縁談を、ダリウス様は気分を害した様子を隠す事もなく、お断りした。
 そうなれば、隣に立つ私に注目が集まるのは当然の事。
 ブリジット殿下が遮ったせいで、私が何者なのか、周囲には予想は立てられても確証は持てない。
 何か問いたそうにこちらを窺ってくる人々を無視しながら、ダリウス様はユリシーズ様ご一家がいらっしゃる最奥を目指していく。
「ノーレイン公爵、久しいな。襲爵祝いの席以来か」
「…メディセ公爵。ご無沙汰しております」
 ところが、ユリシーズ様達の元に辿り着く前に、メディセ公爵に呼び止められた。
 メディセ公爵はエメライン先王妃殿下の兄で、ダリウス様に縁談を持ちかけたカタリナ様の祖父に当たる。
「少々、時間を貰えるか?」
「それは、後日では問題のあるお話でしょうか」
 ちら、と、ダリウス様が私に視線を走らせた。
 注目を浴びたばかりの私を、一人にしたくない、とその目が語っている。
 メディセ公爵は、私には一瞥も寄越さない。
 私の素性を確信しているかどうかは不明だけれど、気を配る必要はない、と言う意思表示だ。
「あぁ、今、話しておきたくてな」
「…畏まりました。…ミカエラ」
「はい。こちらでお待ちしております」
 私が会場の端に下がるのを確認して、ダリウス様がメディセ公爵と人気ひとけの少ない方へと歩んでいく背を視線で追っていると、入れ替わるように淡い金髪の女性が私の前に立った。
 カタリナ・メディセ公爵令嬢だ。
 私と同じバツイチだけれど、相手が病死された王太子殿下だから、バツイチの内容が全然違う。
 …メディセ公爵は、カタリナ様を私と会わせる為にダリウス様を引き離したのか。
「御機嫌よう」
 完璧な微笑みだけれど、人形のように感情が見えないカタリナ様が、細い声で私に声を掛ける。
「お目に掛かれて光栄です、メディセ公爵令嬢。わたくしは、」
「不要ですわ。貴方の事は存じ上げております。わたくし、貴方に一言、ご忠告差し上げたいだけですの」
 …何だろう、高貴な方の間では、人の紹介を遮るのが流行なのだろうか。
「忠告、でございますか」
「えぇ、貴方はご存知ないようですから。ノーレイン公爵閣下には、メディセ家より縁談を申し込んでおりますの」
 確かに、カタリナ様は美しく、高い身分に生まれた方だ。
 彼女がダリウス様の妻の座を望んでいると知れば、身を引く令嬢は多いだろう。
 ――けれど、それがどうした?
「メディセ公爵令嬢も、ご存知ないのですね。ノーレイン公爵閣下は、正式にお断りのお返事をしております」
 令嬢の笑み、と言うよりも深く、にっこりと笑うと、
「…何ですって?」
 カタリナ様の完璧な笑みに、一筋皹が入ったように、綻びが生まれる。
 自分の意思があるのかどうか、とダリウス様は仰っていたけれど、彼女は恐らく、ダリウス様が思っているよりも感情的な方だ。
「まさか、」
「ミカエラ!」
 カタリナ様が何か言い掛ける前に、明るい声が遠方から掛けられ、言葉と共にアルフォンス様が私に向かって勢いよく駆け寄って来る。
「アルフォンス様」
 私に手を伸ばすアルフォンス様を抱き留めると、アルフォンス様は、天使の微笑みを浮かべた。
「ミカエラ!とっても綺麗だ!このドレスも似合っているよ。叔父上の瞳と同じ色なのだね」
 カタリナ様は、悔しそうに口を閉じた。
 以前の王太子妃であった彼女ならともかく、姻族関係終了届を出して王籍を離脱し、今では公爵令嬢に過ぎないカタリナ様が、王太子であるアルフォンス様の言葉を遮る事は出来ない。
 彼女は、身分を盾に私の言葉を封じた行動の仕返しをされているのだ。
