骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第5部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第3部

第三章 太陽の娘。月の少女①

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 そこは、まさに死と隣り合わせの場所だった。
 ――見渡す限り『青』。
 群青なる世界。

 青く、白く。
 何より凍えるほどに冷たい。

 絶えず、水の猛威が襲い来る場所だった。
 逃げても逃げても、水が迫ってくる。
 無慈悲なる激流だ。
 沢山の人たちが、呑み込まれた。
 為す術もなく、青い悪魔に呑み込まれていった。
 悲鳴も、怒号も、何もかも。
 そして、彼女の命もまた、呑み込まれそうになっていた。
 ガバッと、水面から顔を出す。

(だ、誰か……)

 必死に手を伸ばすが、何も掴めない。
 ここは、太平洋の上だった。
 場所は豪華客船の船内。
 豪華客船プリンセス=ルシール号の船室の一つだった。
 本来ならば、三ツ星ホテルにもそう劣らない内装の部屋だ。

 けれど、今はもう見る影もなかった。
 家具や調度品は流され、海水が天井近くにまで浸水していた。

(た、助けて……)

 ゴボゴボ、と何度も水中に沈みつつ、彼女――蓬莱月子は涙を零していた。
 二週間かけての船旅。
 普段は、財閥の総裁として非常に多忙である父と、その秘書である母が、彼女のために用意してくれた旅行だった。
 月子は喜んでいた。父は、船上でもテレワークなどで忙しかったようだけど、それでも彼女が近づくと、優しく頭を撫でてくれた。
 母はドレスアップして、彼女を船内の様々なアミューズメントに連れて行ってくれた。
 九歳の娘がいるとは思えないほどに若く美しい母に、沢山の男の人が視線を送ってきたり、声を掛けたりしてきて少し困った。母は苦笑いを浮かべ、月子も笑った。
 寂しい日々を過ごすことの多かった月子だが、家族仲は決して悪くなかった。
 だから、この旅で、彼女は目一杯、両親に甘えるつもりだった。

 だというのに――。

(だ、誰か、助けて……)

 大量の海水に、体温と体力が奪われていく。

『――月子! 逃げろ!』

 父の声と、最後の姿が脳裏に浮かぶ。
 鉄砲水のような海水に、父と……母も呑み込まれてしまった。
 本当に、あっという間だった。
 まるで巨大な怪物が、喰らい去っていったかのように。
 彼女は、パニックを起こした人たちの流れに巻き込まれて、ここまでやってきた。
 後で知ったことだが、客船の機関部に不備があり、爆発を起こしたらしい。
 船体には一気に海水が流れ込み、巨大な船は悲鳴を上げた。

 総勢二百五十三名が亡くなる最悪の海難事故。
 それが、この地獄なのである。

 海水に沈んでいく船体の中で、月子は茫然自失になっていた。
 家族を目の前で失ったのだ。それも無理もないことだ。
 絶望で動けなくなってしまった少女。
 それでも、今の瞬間まで生き延びることが出来たのは、親切な老紳士がいたからだ。

『お嬢さん! しっかりなさい!』

 彼と出会ったのは偶然だった。
 老紳士は、誰かを探しながらも月子の手を引き、何度も何度も励ましてくれた。
 けれど、そんな彼とも途中ではぐれてしまった。
 再び一人になった月子は、迫りくる海水から逃げ続けて、ここに至り……。

 ――ゴボゴボゴボ……。
 もう体力が持たなかった。

 月子は、水の中へと沈んでいった。
 海水越しに天井が、少しずつ離れてく。

 と、その時だった。
 突然、太陽が現れたのだ。

 熱波が周囲に降り注ぐ。
 海水は一瞬で干上がり、月子の髪も、着ていた服も乾く。
 それから、腕を強く掴まれた。

『おひいさま! お気を付けください!』

 誰かの声が響く。
 いや、この声は、あの親切なお爺さんの声だ……。

『水を大量に気化させれば、水蒸気爆発が起こる危険性もありますぞ!』

『すいじょうき? 何それ?』 

 次いで、少女の声が聞こえた。

『水を気化させる際に生じる体積爆発のことです。恐らく、おひいさまは、それさえも蒸発させたようですが……』

『燃えたの? ならいいじゃない! もう山岡! 難しいこと言わないで!』

 そんなやり取りが聞こえてくる。
 少女の声はかなり幼い。多分、月子と同い年ぐらいだ。

(……?)

 月子は、ゴホッと海水を吐き出し、自分の腕を掴む人物に目をやった。
 すると、

『あ、大丈夫だった?』

 彼女は、ニコッと笑った。
 そこにいたのは、やはり月子と同い年――九歳ぐらいの少女だった。
 長く艶やかな赤い髪。毛先に行くほど明るいオレンジになるその赤髪を、腰まで下ろし、真っ赤なリボンで分岐させるかのように、左右で結いだ女の子。
 身に纏う赤いドレスが、とても良く似合っている。
 瞳もやや赤く、活発そうな眼差しの、凄く綺麗な少女だった。

 そして、彼女の傍らには、途中まで月子を助けてくれた老紳士がいた。

『お、お爺さん?』

『どうにか間に合ったようですな。お嬢さん』

 ホッとした表情を見せる老紳士。
 月子は、視線を少女の方に向けた。

『あ、あなたは……?』

 続けて少女にそう尋ねる。と、

『あたし? あたしはさんだよ!』

 そう名乗って、少女はニコッと再び笑った。
 まるで太陽みたいな子だと思った。
 これが、彼女との出会い。
 蓬莱月子ほうらいつきこと、火緋神燦ひひがみさんの、初めての出会いだった。

『おひいさま。危機はまだ去っておりませんぞ』

 と、老紳士が告げる。
 どうやら、彼はこの少女の執事的な人らしい。
 燦は、月子の手を取って立たせると『分かっているわ!』と叫び、

『さあ! 逃げるわよ!』

 そう言って、月子の手を掴んだまま走り出した。
 そうして――……。
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