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第4話 想夫恋
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「ああ、疲れた……」
筆を置いた木蘭は、右肩を自分で揉んで大きく伸びをした。
「終わったの?」
「まあね」
冰心に答えた木蘭は、書き上げた書簡を前にしている。彼女は入宮時より書の才を見せ、今はこの能力を生かし、折々に代筆などを請け負っているのだ。
「ねえ、冰心?」
木蘭は筆洗を脇に置きながら、針箱をしまっている同輩の背中に声をかけた。
「何?そんなに思いつめた顔をして。心配事でもあるの」
「ううん、そんなんじゃないの。でも……あの宦官、隅の池の」
「宦官?身を投げた?」
「そう。彼、死んでからも、ひいおじい……いえ、恒山王さまを恨んでいるのかと。ううん、一人だけじゃなくて、子孫がもし目の前に現れたら、やっぱり恨みを向けるか、呪い殺したいとでも思うかしら」
冰心は首を横に振り、着ている裳をはらりと外した。
「木蘭、そんなことを……。まるで、あの池と宦官に心が囚われてしまったようね。考えるのも嫌そうだったのに。きっと魅入られてしまったのよ」
「不気味なこと言わないで。私、冰心のそういうところは嫌。時々、変なことを言い出すから」
「ふふふ、ごめんなさいね。でも、木蘭をからかうと面白いんだもの。考えていることがすべて顔に出るから」
むくれた同輩を、相方は優しいまなざしで見つめた。
「そういえば、あの件はどうだったの? あなたが池のことを言い出したのは、酒令の罰の件で、太平公主さまに叱られたからじゃなくて? ありあわせの句を木に刻んでしまったって、悔やんでいたでしょう」
「ああ、それがね」
木蘭は文房の箱に手をかけた。
「逆だったの。木の検分に行った宦官から私たちが刻んだ句を聞いた公主さま、長いこと考え込んでおられたけど、『良い詩を選んだ、私もあれは好きだと』。それだけで済んだものだから玉芝も私も、拍子抜けした。で、公主さまは宮中を退出されたあと、その足でご夫君の墓前に赴かれたんですって。ご夫君って、確か李沖の謀反で罪に問われて餓死なさった……」
「しっ」
木蘭の唇は冰心の長い人差し指でふさがれた。
「たとえ公主さまのご夫君といえども、謀反の罪に連座なさった方よ。うかつに口に出しては……」
「わかっている。でも公主さま、かつてのご夫君のことは普段は事情が事情だけにお口にされないけど、やはりお心にかけておいでなのだと、ちょっと嬉しくなって……あ、誤解しないで。別に公主さまより褒美を賜ったからじゃないのよ、喜んだのは」
「で、肝心な話、あなた達は木にはどんな句を刻んだの?先人の詩でしょう、誰の作品を?」
「それは内緒」
ぺろりと舌を出した相手を見て、冰心はふっと笑みを漏らす。
「あら、出し惜しみするのね。でも私は、木蘭のそういうところが好きよ」
木蘭ははにかみ、袖でぺちんと同輩の腕をたたいた。
「ちゃかさないで、『そういうところ』ってどういうところよ?」
「ちゃかさないわ、だから、話をもとに戻しましょう。想いを裏切られたら……という話よ。では、もし自分が宦官の立場だったら?木蘭は、愛した者に裏切られたら、ずっと恨むの?子孫まで憎いと?」
「わからないわ、そんなの。だって言ったでしょう、私には愛だの恋だの関係ないって」
「でも、書の代筆では恋文も請け合うんじゃなくて?」
「そんなことないわよ、恋愛沙汰は宮中のご法度でしょう。それに、そんなことを依頼されたからといって、それを他人に言うことはできないわ。たとえ冰心にだって」
口をとがらせた木蘭を、相手はいとおしそうに見つめた。
「代書の請負人としては、見上げた心がけね。でもそれはともかく……恋情は、十全とまではいかないけれど、ある程度を想像することはできるはず。たとえ経験していなくても」
それもそうかもね、と言いたげに木蘭は肩をすくめる。
「だって冰心、彼は池に飛び込むほど廃太子への想いと絶望が強かったんでしょう。私だったら恨み続けるかもしれない。捨てられて一人取り残されたら、誰だってそうなるわ。私だって……ああ、でも私、本当にそうなるかしら……?」
悩める同輩をよそに、冰心は上衣も脱いで下衣姿になった。彼女はつかつかと近寄り、木蘭の手をとって自分の左の乳房に当てる。
