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第20話
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別館の車寄せに着くと、既に夫は車に乗り込んでいた。
てっきり別々の車で行くのだと思っていたが、
「さあ、若奥様もお入りください。」
と促され、黒光りする高級車に乗り込んだ。
夫は私に目もくれず、タブレットの画面をじっと見ていた。
夫は私に「寝ておけ」と言って出ていった。だから、私が寝てないことを知れば、また嫌味を言って怒鳴り散らすかと思っていた。
毛利さんから土方さんに話が伝わり、夫の耳にも入ったようだが、特に何も意義はなかったようだ。
(天邪鬼なのかしら。まあ、そんな感じよね。)
車が動き出しても、一向にタブレットを眺めている夫に、私は一言も声を出さなかった。
ただ、久しぶりに見る街の光景に目を奪われ、仲良さげに歩いているカップルや楽しそうな子供達を見て、羨ましいと思った。
見慣れた場所に車が入り、私が以前働いていたAプロダクトに着いた。
さあ降りようかというところで、夫の携帯電話が鳴った。
「……坊っちゃま、少し急ぎますが。」
土方さんが受話することに難色を示す。
仕事の電話だったら、いちど出てから掛け直すこともできるだろう。ましてまだ移動中の身だ。
だが、土方さんの様子と、夫の戸惑い様からしてワケありの電話なのだとわかる。
(あぁ、女か……)
妻の勘を見くびるでない。
既にバレているのだ。
まあ、勘が当たるほど深い付き合いはしていないし、相手が女だからって責める理由もない。
だって私達は、愛し合っているわけじゃないから。
「……行くぞ。」
結局夫は電話に出ず、社の中に入った。
毛利さんから聞いていた話から、夫の人気は凄まじく、横断幕でもさげられているかと思ったが、意外と社内は閑散としていた。
「若奥様、いかがですか?お久しぶりでございましょう。」
珍しく土方さんが私の顔色を伺っている。
先程の電話のことを後ろめたく思っているのだろうか。
「変わらないですね、特には」
本当のことだ。
特に何も変わっていない。
厳密に言えば、私が退職したくらいだろう。
その時、正面からコツコツと足音を響かせて向かってくる女性の姿に皆が気づいた。
「お久しぶりですね。名波さん、あ、失礼、遠藤詩豆さん。」
そうだ、この声と話し方。私が我慢ならなかった相手。
「お久しぶりです。藪坂部長。」
エンドーグループ会長の息子で株式会社エンドーの社長、遠藤慶大が来るとなれば、きっと彼女が案内人として出て来るだろうと思っていた。
彼女は『男は皆私に惚れる』と思っている。いや、昼休みに、実際にそう話している場面に出くわしたこともある。
だから、イケメンで名高い夫も、きっとそうだろうと胸を弾ませて来たのだろう。
「やだぁ、そんな他人行儀な言い方やめてくださいよ。今や、若奥様とおなりでも、ちょっと前まで共に働いた仲じゃないですか。」
彼女はそういいつつも、私ではなく夫をチラチラ見ている。
「そうは言われましても、急には変われませんし、言葉遣いは丁寧に勝るものはないですから。」
彼女と目があったところで返答した。
だが、彼女はそれに対しては特に反応せず、ただ夫の方ばかり気にかけてみていた。
「お久しぶりですね。遠藤社長。」
「ああ、川口さん。今日はよろしくお願いします。」
今度は夫の背中越しにAプロジェクトの川口専務が現れ、夫に声をかけた。
「若奥様はこちらでお仕事されていたとか。この藪坂君のところで。」
そうだ。この専務。相変わらず人の顔を覚えない。特に派遣に対しては扱いが酷かった。
思いを逡巡させ、当たり障りなく返答しようとしたところ、
「失礼ですが、詩豆がこちらでどのような仕事をしていたかご存知ないのですか?」
