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第10章 舞踏会の長い夜
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時間は僅かに遡る。
「ああもう、曲が終わるな」
オリヴィエが名残惜しそうに言う。
けれど、最愛の妹であるマルティーヌは全くの無反応だった。
彼女は曲の半ばを過ぎてからずっと無言。
ただ音楽に乗って機械的に足を動かしていたにすぎなかった。
彼女を悩ませていたのは、実際にはヴィルジールだけではなかったのだが、王子の婚約がそれほどまでに衝撃を与えたのかと、兄として切なく思う。
どんなに心を寄せても、ヴィルジールは隣国の皇女と結婚してしまう。
そもそも、勇者ベレニスの能力をそのまま引き継いで生まれ変わったマルティーヌは、権力者に利用されることを恐れていたから、ヴィルジールと結ばれる未来は選べなかった。
だから、これで良かったのだと自分に言い聞かせる。
「マティ。この夜が終わったら、すぐにラヴェラルタ領に帰ろう」
魔王も何もかもくそくらえだ。
マティを悩ませるすべてのものから、マティを守ってみせる。
そう決意して妹に囁いた時、ホールの一角がざわりとした。
ワルツを奏でる楽団のすぐ近くにいるのに、その音を乗り越えて人々の動揺が伝わってくる。
「なんだ?」
視線を向けるとそこに、先ほどまでと違った衣装をまとったヴィルジールが立っていた。
思わず、体がびくりと震えた。
「リーヴィ兄さま、何かあったの?」
兄の異変を感じ取ったマルティーヌも、不安げに同じ方向に目を向けた。
そして、こちらをじっと見つめる華やかな装いの若い男の姿を見つけて、はっと息を飲んだ。
彼が着ていたのは丈の長い青い上着。
艶のある滑らかな生地でできたその裾はきらきら輝いており、金糸で薔薇の刺繍が施されていた。
それはマルティーヌのドレスと色が違うだけで、全く同じ意匠だった。
目ざとい女たちにはすぐに気づく。
辺境伯令嬢のドレスは、第四王子の瞳を思わせるエメラルドグリーンで、裾には彼の髪色と同じ銀の刺繍。
王子はその令嬢の瞳の色の上着の裾に、髪色と同じ金色の薔薇。
辺境伯令嬢は婚約者と思われる男性と、最初に二曲続けて踊っていた。
相手もエメラルドグリーンと銀の組み合わせだったため、揃いの衣装を身につけているように見えた。
けれど、第四王子と辺境伯令嬢は、互いの色を纏い合っており、二人の関係をより強く主張しているように見える。
そうなると、つい数刻前まで王都でまことしやかに囁かれていた王子と令嬢のロマンスが、ただの噂ではなかったことになる。
しかし、王子は先ほど、隣国の皇女との婚約が発表されたばかりだ。
「一体、どういうことですの?」
「やっぱりヴィルジール殿下は、ラヴェラルタの令嬢と……?」
「これでは、サーヴァ殿下のお怒りを買うのでは……」
目の前の艶やかな王子の姿を目の当たりにして人々が混乱する中、ダンス曲が終わる。
フロアの中央で踊っていた者たちの動きが止まると、ヴィルジールはつかつかと近づいてきた。
「殿下、なぜこのようなことを」
オリヴィエが小声で非難するが、王子は無視してマルティーヌの前に立った。
そして、自身の色をまとった令嬢の前で恭しく礼をとる。
「どうか一曲お相手願えませんか。マルティーヌ嬢」
「ど……どうして?」
この場でいちばん動揺していたのはマルティーヌだった。
婚約発表をしたばかりの彼と踊ることはないと思っていたし、この状況で踊るべきかどうか判断がつかない。
いや、おそらく踊ってはならない。
助けを求めるように兄の顔を見ると、彼は苦渋の表情で首を小さく縦に振った。
そして、促すように背中を軽く押してくる。
誘いを断れば、王子に恥をかかせることになる。
右手を差し出し、頭を下げたままでいる彼を長時間そのままにしておけない。
断れない。
ごくりと唾を飲み込んで、覚悟を決めた。
貴族たちの好奇の目が集まる中、震える右手をそっと差し出し彼の手に重ねた。
王子が令嬢の手を取って愛おしそうに唇を寄せると、周囲からどよめきが起きた。
ヴィルジールが右手を挙げ、手が止まっていた楽団の指揮者に演奏を促した。
静かに音楽が始まる。
他に踊る組は一組もなかった。
広く開いたホールの真ん中で、二人がゆっくりと踊り始めた。
二人が寄り添うと、それぞれの纏う色がより互いを際立たせて見せる。
ふわりと広がったドレスの裾と上着にあしらわれた、金と銀にきらめく刺繍が優美だ。
『ラヴェラルタの秘された花』とも呼ばれる儚げな美貌の令嬢は顔を伏せているが、王子はそんな彼女に優しげな視線を落とし、何事かを甘く囁いている。
「もしかして、別れのワルツだったりして?」
そんな風に囁く者もいたが、誰もが夢のように美しい二人だけの世界を、放心したように眺めていた。
オリヴィエの心中も複雑だった。
妹を連想させる色で作った衣装にわざわざ着替えて出てきた王子の真意が、全く分からなかった。
