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「エディス様、エディス様」
すっかり、エディスに懐いた新人騎士達が、バシリスクをせっせと解体中のエディスに話し掛ける。
「うん、何かな?」
エディスは、顔も向けずに返事をした。
何しろ、今が肝心な所。
ここを真っ直ぐ切り裂けば、頭から尾まで一直線に筋が入れられる。
そこから、ずるっとまるっとひん剥くのだ。
自分の手で討伐した事はなかったが、バシリスクを解体した事はある。
それに、蛇系の魔獣は何体も経験済み。
サイズが違えども、やる事は同じだ。
「エディス様は、技巧派なのですね」
「うん、まぁ、魔核探しに関してはそんな感じかな」
「東域でも、このような作戦を?」
「そうだね。勿論、最大の目的は森から溢れた魔獣を狩る事。その目的が果たせるのであれば、方法は何でもいい。けれど、魔核を破壊すればそこで討伐は完了だし、何より、素材が傷なく取れれば、民の生活に役立つ」
最後まで筋を入れ切った後、ふぅ、と、エディスは息を吐いて立ち上がった。
「でも、私の真似をする必要はないよ」
「真似したくとも、出来ません…」
「う~ん、どうやら、そうらしいんだよね。私も感覚でやってるだけだから、教える事は出来ないんだ」
エディスは肩を竦めると、むんず、と、皮に入れた切込みに手を掛けた。
「はい、皆、手伝って。これだけ大きいと相当重いから、気を付けるんだよ」
「はい!」
横一直線に並んだ新人騎士達が、慎重に切れ目に手を掛けて、掛け声を掛けながら、一斉にバシリスクの皮を剥ぎ始める。
「痛っ」
鱗に引っ掛けたのだろう。
声を上げて右手指を確認する騎士が、反射的に傷を舐めようとしたのを見て、エディスが制止した。
彼の手は、自分の血だけではなく、バシリスクの血に塗れている。
「ポール、待って。バシリスクの血液は毒ではないけど、体に入れていいものでもない。水で洗うから、こっちにおいで」
「すみません…」
他の者に、引き続き、作業をするように指示すると、エディスはポールの傷口を水筒の水で清め、持っていたハンカチで止血してやった。
白地に東域騎士団の紋章が細かく刺繍されたハンカチを見て、大人しく手当てを受けていたポールが、ギョッと目を丸くする。
「いいんですか、こんな綺麗な刺繍のハンカチを汚してしまって…婚約者様か、恋人から贈られたものでは」
「いいよ、私が刺したものだから」
「………へ?」
「残念だけど、刺繍入りのハンカチをくれるような人はいなくて。刺繍は、私の趣味だから、気にしないで」
「はぁ…」
そう言えば噂で、ラングリード一家の刺繍は全てエディスがしていると聞いたな、と思い出して、ポールは曖昧に頷く。
「いいかい、バシリスクの鱗は分厚く、縁が鋭い。力は必要だけど、手を切らないように気を付けて」
エディスが全体に注意喚起をすると、全員、素直に、はい、と返事した。
その返事に満足そうに頷いて、再び、作業に取り掛かる。
ずるずると半身が剥けた所で、エディスは、ハッと顔を上げた。
「エディス様?」
「しっ!黙って!」
そのまま、目を閉じて全ての感覚を聴覚に集めると、大声で注意を喚起する。
「総員、抜剣!」
バシリスクの血と脂で汚れた手を、ぐい、と騎士服の腿で拭ったエディスは、腰の細剣を抜いた。
慌てて、新人達もエディスを真似て手を拭い、武器を手に取る。
素材解体の為、此処に残っているのはまだ騎士としての経験が浅い者ばかり。
ベテラン騎士達とジェレマイアは、見回りに出ている。
「魔法騎士、後方へ!盾、前へ!剣を使えるものは私と来い!」
「はい!」
二十名程の若手騎士達が、即座に、エディスの指示に従う。
彼等にはまだ、エディスが何を警戒しているのかが判らない。
だが、日々の訓練と、先程、バシリスクを鮮烈に斃した姿を見て、従わねば、と無意識下に刷り込まれている。
