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第7部
第七章 『獅子』と『犬』③
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「……あら、確か、あなたって……」
ミランシャ=ハウルは小首を傾げて青年に尋ねる。
「えっと、イアンって名前だったかしら?」
眼前にいる男はハウル邸で何度見たことのある人物だった。
ミランシャはうろ覚えの名前を彼に告げる。
すると、イアンは「はっ」と答え、
「黒犬兵団・第三部隊長のイアン=ディーンであります」
所属と名を名乗り、再び深々と頭を垂れた。
対し、ミランシャは、実に嫌そうに眉をしかめた。
「あなた、黒犬だったの?」
ミランシャもハウル家の人間。
当然ながら、白狼兵団も黒犬兵団も知っていた。
そして黒犬兵団が、荒事を専門にする『裏』の部隊であることも。
「……そう。お爺さまはアタシを連れ戻すのに白狼じゃなくて黒犬を選んだのね」
と、わずかに肩を落とすミランシャに、
「……はっ、残念ながら……」
イアンは同情の意を示す。
――が、それは、これからの話をするための表向きのパフォーマンスだった。
客観的な気持ちとしては、少しぐらいの同情もするが、イアンにとってミランシャの心情は大した問題ではなかった。
(なにせ、この女はこれから私の傀儡になるのだからな。そう言った意味では、所詮私もジルベールと同じ穴のムジナにすぎん)
イアンは恭しく頭を下げながら、内心ではほくそ笑む。
そしてイアンはおもむろに顔を上げて――。
「ミランシャさま。僭越ながらお気持ちをお察しします。今回のジルベールさまのご対応はあまりにも酷い。あれではミランシャさまがまるで道具です」
イアンは同情的な声を上げて語り出した。
「私は長年黒犬として、また執事としてハウル家に仕えてきました。そのご当主であらせられるジルベールさまには並々ならぬご恩を抱いております。ですが……」
そこで、イアンはミランシャの赤い眼差しを見つめた。
「不敬ながら、すでに時代は変わったのです。ジルベールさまのお考えはあまりにも前時代的すぎます。今回の件に限らず多くの者達が望まぬ結果の犠牲になっていることはミランシャさまもご存じのはず」
「……それは」
ミランシャはグッと唇をかんだ。
それは紛れもなく事実だった。ジルベールは、皇国騎士団にとっては扱いにくい存在であり、あの祖父の都合によって結婚を強制された分家の者は多い。
老害。そんな言葉が嫌でも脳裏に浮かぶ。
すると、その時だった。
「ミランシャさま」
イアンは真摯な声で言葉を続ける。
「どうかご決断を」
「…………決断って?」
ミランシャが眉根を寄せてイアンに問う。と、
「今こそ立ち上がるべき時なのです。ミランシャさま。ハウル家の直系である貴女が旗頭と成れば、分家の者達も賛同するでしょう」
そんなとんでもないことを告げてくる。
流石にミランシャは渋面を浮かべ、事の重さに緊張する。
「……それって、お爺さまを相手にして、アタシにクーデターでも起こせって事? アルフじゃなくて?」
「今回の件を鑑みても、アルフレッドさまよりもミランシャさまの方が御適任かと。なにしろジルベールさまの男尊女卑主義は目に余るものがありますゆえに」
イアンはそこで一呼吸入れた。
「何も戦を起こせとご提言している訳ではございません。政治的な手腕を使い、ジルベールさまには早めの引退をして頂くのです。後はアルフレッドさまが正式にご当主の座を継承される日まで、ミランシャさまがハウル家のご当主代行となられればよろしいかと」
「…………」
ミランシャは神妙な顔つきでイアンを見つめた。
それに対し、黒犬兵団の部隊長は恭しく頭を下げて、
