影の正男と月光の姫 ― 正しさが人を殺す世界を生きる姫 ―

冴月練

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第七夜:うしろべご

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「月野瀬さん」
「はい?」
 授業が終わり、講義室を出ようと思ったら教授に後ろから声をかけられた。突然だったので、間抜けな声が出てしまった。失礼じゃなかっただろうか?
「なんでしょう?」
 涼しい顔を装っているが、内心ではレポートか何かでやらかしたのではないかとドキドキしていた。
「実はね、マカベ・バイオテックから見学に来ないかという誘いがあってね。それで君に声をかけたんだ」
「はい?」教授の意外な言葉に、また間抜けな声が出てしまった。

「私の研究室に、マカベ・バイオテックから見学の誘いがあったんだ。先方から、君も是非に、と言われてね」教授は穏やかに言った。
「でも……私、まだ学部の一年ですよ?」疑問に思ったことを口にした。
「うん……僕もそう思ったけど、マカベ・バイオテックは人材確保に意欲的な企業だ。早い段階で学生に声をかける場合があるとは聞いていた。実際、君は優秀だ」教授は笑顔を私に向けた。
「ありがとうございます」軽く頭を下げた。
「最先端の研究施設を見るチャンスだ。よかったら、一緒に行かないかい?」
「止めとけ、怪しい」正男さんが囁いた。

 確かに正男さんの言う通り、私も違和感はある。
 でも、誘われたのは私一人じゃない。教授の研究室の学生たちも誘われている。一人じゃないなら危険はないのではないだろうか? それに、最先端の研究施設には興味がある。
「わかりました。ご一緒させていただきます」
 迷ったが、私は教授にそう答えていた。
 正男さんのため息が聞こえた。



* * *



 金曜の午後、私は教授とその研究室の学生たちと一緒に、マカベ・バイオテックに来ていた。私一人が研究室と無関係な人間なので、肩身の狭さを感じていた。
 三十代くらいの男性社員が私たちを案内してくれた。この人も研究者だそうだ。説明が手馴れている。よくこういう案内をしているのかもしれない。

 マウスを使った動物実験も見せてもらった。
「実験の倫理基準はどのように守っているのですか?」と院生が聞いた。
「詳細までは言えませんが、国際的な倫理基準に則っています」と社員さんが答えた。
「誰が決めた基準やら」と正男さんがつぶやいた。



「あ」
 社員さんが驚いたような声を上げた。私は実験の様子を興味深く見ていたが、気になって社員さんの視線の先を見た。真壁さんが歩いてくるのが見えた。
「皆さん、よくいらっしゃいました」
 真壁さんが笑顔で教授に挨拶した。学生たちは、真壁さんの急な登場にどよめいていた。
 私は嫌な気持ちがよみがえり、一歩下がった。でも、真壁さんは私を見て近づいてきた。

「月野瀬君、よく来てくれたね」真壁さんが笑顔を私に向けた。
「お招きいただき、ありがとうございます」できるだけ感情をこめずに軽く頭を下げた。
「実は君に謝りたかったんだ」真壁さんが真面目な顔になった。
「何でしょうか?」警戒しながら尋ねた。
「カフェで会ったとき、君の友人を侮辱するようなことを言ってしまった。本当に申し訳ない」真壁さんはそう言うと、頭を下げた。

 私は居心地の悪さを感じた。教授や学生たちの目が気になった。
「いえ、こちらこそ失礼な態度を取ってしまい、すみません」小さな声で謝り、軽く頭を下げた。
「君が去ったあと、自分の言動を振り返ったのだが、本当に軽率な発言だった。自分を恥じたよ」真壁さんは苦痛を感じているような表情を浮かべた。
「いえ……もういいんです」話を早く終わらせたかった。
「時間を作って君の友人にも謝罪する」真壁さんの表情は真摯だ。
「そう……ですか」私はそれだけしか言えなかった。

 真壁さんは教授や他の学生たちのほうへ身体を向けた。
「個人的な話をしてすみません。手前味噌ですが、我が社の設備は最新鋭のものを取り揃えています。どうぞ、ごゆっくりご覧になってください」そう言って、真壁さんは教授たちに頭を軽く下げた。
 教授や他の学生が真壁さんに頭を下げたので、私もそれに倣った。
「では、申し訳ありませんが、私は仕事があるので」
 そう言うと、真壁さんは去って行った。私を見ることはなかった。
 真面目に謝ってくれただけなのだろうか?
「ほたる、あの手の奴は、てめえの利益のためならいくらでも頭くらい下げる」
 正男さんが囁いた。

 マカベ・バイオテックの施設を見学しながら考えたけど、何が正しいのかわからなかった。
 ふと違和感を覚えた。足元が気になった。何でだろう?



* * *



 真壁亜蓮は地下の研究室で、施設を見学するほたるを監視カメラで見ていた。
「どういうことだ? 前より魔力が洗練されている」と考えた。
「何者かの指導を受けたのか?」と考察した。
「そちらは調べさせよう。それよりも、洗練されて才能の輝きが一層増した」
 ほたるを見ながら、無自覚に口元をほころばせていた。

 真壁は立ち上がり、研究室に並べられている培養槽をチェックした。
 想定通りの結果に満足し、無表情で軽く頷いた。
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