Oblivion ― 忘れていた物語のつづき

冴月練

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Oblivion ― 忘れていた物語のつづき

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「リスキリングなんてクソだ!」
 私、花村千夜はなむらちよはアパートのテーブルの前で叫ぶと、ストロングチューハイを缶のままあおる。一口飲むごとに脳が麻痺していく。

 もともとITは苦手だったのに、最近はAI、AIと連呼される。だから、時代に取り残されないために、AIを学び始めた。
 しかし何が何やらわからない。もはや、何がわからないのかがわからない。
 チューハイを体内に流し込み、今夜だけは全てを忘れようとする。

「飲み過ぎだよ、千夜」
「それじゃ明日は二日酔いだね」
「いい歳して、何をやってるんだか」

 小さな声が聞こえた。幻聴だろうか? まあいい。話し相手が欲しかったところだ。
「そんなこと言ったってさ――たまには飲まなきゃやってられないよ。ワープロも表計算も頑張ったのに、今度はAI。しかも、仕事まで奪われるかもって……」
 そう言うと、再び缶に口をつける。そして鼻水をすする。

「やれやれ」
 テーブルの向こうから何か出てきた。酔って焦点の合わない目で確認する。大きな帽子をかぶった小人が3人。
 チューハイの缶を見る。やはり9%は強すぎたか? たまにしか飲まないから、酒の回りが速い。

「なによ、あんたたち!」
 小人に絡む。
「僕たちは君の記憶だよ」
「記憶? 小人が私の記憶って、意味がわからないんだけど」
 意識が朦朧としてきた。
「まあいいさ。今日はもうお休み、千夜」
 その言葉を聞いたら急激に眠くなった。ベッドに横たわると、すぐに眠りに落ちた。



 次の日の朝は最悪だった。
 気持ち悪い――頭が痛い――完全に二日酔いだ。
 ベッドに体を横たえ、不快な症状が去るのを待つ。

「ほら、言ったとおりだろ?」
「水をたくさん飲んだほうがいいよ」
「薬はないの?」

 聞き覚えのある声がした。
 見ると3人の小人がいる。思わず悲鳴を上げそうになる。
 昨夜の幻覚がまだいて、混乱する。

「幻覚じゃないよ」
「昨日も言ったけど、僕たちは君の記憶だ」
「君が求めたから、こうして現れたんだ」

 私は大丈夫なのだろうか?
 小人は近づいてくると、横たわる私のお腹に乗った。
 重さを感じる。――幻覚ではない?

 小人を観察する。3人ともそっくりだ。
 そっくりと言うならば、小人は子どもの頃の私に似ている。

「あなたたちが私の記憶ってどういう意味? 私が求めた?」
「そのままの意味だよ」
 小人は当たり前のように言う。私は考える。
「これはもしや――私の秘めたる力が目覚めたってこと? これからチートで無双な日々が始まるのね! 記憶能力か……使い道が難しいわね」
 小人たちは冷ややかな目をしている。
「そういうんじゃないよ。僕たちは千夜が忘れてしまった記憶だよ」

「だから、何の記憶よ。私は何を忘れてるの?」
 天井を見ながら尋ねる。
「体験したほうが早いね」
 そう言うと、小人の一人が私の顔に近づいてくる。額まで来ると、淡く発光して消えた。



 幼い頃を思い出した。
 大好きだった祖父と祖母に、自分で考えた物語を語っていた。
 祖父母はそれを楽しそうに聞いていた。
 それが――嬉しかった。

 二日酔いの身体を起こし、ノートとボールペンを持ってきた。
 横になったまま、今思い出した物語をノートに書き出す。
 これは確かに私が創った物語だ。そうなのだが――。
「支離滅裂だ」
 率直な感想を口にする。
「仕方ないよ。幼稚園児の創った物語だからね」
 小人が応える。

 祖父母はよくこんな話を楽しそうに聞いてくれたものだ。自分が愛されていたことを実感し、胸が温かくなる。
 昔を思い出す。
 祖父も祖母も私に優しかった。だが、やがて祖父が他界し、それから1年ほどで祖母も他界した。
 母は私が物語を語ると嫌そうな顔をした。そんなことよりも勉強をするよう言われた。
 父は仕事で忙しく、ゆっくり話す時間はほとんど無かった。

 物語を創っても、聞いてくれる人はいなくなった。
 祖父母がいなくなっても、私は物語を創っていたはずだ。でも、どんな物語だったのだろう?
「だから僕たちがいるんだよ」
 小人が私の心を読んだように言う。