 無邪気な笑みを浮かべているけれど、アルフォンス様は全てを理解した上で、このように振る舞いを取っておられる。
「叔父上はどちらにいらっしゃるの?」
「メディセ公爵閣下とお話なさっています。直ぐにいらっしゃいますよ」
「そう。お会いするのが楽しみだな。ねぇ、ミカエラ。今度は、僕の瞳の色のドレスを着てよ」
 私の片腕にしがみつくようにくっつきながら、上目遣いで甘えるように見つめて来るのが可愛い。
 演技だと判っていながらも、くら、と蹌踉よろめきたくなる辺り、七歳にして何たる魔性か…。
「アルフォンス様のお色ですか?わたくしは、嬉しいですけれど」
「あら、ダメよ、ミカエラさん。ダリウスは、あぁ見えて、独占欲が強いのだから。アルフォンス、無理を言わないの」
 アルフォンス様の後を追っていらしたのだろう。
 アラベラ様が、おっとりと微笑みながらアルフォンス様に注意をする。
「ミカエラ嬢以外には、淡白なのだけれどなぁ」
 続いて、ユリシーズ様。
 お傍には、これぞお手本と言うような淑女の笑みを浮かべたユージェニー王女殿下もいらっしゃる。
 国王ご一家に囲まれたカタリナ様は、白い顔を更に青白くしたようだった。
「まぁ!カタリナさんもいらしたのね。ハーヴェイの追悼にもいらしてくださらないものだから、随分とお久し振りにお目に掛かったわ」
 アラベラ様のはっきりとした皮肉にも、唇を戦慄わななかせて答えられない。
 カタリナ様からすれば、簡単に追い払える羽虫を、跡形もなくなるよう念入りに潰しておこうとした所で、国王陛下がご一家でおでましになったのだから、想定外もいい所だろう。
 まさか、ダリウス様だけではなく、親族一同で私の味方をするなんて、ちらりとも考えなかったに違いない。
「…ご即位一年おめでとうございます。この善き日にお招きくださいまして、心より御礼申し上げます」
 カタリナ様は、漸く、と言った様子でユリシーズ様に礼を執った。
 鷹揚に頷いたユリシーズ様は、微笑む。
「メディセ公爵は、孫娘が可愛くて仕方がないのだね。久し振りの社交の場だ。懐かしい顔も多い事だろう。今日は旧交を是非、温めていって欲しい」
 お前を呼んだわけではない、と言う言葉をオブラートに包んだユリシーズ様に、カタリナ様の口の端が、ひくり、と動いた。
 そのまま、踵を返そうとするご一家に、カタリナ様が追い縋る。
「陛下、エメライン大叔母上とは、最近、お会いになっていらっしゃいますか?」
 エメライン先王妃殿下は、ユリシーズ様が即位されてから、メディセ公爵領に離宮を建てて移り住んだと聞いた。
 先王妃ではあるけれど王太后ではない為、新国王ご一家と王城で共に暮らす事を拒んだから、と伺っているけれど、どちらが拒んだのか、私は知らない。
「いや?本日もお招きしたのだが、ご体調が優れないとのお返事があってね」
 見え透いた断り文句だ。
 先王妃殿下が、ユリシーズ様の即位に不満を持っている事は、誰もが知っている。
「では、わたくしが大叔母との席をご用意致しましょう」
 カタリナ様はそう言うと、ちら、と私を一瞥した。
 『私にはその力があるのだから、どちらを選ぶべきか判っているでしょう?』。
 ユリシーズ様達が、先王妃殿下との仲を改善したいと思っていれば、飛びつきたい提案だろう。
 けれど。
「それには及ばない」
「…え?」
「伯父上が儚くなられてから、まだ一年だ。お心の痛みが癒えるにも、時間が掛かるだろう。先王妃殿下がお顔を見せてくださる気になるまで、私は何年掛かろうとも気長に待つよ」
 先王陛下を『伯父上』と呼んで身内として扱いながら、その妻であった先王妃殿下は身分で呼ぶ事で、心の距離を示すユリシーズ様。
