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第6部
第七章 求めるモノは……。③
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「……隊長」
ダイモンと仲間の一人を両手に抱えて、クラークが尋ねる。
「作戦はどうする? どこで迎え撃つ?」
そこは、木造屋敷の門前。
廃墟のような屋敷が並ぶ界隈の一角であり、石畳で舗装させた大通りだった。
時刻は夜の七時。他の市街区の地区ならば、まだまだ人通りの多い時間帯なのだがここは半ば閉鎖区域のような場所なので人気はない。
そこに今、気絶している三人も含め、九人の男が集まっていた。
わずかな時間、男達の間に静寂が訪れる。
「……いや。迎撃はしない」
すると、この一団の隊長であるハンが、ようやく口を開いた。
「これ以上の作戦続行は不可能だ。我々は撤退する」
部下達は大きく目を見開いた。
クラークを始め、全員が動揺を見せる。
「ど、どういうことだハン隊長! 俺達《悪竜の使徒》は最後の一兵に至るまで使命のために尽くす。それが《教団》の信条のはずだろ!」
「……それは先代の信条だ。姫さまの信条ではない。命を引き換えに使命を果たせるのならばいざしらず、あの方は我らが無駄に死ぬことなど望んでおられない」
「……う、ぬ」
クラークは言葉を詰まらせた。他のメンバーも呻いている。
彼らの現盟主は慈悲深き女性だった。ハンの指摘は的を射ている。
「もはや《悪竜の尾》を奪回するのは不可能だ」
ハンは淡々と告げる。
「ならば損失は最小限にする。ここは私が殿を務めよう。お前達が安全圏に撤退するまで私が《七星》どもを食い止める」
「た、隊長!?」「何を言っているんですか!?」「殿なら俺がします!」
ザワザワとざわめき始める部下達。
そんな中、クラークが神妙な声で隊長に進言する。
「……ハン隊長。いくら何でも一人では無理だ。奴らはグレイシア皇国の誇る化け物どもだぞ。俺も残る」
しかし、対するハンは冷静な顔つきでかぶりを振った。
「ダメだ。と言うより、鎧機兵戦では全員で挑んでも時間稼ぎさえ難しいだろう。私はすでに最後の手段を覚悟しているんだ」
そう言って、ハンは部下の一人から《サジャの仮面》を受け取った。
続けて、懐に手を入れ、赤い液体の入った小瓶を取り出した。
クラークを含め、部下達は目を瞠った。
「それは《獣王の血》か?」
クラークが呟く。
《獣王の血》とは固有種の魔獣の血を元に製造した身体強化薬だ。
使用すれば痛みも疲れもなく、戦い続ける事が出来る。
ただし、欠陥つきの魔具であり、数十秒で正気を失う劇薬でもあった。
「そんな対人戦の魔具で何を――いや、《サジャの仮面》まで持ち出すのは……」
そこでクラークは青ざめる。ハンの意図を察したのだ。
「おい、ハン隊長……。あんたまさか」
「そのまさかだ。この組み合わせで使う。それならば時間も稼げよう」
ハンは一切表情を変えずにそう告げた。
クラーク達は、隊長の覚悟に何も言えない。
すでに彼らの隊長は、おぞましい死を覚悟していたからだ。そこまで覚悟している戦士に今更決意を止めるような言葉などかけられなかった。
そしてクラークは長い沈黙の後、今かけるべき言葉を告げる。
「……分かった。この部隊は俺が隊長代理を引き継ぐ」
「……ああ、頼んだぞ。クラーク」
ハンは笑う。クラークもまた笑みを浮かべた。
「いつかまた煉獄で会おう。ハン」
「ああ。煉獄でな。俺は先に行って待っているよ」
と、最後の言葉を交わすハンとクラーク。
他の部下達も、次々に再会を約束する言葉を告げる。
ハンは一人ひとりに対し、丁寧に応えた。
そして、部下達全員に指示を出す。
「では撤退しろ。各自散開した後、A地点で合流。この国から脱出するんだ」
「「「――はっ! 了解しました!」」」
気絶している者を除き、全員が真剣な顔つきで応えた。
