翼をもがれたエンジェル餃子 ― 飛べなくなった場所から始まる物語 ―

冴月練

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三皿目:生え変わる羽根

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 作り物の同情した顔。
 突きつけられるマイク。

 作り物の笑顔。
 逃げるための前向きな言葉。

 やめて……
 ほうっておいて!

 誰か、助けて――



「美鶴ちゃん、美鶴ちゃん」
 私を呼ぶ声がした。

 ハッとして我に返った。
「美鶴ちゃん、大丈夫?」
 心配そうに私を見る潤の顔があった。

 夜の営業前に居眠りしていたんだ。
「ごめんなさい、潤さん」
 ハンカチが私に差し出された。意味がわからず、潤の顔を見た。
「涙を拭いて」
 顔を触った。泣いていた。



* * *



 閉店後の片づけが終わると、潤が私の前に温かいお茶を置いた。
「美鶴ちゃん、体調とか悪いときは言ってね。無理しなくていいから」潤が優しく笑った。
「大丈夫です。ほんとにごめんなさい。ちょっと、昔のことを思い出して」慌てて言った。
「昔のこと?」潤は少し考え込んでいた。
「僕でよければ聞くよ。でも、言いたくなかったら気にせず断って」
 潤の笑顔を見た。なぜか、話してみようかな、と思った。



 車の事故で右脚を怪我して引退したこと、マスコミが私につきまとうようになったことを潤に話した。

「脚を怪我して飛べなくなった私を、マスコミは“翼をもがれた天使”なんて呼ぶようになった」自然と自嘲していた。
「そうやって私を悲劇のヒロインにして、お涙頂戴のストーリーを語って、視聴率を稼いでた」うつむいて肩を落としていた。

 あの頃のマスコミの取材攻勢が思い出された。屈辱と恐怖の感情がないまぜになって押し寄せてきて、身体が強張った。放っておいて欲しかったのに、逃げ場はなかった。無理やり笑顔を作って、前向きな言葉を語っていた。それもまたお涙頂戴のストーリーに組み込まれた。
 テレビのコメンテーターが、「健気ですね」とか言っていた。悔しかった。

「翼をもがれた天使……」潤が床を見つめてつぶやいた。
「ありきたりな表現でしょ? 笑っちゃいますよね」無理やり笑った。
 ガタンと音がしたので、驚いてそちらを見た。潤が立ち上がっていた。
「それだよ、美鶴ちゃん!」潤は顔を高揚させていた。
「――なにが?」訝しげな顔をして尋ねた。
「僕の餃子を“翼をもがれたエンジェル餃子”と名付けて売り出すんだ!」
 ――この男は、人が思い切って辛い過去を語ったのに、そんなことを考えていたのか。
「やるぞおー!」
 潤は私の存在などすっかり忘れ、一人で盛り上がっていた。
 私は顔を引きつらせ、人生で初めて感じた殺意という感情を味わっていた。



* * *



 帰宅してお風呂に入っていた。
「なんなんだ、あの男は」
 湯船の中で一人、怒りを発散していた。

「でも……」
 店を出る前に、殺意をこめて潤を睨みつけた。潤は視線を泳がせていた。
 私に怯える潤の表情。
「なんだろう……この感情?」
 ときめきとは違う何かが、私の中で形作られようとしているのを感じた。



* * *



 餃子を「翼をもがれたエンジェル餃子」に改名して、初めての営業日。
 潤は朝からそわそわしていた。私はその様子を横目で見ながら、いつもの仕事を淡々とこなしていた。昼時にはまだ早いから、お客さんはいなかった。
 ドアが開く音がしたので、反射的に「いらっしゃいませー」と言った。
 入ってきたのは中学生か高校生の男女5名。たぶん修学旅行かなにかだろう。
 彼らが席に座り、私はお冷を出した。男の子数名が明らかに私に見惚れていた。きれいなお姉さんには見惚れちゃう年頃だよね。わかる。笑顔をサービスしたら顔を赤くしていた。可愛い。

「あの、ここ浜松餃子ありますか?」女の子の一人が言った。
 それを聞いた潤がいそいそと厨房から出てきた。私はその様子を目だけで追った。
「うちは浜松餃子は扱ってないんだ。でも、代わりに“翼をもがれたエンジェル餃子”がある。“翼をもがれたエンジェル餃子”を食べれるのは、うちだけだよ」
 潤が無駄なイケボで言った。
「なんですか、それ? おもしろい」女の子たちが盛り上がっていた。
 男の子たちは浜松餃子を食べられないことを残念がっていたが、女の子たちの勢いに押されて「翼をもがれたエンジェル餃子」を注文した。
 みんな「おいしい」と喜んでいた。潤の餃子が美味しいのは事実なのだが、単なる焼き餃子に大層な名前を付けて売っているだけということに、私は少し罪悪感を覚えた。

 その子たちはスマホで「翼をもがれたエンジェル餃子」をSNSにアップしていた。
 その時は思わなかった。これがきっかけで、「翼をもがれたエンジェル餃子」が話題になるなんて。



「“翼をもがれたエンジェル餃子”好評ですね」
 潤に話しかけた。何回厨房にいる潤に、「翼をもがれたエンジェル餃子」と注文を伝えただろう。長いから大変だ。略称を考えよう。
「ムフフフフフ」潤が笑いだした。
「気持ち悪い」
「ん? 美鶴ちゃん、何か言った?」
「何も言ってませんよ」
 いけないいけない。本音を声に出していた。

「気になるのは、若いお客さんばかりなんですよね」潤の気をそらすために話題を変えた。
「中学生高校生、それに大学生くらいかな。前はこの店、大人のお客さんばっかりだったのに」
「ムフ。僕の感性は、ナウでトレンディーな若者たちにストライクだったんだね。今まではターゲットを間違えてたんだよ」
 潤が言った。明らかに調子に乗っている。今度は声に出さず、「気持ち悪い」と思った。



 3時を過ぎ、昼の営業が終わった。
 私と潤は片付けと夜の営業に向けた準備に移った。
 ドアが開く音がした。
「すみません、お昼の営業は終わっていて」入ってきた男性に謝った。
「あー、いいんだよ、美鶴ちゃん。そのカレー臭いのは僕の友達のカトちゃん」厨房から顔を出した潤が言った。
「カレー臭くて悪かったな!」男性が潤に怒鳴った。
「はじめまして、カレー屋をやってる加藤です」加藤さんは私には笑顔で自己紹介した。
「はじめまして、金城美鶴です」私も笑顔で返した。
「君が美鶴ちゃんだね……美鶴ちゃんは馴れ馴れしいか。潤の奴が、美鶴ちゃん美鶴ちゃん、言ってるから当たり前になってて」加藤さんが申し訳なさそうに言った。
「いえ、気にしないでください。美鶴ちゃんでいいですよ」笑顔で答えた。
 ゲンさんもタマさんもそうだが、加藤さんもまともそうな人だ。潤の友達なのに。
 加藤さんは背の高い、色黒な人だ。日焼けサロンにでも通っているのだろうか?

「それよりも潤、スゲーじゃないか」加藤さんが厨房にいる潤に言った。
「なにが?」潤が気の抜けた声で答えた。
「お前の“翼をもがれたエンジェル餃子”っていうイカレタ名前の餃子、SNSでバズってるぞ」
 加藤さんがスマホを取り出しながら潤に言った。潤は厨房からいそいそと出てくると、加藤さんのスマホを覗き込んだ。私も覗き込む。
「本当だ。すごい!」思わず声が出た。
「でしょ?」加藤さんが私を見て言った。「若い子たちの間で話題になってるな。SNSは変な餃子の写真ばかりだよ」
「変な餃子じゃなくて、“翼をもがれたエンジェル餃子”!」潤が不満そうに言った。



 それからも若いお客さんがたくさん来た。
 さらに若いサラリーマン風の人たちも来るようになり、家族連れも増えた。
 そして、年配のお客さんも“翼をもがれたエンジェル餃子”を目当てに来店するようになった。
 私も潤も大忙しで、潤は嬉しい悲鳴を上げていた。潤はリアルに変な声を出すから気持ち悪かった。



* * *



 潤から餃子の焼き方を教わり始めた。
「翼をもがれたエンジェル餃子」がヒットしたこともあるが、私も焼けるようになっていれば分業が可能になるという潤の判断だ。

「重い」業務用の鍋を持って驚いた。やはり家庭用のフライパンとは違う。
「怪我しないように気をつけて」潤がてきぱきと動きながら言った。
 こんな風に近くで潤を見たのは初めてかもしれない。背は私より10cmくらい高いかな。170cmはないと思う。男性としては大きくない。腕が太いのは、毎日鍋を振っているからだろう。