 アラベラ様にとっては実母なのに、彼女もにこやかに微笑んで賛意を表す。
 エメライン先王妃殿下の心を慮っているように見えて、実際は、「そちらから歩み寄って来るまでは相手にしない」との宣言だ。
 同時に、カタリナ様の提案を拒否したのは、今後の国家運営にメディセ一門の力は不要、との宣言でもある。
 取り付く島もないユリシーズ様に、カタリナ様が、
「わたくしよりも、その方を選ぶと仰るのですか…!その方は、男爵令嬢でしょう?ノーレイン公爵家に相応しい身分ではございません!」
と、周囲に聞こえるようにわざと大きな声で叫んだ。
 私に向けられる周りの視線の温度が、明らかに変わる。
 素性の判らない謎の令嬢から、単なる男爵令嬢へ。
 ぴく、と眉を動かしたユリシーズ様の笑みが深くなる。
「おや、メディセ家のご令嬢でもご存知ないのかな?ノーレイン家にとって、彼女は最重要人物でね。私が、いや、私達が、唯一認めたご令嬢なのだよ」
「……え?」
「聞いた事はないか?」
 ユリシーズ様は顔を上げて、固唾を飲んで会話に耳を聳てている周囲の人々を見回す。
「確かに、身分は男爵令嬢だけれどね。彼女の父は、『マグノリアの奇跡』で我が父サディアス・ノーレインを守り通した騎士ランドン・ウェインズだ。父は亡くなるその時まで、彼との友誼を大切にしていた。彼のご息女が、王太子であるアルフォンスの教育係として王家が信を置いている女性であり、我が弟ダリウス・ノーレインが唯一心を許している女性、ミカエラ・ウェインズ嬢だよ」
 私の顔は知らなくとも、アルフォンス様の教育係についた侍女の噂は広がっている。
 そして、ダリウス様が自ら王城への送迎を買って出ている女性の事も。
 国王陛下直々のお言葉は、『陛下の覚えがめでたい』と言う条件を満たす為のもの。
 …功績?
 私にはよく判らないけれど、どうとでもなる、とはダリウス様談だ。
「何故…っ」
 それでも、未練がましく口にするカタリナ様。
 高い身分に生まれついたカタリナ様だ。
 男爵令嬢とは比べ物にならない彼女が公の場で縁談話を持ち出したのだから、そちらの話が優先されるだろう、と思っていても不思議はない。
「男爵令嬢ですって?何故、そんな方を王女であるわたくしよりも優先なさると言うの…!」
 話を聞きつけたのか、ブリジット殿下まで現れて不満を漏らすと、背後から冷えた声が掛けられる。
「何故?理由など、必要ですか?」
「「ダリウス様っ」」
 口を揃えて叫ぶブリジット殿下とカタリナ様に、ダリウス様はうんざりした顔を隠さずに肩を竦めると、私に向き合った。
「待たせたな」
「いえ。お話はもうよろしいのですか?」
「あぁ」
 それから、ユリシーズ様に視線を流す。
「陛下、頂いた縁談は、国として正式にお断りのご連絡をしてくださったのではありませんでしたか?」
「おや、可愛い弟に疑われてしまったようだ。勿論、国王の名において、きちんとお返事したよ」
「では、私から付け加える事は特にありませんね」
 口を閉じて、不愉快である、と態度で示すダリウス様に目で許可を求めると、肩を竦めながらも頷かれた。
「理由を、お望みですか?」
 私が尋ねると、ブリジット殿下とカタリナ様が、キッと睨みつけて来る。
「貴方には尋ねていなくてよ」
「承知しております。ですが、婚約者であるダリウス様から、お許しを得ましたので」
 敢えて、『ノーレイン公爵閣下』ではなく、『ダリウス様』と名を強調した。
 更に、枕詞に『婚約者』まで付け加える。
 これは、ダリウス様の配偶者の座を巡る戦い。
 ならば、彼女達は私の手で退ける。
「何ですって?婚約者…?」
