13 / 50
13
しおりを挟む
学院の鐘が三つ、静かに鳴った午後。
アニカのもとに、一通の通達が届いた。
《聖女ミリアンヌ様より、学院礼拝堂にて個別面談のご指名あり》
差出人は、学院執行部。断る選択肢など、初めからなかった。
侍女のリゼットも「この場は控えるように」と制止され、アニカは一人、礼拝堂の奥へと足を踏み入れる。
かすかに立ちこめる甘い香。それは、ミリアンヌの香炉から放たれる“祝香”だった。
神託の場で焚かれるそれは、感覚を穏やかにさせ、時に“判断の輪郭”さえ曖昧にすると噂される。
(……これは、対話ではなく支配)
そう感じながらも、アニカは静かに香の中へ進んだ。
待っていたのは、いつもの柔らかな微笑を浮かべた聖女ミリアンヌ。
「ごきげんよう、アニカ様。こうして静かにお話しできるのは、とても嬉しいことですわ」
礼儀正しい声。優雅な所作。まるで咎める理由など何もないと言わんばかりの振る舞い。
だがその言葉の奥にあるものを、アニカは敏感に感じ取っていた。
「あなたのように、静かで控えめなお方。私は……嫌いではありませんのよ?」
「……それは光栄に存じますわ」
「静けさは、心の平和。
誰かを乱すことなく、ただ消えるように時を過ごすのも、美徳の一つ。そう思いませんこと?」
アニカは小さく頷いた。
だが、その頷きは同意ではなく、注意深い観察のための“応答”にすぎなかった。
「“破滅の種子”も、静かにしていれば、やがて自然に……ね、消えていくのですわ。
だから、あなたのような存在は、わざわざ断罪の必要などございません」
“消えれば助かる”。
“黙っていれば見逃す”。
そう言っているに等しい。
「……つまり、声を上げる者は……“種子”として裁かれるのですね?」
アニカの声音は静かだった。けれどその瞳には、氷のような光が宿っていた。
「それは、正義ではございません。
ただ、“静かであれ”という、あなたの願望を神の名で押しつけているだけ」
ミリアンヌの微笑が、かすかに固まった。
「神託は、秩序を保つもの。混乱を防ぐための、導きです」
「導きとは、選ばせるもののはず。強いるものではありません」
しばしの沈黙が、香の揺らぎの中に落ちた。
やがて、ミリアンヌは再び笑った。今度は、明らかに“人”としての表情を含んで。
「……あなた、思っていたより手強いのね」
「……見えないものを、見ようとする方には、そう映るかもしれませんわ」
そのまま何も告げず、アニカは礼拝堂を後にした。
香の残り香だけが、髪に、衣に、うっすらとまとわりついていた。
“透明でいれば許す”。
その仮面の下にあったのは、“違う者を排除する信仰”だった。
アニカの胸には、もう確かな輪郭を持つ怒りが芽生えていた。
それは、彼女をただの“透明な令嬢”でいさせない。そんな冷ややかで静かな炎だった。
アニカのもとに、一通の通達が届いた。
《聖女ミリアンヌ様より、学院礼拝堂にて個別面談のご指名あり》
差出人は、学院執行部。断る選択肢など、初めからなかった。
侍女のリゼットも「この場は控えるように」と制止され、アニカは一人、礼拝堂の奥へと足を踏み入れる。
かすかに立ちこめる甘い香。それは、ミリアンヌの香炉から放たれる“祝香”だった。
神託の場で焚かれるそれは、感覚を穏やかにさせ、時に“判断の輪郭”さえ曖昧にすると噂される。
(……これは、対話ではなく支配)
そう感じながらも、アニカは静かに香の中へ進んだ。
待っていたのは、いつもの柔らかな微笑を浮かべた聖女ミリアンヌ。
「ごきげんよう、アニカ様。こうして静かにお話しできるのは、とても嬉しいことですわ」
礼儀正しい声。優雅な所作。まるで咎める理由など何もないと言わんばかりの振る舞い。
だがその言葉の奥にあるものを、アニカは敏感に感じ取っていた。
「あなたのように、静かで控えめなお方。私は……嫌いではありませんのよ?」
「……それは光栄に存じますわ」
「静けさは、心の平和。
誰かを乱すことなく、ただ消えるように時を過ごすのも、美徳の一つ。そう思いませんこと?」
アニカは小さく頷いた。
だが、その頷きは同意ではなく、注意深い観察のための“応答”にすぎなかった。
「“破滅の種子”も、静かにしていれば、やがて自然に……ね、消えていくのですわ。
