地味悪役令嬢、破滅回避のために全力で透明になります

黒瀬ユカ

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学院の鐘が三つ、静かに鳴った午後。  
アニカのもとに、一通の通達が届いた。

《聖女ミリアンヌ様より、学院礼拝堂にて個別面談のご指名あり》

差出人は、学院執行部。断る選択肢など、初めからなかった。  
侍女のリゼットも「この場は控えるように」と制止され、アニカは一人、礼拝堂の奥へと足を踏み入れる。

かすかに立ちこめる甘い香。それは、ミリアンヌの香炉から放たれる“祝香”だった。  
神託の場で焚かれるそれは、感覚を穏やかにさせ、時に“判断の輪郭”さえ曖昧にすると噂される。

(……これは、対話ではなく支配)

そう感じながらも、アニカは静かに香の中へ進んだ。  
待っていたのは、いつもの柔らかな微笑を浮かべた聖女ミリアンヌ。

「ごきげんよう、アニカ様。こうして静かにお話しできるのは、とても嬉しいことですわ」

礼儀正しい声。優雅な所作。まるで咎める理由など何もないと言わんばかりの振る舞い。  
だがその言葉の奥にあるものを、アニカは敏感に感じ取っていた。

「あなたのように、静かで控えめなお方。私は……嫌いではありませんのよ?」

「……それは光栄に存じますわ」

「静けさは、心の平和。  
誰かを乱すことなく、ただ消えるように時を過ごすのも、美徳の一つ。そう思いませんこと?」

アニカは小さく頷いた。  
だが、その頷きは同意ではなく、注意深い観察のための“応答”にすぎなかった。

「“破滅の種子”も、静かにしていれば、やがて自然に……ね、消えていくのですわ。  
だから、あなたのような存在は、わざわざ断罪の必要などございません」

“消えれば助かる”。  
“黙っていれば見逃す”。  
そう言っているに等しい。

「……つまり、声を上げる者は……“種子”として裁かれるのですね?」

アニカの声音は静かだった。けれどその瞳には、氷のような光が宿っていた。

「それは、正義ではございません。  
ただ、“静かであれ”という、あなたの願望を神の名で押しつけているだけ」

ミリアンヌの微笑が、かすかに固まった。

「神託は、秩序を保つもの。混乱を防ぐための、導きです」

「導きとは、選ばせるもののはず。強いるものではありません」

しばしの沈黙が、香の揺らぎの中に落ちた。

やがて、ミリアンヌは再び笑った。今度は、明らかに“人”としての表情を含んで。

「……あなた、思っていたより手強いのね」

「……見えないものを、見ようとする方には、そう映るかもしれませんわ」

そのまま何も告げず、アニカは礼拝堂を後にした。  
香の残り香だけが、髪に、衣に、うっすらとまとわりついていた。

“透明でいれば許す”。  
その仮面の下にあったのは、“違う者を排除する信仰”だった。

アニカの胸には、もう確かな輪郭を持つ怒りが芽生えていた。  
それは、彼女をただの“透明な令嬢”でいさせない。そんな冷ややかで静かな炎だった。
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