そうして、クラーク達は一斉に走り出した。
その姿を見送ってから、ハンはおもむろに《サジャの仮面》を被った。
と、同時に、地面が微かに鳴動し始める。
「……来たか」
ハンは振り向き、自分達のアジトであった屋敷を見据える。
バキバキバキッ――
砕け散る木片。そして屋敷を喰い破るように現れたのは黒い鎧機兵だった。
紅い四本角に、白い鋼髪。鬼のような貌と異形の鎧を纏う機体。
かの《七星》が第三座――《朱天》の姿である。
漆黒の鎧機兵はハンの姿に気付くと、訝しげに周囲を見渡した。
それからハンを見据え、
『……何だ? お前一人なのかよ?』
《朱天》の主人であるアッシュが問う。
『……気をつけろクライン。近くに潜んでいる可能性があるぞ』
と、《朱天》から女性の声も聞こえきた。
同乗しているオトハの声だ。
その声を聞き、ハンは内心でほくそ笑んだ。
(ふん。やはり負傷している女を戦わせようとはしないのか)
これは盟主から聞いた話通りであり、ハン達にとって都合が良かった。
いかに捨て身の切り札でも《七星》二人が相手では長くは持たない。
しかし、一人だけならば逃走の時間は充分稼げるはずだ。
「……伏兵などいないさ」
ハンは語り出す。
「ここにいるのは私だけだ。部下が逃げるまでの間、私がお前の相手をしてやる」
『……へえ』
アッシュは《朱天》の中で目を細めた。
『らしくねえ台詞だな。《教団》の連中は不退転が原則だと思ってたんだが』
その指摘に対し、ハンは皮肉気な笑みで返した。
「それは先代盟主の方針でな。今代の盟主は無駄な血は好まれないお方なのだ」
『……ほう。貴様らの頭目は代替わりしていたのか?』
と、尋ねるのはオトハだった。
ハンは静かに頷いた。
「その通りだ。《天架麗人》。今代の盟主は慈悲深きお方。我らが《ディノ=バロウス教団》は真なる盟主を得たのだ」
誇らしげにそう語るハンを、オトハは鼻で笑った。
『よく言えたものだ。結局やっていることはいつもと同じじゃないか。相手を殺してでも宝を奪う。言わば、ただの強盗だろう』
オトハのそんな辛辣な言葉に、ハンは肩をすくめた。
「盟主が代わっても使命は変わらないということだ。まあ、お前の場合は若干私情もあるんだがな。なにせ、お前を殺せばきっと盟主は――姫さまは喜んで下さる」
『……私を殺せば喜ぶだと? そう言えばさっきもそんなことを言っていたな』
オトハはアッシュの腰を掴みながら、眉根を寄せる。
その話には、アッシュも眉をしかめていた。
『どういうことだ? その姫さんってのはオトに恨みでも持ってんのか?』
アッシュは少し強い口調でハンに問い質した。
この会話は時間稼ぎの一つ。それは分かっているのだが、流石に気になった。
しかし、ハンは全く違う返答をする。
「ふん。姫さまからは、お前の話もよく聞いているぞ。《双金葬守》」
『……なに?』
思わず訝しむアッシュ。
すると《悪竜の使徒》は皮肉気に口角を崩した。
「お前達が一機で出てくることは分かっていた。以前、姫さまは仰っていた。傷ついた仲間を戦場に立たせたりはしない。『トウヤ=ヒラサカ』はそういう男だと」
「……………………は?」
ポツリと呟き、アッシュの表情は凍りついた。
男の言い放った台詞は、あまりにも不意打ちだった。
それこそアッシュの思考まで凍りつかせるほどの不意打ちだったのだ。
ドクン、と心臓が大きく高鳴る。
アッシュは黒い瞳を見開き、ただただ呆然とした。
いま告げられた名前が、あり得ないモノだったからだ。
その名前を呼ぶ者は、もう誰もいないはずだったからだ。
何故なら、その名前はあの日、小さな村と共に死んだ少年の名前で――。
「………クライン?」
明らかに様子がおかしいアッシュに、オトハは眉をひそめた。
すると、アッシュはわずかに喉を鳴らしてから――。
『……てめえ』
一気に形相を凶悪なモノに変えた。
そして、突き刺すような眼光でハンを睨みつけて問い質す!