だから、あなたのような存在は、わざわざ断罪の必要などございません」
“消えれば助かる”。
“黙っていれば見逃す”。
そう言っているに等しい。
「……つまり、声を上げる者は……“種子”として裁かれるのですね?」
アニカの声音は静かだった。けれどその瞳には、氷のような光が宿っていた。
「それは、正義ではございません。
ただ、“静かであれ”という、あなたの願望を神の名で押しつけているだけ」
ミリアンヌの微笑が、かすかに固まった。
「神託は、秩序を保つもの。混乱を防ぐための、導きです」
「導きとは、選ばせるもののはず。強いるものではありません」
しばしの沈黙が、香の揺らぎの中に落ちた。
やがて、ミリアンヌは再び笑った。今度は、明らかに“人”としての表情を含んで。
「……あなた、思っていたより手強いのね」
「……見えないものを、見ようとする方には、そう映るかもしれませんわ」
そのまま何も告げず、アニカは礼拝堂を後にした。
香の残り香だけが、髪に、衣に、うっすらとまとわりついていた。
“透明でいれば許す”。
その仮面の下にあったのは、“違う者を排除する信仰”だった。
アニカの胸には、もう確かな輪郭を持つ怒りが芽生えていた。
それは、彼女をただの“透明な令嬢”でいさせない。そんな冷ややかで静かな炎だった。
0
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームっぽい世界に転生したけど何もかもうろ覚え!~たぶん悪役令嬢だと思うけど自信が無い~
天木奏音
恋愛
雨の日に滑って転んで頭を打った私は、気付いたら公爵令嬢ヴィオレッタに転生していた。
どうやらここは前世親しんだ乙女ゲームかラノベの世界っぽいけど、疲れ切ったアラフォーのうろんな記憶力では何の作品の世界か特定できない。
鑑で見た感じ、どう見ても悪役令嬢顔なヴィオレッタ。このままだと破滅一直線!?ヒロインっぽい子を探して仲良くなって、この世界では平穏無事に長生きしてみせます!
※他サイトにも掲載しています
転生した子供部屋悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!
木風
恋愛
婚約者に裏切られ、成金伯爵令嬢の仕掛けに嵌められた私は、あっけなく「悪役令嬢」として婚約を破棄された。
胸に広がるのは、悔しさと戸惑いと、まるで物語の中に迷い込んだような不思議な感覚。
けれど、この身に宿るのは、かつて過労に倒れた29歳の女医の記憶。
勉強も社交も面倒で、ただ静かに部屋に籠もっていたかったのに……
『神に愛された強運チート』という名の不思議な加護が、私を思いもよらぬ未来へと連れ出していく。
子供部屋の安らぎを夢見たはずが、待っていたのは次期国王……王太子殿下のまなざし。
逃れられない運命と、抗いようのない溺愛に、私の物語は静かに色を変えていく。
時に笑い、時に泣き、時に振り回されながらも、私は今日を生きている。
これは、婚約破棄から始まる、転生令嬢のちぐはぐで胸の騒がしい物語。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、Wednesday (Xアカウント:@wednesday1029)さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎子供部屋悪役令嬢 / 木風 Wednesday
悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。
槙村まき
恋愛
スマホ向け乙女ゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の悪役令嬢、リシェリア・オゼリエに転生した主人公は、処刑される未来を変えるために地味に地味で地味な令嬢に変装して生きていくことを決意した。
それなのに学園に入学しても婚約者である王太子ルーカスは付きまとってくるし、ゲームのヒロインからはなぜか「私の代わりにヒロインになって!」とお願いされるし……。
挙句の果てには、ある日隠れていた図書室で、ルーカスに唇を奪われてしまう。
そんな感じで悪役令嬢がヤンデレ気味な王子から逃げようとしながらも、ヒロインと共に攻略対象者たちを助ける? 話になるはず……!
