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第13部

第七章 二人は再び出逢う③

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 風で揺れる白い砂浜。
 ――ざく、ざくっ、と。
 二人は、波打ち際沿いに砂浜を歩いていた。 
 サクヤの歩幅に合わせて、アッシュがゆっくりと歩く。
 足音と、さざ波の音だけが周囲に響く。

 二人は、ずっと無言だった。
 互いにまだ困惑していたのもあるが、沈黙が心地よいからだ。
 けれど、いつもでもこうしてもいられない。

「……サク」

 アッシュは足を止めて口を開いた。
 サクヤも足を止めて、アッシュの方に振り向く。

「教えてくれ」

 アッシュは、真剣な面持ちで尋ねた。

「一体、お前に何があったんだ? あの日、光になって消えちまったお前が、どうしてここにいるんだ?」

 ――あの日。
 相棒と共に《聖骸主》だったサクヤに挑み、アッシュは勝利を手にした。
 遂に宿願を果たした。
 しかし、アッシュの胸中にあったのは、深い虚無と絶望だった。
 アッシュは強い焦燥と共に、数年ぶりに彼女を両腕に抱いた。
 力を使い果たしたサクヤは、四肢の端から光と成っていた。
 そうして、そのままアッシュの腕の中で、完全に光になって消えてしまったのだ。
 それが《聖骸主》の最期。
 何度か見てきた最期のはずだった。

「どうしてお前は……」

「……とても暗い世界に……」

 サクヤは、瞳を細めて語り出した。

「ボロボロで、一人ぼっちのドラゴンさんがいたの」

「……サク?」

 アッシュは眉根を寄せる。サクヤは歌うように言葉を続けた。

「かつては、怒りと憎悪に囚われていた暴虐の化身だった。けど、本当の彼は少し皮肉屋さんで、とてもお節介なドラゴンさんだったの。消えてしまう寸前の魂に、涙を零すぐらいに彼は優しかった」

「…………」

 アッシュは表情を改めて耳を傾ける。

「彼は、消えてしまうはずだった私に機会をくれたの」

 サクヤは風になびく黒髪を手で押さえた。

「ステラクラウンに戻れるかは私の想い次第。私が心から本当に逢いたいと願えば、世界の狭間を越えられるって。それがステラクラウンに戻る道標になる。そう言って、彼は私に加護を与えてくれた」

 暴虐の化身が流した一滴の慈悲の涙。
 それこそが、サクヤに与えられた加護だった。

「そうして、お前は戻ってきた訳か……」

 アッシュがそう呟くと、サクヤは「うん」と答えた。

「信じられない話だと思うけど、それが、ここに私が戻ってこられた理由なの」

「…………」

 アッシュは無言だった。
 正直、サクヤの言葉であっても信じ難い話だ。
 しかし、アッシュにはその話と似た知識があった。

(……『異界渡り』か)

 かつて神学者を気取る男が語った話だ。
 死の国である煉獄さえも一つの異界と定義するのなら、『異界渡り』によって人は蘇ることが出来る。あの男はそう語っていた。
 眉唾な話だが、サクヤの身に起きたことは、まさにそれだった。
 そして、彼女の言うお節介で優しいドラゴンとは……。

「サク……お前は」

「……トウヤ」

 サクヤは、アッシュの声を遮った。
 その表情は少し緊張した面持ちだった。

「……私も聞きたいことがあるの」

 彼女は視線を逸らして、アッシュに問う。

「私にはもうその資格がない。それは分かっている。だけど、それでも聞きたいの。確認したいの。トウヤは……」

 そこで、サクヤは口を噤む。
 何かを堪えるように強く拳を固める。
 数秒の間が空いた。
 そして――。

「トウヤは、今でも私を愛してくれていますか……?」

 言って、サクヤはギュッと瞳を瞑った。
 アッシュは大きく目を瞠った。

「わ、私は、トウヤに酷いことばかりしたから。だ、だからもう……」

 サクヤは瞳を瞑ったまま、言葉を続けた。
 沈黙が続く。
 サクヤは、ただひたすらアッシュの言葉を待ち続けた。
 すると、

「……馬鹿だな」

 言って、アッシュは彼女の頭に手を置いて、自分の胸板に強く寄せた。
 サクヤは閉じていた瞳を見開いた。

「愛してなきゃ、ここに逢いに来る訳ねえだろうが」

「……トウヤぁ」

 サクヤは、くしゃくしゃと表情を崩した。
 アッシュは、彼女を強く抱きしめた。

「俺は今でもお前を愛しているよ」

「……ぐすっ、ホント?」

 サクヤが、瞳に涙を滲ませて問う。

「女の子があんなに一杯いるのに?」

「……ん?」

 アッシュは少し眉根を寄せた。サクヤはゴシゴシと瞳を擦って、

「オトハさんとか、ユーリィちゃんとか、サーシャちゃんとか、アリシアちゃんとか、ミランシャさんとか、シャルロットさんとか、ルカちゃんとか……」

「――サク!? なんでお前があいつらの名前を!?」

 アッシュは愕然とした。
 想定外の台詞に、思わずサクヤから飛び退くほどだ。
 が、少し冷静になって、

「あ、そういや、ミランシャとシャルとは、もう面識があるって話だったか? オトのことは……ああ、そっか。『屠竜』関連で知ってんのか。けど、なんでサーシャとかルカ嬢ちゃんの名前まで……」

