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第4部

第八章 バケモノ談義⑥

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「八体目!」

 ――ザンッ!
 八体目の牛のような頭の我霊の首を刎ね、桜華は走る。
 数秒遅れて、牛鬼の首が落ちた。
 桜華は見向きもせず、森の中を走り続ける。

「白冴! 次はどこだ!」

『このまま真っ直ぐ前方に。三十秒後に接敵します。ですが』

 白冴は、緊迫した声で警告する。

『あの女が近づいております。恐らく、これが最後の討伐になるかと』

「……そうか」

 桜華は双眸を細めた。
 そしてさらに加速。
 木々の間を抜ける。やや広い場所。
 そこには、亀のような甲羅と、四本の腕。腹部に人面を持つ不気味な化け物がいた。
 体格においては、桜華の倍はある。
 化け物は、すぐに桜華の存在に気付いた。

「があぁアアアアアッ!」

 咆哮を上げて、右の二本の腕を振り下ろす!
 桜華は直前で前へと跳躍。巨大な拳をすり抜けて、腹部に炎の斬撃を喰らわせる。
 しかし、

「――チイ」

 その刃では、斬り裂けない。
 焦げたような炎症しか残せなかった。
 甲羅でなく腹部であっても、相当な強度である。

「ぐがあぁアアアアアッ!」

 甲羅の我霊は、四本の腕を奇妙に伸ばした。
 すべての腕を鞭のようにしならせて、桜華へと叩きつけようとする。
 一つ一つが、まるで砲弾のようだった。
 拳の乱撃を桜華は回避するが、外れた拳は地に大穴を開けていく。

(自分の魂力では、一度でも喰らえば即死だな)

 冷静にそう判断する。
 桜華のように接近戦を主体とする引導師は、魂力を肉体強化に回す。
 主に、攻撃力、敏捷性、耐久力に割り振るということだ。
 ほとんどの引導師は、その三つに均等に割り振るのだが、桜華の持つ魂力は、あまりにも限られている。そのため、彼女は、耐久力に関しては、完全に捨てていた。
 攻撃と敏捷性。その二つにすべての魂力を使用しているのである。
 結果、桜華の耐久力は一般人と変わらない。容姿通りの華奢な女性と変わらなかった。
 こんな砲撃のような一撃を喰らえば、死は免れなかった。

『桜華さま。私が防御を――』

「ダメだ。餓者髑髏にお前の存在を気付かれる」

 白冴の提言を却下する。

「それに大丈夫だ。こいつの動きはすでに見切った」

 タン、タンッと伸びた腕を駆けあがり、桜華は甲羅の我霊の背後に回った。
 そして、すっと双眸を細める。
 限られた魂力を、極限まで研ぎ澄ましていく。
 それと同時に、携えた真紅の炎が、白金の光へと変わった。

 ――白の位。
 御影家の系譜術である《火尖かせんとう》の極意。

 斬撃の極致といえる光の刃。
 御影家の歴史の中でも、限られた人間のみに辿り着ける境地である。
 それをこの若さで到達した者はいない。魂力の少なさという欠点さえなければ、やはり桜華は、御影家においても最高の天才だった。

「――はあッ!」

 桜華は跳躍する。
 そして最も頑強であろう甲羅に、光の刃を奔らせる!
 袈裟斬りの太刀筋で輝いたそれは、腹部中央にある人面までも斬り裂いた。
 そうして、
 ――ズズズ……。
 巨大な甲羅が、斜めにずり落ちていく。
 数秒後には、地響きと共に地に落ちた。
 両断された甲羅の我霊は、完全に沈黙する。

「これで九体か」

 無念だが、ここまでか。
 桜華は深く嘆息しつつ、左手を空に向けた。
 次いで、掌から光弾を撃ち出す。
 それを九発続けた。夜空に九つの光が輝き、そこに滞在している。
 これは、攻撃用の術ではない。
 引導師ならば、誰でも使えるただの照明の術だ。
 これによって、桜華が討伐した数を黒田信二たちに連絡したのである。

「出来れば、二桁は行きたかったのだがな……」

『仕方がございません。それよりも、桜華さま……』

「ああ。分かっている」

 白冴の言葉に、桜華は頷く。
 空を見上げる。その数瞬後だった。
 ――ふわり、と。
 白い装束ドレスが舞った。
 遥か上空から、森の中に舞い降りたのは黄金の髪の美女だった。

「ごきげんよう」

 そう言って、美女――エリーゼは桜華に会釈をした。

「随分と必死に逃げられますから、追いつくのに苦労いたしましたわ」

「ふん。それは悪かったな」

 桜華は、白金の光刃をエリーゼに向けた。

「だが、安心しろ。ここから先は付きっ切りで相手をしてやる」

「あら。それは光栄ですわ」

 エリーゼは笑う。

「では、月夜の舞踊ダンスと参りましょうか」


       ◆


 その頃。
 ふらふらと、森の中を進む者がいた。

「…………」

 目は虚ろで、時折、口から唾液を零す。
 思考も定まっていない。まるで深い霧の中にいるようだった。
 とても、真っ当な精神状態とは言えない。
 その上、体にも異変があった。
 全身の血流が燃えるように熱く、心臓もまた激しく早鐘を打っているのだ。
 まるで、体の中で得体のしれない何かが暴れているような感覚だった。
 明らかな異常。
 だが、それでも、歩みは止める訳にはいかなかった。
 心が告げているからだ。
 自分は、行かねばならないと。

「……………」

 無言のまま、歩く。
 歩く。歩く。
 ふらりと倒れかけるが、木に手を添えて体を支え直す。
 行かないと。行かないと。
 その意志だけで、歩を進めていた。
 と、その時。
 不意に、空が明るくなった。

 顔を上げる。
 木々の遥か上。星の輝く夜空。
 そこには、星ではない九つの輝きがあった。
 何かの合図だろうか。
 光はすぐには消えず、夜を照らしていた。
 ズキン、と頭が酷く痛む。
 その光を見ていると、心が妙にざわついた。
 急がないといけない。
 一人、森の中を進む彼女は、さらに足を速めた――。
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