翼をもがれたエンジェル餃子 ― 飛べなくなった場所から始まる物語 ―

冴月練

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四皿目:五枚の翼

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「邪魔するぜ」
 開店前にゲンさんが来た。ゲンさんは椅子に座ると、潤に話しかけた。
「潤、カトちゃんから聞いたぜ。イカレタ名前の餃子が大ヒットしてんだってな」
「翼をもがれたエンジェル餃子!」潤が大声で言い返した。
「ああ、そうかい。悪かった、悪かった」
 ゲンさんはめんどくさそうにそう言うと、少しの間を取ってから口を開いた。

「潤。お前……五餃翼ごぎょうよくに喧嘩を売るつもりか?」ゲンさんが険しい顔で言った。
 さっきまで威勢の良かった潤が、急に目を泳がせ始めた。
「五餃翼?」
 聞いたことのない単語だったので、誰ともなしに尋ねた。
「美鶴ちゃんは浜松に戻ってきたばかりだから知らないだろうが、五餃翼――正式名は浜松五餃翼っていうんだが、奴らは浜松の飲食店業界に強い影響力を持っている」
「反社なの?」思わず尋ねた。
「いや、浜松餃子協会の重鎮が作った組織だ。メンバーは5人。だんだんと発言力が増し、今では浜松餃子協会よりも強い影響力を持っている」ゲンさんが答えてくれた。

「なんか……現実感のない話ですね」率直な感想を述べた。
「まあ、そうだろうな。だが奴らは、もやしの盛り方ひとつで一年揉めるほど浜松餃子にこだわりを持っている」ゲンさんが続けた。
「馬鹿じゃないの?」
「馬鹿みたいだが、その影響力の強さは、ここ浜松では絶対だ。“翼をもがれたエンジェル餃子”は、必ず目を付けられる」ゲンさんの表情から、冗談でないことは理解した。

 潤を見ると相変わらず目を泳がせ、そわそわと指遊びをしていた。



* * *



「誰だよ! 五餃翼をあっちの会議室に案内したのは」
 商工会議所の建物内では、中堅社員が苛立っていた。
「すみません、自分です」新人が謝った。
「あの爺さん、婆さんは、浜松餃子を連想させる円卓の会議室じゃないと駄々こね始めるんだよ」中堅社員は苦々しい顔をした。



 円卓の会議室に案内された浜松五餃翼はご機嫌だった。
「やはり円は美しい」メンバーの一人が言うと、他のメンバーがしみじみと頷いた。
「議題に移ろうか。今日の議題は、あの“翼がもがれた”……何だっけ?」
 全員が資料に目を落とした。長くて“翼をもがれたエンジェル餃子”を覚えきれていなかった。
 室内は雰囲気づくりのために間接照明にされていた。
「見づらいなあ」誰かがポツリと言った。
 全員老眼のため間接照明は見づらいと思っているが、誰も言い出せずにいた。

 咳払いをしたあと、メンバーの一人が口を開いた。
「そう、“翼をもがれたエンジェル餃子”だ」
「羽根も無い、名前だけの餃子」
「浜松餃子をここまで流行らせるのに、どれだけ苦労したと思っているのか」
「それをぽっと出の餃子に邪魔されてはたまらん」
「そうだ。ここ浜松では、“羽根の無い餃子は餃子にあらず”」
「その通り」一同が頷いた。
「必ず排除しなくてはならない」
 浜松五餃翼は雰囲気づくりのために、とりあえず皆で笑った。



* * *



 開店前の店内で、潤と黙々と餃子を包んでいた。
 私もだいぶ慣れたけど、潤の餃子を包む速さには遠く及ばない。潤は機械のように正確に、凄い速さで餃子を包んでいく。それでいて出来上がった餃子にはムラがない。
 無神経で腹立つことは多いけど、この男がここまでの技術を身につけた努力には感服していた。何千、何万という餃子を包んできた末に身につけた技なのだろう。