「それは当然調べるよ」

 涙を拭き終え、サクヤは顔を上げた。

「……当然なのか? それって?」

 困惑するアッシュ。すると、サクヤは少しムっとした表情を見せた。
 両手を腰に、大きな胸をたゆんっと揺らして、前屈みにアッシュを睨みつける。

「当然だよ。まあ、ドラゴンさんの話だと、今の私は狭間を越えたせいで、少し心が変質してて、本能が強くなっているそうだから、嫉妬深くはなっているんだけど」

「…‥いや。お前、今さらりと変質とか怖い台詞を言ったな」

「それはいいの。もう色々と自分の本音が分かって乗り越えたから。それより、私を愛してくれる、私の愛するトウヤさん」

「お、おう……」

 サクヤの迫力の前に、アッシュは声を詰まらせた。

「あれほどの美女と美少女ばかり本当によく集まったものだわ。それでどうなのかな、トウヤさん? もう何人かは手を出しちゃったのかな?」

「いや!? 何人も手を出してねえよ!?」

 アッシュの叫びに、サクヤはジト目を向けた。

「ふゥん。何人もじゃないのか。?」

「――うぐっ!?」

 アッシュは、ダラダラと汗をかき始めた。
 サクヤは深々と溜息をついた。頬に手を当てる。

「やっぱり予想通りね。順当に考えると、オトハさんかミランシャさんかな? もしくは容姿や性格が凄くトウヤ好みのサーシャちゃんとか。まさか意表をついてユーリィちゃんとか、ルカちゃんとかじゃないよね?」 

「い、いや、サクヤ?」

 アッシュは困惑した声を上げるが、サクヤは聞いていない。

「……まあ、いいわ。これも予想通りなだけだし。コウちゃんでさえあの状況だもの。トウヤがこうなっているのは想像できたし。私が愛されていることを確認できた今、私もようやく覚悟を決めたわ」

 言って、サクヤはアッシュの胸に指先を突き付けた。

「トウヤ。これだけは改めて言わせて」

「お、おう……」

「一番は私だから! 私こそがトウヤの正妻だから!」

「…………え」

 アッシュは一瞬ポカンとした。
 が、すぐに顔色を変えて、

「サクッ!? 何言ってんだ!?」

「……え?」

 すると、今度はサクヤの方がキョトンとした。

「……? だから、奥さんが沢山いても私が一番って話だよ?」

「サクッ!?」

 アッシュはサクヤの額に手を当てた。

「お前、熱でもあんのか!?」

「……? 私、平熱だよ?」

 サクヤは、ますますキョトンとした。
 アッシュは唖然とした。長い付き合いで分かる。サクヤは本気で言っている。

(……おおう)

 アッシュは言葉を失った。
 ようやく再会した恋人は、随分とぶっ飛んだ思考に辿り着いていた。
 アッシュはサクヤの額から手を離し、自分の頭をかいた。

「ま、まあ、その話は後でしよう」

「うん。そうだね」

 サクヤは、こくんと頷いて呟く。

「これだけ花嫁さんがいると結婚式も大変だろうし」

「いや……あのな、サク」

 アッシュが頬を強張らせる。
 と、その時だった。


「〈いやいや。それは小生が困るのである〉」
 

 不意に、砂浜に新たな声が響いた。
 聞いたこともない声だった。
 アッシュは振り向き、サクヤも視線を声の方に向けた。
 二人は大きく目を見開いた。
 そして――。

「……おいおい」

 アッシュは、双眸を細めて呟く。

「随分と斬新で個性的な格好じゃねえか。近くで仮装パーティでもしてんのか?」

「〈それはとても楽しそうであるが、小生とは無関係である〉」

 と、声の主は言う。
 円筒の頭部を持つ、黒のタキシードに身を包んだ怪物。オルドスだ。
 アッシュはサクヤに囁く。

「…‥サク。知ってる奴か?」

「……ううん」

 サクヤは神妙な顔つきでかぶりを振った。

「知らないよ。初めて見る人……そもそも人なのかな?」

「それは疑わしいよな」

 アッシュは苦笑を浮かべつつ、オルドスに尋ねる。

「そんで円筒さん。俺らに何か用か?」

「〈そなたには用はないのである〉」

 オルドスは、サクヤをじっと見つめた。

「〈用があるのは、そちらの花嫁だけである〉」

「……花嫁だって?」

 アッシュは剣呑な表情を浮かべた。
 サクヤは悪寒を感じたのか、アッシュの背に少し身を隠す。
 それに対し、オルドスは上機嫌だ。

「〈そう。花嫁である。さあ、我が花嫁よ〉」

 オルドスは両手を広げて告げた。

「〈小生の元に。そして小生の子を産んで欲しいのである〉」
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