ぴりぴりした緊張感の中、誰かが生唾を飲む音が、ゴクリ、と響いた。
その、瞬間。
「グワオゥ!」
吠え声と共に、森から躍り出たのは、角狼の群れだった。
立哨当番ならば、警鐘を鳴らすまでもなく斃す相手だが、何しろ、此処にいるのは経験の浅い新人達。
腰の引けた彼等を、エディスが叱咤する。
「盾!構え!魔法騎士!攻撃!」
「っはい!」
角狼の群れは、恐らく三十程。
魔法による火矢や風刃が入り乱れる中、エディスは近接戦闘をする騎士達に助言する。
「角狼の急所は喉笛だ。角を破壊しても攻撃力が落ちる。その二点を狙えない者は、尾を狙え。切り落とせば、戦意を喪失する。行け!」
「はい!」
浮足立った者達が、エディスの一声で落ち着きを取り戻した。
大丈夫、出来る。
我武者羅に切り付けてばかりいた若手達が、エディスの言葉で狙いを定めるようになった。
無駄な手数を打たない事で、疲労も抑えられ、より正確に角狼を討伐していく。
エディスはその間、戦闘全体に目を配り、騎士の名を呼んでは細かく指示を出した。
だが、そのうちの大きな個体…群れのボス狼が、大きく跳躍して、エディスへと向かってくる。
魔獣でも、知恵はある。
人間の司令塔が、エディスである事に気づいたのだ。
「エディス様!」
焦ったように、名を呼ぶ若手騎士達。
しかし、エディスは冷静に、細剣を構えた。
フェイントを利かせながら、素早い動きでこちらへと向かってくるボス狼を見ても、表情は変わらないまま。
いや、僅かに目が光っているか。
「せい!」
フッ!!
突き出された細剣が、正確にボス狼の喉笛を突き刺す。
その勢いのまま、エディスが剣を振り切ると、ボス狼の体が飛んで、まだ戦闘中の角狼に突っ込んだ。
息絶えたボス狼の体に、角狼達が惑うのが判る。
「キャイン!」
生き残っていた狼達が、指示を下すボスを失い、尾を巻いて逃げ出した。
「待て!」
「深追いしなくていい」
戦闘の興奮でいきり立った若手が数人、森に向かって駆け込もうとしたが、エディスの厳しい声に立ち止まる。
「ですが!」
「私達の任務は、森から溢れた魔獣を討伐する事。深淵の森から魔獣を滅する事じゃないんだ。それよりも、バシリスクだよ。解体で流れた血の臭いに引き寄せられて来ているのだから、早い所、処理しなくては」
「あ…」
冷静に説かれて、頭が冷えた彼等が、慌ててバシリスクの元へと戻って来る。
これだけの巨体だ。
流れる血も相当なものだ。
血臭は遠くまで流れるし、魔獣は獣だけに鼻が利く。
本来ならば、兵営に戻って解体したい所を、余りの巨体に持ち帰れず、森の直ぐ傍で解体しなくてはならない。
「急ごう」
「はい!」
再び、皮を剥ぎながら、一人が、おずおずとエディスに尋ねる。
「あの…エディス様は、そんなにお強いのに、何故、勲章を身に着けていらっしゃらないのですか…?」
「あ、おい、こら!」
誰もが持つ疑問だった。
訓練を受けているだけでも、エディスが並みの騎士より強い事は判った。
功績を認められる機会がないと言う事は、身体能力が高いだけで、実戦には向かないのかと思っていた所で、今日の討伐だ。
経験の浅い若手騎士でも、訝しく思う。
誰がどう見ても、エディスは魔獣討伐のプロだった。
「別に、隠してるわけじゃないんだけどね」
エディスは一つ、前置きをして話し始めた。
「私は、東域騎士団預かりになっているけれど、騎士ではないんだ」
「…え?」
意味が判らない。
そう、若手達の顔に書いてある。
「騎士団長である父の許可と、陛下の許可を頂いて、騎士団に在籍しているし、魔獣討伐もしている。騎士と同等の給料も頂いている。でも、騎士爵は持っていないんだよ」
だから、騎士とは名乗れない、とエディスが言うと、彼等の顔に、ますます、疑問が浮かんだようだった。
騎士と同等の扱いを受け、騎士と同等の仕事をしながら、騎士ではない?