と、冷たく夫が言い放った。
責めるような、呆れたような口調で。
でも、詩豆と名前を呼んで。
てっきり別々の車で行くのだと思っていたが、
「さあ、若奥様もお入りください。」
と促され、黒光りする高級車に乗り込んだ。
夫は私に目もくれず、タブレットの画面をじっと見ていた。
夫は私に「寝ておけ」と言って出ていった。だから、私が寝てないことを知れば、また嫌味を言って怒鳴り散らすかと思っていた。
毛利さんから土方さんに話が伝わり、夫の耳にも入ったようだが、特に何も意義はなかったようだ。
(天邪鬼なのかしら。まあ、そんな感じよね。)
車が動き出しても、一向にタブレットを眺めている夫に、私は一言も声を出さなかった。
ただ、久しぶりに見る街の光景に目を奪われ、仲良さげに歩いているカップルや楽しそうな子供達を見て、羨ましいと思った。
見慣れた場所に車が入り、私が以前働いていたAプロダクトに着いた。
さあ降りようかというところで、夫の携帯電話が鳴った。
「……坊っちゃま、少し急ぎますが。」
土方さんが受話することに難色を示す。
仕事の電話だったら、いちど出てから掛け直すこともできるだろう。ましてまだ移動中の身だ。
だが、土方さんの様子と、夫の戸惑い様からしてワケありの電話なのだとわかる。
(あぁ、女か……)
妻の勘を見くびるでない。
既にバレているのだ。
まあ、勘が当たるほど深い付き合いはしていないし、相手が女だからって責める理由もない。
だって私達は、愛し合っているわけじゃないから。
「……行くぞ。」
結局夫は電話に出ず、社の中に入った。
毛利さんから聞いていた話から、夫の人気は凄まじく、横断幕でもさげられているかと思ったが、意外と社内は閑散としていた。
「若奥様、いかがですか?お久しぶりでございましょう。」
珍しく土方さんが私の顔色を伺っている。
先程の電話のことを後ろめたく思っているのだろうか。
「変わらないですね、特には」
本当のことだ。
特に何も変わっていない。
厳密に言えば、私が退職したくらいだろう。
その時、正面からコツコツと足音を響かせて向かってくる女性の姿に皆が気づいた。
「お久しぶりですね。名波さん、あ、失礼、遠藤詩豆さん。」
そうだ、この声と話し方。私が我慢ならなかった相手。
「お久しぶりです。藪坂部長。」
エンドーグループ会長の息子で株式会社エンドーの社長、遠藤慶大が来るとなれば、きっと彼女が案内人として出て来るだろうと思っていた。
彼女は『男は皆私に惚れる』と思っている。いや、昼休みに、実際にそう話している場面に出くわしたこともある。
だから、イケメンで名高い夫も、きっとそうだろうと胸を弾ませて来たのだろう。
「やだぁ、そんな他人行儀な言い方やめてくださいよ。今や、若奥様とおなりでも、ちょっと前まで共に働いた仲じゃないですか。」
彼女はそういいつつも、私ではなく夫をチラチラ見ている。
「そうは言われましても、急には変われませんし、言葉遣いは丁寧に勝るものはないですから。」
彼女と目があったところで返答した。
だが、彼女はそれに対しては特に反応せず、ただ夫の方ばかり気にかけてみていた。
「お久しぶりですね。遠藤社長。」
「ああ、川口さん。今日はよろしくお願いします。」
今度は夫の背中越しにAプロジェクトの川口専務が現れ、夫に声をかけた。
「若奥様はこちらでお仕事されていたとか。この藪坂君のところで。」
そうだ。この専務。相変わらず人の顔を覚えない。特に派遣に対しては扱いが酷かった。
思いを逡巡させ、当たり障りなく返答しようとしたところ、
「失礼ですが、詩豆がこちらでどのような仕事をしていたかご存知ないのですか?」
と、冷たく夫が言い放った。
責めるような、呆れたような口調で。
でも、詩豆と名前を呼んで。
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