『どこでその名前を――いや、その「姫」って奴は――』
「ふん。私からはこれ以上語るつもりはない」
しかし、アッシュの怒気にも、ハンの顔色は涼しいものだった。
「いずれお前は姫さまと出会うだろう。その時にあの方から直接伺うんだな」
そう言って、ハンは皮肉気に笑う。
アッシュの顔つきは、ますます険しくなった。
『……てめえ。ふざけてんじゃねえぞ』
ギリ、と歯を軋ませるアッシュ。
――ここは、何としてでも詳細を聞き出さなければならない。
主人の意志に応え、《朱天》が身を乗り出した。
しかし、その前にハンは大きく後方に跳躍し、間合いを取る。
そして《朱天》を静かな眼差しで睨みつけ――。
「ふん。おしゃべりはここまでだ」
そう告げて、ハンは右手に握りしめた小瓶の蓋を開けた。
「《悪竜の使徒》の力と覚悟。侮るなよ《七星》ども」
続けて、赤い液体を顔につけた仮面に注いだ。
途端、《サジャの仮面》はハンの顔の一体化するように溶け込んでいった。
『……何のつもりだ? この場面で《サジャの仮面》など……』
と、アッシュが訝しげに問う。
だが、ハンは何も答えない。――いや、答えられなかった。
「ぎ、ぐうう、ぎうううう……」
呻き声を上げて、身体を激しく痙攣させている。
ハンの両目は血走っていた。
そして――。
『……な、に?』『……こ、これは……』
アッシュとオトハは目を瞠った。
突如、服を引き千切って、ハンの身体が大きく膨れ上がったのだ。その上、黒い体毛が全身を覆い、骨格そのものが別種の生き物に変化していく。
『ま、まさか、お前……《サジャの仮面》に魔獣の血を捧げたのか!』
いち早く状況を察したオトハが叫び声を上げた。
オトハほど《教団》に詳しくないアッシュも現状を理解する。
『……魔獣にも変身できるってか。何でもありの仮面だな』
『いや、そんな融通の利くものではない』
アッシュの独白に、オトハは渋面を浮かべて答える。
『あの仮面は本来人間用だと聞く。もし魔獣などに変身すれば、身も心も魔獣と化して二度と元の姿に戻れなくなるぞ』
『……捨て身の覚悟ってことかよ』
アッシュは舌打ちする。
男の姿はすでに人間ではない。
どうやら尋問はもう叶わないようだ。
(……くそが)
苛立ちを隠せず歯を軋ませるアッシュ。
完全に失敗した。ハンの変貌はもはや止まらない。
そして、かつて人間だった男の姿は、みるみる巨大化していった。
「ごおおおおおおおおおおおおおおおおお―――ッ!!」
かくして轟く魔獣の咆哮。
ズシン、と四肢で石畳を打ち砕くのは、十五セージルを超える巨大な熊。
全身が黒い獣毛で包まれた獰猛な巨獣だ。
この巨躯にこの威圧感。間違いなく固有種の魔獣の一種である。
アッシュは「チィ」と舌打ちし、オトハは面持ちを険しくする。
廃墟区域とはいえ、アティス王国の市街区の一角にて――。
黒き魔獣は、その威容を現したのだった。
ダイモンと仲間の一人を両手に抱えて、クラークが尋ねる。
「作戦はどうする? どこで迎え撃つ?」
そこは、木造屋敷の門前。
廃墟のような屋敷が並ぶ界隈の一角であり、石畳で舗装させた大通りだった。
時刻は夜の七時。他の市街区の地区ならば、まだまだ人通りの多い時間帯なのだがここは半ば閉鎖区域のような場所なので人気はない。
そこに今、気絶している三人も含め、九人の男が集まっていた。
わずかな時間、男達の間に静寂が訪れる。
「……いや。迎撃はしない」
すると、この一団の隊長であるハンが、ようやく口を開いた。