「ミランシャさま。ハウル家の女性の為にも何卒ご決断を」
言って、片膝をつく。
ミランシャは未だ言葉を発さず、騎士のようにかしずく青年を見つめていた。
無言の時間は、数十秒に渡って続いた。
わずかばかり風が吹き、森の木々を揺らす。
そんな沈黙の中――。
(……さて。どうする? ミランシャ=ハウル)
頭を垂れながら、イアンはミランシャの様子を窺う。
実際のところ、今話した内容は嘘が多い。
イアンは、別にハウル家の女がどうなろうと気にしたことなどない。
それは、クーデターを起こすためのただの口実だ。
確かに初期の段階では政治的な手腕を使うつもりではいるが、いずれは必ず戦にまで発展させる。それが、彼の本当の狙いだった。
そして、その戦でイアンは自らの手でジルベールを討つ。
あの黒服の男が『獅子』と呼んだ人物をこの手で討ってみせる。さらには、次期当主であるアルフレッドも暗殺し、完全にハウル家を手中に納めるのだ。
それが、イアンが『犬』から『獅子』へと生まれ変わる最初の『儀式』だった。
ミランシャを旗頭にするのは本当だが、それは名ばかりだ。
この女は、後ほどゆっくりと思考能力を奪って、傀儡にすればいい。
むしろ女であるのは都合がよかった。ジルベールを悪役に仕立てこの手で倒し、なおかつこの女を妻にすれば、それこそイアンの完全勝利だ。
――そう。皇国が誇るあの『獅子』の一族からすべてを奪い尽くすのである。
いかに怪物の領域に足を踏み入れようとも。
ただ『牙』が鋭くなる程度では『獅子』とは呼べない。
それが、イアンの結論だった。
(私は『獅子』になる。だが、そのためにもまずは……)
イアンは静かにミランシャの言葉を待った。
沈黙はさらに続く。
そして――。
「……そう」
赤毛の女性は、ようやく口を開いた。
「それがあなたの計画なのね」
「はい」
イアンは頭を垂れたまま返答する。
すると、ミランシャは何故か悲しげに目を細めた。
少し様子が変わったハウルの娘の気配を感じ取り、イアンは顔を上げる。
「いかがなされました? ミランシャさま?」
「……まったく。いかがじゃないわよ」
ミランシャの声は、とても沈痛なものだった。
「あなたの言葉はどれも嘘ばかりね。イアン。あなた、本当はハウルの女性のことなんてどうでもいいんでしょう? あなたの狙いはアタシを口実にしてハウル家に内戦を起こしたいだけ。狙いはお爺さまの首級? それとも、アタシを傀儡にでもしてハウル家の権力を手中に納めたいのかしら?」
淡々と告げられた言葉に、イアンはギョッとするが、
「そ、そんなことはありません!」
と、すぐさま声を張り上げて否定した。
しかし、ミランシャはふっと口角を崩し、
「あら、そうかしら? だって、さっきの話を語っていた時のあなたの目って、お爺さまの目と、とてもよく似ていたんですもの。野心を隠しきれてないわよ」
そう指摘され、イアンは目を大きく見開いた。
その後、わずかに表情を強張らせて、
「い、いえ、そ、それは……」
と、告げるが、咄嗟の言い訳が思いつかない。
予定外の展開に、流石に彼も動揺していた。
(ま、まさか私の心情を見破られたというのか!? こんな小娘相手にッ!)
と、心の中で舌打ちするイアン。
ミランシャの前でなければ、歯を軋ませるほどの屈辱であり大失態である。
――が、それはまだ序の口だった。
ミランシャの次の台詞は、彼の予想を完全に超えるものだったのだ。
「それで挙句の果てに、得体の知れない薬物なんかに頼る訳ね」
「ッ!?」
イアンは愕然として息を呑んだ。
「ミ、ミランシャさま……? 何を言って……」
もはや動揺を隠せない。
イアンの内心では、強い感情が目まぐるしく駆け廻っていた。
(ば、馬鹿な!? どうしてこの女が『あれ』のことを知って――いや、待てよ。ただ単純に黒犬全般のことを言ったのか?)
