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第9部

第一章 こっそり隠れてネコを飼う②

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「ふむふむ。中々よい城じゃな」


 ご機嫌な声が響く。
 その時、リノは堂々と城内を闊歩していた。
 長い渡り廊下を、軽やかな足取りで歩いている。


「一人では退屈じゃしの」


 と、呟く。
 コウタには部屋にいて欲しいと頼まれたし、彼の願いは出来ることならば叶えてやりたいと思うが、彼女は退屈が大嫌いだった。
 嫌でも幼少期を思い出してしまう。


「まあ、コウタが朝食を終える前に戻ればよかろう」


 そう判断して、リノは城内散策に乗り出した。
 長い髪をなびかせて、リノは歩く。
 時折、赤い服の騎士や、メイドとすれ違ったが、彼らは会釈をするだけで、不審人物で侵入者であるはずの彼女を咎めようとしない。
 リノの歩き方が、王侯貴族であることを疑わせないほどに、あまりにも堂に入っていたからだ。しかもリノ自身も微笑みを浮かべて会釈を返してくる。すれ違った彼らは全員がリノを王城に訪れた、どこかの貴族の令嬢なのだろうと判断していた。


『何事も堂々としていれば、勝手に想像してくれるものよ』


 それはリノのの教えだ。
 義母は、何でも昔、エルサガ大陸で名を馳せた義賊だったらしい。
 しかし父と出会い、口説き落とされて足を洗うことになったそうだ。


(……ふむ)


 父のことを思い出し、リノは少し億劫になった。
 父とは、決して不仲ではない。
 それどころか、父はリノのことを溺愛していた。

 たった一人の愛娘だ。愛情を注ぐのも当然かもしれない。
 ただ、年頃のリノとしては、父の過剰な愛情に霹靂するばかりだか。

 あと、気に入った女性を、すぐに妻にするのもやめて欲しいと思っていた。
 女好きで女癖は悪いが、父は女性を雑には扱わない。

 一夜限りの付き合いなどは絶対にしない。
 本気で欲しいと思った女性は、あらゆる手段で必ず口説き落として――恐るべきことに陥落率は十割らしい――妻に迎え入れるのだ。
 その結果、リノには、実母を合わせて十一人もの母がいるのである。


(義母上達のことは嫌いではない。しかしのう……)


 ここ数年は、父と会う度に義母が増えていた気がする。
 しかも、中には二十代もいた。
 父は四十代半ば。娘としては、いい加減自重して欲しいところだ。


「まったく」


 リノは、深々と溜息をついた。
 父のことを思い出したため、折角の楽しい散策が台無しになった気分だ。


「父上にも困ったものじゃ」


 と、呟いた時だった。


「……おや? 君は?」


 不意に。
 リノに声をかける者が現れた。
 リノは足を止めて、声の主に視線を向けた。


(……ほう)


 そこにいたのは、赤い騎士服を騎士だった。
 年齢は四十代半ばぐらいか。立ち姿が中々のものだ。恐らく上級騎士だろう。
 そして彼は、何故か、今や骨董品とも呼べるブレストプレートを纏い、右腕には銀色のヘルムを抱えていた。


(ふむ。珍妙な恰好ではあるが……)


 リノは、双眸を細める。
 問題なのは、この騎士がリノに声をかけてきたことだ。


(少々油断したか? 平和ボケの国でも本物はいるということかの)


 そんなことを思っていると、騎士は眉をひそめた。


「君は何者だ? 城内では見かけたことがないが?」


 ここは一般開放されている一階部とは違う。
 ある程度の地位や職務を持つ者。または、コウタ達のように招かれた来賓以外は立ち入ることが出来ない場所だ。
 だからこそ、他の騎士やメイドは、堂々とする彼女を貴族の娘だと思い込んだのだが、目の前の騎士はそうは思わなかったようだ。


(ふむ。どうしたものかの)


 荒っぽいものから、絡め手まで。
 この場を切り抜ける手段ならば、幾つも思いつくが、どれが一番、事を荒立てないか、迷いどころだった。


「……いや」


 そんなことを悩んでいると、騎士の方が口を開いた。


「失礼。堂々とした優雅な立ち姿から、貴族のご令嬢であることは察しています。本来ならばお声がけはしないのですが……」


 騎士は小さく嘆息した。


「失礼ながら、あなたが私の知人によく似ている気がしまして」

(……何じゃ? こやつ)


 騎士の台詞に、リノは内心で眉をしかめた。
 まるで、ナンパのような台詞を吐く。
 街を散策すると、散々聞いてきた台詞だ。
 まさか、城の中でまで聞くことになるとは思わなかった。


(四十代のおっさんの分際で、よもやわらわを口説くつもりかの?)


 そんな考えがよぎるが、リノは笑顔を浮かべて返した。


「まあ、そうですか」


 口調まで偽装して尋ね返す。


「私と似ておられるその方とは、どなたなのですか?」

「……うむ。そうですな」


 騎士は言う。


「私の友人です。四十代の男ですな」

「……………え」


 リノの目が、思わず点になった。


「いや。後ろ姿がよく似ていたのですよ。まるであいつの生き写しだ」

「生き写し!?」


 リノは、愕然とした。
 ――傾国の雛鳥。
 流石に、四十代のおっさんに似ていると言われたのは初めての経験である。


「――ふ」

「――ふ?」


 騎士が小首を傾げた。
 途端、プチン、とリノが切れた。


「ふざけるでないっ! 誰が四十代のおっさんじゃ!」

「お、おお……」


 リノの剣幕に、騎士が後ずさる。


「まったく! 失礼な奴じゃな! わらわはもう行くぞ!」


 言って、リノは騎士を無視して歩き出す。
 結果的には、最も穏便な別れ方だった。
 そうして、リノは渡り廊下の先にあった階段を降りて行った。
 少女の剣幕に唖然としていた騎士も、ようやく動き出す。


「……いや、そう言われても」


 言って、ボリボリと頭をかく。


「本当に似ているような気がしたんだ」


 かつて、共に騎士学校に通った友人に。
 卒業の日に、唐突に姿を消した級友。
 そして一月半ほど前に、二十数年ぶりにふらりと現れたと思えば、嵐のように周囲を引っ掻き回して、いつの間にか、また去っていた人物。


「しかし、なんでだろうな」


 騎士――アラン=は、悩ましげに首を傾げた。


「どうしてだ? あんな綺麗な子なんだぞ。容姿は全く似ていないのに、どうして俺は、あの子がとそっくりだと思ったんだ?」
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