クライン工房へようこそ!【第15部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第3部

第三章 初めての……。③

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 アリシア=エイシスは才色兼備で知られる少女だった。
 容姿は端麗であり、騎士学校においては実技・座学ともにトップクラス。学年ごとの上位十名のみに授与される「十傑」の称号も持っている。
 さらに言えば家柄もよく、彼女の家・エイシス家は侯爵の位を持つ二百年以上の歴史を持つこの国最古の大貴族であり、現在、第三騎士団・団長を務める彼女の父を始め、優秀な騎士を多く輩出してきた家系だ。

 誰もがうらやむほど恵まれた少女。しかしそんな彼女にも二つほど悩みはある。
 まずは性格だ。アリシアの性格は気風がよく、やや男勝り。凛とした顔立ちも相まってオトハ以上に「麗人」という言葉が似合う少女だった。
 そんな自分の性格も以前までは大して気にもしていなかったのだが、最近になってもう少し女らしくなれないものか、と悩み始めていた。
 今着ているお嬢様に似合いそうなワンピースも、その悩みから購入したものだった。急ぎ着替えた、今回の旅行のために持ってきていた予備の一着である。

 そしてもう一つの悩みは――スタイルだ。
 明らかに平均以下の胸。親友のそれとは比ぶべくもない。
 これも以前は気にしていなかった。むしろ、実技においては邪魔だとさえ思っていた。
 しかし、あの青い湖で聞いた事実は、彼女の小さな胸に今も突き刺さっていた。

(……ふう。は大きい方が好み、か……)

 せめて親友の半分もあれば、と常々思う。
 つい自分に対する失望感から吐息がもれてしまった――その時だった。

「どうした? 退屈か? アリシア嬢ちゃん」

 不意に声をかけられ、アリシアはドキッとした。
 そして、慌てて隣を歩く紅いベストを着た青年に笑みを浮かべて、

「そ、そんなことありませんよ。考えてみたら、アッシュさんと二人きりで行動するのって初めてだな~って思っちゃって……」

 と言われ、青年――アッシュは首を傾げた。

「ん? ああ、そういやそうかもな。どうしてか嬢ちゃんの親父さんの方とは何かと話す機会が多いんだが……」

「え? う、うちの父親とですか?」

 アリシアがキョトンと目を丸くする。それは初めて聞く話だった。

「ああ。ジラール事件の時にも世話になったし、オトのバイト先を斡旋してくれたのも親父さんだ。その他にも、まあ、たまに街で会うとそのままお茶してんな」

「は、はあ……」

 それも初耳だ。まさか自分の父親と彼がそんな親しい間柄だったとは。
 と、その時、アリシアはふと思い出す。

(あっ、そう言えば……)

 今回の旅行。出立の時、父は実に複雑そうな顔でアリシアに話しかけてきた。

『なあ、アリシア。少しいいか?』

『? 何よ父さん? そろそろ出かけるんだけど?』

『手間はとらせん。少し話があるだけだ』

 そして、父――ガハルドは、う~むとあごに手を当て、

『父親としてはいささか複雑な気分なんだが……まあ、父さんは反対ではないと言っておこう。しかしな、それでもお前はまだ子供なんだ』

 父の意味不明な台詞に、アリシアは眉根を寄せた。

『……何よそれ? どういう意味なの?』 

 そう素直に返すと、ガハルドはわずかに顔をしかめて、

『いや、私としてはな。今はできるだけ清く正しい付き合いを……そう。せめてお前が二十歳ぐらいになるまでは自重してな……』

『……? 全然意味が分かんないんだけど?』

 ますます眉をひそめる娘に、ガハルドは、はあっと嘆息した。

『……まあ、いいさ。彼は生真面目な常識人だし、無用な心配か。とりあえず今回は楽しい思い出を作ってきなさい』

 そう言って、ガハルドはアリシアを見送ったのだった。
 あの時は父が何を言っているのか理解できなかったのだが……。

(え? ええっ!? そ、そう言うこと!? わ、私って父親公認なの!?)

 カアアァと頬が赤くなる。
 どうして父が自分の恋心に気付いていたのかまでは分からないが、要するに父は「交際は認めるが、最後の一線だけは自重しろ」と言っていたのだ。

(あ、あの馬鹿親父は――ッ!)

