クライン工房へようこそ!【第15部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第12部

第八章 小鳥は羽ばたく②

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 その時、彼女は茫然自失となっていた。
 朝――実際は昼過ぎ――起きた時から、ずっとこの様子だ。
 ベッドの上に、ポツンと座っていると、窓からの日差しが目に入った。
 眩しさで瞳を細めた時、視界の端に赤い眼鏡を見つけた。
 手に取って、頭上に掲げてみる。
 赤い眼鏡は、フレームの部位がひしゃげていた。
 お気に入りだった眼鏡だったが、これではもう使い物にならない。

 彼女は、しばしそれを見ていたが、不意に、にへらと童女のように笑った。
 ようやく彼女に思考が戻ってくる。

 ――ああ、私は遂に……。

 ベッドの横に眼鏡を置き、続けて両手で腹部を押さえてみる。
 数秒の静寂。
 彼女はまたも、にへらと笑った。

 ――昨晩は、ここに何度灼熱を感じたことか。

 一体、彼のどこが四十代だというのか。
 まだ二十代の自分が、完全に体力負けしてしまった。
 あまりの激しさに、何度果てたのか分からないぐらいだ。
 彼女は、ふふっと笑ってベッドから立ち上がる。と、その時、ズキン、と下腹部よりもさらに下が少し痛んだが、それさえも愛しかった。
 これもまた彼が刻んでくれたものだから。

 しかし、そこでふと疑問が浮き出る。
 どうしてか彼の姿がない。

 キョロキョロ、と室内を見渡した。
 昨晩、自分が着ていた『浴衣』がベッドの下に落ちていることに気付く。
 改めて、自分が全裸であることに気付くが、それは今更のことだ。
 昨晩、まさに自分のすべてを捧げて、さらけ出したのである。
 彼に対してもう隠すものなどなかった。

 彼女は愛しい彼の姿を探したが、室内には見当たらなかった。
 どこかに出かけたのだろうか?
 彼女はベッドから立ち上がると、ひょこひょこと歩き始めた。
 と、そこで机の上に紙があることに気付く。
 伝言だろうか? 手に取ってみた。

 そして――。

 彼女は、顔色を一気に青ざめさせた。
 彼女は紙を放り投げると慌てて近くにあった服を着た。前日にも着ていたタイトパンツに、ビロードの赤い上着だ。化粧をする暇も、髪を整えて結いでいる暇もない。
 彼女は本調子でない体で外に飛び出した。
 一階で女将と出会い、『昨晩は楽しめたかい?』と尋ねられた。
 本来ならば、決め手を授けてくれた女将に心から感謝をし、謝礼さえも贈るべきところだったが、今は答える余裕もない。

 宿から出るなり、彼女は愛機を召喚した。
 輝く転移陣。
 現れ出たのは、全体的に丸みを帯びた甲冑を纏う真紅の鎧機兵。レイピアを携えた、馬の尾のような兜飾りが特徴的な機体だ。
 彼女の愛機・《羅刹》である。

 ここは大通りだったので、流石に通行人がギョッとするが構わない。
 構うだけの余裕がない。
 彼女は、羅刹に飛びつくように乗りこんだ。
 操縦シートに跨ると、ズキンと下腹部辺りが痛んだが、それも無視する。
 そうして、彼女の愛機は走り出した。
 目的地は彼の宿敵のいる工房だ。

 もしかしたら、そこにはすでにいないかもしれない。
 なら王都の外か。

 そう言えば、この街の近くには、そこそこ大きな森があると聞いた。
 そこならば恐らく邪魔は入らない。戦闘に適した場所だろう。
 明晰な知性を取り戻した彼女は、瞬時にそこまで考えた。


「……ボルドさま」


 彼女は、ギュッと操縦棍を強く掴んだ。
 そして愛機に願う。


「――急いで! 《羅刹》!」


       ◆


《地妖星》は、軽やかに跳んだ。
《朱天》の頭上を飛び越えて着地。反転する間も惜しんで戦鎚を背後に振るう!
 対し、《朱天》は竜尾を躍動させて迎え撃った。
 ――ガガンッ!
 竜尾と、戦鎚がぶつかり合う。
 火花が散った。
 すると、それを合図のように、二機はそれぞれ前へと駆けだした。
 そしてほぼ同時に反転すると、互いに《雷歩》で跳躍。
 今度は、鋼の拳と、戦鎚をぶつけ合った。
 ズズン、と地が揺れる。
 刹那、《朱天》が戦鎚を掴んだ。
 続けて、膂力に任せて振り回す。《地妖星》は戦鎚を離そうとはしない。《朱天》はさらに加速させて《地妖星》を放り投げる――が、
 くるくる、と。
 鎧機兵である《地妖星》は猫のように宙空で姿勢を整え、あっさりと着地した。


『猫かよ。てめえの鎧機兵は』


 アッシュは、呆れた口調で語る。


『まあ、機体の半分は虎。一応猫型ですし』


 そう言って、《地妖星》は肩を竦めた。


(本当に厄介だな)


 アッシュは舌打ちする。ボルドの《地妖星》に限らず、《九妖星》の機体は、通常の鎧機兵の理外にある機体が多い。
 あの身軽さは、やはり形態によるところが大きいのだろう。
 あれには、いつも苦慮させられる。


(さて。どう攻めるか)


 アッシュは双眸を細めた。
《地妖星》は、ゆっくりと左右に弧を描いて戦鎚を振っていた。
 振り子のように動く戦鎚に隙はない。
 あの構えから、一気に加速。怒涛の攻めが来るのだ。


(やっぱ強ェえな。あのおっさんは)


 手強いことは百も承知だ。
 それでも、負ける訳にはいかないのである。
 アッシュの後ろには、ユーリィがいた。
 彼女は今、操縦シートの後ろに座り、アッシュの腰にしがみついていた。
 いつものように、戦闘中、彼女は何も喋らない。
 不要な声を上げて、アッシュの集中力を削がないためだ。
 この健気な少女を人買いなどに渡す気はない。


(ちまちま考えんのもらしくねえか)


 アッシュは、操縦棍を握る手に力を入れる。


『おや? 来ないのですか? クラインさん』


 と、ボルドが催促してくる。
 アッシュは、苦笑を浮かべた。


『ああ。そうだな』


 双眸を細める。


『どうせ手の内も大体読まれてるし。なら迷うだけ馬鹿らしいか』


 そう告げる。
 と、同時に《朱天》が拳を胸部装甲の前で叩きつけた。
 アッシュのルーティーン。
 本格的な戦闘の開始を告げる号砲だ。


『じゃあ、行くぜ』


 アッシュは宣言する。
 と、ユーリィが信頼を寄せるように、強く彼に抱き着いた。
 アッシュが全力を尽くせるように体を寄せたのだ。
 この子を奪われてたまるものか。
 アッシュは、より強く操縦棍を握りしめた。


『そろそろ本番と行こうぜ。おっさんよ』
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