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第3部
第三章 太陽の娘。月の少女①
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そこは、まさに死と隣り合わせの場所だった。
――見渡す限り『青』。
群青なる世界。
青く、白く。
何より凍えるほどに冷たい。
絶えず、水の猛威が襲い来る場所だった。
逃げても逃げても、水が迫ってくる。
無慈悲なる激流だ。
沢山の人たちが、呑み込まれた。
為す術もなく、青い悪魔に呑み込まれていった。
悲鳴も、怒号も、何もかも。
そして、彼女の命もまた、呑み込まれそうになっていた。
ガバッと、水面から顔を出す。
(だ、誰か……)
必死に手を伸ばすが、何も掴めない。
ここは、太平洋の上だった。
場所は豪華客船の船内。
豪華客船プリンセス=ルシール号の船室の一つだった。
本来ならば、三ツ星ホテルにもそう劣らない内装の部屋だ。
けれど、今はもう見る影もなかった。
家具や調度品は流され、海水が天井近くにまで浸水していた。
(た、助けて……)
ゴボゴボ、と何度も水中に沈みつつ、彼女――蓬莱月子は涙を零していた。
二週間かけての船旅。
普段は、財閥の総裁として非常に多忙である父と、その秘書である母が、彼女のために用意してくれた旅行だった。
月子は喜んでいた。父は、船上でもテレワークなどで忙しかったようだけど、それでも彼女が近づくと、優しく頭を撫でてくれた。
母はドレスアップして、彼女を船内の様々なアミューズメントに連れて行ってくれた。
九歳の娘がいるとは思えないほどに若く美しい母に、沢山の男の人が視線を送ってきたり、声を掛けたりしてきて少し困った。母は苦笑いを浮かべ、月子も笑った。
寂しい日々を過ごすことの多かった月子だが、家族仲は決して悪くなかった。
だから、この旅で、彼女は目一杯、両親に甘えるつもりだった。
だというのに――。
(だ、誰か、助けて……)
大量の海水に、体温と体力が奪われていく。
『――月子! 逃げろ!』
父の声と、最後の姿が脳裏に浮かぶ。
鉄砲水のような海水に、父と……母も呑み込まれてしまった。
本当に、あっという間だった。
まるで巨大な怪物が、喰らい去っていったかのように。
彼女は、パニックを起こした人たちの流れに巻き込まれて、ここまでやってきた。
後で知ったことだが、客船の機関部に不備があり、爆発を起こしたらしい。
船体には一気に海水が流れ込み、巨大な船は悲鳴を上げた。
総勢二百五十三名が亡くなる最悪の海難事故。
それが、この地獄なのである。
海水に沈んでいく船体の中で、月子は茫然自失になっていた。
家族を目の前で失ったのだ。それも無理もないことだ。
絶望で動けなくなってしまった少女。
それでも、今の瞬間まで生き延びることが出来たのは、親切な老紳士がいたからだ。
『お嬢さん! しっかりなさい!』
彼と出会ったのは偶然だった。
老紳士は、誰かを探しながらも月子の手を引き、何度も何度も励ましてくれた。
けれど、そんな彼とも途中ではぐれてしまった。
再び一人になった月子は、迫りくる海水から逃げ続けて、ここに至り……。
――ゴボゴボゴボ……。
もう体力が持たなかった。
月子は、水の中へと沈んでいった。
海水越しに天井が、少しずつ離れてく。
と、その時だった。
突然、太陽が現れたのだ。
熱波が周囲に降り注ぐ。
海水は一瞬で干上がり、月子の髪も、着ていた服も乾く。
それから、腕を強く掴まれた。
『お姫さま! お気を付けください!』
誰かの声が響く。
いや、この声は、あの親切なお爺さんの声だ……。
『水を大量に気化させれば、水蒸気爆発が起こる危険性もありますぞ!』
『すいじょうき? 何それ?』
次いで、少女の声が聞こえた。
『水を気化させる際に生じる体積爆発のことです。恐らく、お姫さまは、それさえも蒸発させたようですが……』
『燃えたの? ならいいじゃない! もう山岡! 難しいこと言わないで!』
そんなやり取りが聞こえてくる。
少女の声はかなり幼い。多分、月子と同い年ぐらいだ。
(……?)