そんな職は、聞いた事がない。
「…えぇと?」
「どう言ったらいいのかな。私は、騎士にはなれない。けれど、魔獣討伐は出来る。だから、騎士団にいる」
「騎士に、なれない…?」
この場にいる誰よりも、強いのに?
首を傾げ始めた彼等の顔を見て、エディスは苦笑した。
「私にとっては、もうそんなに大きな問題じゃないんだけどね。騎士じゃないから、どんな功績を立てようと、表彰される事もないし、だから、勲章を頂く事もない」
「ですが…」
本来なら、バシリスクのように強力な大型魔獣を討伐した立役者は、表彰される筈だ。
それなのに、エディスは、自分にはその権利がないのだ、と言う。
納得いかない顔の彼等に、慈愛に満ちた笑みを向けると、エディスは、剥ぎ終わったバシリスクの皮を、端からくるくると丸め始めた。
「私は、いいんだよ。民が安全に生活出来るなら、それで。勲章でお腹一杯になるわけでもないしね」
確かに、勲章は食べられないが、表彰される事は、その後の給料の査定にも影響してくる。
査定に影響するからこそ、功を立てようと励むのだから。
「エディス」
ジェレマイアが、見回り部隊を連れて戻って来た事で、会話は終了した。
「皮は終わりました。後は、牙と毒袋です。目の角膜も、珍重されるそうで」
「そうか。流石に早いな」
「副団長殿は、」
「ジェレマイア」
「…ジェレマイア様は、」
「様など、要らない。俺と貴方の仲だろう」
いや、どんな仲だよ!
耳を聳てていた団員達の心の声が一致する。
「ジェレミーでも、ジェリーでもいい」
エディスは、よく知っている。
冷静そうな外見に似合わず、ジェレマイアが実は相当に頑固で、容易には自分を曲げないと言う事を。
そう長い付き合いではないが、我の強い人物である事は、十分に判っていた。
ここで押し問答をした所で、決して折れる人ではない。
「…ジェレマイアは、」
結局、諦めたのはエディスの方だった。
頑固者ばかりの男兄弟六人の中で育てば、自分が折れる方が、物事が順調に進むと言う事もよく判っている。
負けるが勝ち、と言うではないか。
「あぁ」
愛称ではなかった事が少し不服そうではあるものの、嬉しそうにジェレマイアが笑った事で、ずざっ、と、エディス以外の団員達が後退ったのも仕方あるまい。
エディスはただ一人、
「…これこそ、婚約破棄のフラグかも…?」
と思っていたのだが。
婚約者ではない男の名前を、呼び捨て。
幼馴染でも何でもないし、相手は年下ではあるものの役職持ち、その上、実家の爵位は公爵家と男爵家、大きく隔たっている。
まだ見ぬ婚約者殿も、これには恐らく、腹を立てて婚約破棄を迫って来るに違いない。
だが、それはひとまず、置いておいて。
「バシリスクを食べた事は、ありますか?」
予想外の質問だったのか、ジェレマイアの目が丸くなる。
「…そう言えば、蛇系の魔獣を食べた事はないな…」
基本的に、西域では余り、魔獣の肉を食べない。
魔獣の肉を食べずとも、野生の獣が豊富に取れる。
食べるとしても、精々、見た目が兎な角兎と、鳥系の魔獣だけだ。
「美味いのか?」
「まずいです」
「…まずいのか」
じゃあ、何故、聞いた。
「食べられなくはないんですけどね、独特の臭みがあります」
「そうか…」
「因みに、角狼もまずいです」
「角狼もか…」
エディスに指し示されて、ジェレマイアは、ごろごろと転がっている角狼の死体に目を遣る。