「なっ、冰心……」
筆を置いた木蘭は、右肩を自分で揉んで大きく伸びをした。
「終わったの?」
「まあね」
冰心に答えた木蘭は、書き上げた書簡を前にしている。彼女は入宮時より書の才を見せ、今はこの能力を生かし、折々に代筆などを請け負っているのだ。
「ねえ、冰心?」
木蘭は筆洗を脇に置きながら、針箱をしまっている同輩の背中に声をかけた。
「何?そんなに思いつめた顔をして。心配事でもあるの」
「ううん、そんなんじゃないの。でも……あの宦官、隅の池の」
「宦官?身を投げた?」
「そう。彼、死んでからも、ひいおじい……いえ、恒山王さまを恨んでいるのかと。ううん、一人だけじゃなくて、子孫がもし目の前に現れたら、やっぱり恨みを向けるか、呪い殺したいとでも思うかしら」
冰心は首を横に振り、着ている裳をはらりと外した。
「木蘭、そんなことを……。まるで、あの池と宦官に心が囚われてしまったようね。考えるのも嫌そうだったのに。きっと魅入られてしまったのよ」
「不気味なこと言わないで。私、冰心のそういうところは嫌。時々、変なことを言い出すから」
「ふふふ、ごめんなさいね。でも、木蘭をからかうと面白いんだもの。考えていることがすべて顔に出るから」
むくれた同輩を、相方は優しいまなざしで見つめた。
「そういえば、あの件はどうだったの? あなたが池のことを言い出したのは、酒令の罰の件で、太平公主さまに叱られたからじゃなくて? ありあわせの句を木に刻んでしまったって、悔やんでいたでしょう」
「ああ、それがね」
木蘭は文房の箱に手をかけた。
「逆だったの。木の検分に行った宦官から私たちが刻んだ句を聞いた公主さま、長いこと考え込んでおられたけど、『良い詩を選んだ、私もあれは好きだと』。それだけで済んだものだから玉芝も私も、拍子抜けした。で、公主さまは宮中を退出されたあと、その足でご夫君の墓前に赴かれたんですって。ご夫君って、確か李沖の謀反で罪に問われて餓死なさった……」
「しっ」
木蘭の唇は冰心の長い人差し指でふさがれた。
「たとえ公主さまのご夫君といえども、謀反の罪に連座なさった方よ。うかつに口に出しては……」
「わかっている。でも公主さま、かつてのご夫君のことは普段は事情が事情だけにお口にされないけど、やはりお心にかけておいでなのだと、ちょっと嬉しくなって……あ、誤解しないで。別に公主さまより褒美を賜ったからじゃないのよ、喜んだのは」
「で、肝心な話、あなた達は木にはどんな句を刻んだの?先人の詩でしょう、誰の作品を?」
「それは内緒」
ぺろりと舌を出した相手を見て、冰心はふっと笑みを漏らす。
「あら、出し惜しみするのね。でも私は、木蘭のそういうところが好きよ」
木蘭ははにかみ、袖でぺちんと同輩の腕をたたいた。
「ちゃかさないで、『そういうところ』ってどういうところよ?」
「ちゃかさないわ、だから、話をもとに戻しましょう。想いを裏切られたら……という話よ。では、もし自分が宦官の立場だったら?木蘭は、愛した者に裏切られたら、ずっと恨むの?子孫まで憎いと?」
「わからないわ、そんなの。だって言ったでしょう、私には愛だの恋だの関係ないって」
「でも、書の代筆では恋文も請け合うんじゃなくて?」
「そんなことないわよ、恋愛沙汰は宮中のご法度でしょう。それに、そんなことを依頼されたからといって、それを他人に言うことはできないわ。たとえ冰心にだって」
口をとがらせた木蘭を、相手はいとおしそうに見つめた。
「代書の請負人としては、見上げた心がけね。でもそれはともかく……恋情は、十全とまではいかないけれど、ある程度を想像することはできるはず。たとえ経験していなくても」
それもそうかもね、と言いたげに木蘭は肩をすくめる。
「だって冰心、彼は池に飛び込むほど廃太子への想いと絶望が強かったんでしょう。私だったら恨み続けるかもしれない。捨てられて一人取り残されたら、誰だってそうなるわ。私だって……ああ、でも私、本当にそうなるかしら……?」
悩める同輩をよそに、冰心は上衣も脱いで下衣姿になった。彼女はつかつかと近寄り、木蘭の手をとって自分の左の乳房に当てる。
「なっ、冰心……」
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