「これ以上の作戦続行は不可能だ。我々は撤退する」
部下達は大きく目を見開いた。
クラークを始め、全員が動揺を見せる。
「ど、どういうことだハン隊長! 俺達《悪竜の使徒》は最後の一兵に至るまで使命のために尽くす。それが《教団》の信条のはずだろ!」
「……それは先代の信条だ。姫さまの信条ではない。命を引き換えに使命を果たせるのならばいざしらず、あの方は我らが無駄に死ぬことなど望んでおられない」
「……う、ぬ」
クラークは言葉を詰まらせた。他のメンバーも呻いている。
彼らの現盟主は慈悲深き女性だった。ハンの指摘は的を射ている。
「もはや《悪竜の尾》を奪回するのは不可能だ」
ハンは淡々と告げる。
「ならば損失は最小限にする。ここは私が殿を務めよう。お前達が安全圏に撤退するまで私が《七星》どもを食い止める」
「た、隊長!?」「何を言っているんですか!?」「殿なら俺がします!」
ザワザワとざわめき始める部下達。
そんな中、クラークが神妙な声で隊長に進言する。
「……ハン隊長。いくら何でも一人では無理だ。奴らはグレイシア皇国の誇る化け物どもだぞ。俺も残る」
しかし、対するハンは冷静な顔つきでかぶりを振った。
「ダメだ。と言うより、鎧機兵戦では全員で挑んでも時間稼ぎさえ難しいだろう。私はすでに最後の手段を覚悟しているんだ」
そう言って、ハンは部下の一人から《サジャの仮面》を受け取った。
続けて、懐に手を入れ、赤い液体の入った小瓶を取り出した。
クラークを含め、部下達は目を瞠った。
「それは《獣王の血》か?」
クラークが呟く。
《獣王の血》とは固有種の魔獣の血を元に製造した身体強化薬だ。
使用すれば痛みも疲れもなく、戦い続ける事が出来る。
ただし、欠陥つきの魔具であり、数十秒で正気を失う劇薬でもあった。
「そんな対人戦の魔具で何を――いや、《サジャの仮面》まで持ち出すのは……」
そこでクラークは青ざめる。ハンの意図を察したのだ。
「おい、ハン隊長……。あんたまさか」
「そのまさかだ。この組み合わせで使う。それならば時間も稼げよう」
ハンは一切表情を変えずにそう告げた。
クラーク達は、隊長の覚悟に何も言えない。
すでに彼らの隊長は、おぞましい死を覚悟していたからだ。そこまで覚悟している戦士に今更決意を止めるような言葉などかけられなかった。
そしてクラークは長い沈黙の後、今かけるべき言葉を告げる。
「……分かった。この部隊は俺が隊長代理を引き継ぐ」
「……ああ、頼んだぞ。クラーク」
ハンは笑う。クラークもまた笑みを浮かべた。
「いつかまた煉獄で会おう。ハン」
「ああ。煉獄でな。俺は先に行って待っているよ」
と、最後の言葉を交わすハンとクラーク。
他の部下達も、次々に再会を約束する言葉を告げる。
ハンは一人ひとりに対し、丁寧に応えた。
そして、部下達全員に指示を出す。
「では撤退しろ。各自散開した後、A地点で合流。この国から脱出するんだ」
「「「――はっ! 了解しました!」」」
気絶している者を除き、全員が真剣な顔つきで応えた。
そうして、クラーク達は一斉に走り出した。
その姿を見送ってから、ハンはおもむろに《サジャの仮面》を被った。
と、同時に、地面が微かに鳴動し始める。
「……来たか」
ハンは振り向き、自分達のアジトであった屋敷を見据える。
バキバキバキッ――
砕け散る木片。そして屋敷を喰い破るように現れたのは黒い鎧機兵だった。
紅い四本角に、白い鋼髪。鬼のような貌と異形の鎧を纏う機体。