第二章以降は、11時と23時に更新予定です。
他サイトにも掲載しています。
よろしくお願いします。
25.4.25 HOTランキング(女性向け)四位、ありがとうございます!
転生賢妻は最高のスパダリ辺境伯の愛を独占し、やがて王国を救う〜現代知識で悪女と王都の陰謀を打ち砕く溺愛新婚記〜
紅葉山参
恋愛
ブラック企業から辺境伯夫人アナスタシアとして転生した私は、愛する完璧な夫マクナル様と溺愛の新婚生活を送っていた。私は前世の「合理的常識」と「科学知識」を駆使し、元公爵令嬢ローナのあらゆる悪意を打ち破り、彼女を辺境の落ちぶれた貴族の元へ追放した。
第一の試練を乗り越えた辺境伯領は、私の導入した投資戦略とシンプルな経営手法により、瞬く間に王国一の経済力を確立する。この成功は、王都の中央貴族、特に王弟公爵とその腹心である奸猾な財務大臣の強烈な嫉妬と警戒を引き寄せる。彼らは、辺境伯領の富を「危険な独立勢力」と見なし、マクナル様を王都へ召喚し、アナスタシアを孤立させる第二の試練を仕掛けてきた。
夫が不在となる中、アナスタシアは辺境領の全ての重責を一人で背負うことになる。王都からの横暴な監査団の干渉、領地の資源を狙う裏切り者、そして辺境ならではの飢饉と疫病の発生。アナスタシアは「現代のインフラ技術」と「危機管理広報」を駆使し、夫の留守を完璧に守り抜くだけでなく、王都の監査団を論破し、辺境領の半独立的な経済圏を確立する。
第三の試練として、隣国との緊張が高まり、王国全体が未曽有の財政危機に瀕する。マクナル様は王国の窮地を救うため王都へ戻るが、保守派の貴族に阻まれ無力化される。この時、アナスタシアは辺境伯夫人として王都へ乗り込むことを決意する。彼女は前世の「国家予算の再建理論」や「国際金融の知識」を武器に、王国の経済再建計画を提案する。
最終的に、アナスタシアとマクナル様は、王国の腐敗した権力構造と対峙し、愛と知恵、そして辺境の強大な経済力を背景に、全ての敵対勢力を打ち砕く。王国の危機を救った二人は、辺境伯としての地位を王国の基盤として確立し、二人の愛の結晶と共に、永遠に続く溺愛と繁栄の歴史を築き上げる。 予定です……
竜帝に捨てられ病気で死んで転生したのに、生まれ変わっても竜帝に気に入られそうです
みゅー
恋愛
シーディは前世の記憶を持っていた。前世では奉公に出された家で竜帝に気に入られ寵姫となるが、竜帝は豪族と婚約すると噂され同時にシーディの部屋へ通うことが減っていった。そんな時に病気になり、シーディは後宮を出ると一人寂しく息を引き取った。
時は流れ、シーディはある村外れの貧しいながらも優しい両親の元に生まれ変わっていた。そんなある日村に竜帝が訪れ、竜帝に見つかるがシーディの生まれ変わりだと気づかれずにすむ。
数日後、運命の乙女を探すためにの同じ年、同じ日に生まれた数人の乙女たちが後宮に召集され、シーディも後宮に呼ばれてしまう。
自分が運命の乙女ではないとわかっているシーディは、とにかく何事もなく村へ帰ることだけを目標に過ごすが……。
はたして本当にシーディは運命の乙女ではないのか、今度の人生で幸せをつかむことができるのか。
短編:竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました
を長編にしたものです。
【完結】モブの王太子殿下に愛されてる転生悪役令嬢は、国外追放される運命のはずでした
Rohdea
恋愛
公爵令嬢であるスフィアは、8歳の時に王子兄弟と会った事で前世を思い出した。
同時に、今、生きているこの世界は前世で読んだ小説の世界なのだと気付く。
さらに自分はヒーロー(第二王子)とヒロインが結ばれる為に、
婚約破棄されて国外追放となる運命の悪役令嬢だった……
とりあえず、王家と距離を置きヒーロー(第二王子)との婚約から逃げる事にしたスフィア。
それから数年後、そろそろ逃げるのに限界を迎えつつあったスフィアの前に現れたのは、
婚約者となるはずのヒーロー(第二王子)ではなく……
※ 『記憶喪失になってから、あなたの本当の気持ちを知りました』
に出てくる主人公の友人の話です。
そちらを読んでいなくても問題ありません。
【完結】前提が間違っています
蛇姫
恋愛
【転生悪役令嬢】は乙女ゲームをしたことがなかった
【転生ヒロイン】は乙女ゲームと同じ世界だと思っていた
【転生辺境伯爵令嬢】は乙女ゲームを熟知していた
彼女たちそれぞれの視点で紡ぐ物語
※不定期更新です。長編になりそうな予感しかしないので念の為に変更いたしました。【完結】と明記されない限り気が付けば増えています。尚、話の内容が気に入らないと何度でも書き直す悪癖がございます。
ご注意ください
読んでくださって誠に有難うございます。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる