【完結】「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください

平田加津実

文字の大きさ
10 / 216
第1章 ラヴェラルタ家の令嬢は病弱である

(4)

しおりを挟む
 最後の仕上げとしてマルティーヌの小さな唇に紅を引く役目は、母親が譲らなかった。
 迷いに迷って色を決めたあと、紅筆で慎重に色を塗り重ねていく。

「できたわ! 完璧よ! もう、どうしてこんなに可愛いのぉ」

 一通り飾り立てられた娘の可憐な姿を見て、母親は感動の涙を拭った。
 周囲の侍女らも、大仕事をやり終えた満足感いっぱいの表情を浮かべていた。

「マティ、ちょっといいか」
「お兄様」

 視線を上げて鏡を見ると、長男のオリヴィエと、次男セレスタンが部屋に入ってくるところだった。

 濃い茶色の髪を刈り上げた体格の良いオリヴィエは、黒い刺繍が施された光沢のあるグレーの上着でシックにまとめている。
 マルティーヌと同じ色の髪を後ろで一つにまとめたセレスタンは、濃いグリーンを基調とした装いだ。
 彼らもこの後、正式にヴィルジール殿下に会うため、正装をしているのだろう。

 彼らは、鏡に映る妹の見慣れない姿に、思わず息を飲み足を止めた。

 レースやフリルが盛りに盛られた鮮やかな青のドレスに、白い長手袋。
 ゆるく巻かれた長い金の髪には、真珠があしらわれた銀細工の髪飾りが留められている。
 上目遣いに鏡を見たその瞳は少々きつい印象だが、彼らがこれまで会ったどんな令嬢よりも格段に美しかった。

「あぁ、マティィィィー!。な、なんて、素敵なんだぁぁ!」

 思わず駆け寄ろうとしたセレスタンの腕を、オリヴィエががしっと掴む。
 侍女二人も「だめです!」と決死の覚悟で彼らの前に立ちはだかった。

 兄二人は妹を溺愛しており、特にセレスタンはスキンシップが激しい。
 せっかく、丹念に仕上げた化粧や髪が崩れてしまっては大変だ。

「だって、こんなに綺麗なんだよぉ? 間近からじーっくり見たいじゃないか! お願いだ、あと十歩でいいから」

 十歩も歩けば妹に抱きつけてしまう距離だ。

 不満を言う次男に、母親が娘から数歩離れた床の一点を指差した。

「じゃあ、あと三歩。ここまでなら近づいてもいいわ。リーヴィ、セレスをちゃんと捕まえててね」
「分かった」

 二人が三歩前に出ると、マルティーヌは座り直して彼らと向き合った。
 弟の腕をしっかりと捕らえたままの兄は、「美しいな」とぼそりと言うと、一瞬視線をそらせた。
 それから、照れ隠しに咳払いを二度ほどする。

「あー、マティに今日の報告をしておこうと思ってな」
「うん。お父様から、ヴィルジール殿下がわたしを探してるっていう話は聞いたけど、その後、お母様たちにつかまっちゃって。それで、どうだったの? 全員助かった?」
「いや……残念ながら、護衛騎士二人と御者が亡くなったよ。セレスが到着したとき、というよりバスチアンが診たときには、すでに息がなかったそうだ」
「そっか……。やっぱりだめだったのね」

 ある程度予想していたとはいえ、気持ちが塞いだ。

 魔獣の被害に遭ったのは、隣国のザウレン皇国へのお忍び訪問からの帰国の途にあった、第四王子ヴィルジール一行。
 王子と側近、護衛騎士二人の四人が助かった。
 死亡した三人は馬車で王都へ送り届け、生存者は王都からの迎えが来るまでは療養を兼ねて、ラヴェラルタ家に滞在することになったという。

 出現した魔獣は、巨躯魔狼をボスとする赤魔狼十三頭の群。
 赤魔狼も凶暴で手強い獣だが、マルティーヌが駆けつけたときには全て倒されていた。

「ヴィルジール殿下は騎士学校の二つ後輩にあたるんだが、なかなか腕の立つ方だ。側近のジョエル殿も同い年で、彼も強い。高貴なお方だから魔獣と戦う経験はなかっただろうに、あれだけの数の赤魔狼を倒すとは、さすがとしか言いようがない」
「へぇ。リーヴィ兄様がそう言うくらいなんだから、ほんとに強かったんだ」
「だがなぁ……それでも、殿下が一人で巨躯魔狼を倒したとするのは無理すぎる」

 オリヴィエがため息まじりに続ける。

「俺でも一人で奴を倒すのは無理だ。ラヴェラルタ騎士団の精鋭部隊総出で、ようやく倒せるかっていうレベルなんだからな」
「でも、あの状況じゃ、そうするしかなかったもの」
「まあ、何にしろお手柄だったよ。街道の結界は教会の管轄とはいえ、我が領地で王子殿下が魔獣に殺されたとあっては、大問題になっただろうからな。よくやった。マティ」

 そう言って右手を伸ばしかけたが途中でやめた。
 いつものように、妹の頭をぐしゃぐしゃとやりたかったが、届く位置ではなかったし、ギロリと睨みつけた母親が震えるほどに怖かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

令和日本では五十代、異世界では十代、この二つの人生を生きていきます。

越路遼介
ファンタジー
篠永俊樹、五十四歳は三十年以上務めた消防士を早期退職し、日本一周の旅に出た。失敗の人生を振り返っていた彼は東尋坊で不思議な老爺と出会い、歳の離れた友人となる。老爺はその後に他界するも、俊樹に手紙を残してあった。老爺は言った。『儂はセイラシアという世界で魔王で、勇者に討たれたあと魔王の記憶を持ったまま日本に転生した』と。信じがたい思いを秘めつつ俊樹は手紙にあった通り、老爺の自宅物置の扉に合言葉と同時に開けると、そこには見たこともない大草原が広がっていた。

悪役顔のモブに転生しました。特に影響が無いようなので好きに生きます

竹桜
ファンタジー
 ある部屋の中で男が画面に向かいながら、ゲームをしていた。  そのゲームは主人公の勇者が魔王を倒し、ヒロインと結ばれるというものだ。  そして、ヒロインは4人いる。  ヒロイン達は聖女、剣士、武闘家、魔法使いだ。  エンドのルートしては六種類ある。  バットエンドを抜かすと、ハッピーエンドが五種類あり、ハッピーエンドの四種類、ヒロインの中の誰か1人と結ばれる。  残りのハッピーエンドはハーレムエンドである。  大好きなゲームの十回目のエンディングを迎えた主人公はお腹が空いたので、ご飯を食べようと思い、台所に行こうとして、足を滑らせ、頭を強く打ってしまった。  そして、主人公は不幸にも死んでしまった。    次に、主人公が目覚めると大好きなゲームの中に転生していた。  だが、主人公はゲームの中で名前しか出てこない悪役顔のモブに転生してしまった。  主人公は大好きなゲームの中に転生したことを心の底から喜んだ。  そして、折角転生したから、この世界を好きに生きようと考えた。  

不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます

天田れおぽん
ファンタジー
 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

俺に王太子の側近なんて無理です!

クレハ
ファンタジー
5歳の時公爵家の家の庭にある木から落ちて前世の記憶を思い出した俺。 そう、ここは剣と魔法の世界! 友達の呪いを解くために悪魔召喚をしたりその友達の側近になったりして大忙し。 ハイスペックなちゃらんぽらんな人間を演じる俺の奮闘記、ここに開幕。

処理中です...