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雨宮ソウスケ

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第7部

第七章 『獅子』と『犬』④

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「秘薬――《樹形図ユグドラシル》ですか」


 そこは、寂れた小さな屋敷。サウスエンド邸。
 その応接室にて、皇国騎士団副団長であるライアン=サウスエンドは両手で持った資料に視線を落とし、眉をしかめてそう呟いた。
 対し、ライアンの向かい側のソファーに座る老人――ジルベール=ハウルは、紫煙を吐きつつ「ああ、そうだ」と答える。


「《黒陽社》弟3支部の連中が開発した秘薬だ。黒犬にどうにか拿捕させたサンプルを解析した結果が、その資料だ」

「拿捕とはまた強行を……」


 ライアンは渋面を浮かべた。


「あまり独断専行はお控え下さい。我々にも計画や立場がありますので」


 と、苦言を述べるが、ジルベールは聞く耳を持たない。
 ただ、ふんと鼻を鳴らし、


「あの女に何が出来るか。そもそもこれは儂とあの男との問題だ」

「……あの男、ですか」


 ライアンは再び資料に目を落として反芻する。



「主に違法薬物の開発と生産を行う第3支部の現支部長。《九妖星》の一角。《木妖星》レオス=ボーダー。ハウル公爵の宿敵だった男ですね」

「ああ、そうだとも」


 そう呟き、ジルベールは苦渋の表情を浮かべた。


「若き日に、あやつを殺し損ねたのは儂の最大の失態よ」


 幾度となく戦場で邂逅した男。
 殺す機会ならば、間違いなくあった。
 しかし、ここぞと言うところでいつも攻めきれなかった。
 結果、ジルベールはあの男を殺し損ねて今に至るのだ。


「しかし、この秘薬……恐ろしい効果ですな」


 と、ライアンが呟く。
 秘薬――《樹形図》。最古の《九妖星》である《木妖星》が考案し生み出された特殊な薬物だと噂には聞いていたが、その効果はもはや薬と呼べる代物ではない。


「服用すれば体内に新たな神経を構築し、身体能力を大幅に向上させる。その上、老化の停滞ですか」

「……ふん。道理であの男がいつまでも若いはずだ」


 ジルベールは忌々しげに吐き捨てる。


「だが、それは成功例だ。失敗例もある」

「ええ、そうですな」


 ジルベールの指摘に、ライアンは首肯する。
 そして資料に一文を朗読する。


「『適性がない者が服用すれば、全身の毛細血管が損傷し、十分もしない内に死亡すると予測される』……ですか。どうやら九割以上が失敗に終わるようですな」

「ふん。実にくだらん薬だ。しかし、力を望む者には魅力的に映るのだろうな」


 ジルベールは灰皿に葉巻を捨て嘆息する。


「まったく。あの愚か者が……」


 そう呟く老人の顔は苦渋に満ちていた。
 ライアンは資料から目を離し、ジルベールに視線を向けた。


「この薬が黒犬に蔓延しているというのですか?」

「いや、蔓延という訳ではない」


 ジルベールは三本目の葉巻を取り出した。


「手にしたのは今のところ一人だけだ。どうもあの男から直接手渡されたらしい。やれやれ、暗殺など迂闊に踏み切るものではないな」


 そこで火を付け、一服する。


「しかしな、困ったことに、その男――イアンは周囲にも影響を持つ者でな。そやつが首領となり、黒犬兵団内で反乱を企てている一団がいるのだ」


 言って、ジルベールは紫煙を吐いた。
 キツイ匂いを放つ煙は、天井にまで届く。


「全くもって舐められたものよ。あの男ならばいざ知らず、たかだか薬物程度でこの儂を殺せると思っているとはな」


 かつての《七星》の主座であり、グレイシア皇国騎士団の団長でもあった赤髭の老人は皮肉気に笑う。
 一方、ライアンは少し眉根を寄せた。


「そこまで分かっているのならば、その男を捕縛すればよいのではないのですか? わざわざ使必要などないのでは?」


 ――そう。今回の一件。
 すべてはジルベールの計画通りだった。
 政略結婚を持ち出せば、ミランシャが家出することも。
 その結果、彼女がアッシュの元に転がり込むことも。
 アッシュと比較してイアンを挑発し、反乱を踏み切らせたこともだ。
 そして、その後始末を《双金葬守》に押し付けることも。


「……ふん。内偵を進めてはいるがイアン一派をあぶり出すのにはこっちの方が早いと思ってな。なに。そう気にするな。その辺の詳細も《双金葬守》にはすでに手紙で伝えておる。についてもな」

「……そうですか」


 ライアンは苦笑を浮かべて嘆息した。
 自分も大概だが、あの元部下もこの老人に利用されるとは災難なものだ。


「まあ、それはいいでしょう」


 ライアンは話を切り替える。


「しかし、この件、ミランシャ=ハウルには伝えていないのでしょう?」

「まあな」


 ジルベールは何を今更という顔で答える。


「別に構わんだろう? たとえ薬物を使おうとも所詮イアンは『犬』にすぎん。『獅子』である《双金葬守》には勝てん。奴にだけ伝えておけば事足りることだ」

「確かに、クラインが敗北するとは考えにくいのですが、あなたは本当に孫娘に興味がないのですね……」


 と、ライアンは言うが、ジルベールは気にもしない。


「下らんな。儂にとってあれは無価値だ。それに変わりはない。まあ、今回に関しては少しばかり役には立ったようだがな」


 そこで、老人は苦笑を浮かべた。


「ともあれ、手紙に記した報酬がなくとも《双金葬守》は必ずこの話に乗る。なにせ《木妖星》が関わる一件だからな。まだ邂逅こそ果たしていないようだが、あの男――レオスは《双金葬守》とも因縁深い。むしろ、あやつにとっては有難い情報ではないか?」