月子は、ゴホッと海水を吐き出し、自分の腕を掴む人物に目をやった。
すると、
『あ、大丈夫だった?』
彼女は、ニコッと笑った。
そこにいたのは、やはり月子と同い年――九歳ぐらいの少女だった。
長く艶やかな赤い髪。毛先に行くほど明るいオレンジになるその赤髪を、腰まで下ろし、真っ赤なリボンで分岐させるかのように、左右で結いだ女の子。
身に纏う赤いドレスが、とても良く似合っている。
瞳もやや赤く、活発そうな眼差しの、凄く綺麗な少女だった。
そして、彼女の傍らには、途中まで月子を助けてくれた老紳士がいた。
『お、お爺さん?』
『どうにか間に合ったようですな。お嬢さん』
ホッとした表情を見せる老紳士。
月子は、視線を少女の方に向けた。
『あ、あなたは……?』
続けて少女にそう尋ねる。と、
『あたし? あたしは燦だよ!』
そう名乗って、少女はニコッと再び笑った。
まるで太陽みたいな子だと思った。
これが、彼女との出会い。
蓬莱月子と、火緋神燦の、初めての出会いだった。
『お姫さま。危機はまだ去っておりませんぞ』
と、老紳士が告げる。
どうやら、彼はこの少女の執事的な人らしい。
燦は、月子の手を取って立たせると『分かっているわ!』と叫び、
『さあ! 逃げるわよ!』
そう言って、月子の手を掴んだまま走り出した。
そうして――……。
――見渡す限り『青』。
群青なる世界。
青く、白く。
何より凍えるほどに冷たい。
絶えず、水の猛威が襲い来る場所だった。
逃げても逃げても、水が迫ってくる。
無慈悲なる激流だ。
沢山の人たちが、呑み込まれた。
為す術もなく、青い悪魔に呑み込まれていった。
悲鳴も、怒号も、何もかも。
そして、彼女の命もまた、呑み込まれそうになっていた。
ガバッと、水面から顔を出す。
(だ、誰か……)
必死に手を伸ばすが、何も掴めない。
ここは、太平洋の上だった。
場所は豪華客船の船内。
豪華客船プリンセス=ルシール号の船室の一つだった。
本来ならば、三ツ星ホテルにもそう劣らない内装の部屋だ。
けれど、今はもう見る影もなかった。
家具や調度品は流され、海水が天井近くにまで浸水していた。
(た、助けて……)
ゴボゴボ、と何度も水中に沈みつつ、彼女――蓬莱月子は涙を零していた。
二週間かけての船旅。
普段は、財閥の総裁として非常に多忙である父と、その秘書である母が、彼女のために用意してくれた旅行だった。
月子は喜んでいた。父は、船上でもテレワークなどで忙しかったようだけど、それでも彼女が近づくと、優しく頭を撫でてくれた。
母はドレスアップして、彼女を船内の様々なアミューズメントに連れて行ってくれた。
九歳の娘がいるとは思えないほどに若く美しい母に、沢山の男の人が視線を送ってきたり、声を掛けたりしてきて少し困った。母は苦笑いを浮かべ、月子も笑った。
寂しい日々を過ごすことの多かった月子だが、家族仲は決して悪くなかった。
だから、この旅で、彼女は目一杯、両親に甘えるつもりだった。
だというのに――。
(だ、誰か、助けて……)
大量の海水に、体温と体力が奪われていく。
『――月子! 逃げろ!』
父の声と、最後の姿が脳裏に浮かぶ。
鉄砲水のような海水に、父と……母も呑み込まれてしまった。
本当に、あっという間だった。
まるで巨大な怪物が、喰らい去っていったかのように。
彼女は、パニックを起こした人たちの流れに巻き込まれて、ここまでやってきた。
後で知ったことだが、客船の機関部に不備があり、爆発を起こしたらしい。
船体には一気に海水が流れ込み、巨大な船は悲鳴を上げた。
総勢二百五十三名が亡くなる最悪の海難事故。
それが、この地獄なのである。
海水に沈んでいく船体の中で、月子は茫然自失になっていた。
家族を目の前で失ったのだ。それも無理もないことだ。
絶望で動けなくなってしまった少女。
それでも、今の瞬間まで生き延びることが出来たのは、親切な老紳士がいたからだ。
『お嬢さん! しっかりなさい!』
彼と出会ったのは偶然だった。
老紳士は、誰かを探しながらも月子の手を引き、何度も何度も励ましてくれた。
けれど、そんな彼とも途中ではぐれてしまった。
再び一人になった月子は、迫りくる海水から逃げ続けて、ここに至り……。
――ゴボゴボゴボ……。
もう体力が持たなかった。
月子は、水の中へと沈んでいった。
海水越しに天井が、少しずつ離れてく。
と、その時だった。
突然、太陽が現れたのだ。
熱波が周囲に降り注ぐ。
海水は一瞬で干上がり、月子の髪も、着ていた服も乾く。
それから、腕を強く掴まれた。
『お姫さま! お気を付けください!』
誰かの声が響く。
いや、この声は、あの親切なお爺さんの声だ……。
『水を大量に気化させれば、水蒸気爆発が起こる危険性もありますぞ!』
『すいじょうき? 何それ?』
次いで、少女の声が聞こえた。
『水を気化させる際に生じる体積爆発のことです。恐らく、お姫さまは、それさえも蒸発させたようですが……』
『燃えたの? ならいいじゃない! もう山岡! 難しいこと言わないで!』
そんなやり取りが聞こえてくる。
少女の声はかなり幼い。多分、月子と同い年ぐらいだ。
(……?)
月子は、ゴホッと海水を吐き出し、自分の腕を掴む人物に目をやった。
すると、
『あ、大丈夫だった?』
彼女は、ニコッと笑った。
そこにいたのは、やはり月子と同い年――九歳ぐらいの少女だった。
長く艶やかな赤い髪。毛先に行くほど明るいオレンジになるその赤髪を、腰まで下ろし、真っ赤なリボンで分岐させるかのように、左右で結いだ女の子。
身に纏う赤いドレスが、とても良く似合っている。
瞳もやや赤く、活発そうな眼差しの、凄く綺麗な少女だった。
そして、彼女の傍らには、途中まで月子を助けてくれた老紳士がいた。
『お、お爺さん?』
『どうにか間に合ったようですな。お嬢さん』
ホッとした表情を見せる老紳士。
月子は、視線を少女の方に向けた。
『あ、あなたは……?』
続けて少女にそう尋ねる。と、
『あたし? あたしは燦だよ!』
そう名乗って、少女はニコッと再び笑った。
まるで太陽みたいな子だと思った。
これが、彼女との出会い。
蓬莱月子と、火緋神燦の、初めての出会いだった。
『お姫さま。危機はまだ去っておりませんぞ』
と、老紳士が告げる。
どうやら、彼はこの少女の執事的な人らしい。
燦は、月子の手を取って立たせると『分かっているわ!』と叫び、
『さあ! 逃げるわよ!』
そう言って、月子の手を掴んだまま走り出した。
そうして――……。
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