「どうしたの、美鶴ちゃん? 僕に見惚れたりして」潤が言った。
「そんなことは一切してませんよ。ただ、潤さんの餃子を包む技術に感心してただけです」
 それを聞いた潤が得意げな顔になった。褒めたことを後悔した。
「まあね。餃子の世界は厳しいんだ。一個一個手を抜けない。フィギュアスケートのジャンプみたいに、失敗しても許される世界とは違うんだ」
 ――落ち着くんだ、私。素人にはそう見えるのだろう。大人なんだから、これくらいで怒ってはダメ。

「変な餃子を出したらお客さんは怒るからね。その点、フィギュアスケートはため息つかれるだけでいいね」
 耐えられなくなり、餃子を包むのに使っているナイフをアンに突き立て、潤を睨みつけた。



* * *



 ――閉店後、金城美鶴が帰った後の田川餃子店。
「だから、何でお前は美鶴ちゃんを怒らせてばっかいるんだよ?」ゲンさんが言った。
「そんなつもりはないよ」潤は頬を膨らませた。
「普通に話してるだけなのに、美鶴ちゃんが怒りだして……」潤は目をそらした。
「自覚あんじゃん」それを見たカトちゃんがツッコんだ。
「もっと美鶴ちゃんに優しくしなよ。あの子、傷ついてんだから」タマさんが続いた。
「傷ついてる? 何に?」潤は訝しげにタマさんに尋ねた。

 それを聞いたタマさんは、あきれた顔をして口を開いた。
「あんなにワイドショーで騒いでたのに、知らないのかよ」
「うちはお前の店と違って、ワイドショーやってる時間は仕込みで忙しいんだよ」潤が言った。
「俺だって暇じゃねえよ! ただ、店でテレビつけっぱなしだから知ってるだけだ」タマさんが潤に噛みついた。

「まあ、美鶴ちゃんのことは俺でも知ってるくらいだからな」ゲンさんがつぶやいた。
「知ってる? 初めて会った時、初対面みたいだったじゃん」潤がゲンさんに言った。
「俺はお前と違ってデリカシーがあるんだよ。好奇の目なんて向けられたくねえだろ、誰だって」
 ゲンさんが潤に言い、潤は不満そうな顔をしていたが、何かを思い出したように口を開いた。
「ああ、そうか。前に美鶴ちゃんが言ってたのは、その話か」
「お前、美鶴ちゃんから直接聞いてて、そんななの?」ゲンさんが驚きの声を上げた。

「何にせよ、怒らせてる自覚が少しでもあるんなら、しゃべる前にもう少し考えなよ」カトちゃんが潤に言った。
「だって……」潤がつぶやいた。
「だって?」カトちゃんが訝しんだ。
「美鶴ちゃんの、あの蔑むみたいな目がたまらないから……」
「……」
「……」
「……」
「お前らの蔑む目なんて要らねえんだよ!!」
 潤の叫びが店内にこだました。



* * *



「うん、だいぶ上手くなった」
 潤が私の焼いた餃子をじっくり観察してから食べ、感想を言った。
 その真面目な横顔に、少し見惚れている自分に気づく。本当にもったいない。
「美鶴ちゃんは細いのに、鍋を上手く扱えてる。身体の芯の筋肉が強いのかな?」
 潤はそう言うと、私の身体を見た。いつもだったら嫌悪感を覚えるのに、今はそれがない。潤が私を調理人として評価しているだけだからだろう。
「これでも元アスリートですからね。体幹は強いんですよ」
「なるほど」潤は納得したように頷いた。

「じゃあ練習はこれくらいにして、夜の営業の準備をしようか」
「はい」
 いつもこんな感じなら、私も怒らなくて済むのに。そう思うのだが、何か問題が起きないと潤の怯えた目を見れない。
 なんだろう? このジレンマ。

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