「…………」


 それを言われると、ライアンには何も答えられなくなる。
 ――《双金葬守》と《木妖星》の因縁。
 それは、騎士団のごく一部の人間しか知らないことだった。


「………ふん」


 沈黙に包まれた応接室で、ジルベールは鼻を鳴らす。


「いずれにせよ、賽は振られた。後は結果を待つだけだ」


 そして赤髭の老人は言い放つ。
 揺るぎない確信を言葉に込めて――。


「とは言え、勝つのは儂に決まっておるのだがな」



       ◆



「つ、筒抜けだと……」


 イアンは立ち上がり、唖然と呟く。


「わ、私の計画が……? ば、馬鹿な、あの老人はそんなそぶりは……」

「お爺さまがそんな間抜けなミスをすると思っているの?」


 と、ミランシャは鋭い指摘をする。


「あなたは泳がされていたのよ。こうして致命的な失態をすることを狙ってね」

「…………」


 イアンは無言のまま、歯を軋ませる。
 あの老人の老獪さは重々承知していたのに、何という失態か。
 だが、まだ挽回の機会はある。


「……ならば実力行使に出るまでです」


 イアンはすっと右手を上げた。
 すると、木々の間からズズンと音を立てて七機の黒い鎧機兵が現れた。
 ミランシャはそちらに目を向けた。
 その七機は少し変わった機体だった。
 長い尾や、鎧装には特記することはない。見た目は普通の鎧機兵だ。
 ただ、両腕は地面につくほど長く、その肘には大きな筒が二つとび出ている。恐らく何かしらの機能を持つのだろうが、何とも奇妙な両腕だった。
 ともあれ類人猿のように歩く七機は焦る事もなく、ミランシャの周辺を囲んだ。


「ミランシャさま」


 そして自らも愛機を喚び出し、イアンは告げる。


「私の計画に変更はありません。あなたをここで拉致し、傀儡と成って頂くことも」

「……そう。やっぱりそういう狙いなのね」


 ミランシャはイアンの機体にも目を向けた。
 姿形は他の七機と大差はない。
 しかし、その頭部だけは一回り巨大で、犬狼のような顔をしていた。
 鋭いアギトが印象的な機体だ。まさに黒犬である。


「それじゃあ、本当にお爺さまと変わらないじゃない」

『何とでも仰って下さって結構。あなたは傀儡になる身。もはや自分の言葉で語ることもないのですから』


 と、愛機に搭乗し、イアンは皮肉気に告げる。
 相手は《七星》。容易な相手ではない。
 だが、ミランシャは今、まだ機体に乗っていない。
 ならば無力化するのは簡単だった。


『あなたは我々の旗頭だ。出来れば、あなたのその美しい容姿を壊したくはない。大人しく投降して下さいますか』


 と、イアンが降伏勧告をしてくる。
 しかし、八機もの敵機に囲まれても、ミランシャに動じる様子はなかった。
 それどころか、優雅な仕種で真紅の髪を片手で払うと、


「馬鹿ね。あなた達。アタシが一人でここに来たと思っているの?」


 微笑みさえ浮かべてそう告げる。


『……なに?』


 イアンは嫌な予感がして眉根を寄せた――と、その時である。


『――た、隊長!』 


 部下の一人が動揺の声を上げた。


『き、緊急事態です! 桁違いの恒力値を持った機体が、凄まじい勢いでこちらに向かってきています!』

『な、なん、だとッ!』


 イアンは目を見開き、唖然とした。
 まさか、その機体とは――。


『この速度だと、もうすぐそこに……うわッ!?』


 報告も途中で小さな悲鳴を上げる部下。
 だが、それも仕方がない。なにせ報告の対象が、今まさに目の前に現れたのだ。

 ――ズズゥンッッ!

 そしてその鎧機兵は、轟音と共に地響きを立てて降り立った。
 最初は濛々と立ちのぼった土煙が視界を遮っていたのだが、十数秒後、ようやく来訪者のシルエットが浮かび上がってきた。
 勢いよく地を打つ竜のごとき尾が、残りの土煙を払う。
 それは、鋼の手甲を持ち、三層からなる漆黒の鎧装を纏った四本角の鬼だった。

 その鎧機兵の名は――《朱天》。《七星》が第三座である最強の機体だ。

 部下達は、その有名すぎる機体に揃って息を呑んだ。
 そんな中、イアンだけは、別の物に視線を奪われていた。
 彼はまさしく見惚れていたのだ。
 眼前の漆黒の鬼。その後頭部にたなびく白い鋼髪。
 見る角度によっては、白銀色にも見えるその長い髪が、まるで『獅子』のたてがみのように見えたのである。


(こ、これが……本物の『獅子』なのか)


 ただ静かに、イアンは喉を鳴らす。
 それは思わず憧憬を抱くほど、雄々しき姿だった。
 しかし、《朱天》はそんな敵の心情には気付かない。
 まずはミランシャに視線を向けた。


『ミランシャ。怪我はないか?』


 その声――アッシュの声は、鬼を操る者とは思えないほど優しい。
 土煙に呑みこまれ、少し咳き込んでいたミランシャだったが、にっこり笑い、


「うん。大丈夫よ。出張ありがとね!」


 言って、親指を立てる。
 アッシュは、元気がよすぎる同胞に苦笑を浮かべた。
 まあ、いずれにせよ彼女が無事で何よりだ。
 続けてアッシュは《朱天》を動かし、イアン達の前に対峙した。
 緊張から反射的に後ずさる複数の機体。
 そんな『犬』達を前にして、


『そんじゃあよ』


 アッシュは『獅子』のごとき、獰猛な笑みを見せる。


『張り切って大立ち回りと行こうじゃねえか』
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