取り急ぎ、ダンスの順番を待っているはずの弟にこの事態を知らせようと、妹と王子を取り囲む輪から抜け出した。
「ああもう、曲が終わるな」
オリヴィエが名残惜しそうに言う。
けれど、最愛の妹であるマルティーヌは全くの無反応だった。
彼女は曲の半ばを過ぎてからずっと無言。
ただ音楽に乗って機械的に足を動かしていたにすぎなかった。
彼女を悩ませていたのは、実際にはヴィルジールだけではなかったのだが、王子の婚約がそれほどまでに衝撃を与えたのかと、兄として切なく思う。
どんなに心を寄せても、ヴィルジールは隣国の皇女と結婚してしまう。
そもそも、勇者ベレニスの能力をそのまま引き継いで生まれ変わったマルティーヌは、権力者に利用されることを恐れていたから、ヴィルジールと結ばれる未来は選べなかった。
だから、これで良かったのだと自分に言い聞かせる。
「マティ。この夜が終わったら、すぐにラヴェラルタ領に帰ろう」
魔王も何もかもくそくらえだ。
マティを悩ませるすべてのものから、マティを守ってみせる。
そう決意して妹に囁いた時、ホールの一角がざわりとした。
ワルツを奏でる楽団のすぐ近くにいるのに、その音を乗り越えて人々の動揺が伝わってくる。
「なんだ?」
視線を向けるとそこに、先ほどまでと違った衣装をまとったヴィルジールが立っていた。
思わず、体がびくりと震えた。
「リーヴィ兄さま、何かあったの?」
兄の異変を感じ取ったマルティーヌも、不安げに同じ方向に目を向けた。
そして、こちらをじっと見つめる華やかな装いの若い男の姿を見つけて、はっと息を飲んだ。
彼が着ていたのは丈の長い青い上着。
艶のある滑らかな生地でできたその裾はきらきら輝いており、金糸で薔薇の刺繍が施されていた。
それはマルティーヌのドレスと色が違うだけで、全く同じ意匠だった。
目ざとい女たちにはすぐに気づく。
辺境伯令嬢のドレスは、第四王子の瞳を思わせるエメラルドグリーンで、裾には彼の髪色と同じ銀の刺繍。
王子はその令嬢の瞳の色の上着の裾に、髪色と同じ金色の薔薇。
辺境伯令嬢は婚約者と思われる男性と、最初に二曲続けて踊っていた。
相手もエメラルドグリーンと銀の組み合わせだったため、揃いの衣装を身につけているように見えた。
けれど、第四王子と辺境伯令嬢は、互いの色を纏い合っており、二人の関係をより強く主張しているように見える。
そうなると、つい数刻前まで王都でまことしやかに囁かれていた王子と令嬢のロマンスが、ただの噂ではなかったことになる。
しかし、王子は先ほど、隣国の皇女との婚約が発表されたばかりだ。
「一体、どういうことですの?」
「やっぱりヴィルジール殿下は、ラヴェラルタの令嬢と……?」
「これでは、サーヴァ殿下のお怒りを買うのでは……」
目の前の艶やかな王子の姿を目の当たりにして人々が混乱する中、ダンス曲が終わる。
フロアの中央で踊っていた者たちの動きが止まると、ヴィルジールはつかつかと近づいてきた。
「殿下、なぜこのようなことを」
オリヴィエが小声で非難するが、王子は無視してマルティーヌの前に立った。
そして、自身の色をまとった令嬢の前で恭しく礼をとる。
「どうか一曲お相手願えませんか。マルティーヌ嬢」
「ど……どうして?」
この場でいちばん動揺していたのはマルティーヌだった。
婚約発表をしたばかりの彼と踊ることはないと思っていたし、この状況で踊るべきかどうか判断がつかない。
いや、おそらく踊ってはならない。
助けを求めるように兄の顔を見ると、彼は苦渋の表情で首を小さく縦に振った。
そして、促すように背中を軽く押してくる。
誘いを断れば、王子に恥をかかせることになる。
右手を差し出し、頭を下げたままでいる彼を長時間そのままにしておけない。
断れない。
ごくりと唾を飲み込んで、覚悟を決めた。
貴族たちの好奇の目が集まる中、震える右手をそっと差し出し彼の手に重ねた。
王子が令嬢の手を取って愛おしそうに唇を寄せると、周囲からどよめきが起きた。
ヴィルジールが右手を挙げ、手が止まっていた楽団の指揮者に演奏を促した。
静かに音楽が始まる。
他に踊る組は一組もなかった。
広く開いたホールの真ん中で、二人がゆっくりと踊り始めた。
二人が寄り添うと、それぞれの纏う色がより互いを際立たせて見せる。
ふわりと広がったドレスの裾と上着にあしらわれた、金と銀にきらめく刺繍が優美だ。
『ラヴェラルタの秘された花』とも呼ばれる儚げな美貌の令嬢は顔を伏せているが、王子はそんな彼女に優しげな視線を落とし、何事かを甘く囁いている。
「もしかして、別れのワルツだったりして?」
そんな風に囁く者もいたが、誰もが夢のように美しい二人だけの世界を、放心したように眺めていた。
オリヴィエの心中も複雑だった。
妹を連想させる色で作った衣装にわざわざ着替えて出てきた王子の真意が、全く分からなかった。
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