骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第5部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第3部

第五章 思い出は今もここに②

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 時は現代に戻る。
 広大な敷地を持つ、火緋神家の本邸。
 その最奥には一つの屋敷があった。
 御前さま。すなわち杠葉のみが一人で暮らす日本家屋だ。
 個人で暮らすには大きすぎる屋敷でもある。

 ――すうっ、と。

 緋色の着物を纏う火緋神杠葉は、鏡台から髪飾りを取り出した。
 鈴蘭を模した白い髪飾りだ。
 それを胸元に寄せて、そっと握る。
 杠葉が今も大切にする彼からの贈り物だった。
 これを貰った時の喜びは、今でも忘れたことはない。

(……真刃)

 双眸を細める。
 最近、彼のことをよく思い出す。
 彼と過ごした少女時代。
 杠葉にとって、今も色褪せない幸せな日々。
 いつも笑って、我儘ばかりを言って。

 ――そう。自分は、本当に我儘な娘だったと思う。
 特に彼に対しては。

 全身で体当たりしたような愛の告白。
 何度も何度もぶつかって、ようやく受け入れてもらった。
 頑固でひねくれ者だった彼を根負けさせたのである。
 これもまた、我儘で押し切った形だった。

 それから一緒に日々を過ごして、彼と迎えた初めての夜。
 あの夜は、当然、緊張していたこともあるのだが、それ以上に自分の悪癖のせいで、彼にとても迷惑をかけてしまった。
 これまで悪癖など気にもしていなかった分、本当に申し訳なかった。
 彼は『気にする必要はない』と、何度も、彼女の髪や頬を撫でてくれた。

 自分はといえば、そんな彼にやはり甘えてしまった。
 ……まあ、あの悪癖だけは、その夜の内に頑張って直したのだが。

 その後、少し遅れて紫子が彼の隷者となり、さらに一年後、紫子も彼に愛されるようになった時は、複雑な気分なったこともよく憶えている。

(結局、嫉妬していたのね。私は……)

 小さく嘆息する。
 それが、引導師の宿命だと分かっていても。
 彼を独占できなくなったことに、自分は嫉妬していたのだ。

(本当に、過ぎ去った日ばかりが記憶に残るのね)

 杠葉は、鏡台に髪飾りをしまった。
 唐突に現れた、今代の『久遠真刃』。
 やはり、『彼』の存在に心が乱されているのだろう。

(これは、早目に『彼』と面談すべきね)

 正体が知れないから、落ち着かないのだ。
 一度、適当な理由をつけて『久遠真刃』を呼び出せばいい。
 それである程度は正体を探れるはずだ。

(そう。ただの同姓同名だったってこともあるのよ)

 下手な考え、休むに似たる。
 そんな結果で終わる可能性は、大いにあり得るのだ。

「そこはまた大門さんと相談しましょう。それよりも」

 杠葉は、そそくさと茶の間へと向かい、羊羹を用意した。
 今日は来客がある。
 可愛い孫娘たちが遊びに来るのだ。
 京都の名店から取り寄せたこの羊羹は、孫娘たちの好物だった。
 杠葉はお盆に乗せて、私室に羊羹とお茶を運んだ。
 この屋敷には、一族の直系であっても近づくことを禁止している。
 しかし、燦と月子だけは別だった。
 あの子たちにだけは、いつ来てもいいと伝えていた。
 屋敷の出入りに関しても、自由にしていいと告げている。
 そして先日、今日の夕方頃に遊びに来ると、スマホ――杠葉は真刃と違って独力でスマホもPCも使いこなしていた――に連絡があった。
 そろそろその時間だ。杠葉はそわそわしながら孫娘たちの来訪を待った。
 すると、