「こいつらには、まだ荷が重かっただろう?」
「いえいえ、しっかりと、戦ってくれましたよ。指示通りに動けるようになっています。呑み込みが早いですね」
エディスに褒められて、目を輝かせ、心底、誇らし気な顔をする若手騎士達を見て、ジェレマイアは何故か、少し憮然とした顔をした。
「…エディスは、弟みたいな者であれば、誰でもいいのか」
「う~ん…?いや、まぁ、弟と同年代だと、ついつい甘くなっちゃう自覚はありますけど」
「俺だって頑張った」
「え?」
「俺だって、頑張った」
「え…あ、はい、そうですね、ジェレマイアの精密な風魔法のお陰で、バシリスクの討伐が早く終えられました。多少は毒息を浴びる事を覚悟していたのに、全く漏れがありませんでしたね。あそこまで風魔法を自在に扱えるのは、流石です」
そうか、感謝は伝えたけれど、褒めはしなかった。
副団長ともなれば、立場的に褒められる機会はなかろう。
そう思ったエディスは、弟達にするように、言葉を尽くしてジェレマイアを褒める。
「貴方に毒息を吹き掛けさせるわけには、いかないからな」
エディスに褒められて、ジェレマイアは満足そうな顔を見せた。
この少し後、副団長はエディス様の弟になりたいらしい、だの、エディス様に褒められて満面の笑顔だった、だの、微妙に真贋の不明な話が兵営を巡ったのだった。
すっかり、エディスに懐いた新人騎士達が、バシリスクをせっせと解体中のエディスに話し掛ける。
「うん、何かな?」
エディスは、顔も向けずに返事をした。
何しろ、今が肝心な所。
ここを真っ直ぐ切り裂けば、頭から尾まで一直線に筋が入れられる。
そこから、ずるっとまるっとひん剥くのだ。
自分の手で討伐した事はなかったが、バシリスクを解体した事はある。
それに、蛇系の魔獣は何体も経験済み。
サイズが違えども、やる事は同じだ。
「エディス様は、技巧派なのですね」
「うん、まぁ、魔核探しに関してはそんな感じかな」
「東域でも、このような作戦を?」
「そうだね。勿論、最大の目的は森から溢れた魔獣を狩る事。その目的が果たせるのであれば、方法は何でもいい。けれど、魔核を破壊すればそこで討伐は完了だし、何より、素材が傷なく取れれば、民の生活に役立つ」
最後まで筋を入れ切った後、ふぅ、と、エディスは息を吐いて立ち上がった。
「でも、私の真似をする必要はないよ」
「真似したくとも、出来ません…」
「う~ん、どうやら、そうらしいんだよね。私も感覚でやってるだけだから、教える事は出来ないんだ」
エディスは肩を竦めると、むんず、と、皮に入れた切込みに手を掛けた。
「はい、皆、手伝って。これだけ大きいと相当重いから、気を付けるんだよ」
「はい!」
横一直線に並んだ新人騎士達が、慎重に切れ目に手を掛けて、掛け声を掛けながら、一斉にバシリスクの皮を剥ぎ始める。
「痛っ」
鱗に引っ掛けたのだろう。
声を上げて右手指を確認する騎士が、反射的に傷を舐めようとしたのを見て、エディスが制止した。
彼の手は、自分の血だけではなく、バシリスクの血に塗れている。
「ポール、待って。バシリスクの血液は毒ではないけど、体に入れていいものでもない。水で洗うから、こっちにおいで」
「すみません…」
他の者に、引き続き、作業をするように指示すると、エディスはポールの傷口を水筒の水で清め、持っていたハンカチで止血してやった。