かの《七星》が第三座――《朱天》の姿である。
漆黒の鎧機兵はハンの姿に気付くと、訝しげに周囲を見渡した。
それからハンを見据え、
『……何だ? お前一人なのかよ?』
《朱天》の主人であるアッシュが問う。
『……気をつけろクライン。近くに潜んでいる可能性があるぞ』
と、《朱天》から女性の声も聞こえきた。
同乗しているオトハの声だ。
その声を聞き、ハンは内心でほくそ笑んだ。
(ふん。やはり負傷している女を戦わせようとはしないのか)
これは盟主から聞いた話通りであり、ハン達にとって都合が良かった。
いかに捨て身の切り札でも《七星》二人が相手では長くは持たない。
しかし、一人だけならば逃走の時間は充分稼げるはずだ。
「……伏兵などいないさ」
ハンは語り出す。
「ここにいるのは私だけだ。部下が逃げるまでの間、私がお前の相手をしてやる」
『……へえ』
アッシュは《朱天》の中で目を細めた。
『らしくねえ台詞だな。《教団》の連中は不退転が原則だと思ってたんだが』
その指摘に対し、ハンは皮肉気な笑みで返した。
「それは先代盟主の方針でな。今代の盟主は無駄な血は好まれないお方なのだ」
『……ほう。貴様らの頭目は代替わりしていたのか?』
と、尋ねるのはオトハだった。
ハンは静かに頷いた。
「その通りだ。《天架麗人》。今代の盟主は慈悲深きお方。我らが《ディノ=バロウス教団》は真なる盟主を得たのだ」
誇らしげにそう語るハンを、オトハは鼻で笑った。
『よく言えたものだ。結局やっていることはいつもと同じじゃないか。相手を殺してでも宝を奪う。言わば、ただの強盗だろう』
オトハのそんな辛辣な言葉に、ハンは肩をすくめた。
「盟主が代わっても使命は変わらないということだ。まあ、お前の場合は若干私情もあるんだがな。なにせ、お前を殺せばきっと盟主は――姫さまは喜んで下さる」
『……私を殺せば喜ぶだと? そう言えばさっきもそんなことを言っていたな』
オトハはアッシュの腰を掴みながら、眉根を寄せる。
その話には、アッシュも眉をしかめていた。
『どういうことだ? その姫さんってのはオトに恨みでも持ってんのか?』
アッシュは少し強い口調でハンに問い質した。
この会話は時間稼ぎの一つ。それは分かっているのだが、流石に気になった。
しかし、ハンは全く違う返答をする。
「ふん。姫さまからは、お前の話もよく聞いているぞ。《双金葬守》」
『……なに?』
思わず訝しむアッシュ。
すると《悪竜の使徒》は皮肉気に口角を崩した。
「お前達が一機で出てくることは分かっていた。以前、姫さまは仰っていた。傷ついた仲間を戦場に立たせたりはしない。『トウヤ=ヒラサカ』はそういう男だと」
「……………………は?」
ポツリと呟き、アッシュの表情は凍りついた。
男の言い放った台詞は、あまりにも不意打ちだった。
それこそアッシュの思考まで凍りつかせるほどの不意打ちだったのだ。
ドクン、と心臓が大きく高鳴る。
アッシュは黒い瞳を見開き、ただただ呆然とした。
いま告げられた名前が、あり得ないモノだったからだ。
その名前を呼ぶ者は、もう誰もいないはずだったからだ。
何故なら、その名前はあの日、小さな村と共に死んだ少年の名前で――。
「………クライン?」
明らかに様子がおかしいアッシュに、オトハは眉をひそめた。
すると、アッシュはわずかに喉を鳴らしてから――。
『……てめえ』
一気に形相を凶悪なモノに変えた。
そして、突き刺すような眼光でハンを睨みつけて問い質す!