「わたくしは、身分も富も名声も美貌も持ち合わせておりません。それらの点では、お二人の足元にも遠く及びません。ですが、」
 一度、言葉を切って、周囲に広く目を配る。
 そして、私に注目している多くの人々の視線に挑むように、フェリシア様曰く『ノーレイン家の淑女』らしい微笑を浮かべた。
 目が合った人々が、ハッと息を飲むのが伝わって来る。
「わたくしには、覚悟がございます。ダリウス様を生涯、お傍で支え、慈しみ、共に歩む覚悟が」
「その位の覚悟、わたくしにもあるわ!」
「共に歩む、と言うのは、互いに気持ちが寄り添っている、と言う事です。わたくしは、ダリウス様を愛しておりますし、」
 いっそ憎たらしい位に、自信に溢れて笑ってみせる。
「愛されている、と言う自信もございますから」
 誰にもこの場所は譲らない。
 譲ってなんか、やらない。
 ここは、二十二年の月日をかけて、漸く得た私の場所だ。
 淑女らしく、大人しく幸せにして貰うのを待ってなんかいない。
 愛されるのを待っているだけでは、己の望む幸せなど得られない事を、過去の二度の結婚の記憶から、私は知っている。
 今度は、自分で、幸せになる。
 幸せを、掴み取ってみせる。
「ミカエラ、よく言ってくれた」
 ダリウス様が私の腰に腕を回すと、ごく当たり前の仕草で抱き寄せ、頭の天辺に唇を寄せた。
 普段、女性に対して冷淡な対応しか取らないダリウス様の行動に、周囲が動揺したのが判る。
「愛する人と共にいたい。誰もが抱く当然の願いです。私には、彼女以外と添う選択はない。ただ、それだけの事」
 身分も富も名声も美貌も。
 そんなものがなくとも、恋情も愛情も生まれる。
 いや、それらがないからこそ、気持ちだけは常に、真摯でありたい。
「陛下!世迷言をお聞きになる必要はございません!より国に利する縁組をなさらなくては!」
 いつからそこにいたのか、メディセ公爵が口を挟む。
「私の調査によれば、その男爵令嬢には、婚姻歴がございます。ノーレイン公爵はまだお若い上に、初婚だ。何故、戸籍の汚れた令嬢との縁組をお認めになるのですか…!」
 カタリナ様が、すっと目を細めた。
 メディセ公爵は、ご自分の発言が孫娘をも傷つけた事に気づいていないらしい。
 それとも、カタリナ様もメディセ一門にとっては駒の一つに過ぎず、傷つこうが関係ないと言う事なのか。
 ユリシーズ様は、
「メディセ公爵の情報は古いようだね。婚姻解消の事由によっては、無効に出来る事を知っているだろう?ミカエラ嬢の婚姻は、無効。彼女の戸籍は、まっさらだ」
と言うと、意味あり気にカタリナ様を見た。
「それに、国に利すると言うのなら、これこそ、最も国に利する縁組だよ。ダリウスは、彼女以外を選ばない、と言っただろう?先の戦いだって、ダリウスは彼女を守る為、彼女の元に帰る為に励んだのだからね。英雄ダリウスのやる気を損なう気かい?私としては、素直に聞き分けて欲しいな」
 聞き分けて欲しい、と頼みながらも、その声には有無を言わさぬ圧がある。
 悔し気に呻くメディセ公爵、茫然とするカタリナ様、ヒステリックに喚き散らすブリジット殿下を見ながら、ユリシーズ様は微笑んで、ぱんぱん、と手を二つ叩いた。
「さぁ、この話はこれでおしまいだ。私の治世を、祝ってくれるのだろう?」
 慌てたように周囲が動き出し、本来の園遊会の姿を取り戻していく。
 関係者に腕を引かれた彼等が、私を睨みつけながらも遠ざかっていく姿を見て、アルフォンス様がいたずらっ子のような顔で笑った。
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