骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第5部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第4部

第八章 バケモノ談義①

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 一時間前。
 餓者髑髏は、ソファに腰を掛けて一人、瞑想をしていた。
 場所は、襲撃を受けた宿とは別の部屋だ。
 しかし、洋館であることは変わらず、餓者髑髏はくつろいでいた。
 その姿にも、大きな変化はない。
 小柄な体格に、天を突く髭も健在だ。流石に服だけは予備のモノだったが。
 昨夜の炎熱地獄にて崩された姿は、完全に復元されていた。
 と、その時。

「……あなた」

 首元に両腕を絡められて、後ろから声を掛けられる。
 愛しき妻。エリーゼだ。

「今宵の準備は、すべて完了いたしましたわ」

「ふむ。そうかね」

 餓者髑髏は、瞳を開いた。

「ご苦労だったね。エリー」

 妻の黄金の髪を指先で触れる。

「ありがとう。これで今宵は素晴らしいないとになりそうだ」

「いえ。あなた」

 エリーゼは後ろから夫を抱きしめたまま、告げる。

「エリーの仕事はまだ終わっておりません。あの娘をお館さまにお贈りするまでは」

「……ふふ。久遠君の奥方のことだね」

 餓者髑髏は、双眸を細めた。

「無論、君が彼女に負けるとは思っていないが、相手はあの久遠君が妻に見初めた女性だ。充分に気をつけるのだよ」

 言って、エリーゼの頬を撫でる。

「いかなる女性も、君には代えられない。それを忘れてはいけないよ」

「承知しておりますわ。あなた」

 エリーゼは微笑む。

「ですが、やはりお約束させてください。あの娘は必ずお館さまに献上すると」

 そこで、エリーゼは双眸を細める。

「お館さまにお喜びになっていただくために。そして見てみたいのです。あの気丈な娘がどのように堕ちていくのかを。ふふ、今から楽しみですわ」

 三日月のように、口元が開かれる。

「引導師と言っても、所詮は人間ですから。その体力にも限りがありますわ。お館さまの夜伽の相手を務めるのは一夜とて容易ではないでしょう。ふふ、務め終えた時、あの娘はどうなっているのかしら?」

「……君は怖いな。エリー」

 餓者髑髏は、微苦笑を零して嘆息した。

「まあ、吾輩も彼女には興味がある。その美貌以外にもね。先程も言ったが、久遠君が見初めた女性だからな。果たして、どのような女性なのか……」

「……随分と高く評価されるのですね」

 エリーゼが、顔を夫に寄せて尋ねる。

「あの娘の夫は、それほどの人物なのですか?」

「正直、彼が引導師というのは、にわかに信じがたいな」

 餓者髑髏は、率直に言う。

「むしろ、吾輩の八人目の同胞だと名乗られた方がまだ得心がいくほどだ」

「それは……」エリーゼは眉をひそめる。

「お言葉ですが、流石に過大評価では? 人の身で天の七座に並ぶ者など……」

「……少なくとも」

 餓者髑髏は、苦笑を浮かべた。

「吾輩は君を彼に関わらせたくない。危険すぎると感じた」

 その吐露に、エリーゼはハッと目を見開いた。

「お館さま。もしや、今宵、お館さまが裏方に徹せられた理由とは……」

「ふふ。どうしても彼を君から遠ざけたかった。それほどの相手と言うことだよ」

「……嗚呼、お館さま……」

 エリーゼは、強く夫を抱きしめた。

「エリーは幸せ者です。身に余るご寵愛。ありがとうございます」

「気にする必要はないよ。エリー」

 言って、ポンとエリーゼの頭を叩き、餓者髑髏は立ち上がった。

「妻を気遣うのは、夫として当然なのだから。さて」

 餓者髑髏は、髭を指先で摘まんだ。

「それでは、そろそろ舞台すてーじへ出かけることにするかね」

       ◆

 ――同時刻。
 寄合場の一室にて。
 桜華は、正座をして瞑想していた。
 彼女の前には、刀身のない刀の柄が置かれている。
 決戦前にして、極限まで集中力を高めているのである。
 彼女は、未だ着物姿だった。
 あまり戦闘に向いてはいないが、これは彼女の覚悟でもある。
 あえて不利な衣装を選ぶことで、感覚を研ぎ澄ませることも出来るからだ。
 それに、何よりも今宵だけは……。
 久遠真刃の妻。『久遠桜華』として、あの女を迎え撃つ。
 その決意があった。

(今の自分は、『御影刀一郎』よりも強い)

 はっきりと、そう感じていた。
 今ならば、あの秘剣も使えそうな気がする。
 その時だった。
 不意に、部屋の外に気配を感じた。

「……黒田さまですか?」

「あ、はい」

 呼びかけると、襖を開けて黒田信二が現れた。

「瞑想の邪魔をしたようで、申し訳ありません」

「いえ。お気になさらず」

 桜華は、座ったまま信二の方を向いて微笑んだ。

(うわあ……)

