好きって言えないっ!~呼び出したのは悪魔みたいな妖精でした~

葉咲透織

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9 恋のはじまりは、ハートちゃん

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 その頃、私は今よりずっとおとなしかった。紗菜や優美と同じクラスになって親しくなったのが、小学校五年生で同じクラスになってから。それまでは、親友と呼べる子はいなかった。

 休み時間、周りの子が体育館や校庭へとくり出していく。四月のうちは私も誘われていたけれど、運動が苦手な私は、首を横に振るばかり。うまい断り文句も思い浮かばずにいると、次第に声をかけられなくなっていった。

 ひとりぼっちは寂しいけれど、ドッジボールはボールが取れない。よけるのは得意だけど、最後まで残ると途端に緊張して、すぐにぶつかってしまう。この間の授業では、同じチームの男子たちにあとでブツブツ言われたのだ。

 授業は仕方ないけれど、休み時間まで、あんなみじめな思いをしたくない。

 だから、教室で本を読んだり、絵を描いたりしてひとりで遊んでいた。

 幸い、残っているのは私と似たり寄ったりな人たちか、おしゃべりを楽しむちょっと大人ぶった女子グループだったので、私は無駄に話しかけられることもなく、ひとりの世界にひたっていた。

 けれど、梅雨時期になると状況が変わった。

 遊び場のひとつであった校庭は、ほとんど使えなくなった。たまに晴れたところで、前日に雨が降っていたら、地面はぐちゃぐちゃだ。あえて靴や服をドロドロにして、午後の授業を過ごしたい生徒もいない。

 そして体育館は。

「今日もあいつら、いばってたぜ」
「ほんと、六年生だからってなんだってんだよなー」

 体育館に行ったはずの男子たちが、ぶつくさ言いながら教室にぞろぞろと帰ってきた。

 外で遊べないのなら、内で。当然、うちのクラスの子だけじゃない。一年生から六年生まで、おとなしくしていら
れない性格の子たちは、体育館に集まる。

 そこで先輩風を吹かせていばり散らし、自分たちのものだと独占するのが六年で一番身体の大きい男子だということに、私は聞き耳を立てていた。

「あんなやつ、うちの兄ちゃんがいれば一発なのに」
「そうだよなー。タケルの兄ちゃん、つええもんな!」

 小学生のナワバリ争いに、中学生(?)が口や手を出すわけないのに……。

 思わず手を止めて、男子たちに目をやる。すると、視線に気づいたらしい兄ちゃん自慢のタケルくんが、私の方を見る。

 まずい。目が合った。

 とっさに頭を下げたけれど、もう遅かった。人の気配が近づいてくる。「なんだよ、小坂。オレになんか用か?」

「あの、そんなこと、ない……です」

 おどおど、目を合わせない私に、体育館を占領されたいらだちを八つ当たりしてくる彼は、私のノートを勝手に奪い取った。

「あっ」

 返して!

 と、叫ぶ勇気すら、私にはない。

 タケルくんはじめ、男子たちはノートをペラペラとめくって、噴き出した。

「なんだよ、これ! ハートちゃん、だって!」

 ピンクのハート頭のオリジナルキャラクター。休み時間だけじゃなくて、授業中に、先生が「大切だよ」と言ったところには、このハートちゃんのワンポイントイラストを描くようにしているくらい、気に入っている。

 なのに、どうやら可愛いと思っているのは私だけのようで。

「ケツじゃん! 頭がケツのおばけ! だっせぇ!」

 ゲラゲラと声を上げて笑われて、私のノートは他のクラスメイトにも見せびらかされる。

 これ以上馬鹿にされたくなくて、私はようやく立ち上がり、「か、返して!」と、勇気を振り絞って手を伸ばした。声はかぼそく、爆笑している男子たちには届かない。

 ノートはボールみたいに次から次へ、男子たちの手に投げられる。落としてくれたらそこに拾いに行くのに、変なところで彼らは器用だ。一切落とすことなく、別の男子のもとへ。

 そして受け取った男の子も、例外なく「ぷっ」と噴き出す。
「いや~、小坂。これはダメだわ。わいせつぶつチンれつ罪? になるわ」

 ちがうもん。お尻じゃないもん、ハートだもん……。

 泣きそうになって追いかける私を、からかうようにノートが飛び交う。 女子は、幼稚な男子に関わりたくないという顔で、にらみつけている。誰も声は上げてくれない。

「お、俊! 行ったぞ~!」

 教室のドアを開けて入ってきた男の子の手に、ノートが渡った。彼は中身をさらっと見ると、

「これ、小坂さんの?」

 と、聞いてくる。

 涙をがまんしているのと、教室中を動き回ったせいで息が上がっていた私は、うなずくことしかできなかった。

「はい」

 彼は、私にノートを返してくれた。当然、楽しんでいた男子たちからは、ブーイングの嵐である。

「なんだよ俊。ノリ悪いなあ」

 ぎゅっと胸の前でノートを抱きしめた私の背中側から、彼――俊くんに、ヤジが飛ぶ。タケルくんの声を皮切りに、みんながみんな、彼の紳士的な行動を批難した。

「あのさ」

 俊くんの声は穏やかだった。声変わりをするにはまだ早いはずなのに、クラスの中の誰よりも大人びた声なのは、性格が表れていたからかもしれない。

「こういうことする奴の方が、『だっせぇ』と思うけど?」

 教室内の馬鹿みたいな大声は、廊下を歩いていた彼の耳にも届いていたようだ。冷静に、「どこが面白いの?」という顔で告げた俊くんに、タケルくんたちは「ぐぬぬ」と、押し黙ってしまった。

 俊くんは私に向き直ると、こう言った。

 たぶん、この後の一言がなければ、私は彼に、こんなにも長く片思いをすることはなかっただろう。

 助けてくれた、いい人。親切な、他の男子とは全然違う男の子。もうちょっと話をしてみたい、仲良くなってみたい。でも、ただそれだけの人で終わるはずだった。

「可愛いね、それ」

 微笑みとともに投げかけられた言葉に、私はつま先から頭のてっぺんまで、一気に何かが駆け上がるのを感じた。それにともなって、顔が熱くなり、お礼の言葉を言わなければならないのに、声が出せなくなる。

 たぶん、自分自身のことを可愛いと言われるのよりも、嬉しかった。私はお世辞にも、美少女とはいえないし。
 
 他の子たちに「ダサい」と言われたハートちゃんは、私の中の「可愛い」と思うものを、ぎゅっと集めたものだ。私の価値観を認めてくれたのが、嬉しかったのだ。

 俊くんは、私の不審な様子を気にするでもなく、笑って自分の席へと戻っていった。

 チャイムが鳴って、ようやく私も動けるようになり、教室中央らへんにある自分の机に向かい、着席した。

 先生がやってきても、ドキドキする気持ちは止まらなかった。

 これは、なんだろう?

 斜め後ろから、俊くんの顔をそっと見つめる。昨日までは一切、気にならなかったのに。

 今日も窓の外は曇っているけれど、なぜか彼の横顔だけは、光り輝いて見えたのだった。

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