白地に東域騎士団の紋章が細かく刺繍されたハンカチを見て、大人しく手当てを受けていたポールが、ギョッと目を丸くする。
「いいんですか、こんな綺麗な刺繍のハンカチを汚してしまって…婚約者様か、恋人から贈られたものでは」
「いいよ、私が刺したものだから」
「………へ?」
「残念だけど、刺繍入りのハンカチをくれるような人はいなくて。刺繍は、私の趣味だから、気にしないで」
「はぁ…」
そう言えば噂で、ラングリード一家の刺繍は全てエディスがしていると聞いたな、と思い出して、ポールは曖昧に頷く。
「いいかい、バシリスクの鱗は分厚く、縁が鋭い。力は必要だけど、手を切らないように気を付けて」
エディスが全体に注意喚起をすると、全員、素直に、はい、と返事した。
その返事に満足そうに頷いて、再び、作業に取り掛かる。
ずるずると半身が剥けた所で、エディスは、ハッと顔を上げた。
「エディス様?」
「しっ!黙って!」
そのまま、目を閉じて全ての感覚を聴覚に集めると、大声で注意を喚起する。
「総員、抜剣!」
バシリスクの血と脂で汚れた手を、ぐい、と騎士服の腿で拭ったエディスは、腰の細剣を抜いた。
慌てて、新人達もエディスを真似て手を拭い、武器を手に取る。
素材解体の為、此処に残っているのはまだ騎士としての経験が浅い者ばかり。
ベテラン騎士達とジェレマイアは、見回りに出ている。
「魔法騎士、後方へ!盾、前へ!剣を使えるものは私と来い!」
「はい!」
二十名程の若手騎士達が、即座に、エディスの指示に従う。
彼等にはまだ、エディスが何を警戒しているのかが判らない。
だが、日々の訓練と、先程、バシリスクを鮮烈に斃した姿を見て、従わねば、と無意識下に刷り込まれている。
ぴりぴりした緊張感の中、誰かが生唾を飲む音が、ゴクリ、と響いた。
その、瞬間。
「グワオゥ!」
吠え声と共に、森から躍り出たのは、角狼の群れだった。
立哨当番ならば、警鐘を鳴らすまでもなく斃す相手だが、何しろ、此処にいるのは経験の浅い新人達。
腰の引けた彼等を、エディスが叱咤する。
「盾!構え!魔法騎士!攻撃!」
「っはい!」
角狼の群れは、恐らく三十程。
魔法による火矢や風刃が入り乱れる中、エディスは近接戦闘をする騎士達に助言する。
「角狼の急所は喉笛だ。角を破壊しても攻撃力が落ちる。その二点を狙えない者は、尾を狙え。切り落とせば、戦意を喪失する。行け!」
「はい!」
浮足立った者達が、エディスの一声で落ち着きを取り戻した。
大丈夫、出来る。
我武者羅に切り付けてばかりいた若手達が、エディスの言葉で狙いを定めるようになった。
無駄な手数を打たない事で、疲労も抑えられ、より正確に角狼を討伐していく。
エディスはその間、戦闘全体に目を配り、騎士の名を呼んでは細かく指示を出した。
だが、そのうちの大きな個体…群れのボス狼が、大きく跳躍して、エディスへと向かってくる。
魔獣でも、知恵はある。
人間の司令塔が、エディスである事に気づいたのだ。
「エディス様!」
焦ったように、名を呼ぶ若手騎士達。
しかし、エディスは冷静に、細剣を構えた。
フェイントを利かせながら、素早い動きでこちらへと向かってくるボス狼を見ても、表情は変わらないまま。
いや、僅かに目が光っているか。
「せい!」
フッ!!