思考ばかりが空回りして一向に言葉が出てこない。
すると、ミランシャは深々と溜息をついた。
「……イアン。あなた、うちのお爺さまを侮りすぎよ」
「……そ、それはどういう意味でしょうか? ミランシャさま」
嫌な予感を押し殺しながら、イアンが神妙な声で問う。
対し、ミランシャはやれやれとかぶりを振り、
「結局あなたの考えなんて筒抜けなのよ」
まるで憐れむような視線を向ける。
「あなたの策略なんて、あのクソジジイは全部お見通しよ。きっとあのジジイは、今頃こんな風に言っているんでしょうね」
そして、ジルベールの孫娘は、疲れ果てたような声でこう告げるのだった。
「『全くもって愚昧ばかりだ』ってね」
ミランシャ=ハウルは小首を傾げて青年に尋ねる。
「えっと、イアンって名前だったかしら?」
眼前にいる男はハウル邸で何度見たことのある人物だった。
ミランシャはうろ覚えの名前を彼に告げる。
すると、イアンは「はっ」と答え、
「黒犬兵団・第三部隊長のイアン=ディーンであります」
所属と名を名乗り、再び深々と頭を垂れた。
対し、ミランシャは、実に嫌そうに眉をしかめた。
「あなた、黒犬だったの?」
ミランシャもハウル家の人間。
当然ながら、白狼兵団も黒犬兵団も知っていた。
そして黒犬兵団が、荒事を専門にする『裏』の部隊であることも。
「……そう。お爺さまはアタシを連れ戻すのに白狼じゃなくて黒犬を選んだのね」
と、わずかに肩を落とすミランシャに、
「……はっ、残念ながら……」
イアンは同情の意を示す。
――が、それは、これからの話をするための表向きのパフォーマンスだった。
客観的な気持ちとしては、少しぐらいの同情もするが、イアンにとってミランシャの心情は大した問題ではなかった。
(なにせ、この女はこれから私の傀儡になるのだからな。そう言った意味では、所詮私もジルベールと同じ穴のムジナにすぎん)
イアンは恭しく頭を下げながら、内心ではほくそ笑む。
そしてイアンはおもむろに顔を上げて――。
「ミランシャさま。僭越ながらお気持ちをお察しします。今回のジルベールさまのご対応はあまりにも酷い。あれではミランシャさまがまるで道具です」
イアンは同情的な声を上げて語り出した。
「私は長年黒犬として、また執事としてハウル家に仕えてきました。そのご当主であらせられるジルベールさまには並々ならぬご恩を抱いております。ですが……」
そこで、イアンはミランシャの赤い眼差しを見つめた。
「不敬ながら、すでに時代は変わったのです。ジルベールさまのお考えはあまりにも前時代的すぎます。今回の件に限らず多くの者達が望まぬ結果の犠牲になっていることはミランシャさまもご存じのはず」
「……それは」
ミランシャはグッと唇をかんだ。
それは紛れもなく事実だった。ジルベールは、皇国騎士団にとっては扱いにくい存在であり、あの祖父の都合によって結婚を強制された分家の者は多い。
老害。そんな言葉が嫌でも脳裏に浮かぶ。
すると、その時だった。
「ミランシャさま」
イアンは真摯な声で言葉を続ける。
「どうかご決断を」
「…………決断って?」
ミランシャが眉根を寄せてイアンに問う。と、
「今こそ立ち上がるべき時なのです。ミランシャさま。ハウル家の直系である貴女が旗頭と成れば、分家の者達も賛同するでしょう」
そんなとんでもないことを告げてくる。
流石にミランシャは渋面を浮かべ、事の重さに緊張する。
「……それって、お爺さまを相手にして、アタシにクーデターでも起こせって事? アルフじゃなくて?」
「今回の件を鑑みても、アルフレッドさまよりもミランシャさまの方が御適任かと。なにしろジルベールさまの男尊女卑主義は目に余るものがありますゆえに」
イアンはそこで一呼吸入れた。
「何も戦を起こせとご提言している訳ではございません。政治的な手腕を使い、ジルベールさまには早めの引退をして頂くのです。後はアルフレッドさまが正式にご当主の座を継承される日まで、ミランシャさまがハウル家のご当主代行となられればよろしいかと」
「…………」
ミランシャは神妙な顔つきでイアンを見つめた。
それに対し、黒犬兵団の部隊長は恭しく頭を下げて、
「ミランシャさま。ハウル家の女性の為にも何卒ご決断を」
言って、片膝をつく。
ミランシャは未だ言葉を発さず、騎士のようにかしずく青年を見つめていた。
無言の時間は、数十秒に渡って続いた。