「……御前さま」

 不意に襖の向こうから声を掛けられた。月子の声だ。
 襖の奥に見えるシルエットから、燦もいることが分かる。

「……お邪魔してもいいですか?」

「ええ。構わないわ。月子ちゃん。燦も」

 杠葉は、ほがらかに笑ってそう答えた。
 襖がゆっくりと開かれる。そこには制服姿の月子と燦の姿があった。

「いらっしゃい。二人とも」

 そう答える杠葉だったが、ふと気付く。
 燦の様子が少し変なのだ。

「あら」

 杠葉は尋ねた。

「どうかしたの? 燦」


 ……十分後。
 燦の様子はおかしいままだった。
 羊羹には見向きもせず、無造作に両足を投げ出して、ポーっとしている。
 火照った顔で、虚空をただただ見つめているのだ。
 完全に心ここにあらずだった。

「……本当にどうしたの?」

 杠葉は眉をひそめて、羊羹を上品に口にする月子に尋ねた。
 月子は羊羹を咀嚼してから、

「その、実は燦ちゃん」

 そう切り出して、おっとり少女は少し困った表情を見せた。

「好きな男の人が出来たみたいなんです」

「――まあっ!」

 杠葉は、手を口に当てて目を丸くした。

「あのお転婆な燦に好きな人が!」

 月子は「はい」と頷いた。

「一週間前にあった人です。燦ちゃんが凄く困っていた時に助けてくれた人で……」

 そこで、月子は燦の方に目をやった。

「その人と別れた時は、まだ普通だったんです。けど、ここ数日ぐらいであんな感じになっちゃって……」

 月子は困った顔をした。

「もう上の空で。何もしない時はずっとあんな感じで」

「あらあら~」

 杠葉は興味深そうに、燦の方を見つめた。

「なるほど。燦の初恋なのね。けれど、燦は一体何に困っていたの?」

「えっと、それは……」

 月子は眉を寄せつつ、一週間前の出来事を語った。
 月子のために霊具を探して『百貨店ブラックストア』に行ったこと。
 そこで出会ったおじさまのこと。
 燦が暴走して、そのおじさまが体を張って燦を落ち着かせてくれたこと。
 燦の悪癖を初めて聞いて、これも一族の血なのかと、杠葉は内心では冷や汗を流す気分だったが、その騒動が無事に終息して安堵の息を零す。

「……そんなことがあったの」

「はい。多分、おじさまは雷電系の引導師だったんだと思います」

「……確かにそうかもね」

 杠葉は、燦に再び視線を向けた。
 燦は、未だポーっと座り込んだままだった。

「それで、その『おじさま』に燦は心を奪われてしまったのね。数日経って、それを徐々に自覚してきたってことかしら」

「そうだと思います」

 月子は頷いた。

「けど、おじさまは、凄く年上の人で流石に……」

「あら。何を言っているの。月子ちゃん」

 杠葉は、クスクスと笑った。

「恋に歳の差は関係ないわ。私の初恋の人も結構年上だったもの」

 と、呟いた瞬間、

「――ひいお婆さまも、おじさんと恋をしたの!?」

 唐突にスイッチの入った燦が、目を見開いて喰いついてきた。
 杠葉は、少し苦笑を浮かべた。

「……彼は、そこまでおじさまではなかったけれど……」

 そう呟くと、月子まで興味津々な眼差しで杠葉を見つめてきた。
 二人の瞳が『聞かせて』と訴えかけている。
 やはり二人とも少女である。恋の話が大好きなようだ。
 思わぬ展開に杠葉は少し困ってしまう。が、

「……そうね」

 自分が、彼の名前を口にするのはおこがましいことだ。
 自分には、もうその資格はない。
 けれど、彼との思い出は杠葉のモノでもある。自分の宝物だった。
 それを未来に生きる少女たちに語るぐらいはいいだろう。
 それぐらいなら、きっと、彼も許してくれるような気がした。

「……うん。いいわ」

 そうして杠葉は微笑んだ。

「じゃあ、話してあげましょうか。お婆ちゃんの初恋の話を」
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