「あなたたちは、私が創った物語を記憶してるの?」
 天井を見つめたまま尋ねる。
「そういうこと」
 小人は答える。
「私が求めたというのは、どういう意味?」
「今の千夜には、僕たちが必要だからだよ」
 小人の答えを聞いても、やはり意味がわからない。

「千夜――君はずっと物語を創っていたんだよ。ただ、忘れているだけ」
「そうだっけ? 小学校に入ってからは、塾と習い事ばかりだった。中学と高校では、興味もないのに内申点を稼ぐために生徒会に入った。物語なんて創ってたかしら?」
 天井に視線を固定したまま続ける。自分の人生がひどくつまらないものに思えて、流れ落ちた涙が枕を濡らす。

「千夜。だったら今から始めればいいんだよ」
 小人が優しく語りかけてくる。
「始めるって――物語創りを?」
「そう。そのために僕たちは現れた」
 小人たちを見ると、微笑んでいる。祖父と祖母がいなくなって、幼い私はこんな風に笑ったのだろうか? そんな考えが浮かんだ。



 夕方になり、ようやく二日酔いから回復した。
「物語を創る――ね。でも、どうやって創ったらいいかわからないわ」
 温かいお茶を飲みながら小人に話しかける。
「だから、そのために僕たちがいるんだって。まずは、千夜が昔創った物語を思い出していこう。それがヒントになるから」
 そう言って小人は笑顔を見せる。とりあえず――やってみよう。

 お茶を飲み終えると、デスクトップパソコンを起動する。
「あなたたちを頭に乗せると物語を思い出せるのよね? さっそくお願いできるかしら」
「任せて」
 そう言うと、小人の一人が私の頭によじ登ってくる。髪の毛を引っ張られて、ちょっと痛い。
「じゃあ、いくよ」
 小人がそう言うと、一つの物語を思い出した。これも幼稚園の頃に創った物語だ。ワープロソフトでその物語を書き記す。
「やっぱり――支離滅裂」
 その物語を読んで、苦笑しながら感想を述べた。



 それから小人の力を借りて、かつての私が創った物語を思い出していった。
 小人によって、記憶している物語には傾向がある。それに小人も見慣れてくると、少しずつ個性が違うことに気づいた。今では顔で見分けられるようになった。ファンタジーな物語を記憶している小人、冒険物語を記憶している小人、ホラーや不思議な物語を記憶している小人。
 それぞれに千夜子、千夜美、千夜助という名前を付けた。千夜助は、「なんで僕だけ女の子の名前じゃないの?」と言ったが、思いつかなかったのだから仕方ない。

 記憶は幼い頃からだんだん年齢が上がって行った。それにつれ、物語の支離滅裂さが減っていく。「ここを少し変えたら、もっと良くなるのに」とか考えながら、パソコンに物語を保存していった。

 しかし年齢がさらに上がると異変が起きた。物語がだんだん短くなっていく。
 さらに年齢が上がると、物語は断片だけになった。

「ストーリーは良いのに、なんでこんなに短いのかしら?」
 小人たちに疑問をぶつけると、小人たちは悲しそうな表情で答えた。
「それは、千夜が物語を創らなくなったからだよ」
 その答えに納得した。

 物語を思い出す代わりに、物語の断片を読み返す時間が増えていった。
 物語の断片の前後を考えるようになった。「こうすれば面白いのではないか? いや、こっちの方が……」時間があれば、そんなことを考えた。



 ある日、意を決してパソコンの前に座った。
 千夜子、千夜美、千夜助がディスプレイの上に座って、そんな私を見ている。
 物語の断片を、完成した物語へと進める作業に取り組み始めた。

 最初にできたのは短い物語。千夜子、千夜美、千夜助に感想を聞き、修正を加える。
 その繰り返し。
 私の創る物語は、だんだん長くなっていった。自分でも完成度が上がっていることを実感する。

 そして、自分でも納得できる物語を完成させた。今の自分のベストだと言える。
 千夜子、千夜美、千夜助に読んでもらおうとした。
 でも――3人の小人はどこにもいなかった。



 あれから時間が流れた。
 私は投稿サイトに自分の小説を公開するようになった。最初は全然読んでもらえず凹んだが、今では結構読者がいて、感想も書いてもらえている。
 あの時ベストだと思った物語は、今読み返すと直したいところがいくつも見つかる。きっとこれからも、その繰り返しなのだろう。

 仕事では相変わらず悩むけど、仕事とは違う世界ができたことで、ストロングチューハイに頼らずに暮らせている。

 通勤電車に揺られながら、私は次の物語の構想を練る。
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