 思わず心の中で絶叫するが、何の意味もなかった。
 それにしてもまさか自分の方の外堀がいつの間にか埋められていたとは……。

(さ、流石はアッシュさんね……)

 変なところで感心するアリシアだった。

「ん。どうかしたかアリシア嬢ちゃん。いきなり黙り込んで」

「い、いえ、それでアッシュさん。これからどうしますか」

 二人は今、多くの人が行きかう大通りの歩道を並んで歩いていた。両脇に喫茶店や工芸アクセサリー店などが軒を連ねる一角だ。

「まあ、そうだな。嬢ちゃんはどこか行きたいとこはねえのか?」

「そうですね。とりあえず母への土産でも物色したいと思いますけど」

 そう言って、アリシアは隣にある工芸店に目をやった。
 アッシュもつられて店に目を向ける。
 そこは、露天商などではなく、れっきとした店舗だった。大きなウインドウには色とりどりの宝石をあつらえたペンダントや指輪が展示されている。

「へえ~。アリシア嬢ちゃんのお袋さんは工芸アクセサリーが好きなのか?」

「ふふっ、工芸アクセサリーが嫌いな女の子もいませんよ。母も例外ではありません」

 いたずらっぽく微笑むアリシア。
 それを聞き、アッシュはふむふむと頷き、

「なら、アリシア嬢ちゃんにも何か一つ買ってやろうか?」

「……え?」

 アリシアが硬直する。

「親父さんに世話になってんのもそうだが、アリシア嬢ちゃんにも色々助けてもらってるからな。特にこないだの《業蛇》の一件じゃあユーリィが迷惑かけたし」

「え? いや、けど、いいんですか……?」

 困惑するアリシア。彼女は上目づかいでアッシュを見つめていた。

「ああ、別に構わねえよ。まあ、流石に高いのは難しいけど……」

 苦笑を浮かべてアッシュはそう答える。アリシアはまだ困惑顔だった。

「け、けど……」

 なお戸惑うアリシアに、アッシュは、

「ダメか? 出来れば受け取って欲しいんだが……」

 と、少し困ったような表情を浮かべる。
 それを見た途端、アリシアの鼓動は跳ね上がり、気付いた時には返答していた。

「わ、分かりました! 受け取らせて頂きます! そ、そのありがとう、ございます」

「おっ、そっか。んじゃあ、店ん中に入ろうぜ」

 アッシュは嬉しそうに笑った。アリシアはただ真っ赤になるだけだった。
 そうして二人は店の中に入っていった。

(……へえ)

 アッシュは店内に入るなり感嘆の息をもらした。意外と雑多した雰囲気の店だ。
 王都にあるような敷居の高い宝石店などと違い、土産物として工芸アクセサリーを置いてあるのだろう。いくつかの大きな台座に置かれた指輪やペンダント。あちこちにある飾り木には果実のように無数のブレスレットをつるしてある。イメージは宝石の森か。

「あっ、いっらっしゃい。お客さん」

 ラフな格好をした女性店員が親しげに迎えてくる。
 アッシュは笑みを浮かべて店員に尋ねた。

「なあ、この子に似合う工芸アクセサリーってあるかい?」

「うちには何でも揃ってますよ。それにしても可愛い子ですねぇ。恋人さんですか?」

「わ、私は……っ」

 いきなりの店員の言葉に、アリシアは動揺する――が、

「ははっ、だったら光栄なんだが、まあ、知り合いの子さ」

 アッシュの返答にがっくりと肩を落とす。
 しかし、続くアッシュの言葉に、アリシアは顔を上げた。

「けど、大切な子なんだよ。だから何かプレゼントを贈りたくてな」

「アッシュさん……」

 アリシアは、キュッとアッシュの袖を掴んでいた。
 そんな客人達の様子を、若い女性店員はまじまじと見つめ、

「ふふ~ん。さては、年上の上司の部下と、お嬢様の密会ってとこですね」

 勝手にストーリーを組み上げたらしい。
 続けて店員は肘に手を当て、うんうんと頷くと、

「そうですね。それなら指輪やペンダントよりこっちの方がいいでしょう」

 そう言って店員は飾り木の一つに近寄ると、目を細めて物色。そして銀色に輝く一つのブレスレットに手を伸ばして取り外した。

「お客さん。このブレスレットはどうでしょう?」

 店員はアッシュ達の元に戻ると、そのブレスレットを手渡してきた。
 アッシュはブレスレットを天にかざした。

「ほう。これは中々凝ってんな」

 一見すると、ただの細い銀の輪にしか見えないそのブレスレットは、実際には細かい花の意匠をこさえた一品だった。かなりの出来栄えだ。
 アリシアもアッシュの傍に寄って、ブレスレットを見つめた。