突き出された細剣が、正確にボス狼の喉笛を突き刺す。
その勢いのまま、エディスが剣を振り切ると、ボス狼の体が飛んで、まだ戦闘中の角狼に突っ込んだ。
息絶えたボス狼の体に、角狼達が惑うのが判る。
「キャイン!」
生き残っていた狼達が、指示を下すボスを失い、尾を巻いて逃げ出した。
「待て!」
「深追いしなくていい」
戦闘の興奮でいきり立った若手が数人、森に向かって駆け込もうとしたが、エディスの厳しい声に立ち止まる。
「ですが!」
「私達の任務は、森から溢れた魔獣を討伐する事。深淵の森から魔獣を滅する事じゃないんだ。それよりも、バシリスクだよ。解体で流れた血の臭いに引き寄せられて来ているのだから、早い所、処理しなくては」
「あ…」
冷静に説かれて、頭が冷えた彼等が、慌ててバシリスクの元へと戻って来る。
これだけの巨体だ。
流れる血も相当なものだ。
血臭は遠くまで流れるし、魔獣は獣だけに鼻が利く。
本来ならば、兵営に戻って解体したい所を、余りの巨体に持ち帰れず、森の直ぐ傍で解体しなくてはならない。
「急ごう」
「はい!」
再び、皮を剥ぎながら、一人が、おずおずとエディスに尋ねる。
「あの…エディス様は、そんなにお強いのに、何故、勲章を身に着けていらっしゃらないのですか…?」
「あ、おい、こら!」
誰もが持つ疑問だった。
訓練を受けているだけでも、エディスが並みの騎士より強い事は判った。
功績を認められる機会がないと言う事は、身体能力が高いだけで、実戦には向かないのかと思っていた所で、今日の討伐だ。
経験の浅い若手騎士でも、訝しく思う。
誰がどう見ても、エディスは魔獣討伐のプロだった。
「別に、隠してるわけじゃないんだけどね」
エディスは一つ、前置きをして話し始めた。
「私は、東域騎士団預かりになっているけれど、騎士ではないんだ」
「…え?」
意味が判らない。
そう、若手達の顔に書いてある。
「騎士団長である父の許可と、陛下の許可を頂いて、騎士団に在籍しているし、魔獣討伐もしている。騎士と同等の給料も頂いている。でも、騎士爵は持っていないんだよ」
だから、騎士とは名乗れない、とエディスが言うと、彼等の顔に、ますます、疑問が浮かんだようだった。
騎士と同等の扱いを受け、騎士と同等の仕事をしながら、騎士ではない?
そんな職は、聞いた事がない。
「…えぇと?」
「どう言ったらいいのかな。私は、騎士にはなれない。けれど、魔獣討伐は出来る。だから、騎士団にいる」
「騎士に、なれない…?」
この場にいる誰よりも、強いのに?
首を傾げ始めた彼等の顔を見て、エディスは苦笑した。
「私にとっては、もうそんなに大きな問題じゃないんだけどね。騎士じゃないから、どんな功績を立てようと、表彰される事もないし、だから、勲章を頂く事もない」
「ですが…」
本来なら、バシリスクのように強力な大型魔獣を討伐した立役者は、表彰される筈だ。
それなのに、エディスは、自分にはその権利がないのだ、と言う。
納得いかない顔の彼等に、慈愛に満ちた笑みを向けると、エディスは、剥ぎ終わったバシリスクの皮を、端からくるくると丸め始めた。
「私は、いいんだよ。民が安全に生活出来るなら、それで。勲章でお腹一杯になるわけでもないしね」
確かに、勲章は食べられないが、表彰される事は、その後の給料の査定にも影響してくる。
査定に影響するからこそ、功を立てようと励むのだから。
「エディス」
ジェレマイアが、見回り部隊を連れて戻って来た事で、会話は終了した。
「皮は終わりました。後は、牙と毒袋です。目の角膜も、珍重されるそうで」
「そうか。流石に早いな」
「副団長殿は、」
「ジェレマイア」
「…ジェレマイア様は、」
「様など、要らない。俺と貴方の仲だろう」
いや、どんな仲だよ!