『どこでその名前を――いや、その「姫」って奴は――』
「ふん。私からはこれ以上語るつもりはない」
しかし、アッシュの怒気にも、ハンの顔色は涼しいものだった。
「いずれお前は姫さまと出会うだろう。その時にあの方から直接伺うんだな」
そう言って、ハンは皮肉気に笑う。
アッシュの顔つきは、ますます険しくなった。
『……てめえ。ふざけてんじゃねえぞ』
ギリ、と歯を軋ませるアッシュ。
――ここは、何としてでも詳細を聞き出さなければならない。
主人の意志に応え、《朱天》が身を乗り出した。
しかし、その前にハンは大きく後方に跳躍し、間合いを取る。
そして《朱天》を静かな眼差しで睨みつけ――。
「ふん。おしゃべりはここまでだ」
そう告げて、ハンは右手に握りしめた小瓶の蓋を開けた。
「《悪竜の使徒》の力と覚悟。侮るなよ《七星》ども」
続けて、赤い液体を顔につけた仮面に注いだ。
途端、《サジャの仮面》はハンの顔の一体化するように溶け込んでいった。
『……何のつもりだ? この場面で《サジャの仮面》など……』
と、アッシュが訝しげに問う。
だが、ハンは何も答えない。――いや、答えられなかった。
「ぎ、ぐうう、ぎうううう……」
呻き声を上げて、身体を激しく痙攣させている。
ハンの両目は血走っていた。
そして――。
『……な、に?』『……こ、これは……』
アッシュとオトハは目を瞠った。
突如、服を引き千切って、ハンの身体が大きく膨れ上がったのだ。その上、黒い体毛が全身を覆い、骨格そのものが別種の生き物に変化していく。
『ま、まさか、お前……《サジャの仮面》に魔獣の血を捧げたのか!』
いち早く状況を察したオトハが叫び声を上げた。
オトハほど《教団》に詳しくないアッシュも現状を理解する。
『……魔獣にも変身できるってか。何でもありの仮面だな』
『いや、そんな融通の利くものではない』
アッシュの独白に、オトハは渋面を浮かべて答える。
『あの仮面は本来人間用だと聞く。もし魔獣などに変身すれば、身も心も魔獣と化して二度と元の姿に戻れなくなるぞ』
『……捨て身の覚悟ってことかよ』
アッシュは舌打ちする。
男の姿はすでに人間ではない。
どうやら尋問はもう叶わないようだ。
(……くそが)
苛立ちを隠せず歯を軋ませるアッシュ。
完全に失敗した。ハンの変貌はもはや止まらない。
そして、かつて人間だった男の姿は、みるみる巨大化していった。
「ごおおおおおおおおおおおおおおおおお―――ッ!!」
かくして轟く魔獣の咆哮。
ズシン、と四肢で石畳を打ち砕くのは、十五セージルを超える巨大な熊。
全身が黒い獣毛で包まれた獰猛な巨獣だ。
この巨躯にこの威圧感。間違いなく固有種の魔獣の一種である。
アッシュは「チィ」と舌打ちし、オトハは面持ちを険しくする。
廃墟区域とはいえ、アティス王国の市街区の一角にて――。
黒き魔獣は、その威容を現したのだった。
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