「へえ~。確かに綺麗なブレスレットですね」

 感嘆の声を上げるアリシア。どうやら気に入ったようだ。
 アッシュは値札タグを見る。少しばかり値は張るが、充分想定内の金額だ。

「なあ、アリシア嬢ちゃん。これ気に入ったかい?」

「え? あ、はい。けど、これ少し高いんじゃ……」

「ははっ、そんなの気にすんなって。じゃあ、これを贈らせてもらうよ」

 そう言って、アッシュは店員に声をかけ、銀貨一枚を支払った。
 店員は「お買い上げありがとうございます~」と言って値札タグを切り取る。
 と、そこで、ふとアッシュに尋ねてきた。

「ところでお客さん。これは袋に詰めた方がいいですか?」

「ん? そりゃあ袋に入れた方が……って、ああ、なるほど。そう言うことか。う~ん。それなら袋はいいか。そのままくれ」

「分かりました。それではどうぞ」

 言って、店員は銀のブレスレットを手渡してきた。
 アッシュはそれを受け取ると、

「おう。サンキュ。じゃあ、アリシア嬢ちゃん、行こうか」

「え、あ、そうですね」

 そうして二人は店から出て行った。
 店員はにこやかに「またのお越しを~」と手を振っていた。

「さて、と」

 アッシュはそう呟くと、近くの空いているベンチを探す。

(おっ、あったあった)

 すんなりと空席は見つかった。アッシュはアリシアを連れてそのベンチに向かうと、そこに彼女を座らせた。

「あの、アッシュさん……?」

 アリシアは困惑していた。そんな少女にアッシュはニカッと笑い、

「アリシア嬢ちゃん。右手を貸してくれ」

「右手、ですか?」

 言われ、アリシアは右手を差し出した。
 すると、アッシュはその白い手を優しく掴んできた。
 アリシアは言葉もなくドキッとする。
 しかし、そんな少女の様子にもお構いなく、アッシュは購入したばかりのブレスレットの金具を器用に片手で外すと、アリシアの細い手首にカチッとはめた。

「うん。よく似合うぞ。アリシア嬢ちゃん」

「ア、アッシュさん……。ありがとうございます」

 アリシアは幸せそうに微笑む。
 が、実はそれは仮面だ。その淑女のような笑みの裏側では、彼女は跳びはねんばかりに大喜びしていた。なにせ、好きな人からの初めてのプレゼントだ。

(やったッ! やった――ッ!)

 歓喜で今にも綻びそうな口元を抑えるのに必死だった。
 だがしかし、これはただの嬉しいハプニングにすぎない。彼女はまだ本来の目的を果たしていなかった。

(そうよ。私の今日の目的は……)

 アリシアはじいっとアッシュを見つめる。

「ん? 何だ? どうかしたのかアリシア嬢ちゃん」

「……あの、アッシュさん。実は一つだけお願いがあるんです」

 唐突なアリシアの言葉に、アッシュは首を傾げた。
 お願いとは一体何なのだろうか。
 と、疑問符を頭に浮かべている内に、

「あ、あの実は……」

 アリシアは躊躇いがちに告げる。

「その、アリシア『嬢ちゃん』ってやめてもらえませんか」

「……へ?」

 それは意外なお願いだった。

「あ、もしかして嫌だったのか?」

 アッシュの素朴な問いに、アリシアはおずおずと答える。

「まあ、嫌ってほどじゃないんですけど、私って一応、家の中では使用人に『お嬢さん』とか『お嬢さま』とか呼ばれているんですよ。なんかアッシュさんにまで似たような語感で呼ばれるのは違和感を覚えて……」

「ああ、なるほど。使用人を相手にしている時みたいな感じになるか」

 アッシュは勝手にそう納得した。アリシアはこくんと頷く。

「はい。だから出来ればやめて欲しいな~って」

「ふ~ん。まあ、それはいいけど、なんて呼べばいいんだ?」

 アッシュがそう尋ねてくる。
 アリシアの瞳がキランと光った。その台詞を待っていたのだ。
 彼女は平然を装いながら小首を傾げて告げる。

「う~ん、そうですねえ。普通に『アリシア』でいいと思います」

「何だ、それでいいのか?」

 アッシュが尋ねると、アリシアは「はい」と頷く。

「ふ~ん。そっか。まあ、別に構わねえが」

 アッシュはあっさりと了承した。
 そして内心ではドギマギしているアリシアを見据えて、

「そんじゃあ、これからもよろしくな。アリシア」

「え、ええ、これからもよろしくお願いします。アッシュさん」

 そう返して、アリシアは笑った。

 ……ああ、今日はまさに最高だ。
 初めてプレゼントを貰い、しかも名前まで呼んでもらえた。
 アッシュの傍でなければ小躍りしたい気分だった。
 そして、青い空を見上げ、

(やった――ッ! 私、やったわ――ッ!)

 多大な戦果に、心の中で絶叫するアリシアであった。
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