耳を聳てていた団員達の心の声が一致する。
「ジェレミーでも、ジェリーでもいい」
エディスは、よく知っている。
冷静そうな外見に似合わず、ジェレマイアが実は相当に頑固で、容易には自分を曲げないと言う事を。
そう長い付き合いではないが、我の強い人物である事は、十分に判っていた。
ここで押し問答をした所で、決して折れる人ではない。
「…ジェレマイアは、」
結局、諦めたのはエディスの方だった。
頑固者ばかりの男兄弟六人の中で育てば、自分が折れる方が、物事が順調に進むと言う事もよく判っている。
負けるが勝ち、と言うではないか。
「あぁ」
愛称ではなかった事が少し不服そうではあるものの、嬉しそうにジェレマイアが笑った事で、ずざっ、と、エディス以外の団員達が後退ったのも仕方あるまい。
エディスはただ一人、
「…これこそ、婚約破棄のフラグかも…?」
と思っていたのだが。
婚約者ではない男の名前を、呼び捨て。
幼馴染でも何でもないし、相手は年下ではあるものの役職持ち、その上、実家の爵位は公爵家と男爵家、大きく隔たっている。
まだ見ぬ婚約者殿も、これには恐らく、腹を立てて婚約破棄を迫って来るに違いない。
だが、それはひとまず、置いておいて。
「バシリスクを食べた事は、ありますか?」
予想外の質問だったのか、ジェレマイアの目が丸くなる。
「…そう言えば、蛇系の魔獣を食べた事はないな…」
基本的に、西域では余り、魔獣の肉を食べない。
魔獣の肉を食べずとも、野生の獣が豊富に取れる。
食べるとしても、精々、見た目が兎な角兎と、鳥系の魔獣だけだ。
「美味いのか?」
「まずいです」
「…まずいのか」
じゃあ、何故、聞いた。
「食べられなくはないんですけどね、独特の臭みがあります」
「そうか…」
「因みに、角狼もまずいです」
「角狼もか…」
エディスに指し示されて、ジェレマイアは、ごろごろと転がっている角狼の死体に目を遣る。
「こいつらには、まだ荷が重かっただろう?」
「いえいえ、しっかりと、戦ってくれましたよ。指示通りに動けるようになっています。呑み込みが早いですね」
エディスに褒められて、目を輝かせ、心底、誇らし気な顔をする若手騎士達を見て、ジェレマイアは何故か、少し憮然とした顔をした。
「…エディスは、弟みたいな者であれば、誰でもいいのか」
「う~ん…?いや、まぁ、弟と同年代だと、ついつい甘くなっちゃう自覚はありますけど」
「俺だって頑張った」
「え?」
「俺だって、頑張った」
「え…あ、はい、そうですね、ジェレマイアの精密な風魔法のお陰で、バシリスクの討伐が早く終えられました。多少は毒息を浴びる事を覚悟していたのに、全く漏れがありませんでしたね。あそこまで風魔法を自在に扱えるのは、流石です」
そうか、感謝は伝えたけれど、褒めはしなかった。
副団長ともなれば、立場的に褒められる機会はなかろう。
そう思ったエディスは、弟達にするように、言葉を尽くしてジェレマイアを褒める。
「貴方に毒息を吹き掛けさせるわけには、いかないからな」
エディスに褒められて、ジェレマイアは満足そうな顔を見せた。
この少し後、副団長はエディス様の弟になりたいらしい、だの、エディス様に褒められて満面の笑顔だった、だの、微妙に真贋の不明な話が兵営を巡ったのだった。
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