わずかばかり風が吹き、森の木々を揺らす。
そんな沈黙の中――。
(……さて。どうする? ミランシャ=ハウル)
頭を垂れながら、イアンはミランシャの様子を窺う。
実際のところ、今話した内容は嘘が多い。
イアンは、別にハウル家の女がどうなろうと気にしたことなどない。
それは、クーデターを起こすためのただの口実だ。
確かに初期の段階では政治的な手腕を使うつもりではいるが、いずれは必ず戦にまで発展させる。それが、彼の本当の狙いだった。
そして、その戦でイアンは自らの手でジルベールを討つ。
あの黒服の男が『獅子』と呼んだ人物をこの手で討ってみせる。さらには、次期当主であるアルフレッドも暗殺し、完全にハウル家を手中に納めるのだ。
それが、イアンが『犬』から『獅子』へと生まれ変わる最初の『儀式』だった。
ミランシャを旗頭にするのは本当だが、それは名ばかりだ。
この女は、後ほどゆっくりと思考能力を奪って、傀儡にすればいい。
むしろ女であるのは都合がよかった。ジルベールを悪役に仕立てこの手で倒し、なおかつこの女を妻にすれば、それこそイアンの完全勝利だ。
――そう。皇国が誇るあの『獅子』の一族からすべてを奪い尽くすのである。
いかに怪物の領域に足を踏み入れようとも。
ただ『牙』が鋭くなる程度では『獅子』とは呼べない。
それが、イアンの結論だった。
(私は『獅子』になる。だが、そのためにもまずは……)
イアンは静かにミランシャの言葉を待った。
沈黙はさらに続く。
そして――。
「……そう」
赤毛の女性は、ようやく口を開いた。
「それがあなたの計画なのね」
「はい」
イアンは頭を垂れたまま返答する。
すると、ミランシャは何故か悲しげに目を細めた。
少し様子が変わったハウルの娘の気配を感じ取り、イアンは顔を上げる。
「いかがなされました? ミランシャさま?」
「……まったく。いかがじゃないわよ」
ミランシャの声は、とても沈痛なものだった。
「あなたの言葉はどれも嘘ばかりね。イアン。あなた、本当はハウルの女性のことなんてどうでもいいんでしょう? あなたの狙いはアタシを口実にしてハウル家に内戦を起こしたいだけ。狙いはお爺さまの首級? それとも、アタシを傀儡にでもしてハウル家の権力を手中に納めたいのかしら?」
淡々と告げられた言葉に、イアンはギョッとするが、
「そ、そんなことはありません!」
と、すぐさま声を張り上げて否定した。
しかし、ミランシャはふっと口角を崩し、
「あら、そうかしら? だって、さっきの話を語っていた時のあなたの目って、お爺さまの目と、とてもよく似ていたんですもの。野心を隠しきれてないわよ」
そう指摘され、イアンは目を大きく見開いた。
その後、わずかに表情を強張らせて、
「い、いえ、そ、それは……」
と、告げるが、咄嗟の言い訳が思いつかない。
予定外の展開に、流石に彼も動揺していた。
(ま、まさか私の心情を見破られたというのか!? こんな小娘相手にッ!)
と、心の中で舌打ちするイアン。
ミランシャの前でなければ、歯を軋ませるほどの屈辱であり大失態である。
――が、それはまだ序の口だった。
ミランシャの次の台詞は、彼の予想を完全に超えるものだったのだ。
「それで挙句の果てに、得体の知れない薬物なんかに頼る訳ね」
「ッ!?」
イアンは愕然として息を呑んだ。
「ミ、ミランシャさま……? 何を言って……」
もはや動揺を隠せない。
イアンの内心では、強い感情が目まぐるしく駆け廻っていた。
(ば、馬鹿な!? どうしてこの女が『あれ』のことを知って――いや、待てよ。ただ単純に黒犬全般のことを言ったのか?)
思考ばかりが空回りして一向に言葉が出てこない。
すると、ミランシャは深々と溜息をついた。
「……イアン。あなた、うちのお爺さまを侮りすぎよ」
「……そ、それはどういう意味でしょうか? ミランシャさま」
嫌な予感を押し殺しながら、イアンが神妙な声で問う。
対し、ミランシャはやれやれとかぶりを振り、
「結局あなたの考えなんて筒抜けなのよ」
まるで憐れむような視線を向ける。
「あなたの策略なんて、あのクソジジイは全部お見通しよ。きっとあのジジイは、今頃こんな風に言っているんでしょうね」
そして、ジルベールの孫娘は、疲れ果てたような声でこう告げるのだった。
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