 潤が私の後ろについて指示を出し、サポートしてくれた。「距離が近いなあ」と思ったけど、潤が真剣な表情だったから私も気を引き締めた。
 こういう時の潤からは気持ち悪さを感じない。それどころか、かっこよさすら感じる。
「もったいないなあ」
「何が?」
 しまった、声に出ていた。

 指導が終わったあと潤は、「初めてにしてはまあまあ」と言った。その表情は、妥協のない料理人のものだった。



* * *



 営業終了後、潤に新作の味見を頼まれた。
「美鶴ちゃん、まずはこれを食べてみてよ」
 そう言って、潤が私の前にお皿を置いた。
「……これは何です?」
「これは“翼をもがれたエンジェル餃子・アクアマリン”さ」
 潤がポーズを決めながら言った。たぶん、フィギュアスケートのポーズだ。
「私には水餃子にしか見えないんですが」
「フッ。羽根付き餃子を捨てたことで、僕の餃子は可能性を爆発させた。これはその一形態さ」
 キザったらしい言い方に不快感を覚えたが、黙って食べることにした。ちょうどお腹も空いてたし。
「ん! 美味しい」思わず声が出た。
「そうだろ?」潤が別のポーズを取った。やはりフィギュアスケートのポーズだ。

「続いて、これを食べ給え」
 そう言いながら、潤が次のお皿を私の前に置いた。無駄なイケボにイラッとした。
「これは焼き餃子ですね。色が赤いのが気になるけど」
「フッ。これは“翼をもがれたエンジェル餃子・サファイア”さ」潤がポーズを変えた。
「ふーん。何が違うんです?」ポーズは無視して尋ねた。
「食べればわかるさ」
「辛!」一口食べてびっくりした。急いで水を飲んだ。
「“翼をもがれたエンジェル餃子・サファイア”は、激辛餃子さ。だが、ただ辛いだけではなく、味のバランスも追求した」
「確かに。辛いけど美味しかった」正直な感想を述べた。

「続いてこれ。“翼をもがれたエンジェル餃子・アンタレス”!」潤がまたポーズを変えた。
「これの特徴は何です?」
「フッ。アンタレスは、いわゆる“ロシアンルーレット餃子”さ」
「じゃあ、潤さんが食べて」笑顔でお皿を潤に突きつけた。
 少し迷った後、潤は餃子を一つ食べた。直後にのたうち回り始めた。食べなくて良かった。
 のたうち回る潤を笑顔で鑑賞していた。楽しいというか、ぞくぞくするような喜びが湧き上がってきていた。

 しばらくして潤は復活した。
「じゃあ、今日は帰っていいですか?」と尋ねた。
「ああ、ちょっと待って。特別メニューがあるんだ」
 普通のしゃべり方でそう言うと、潤は厨房に引っ込んでいった。
 すぐに戻ってくると、私の前にお皿を置いた。
「はい、どうぞ。美鶴ちゃんのための特別メニューだよ」潤が笑顔で言った。
「餃子スープ?」
「違うよ! これは、“翼をもがれたエンジェル餃子・ラリマー”だよ」潤が不満そうに言った。
「あ、そう」
 正直、どうでもよかった。とはいえ、口直しにスープはありがたかった。
 一口飲んだ。
「美味しい!」びっくりした。
「これ、人気商品になりますよ!」興奮気味に伝えた。
「これは店には出さないよ」当たり前のように潤は言った。
「え? なんで?」こんなに美味しいのに。
「これは美鶴ちゃんのための料理だからね」潤がニコニコ笑いながら言った。
 なぜか顔が赤くなるのを感じた。潤にばれないように、スープに集中するふりをして顔を隠した。



* * *



 冷たいリンクの上が好きだった。
 絶対的な孤独と静けさ。
 観客と、私を評価する審査員の目。
 プレッシャーに押しつぶされそうな中、自分の積み上げた努力を信じて氷を蹴るあの瞬間が好きだった。



「美鶴ちゃん、エンジェル餃子とアクアマリンを二皿ずつ追加」
 お客さんの声で現実に戻った。
「はい、ただいま」笑顔で答え、潤に注文を伝えた。
 今は鉄板から立ち上がる湯気が熱く、店内はガヤガヤとうるさい。
 それでも、私は無理なく笑えていた。

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