 その笑みに、信二は思わず息を呑む。
 改めて見ると、驚くほどに美しい女性だった。
 もし、信二の心の中に、菊という尊い輝きが無ければ。
 そして彼女が、久遠氏の妻であるという事実が無ければ。
 きっと、彼女の美しさに心奪われていたに違いない。

「あの、ところで、久遠殿は?」

 こんな美しい妻を、一人で戦場に立たせなければならない彼には申し訳ない気分になる。
 そう思い、ご主人の行方を聞いたのだが、

「主人ならば、夕刻から見ておりません」

 そんな返事が来た。信二は目を丸くする。

「え? そうなのですか?」

「はい」桜華は頷く。「主人に何か御用でしょうか?」

「い、いえ。そう言う訳では……」

 と、呟いたところで眉をひそめた。

「奥方殿は、その、不安ではないのですか? もう定刻の時間が近づいているというのに、ご主人が不在で……」

「……それは、むしろ嬉しいですね」

 意外にも、桜華はそんなことを言った。
 信二は「え?」と目を丸くする。

「黒田さまはご存じなくて当然なのですが、主人は、帝都はおろか、この国においても最強の引導師なのです。それゆえでしょうか、あの人は他者に頼らない傾向があります」

 苦笑を浮かべつつ、桜華はそう告げた。

「それは極端なほどに。そんなあの人が今はいない。それは、自分を信じてくれているからこそです。これは、きっとあの二人にもしないこと……」

「……二人?」

 反芻する信二に、「失礼。私的な話です」と、桜華はかぶりを振った。

「ともあれ、自分は主人からここを任されたのです。これは、自分にとっては嬉しいことであり、そして、あの人にとっては良いことだと思っています」

「……良いことですか?」

 信二がそう尋ねると、桜華は「はい」と頷いた。

「主人は、いつも自分ばかりで背負ってしまう人ですから。多少は信じて欲しい。時には託すことも必要だと知って欲しい。それに……」

 そこで、ふうと小さく息を吐く。

「あの人は、少し心配性なところもあります。もし子供でも出来れば、心配性を拗らせて、とても溺愛してしまいそうで……」

「え? 子供……あっ」

 信二はハッとした。

「も、もしや、奥方殿は身重なのですか!」

「……え?」

 その指摘に、桜華は一瞬キョトンとした顔をした。
 が、すぐに顔を紅潮させて、

「ち、違います! それはまだ・・です!」

 と、慌てて否定する。ただ、本能なのからか、自分の腹部を両手で押さえていたが。

『……そう。それはまだでございますね。ですが、いずれのことでもございます』

「し、白冴ッ!」

 今まで沈黙していた胸元の白冴が、そう言う。
 一方、信二は「そ、そうですか」と呟きつつ、ふと表情を曇らせた。

「……子供ですか。実は、僕には子供がいるんです」

「え?」

 桜華は目を見開いた。それは、初めて聞く情報だった。

「そうなのですか?」

「はい」

 桜華の問いかけに、信二は頷く。

「いま囚われている僕の恋人。菊のお腹には、僕の子がいます」

 ――菊。その名には聞き覚えがある。資料で知った名前だ。

(確か、黒田さまと共に失踪した女中の名だったな)

 なるほど。得心がいく。
 まあ、まだ顔つきに幼さが残る彼に、子供までいたことには驚いたが。

「……僕は未熟者です」

 信二は、俯いて言う。

「こんな僕に、彼女たちを幸せに出来るのでしょうか……」

 そう独白する青年に、

「……それは、きっと大丈夫ですよ」

 桜華は、微笑んで答えた。

「貴方はこの過酷な状況であっても、彼女を置いて逃げていません。それは、心から彼女たちを大切に想っているからでしょう」

 一拍おいて、

「その想いがある限り、貴方はいかなる困難にも負けることはないでしょう」

 桜華は、確信を持って告げる。

「……奥方殿」

 信二は、顔を上げて桜華を見つめた。
 桜華は言う。

「そのためにも、まずは今夜、何としても生き延びなければなりません」

「……はい」

 信二は、拳を固めて力強く頷いた。

「そうですね。僕は死ねない。菊と、僕たちの子供のために」

 そう告げて、信二は去って行った。
 部屋に残されたのは、桜華だけだ。
 いや、正確には桜華と白冴か。

『子とは御宝みたから。素晴らしきモノです』

 白冴は言う。

『桜華さまも、早く我が君の御子をお宿しください』

「う、五月蠅い!」

 顔を赤くして桜華が叫ぶ。
 それから、グッと刀の柄を掴む。

「すべては生き延びてからだ」

『そうでございますね。また一から仕切り直しでございますから』

「……むむむ」

 桜華は唸るが、すっと立ち上がると、表情を真剣なモノに改めた。
 高めた集中力が瞬時に戻ってくる。

「いずれにせよ、彼らは死なせたくない」

 そう呟く桜華に、

『無論でございます。どうかご武運を。桜華さま』

 白冴が応える。
 そうして、定刻が訪れる。
 時計の針が深夜十二時を差した時。
 時刻を知らせる音が響き、寄合場から人の姿は消えた。
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