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第十二章 溢れる想い
第38話 後編1(※)
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約束の時間はとっくに過ぎてしまった。待ちくたびれているのではないかと思いながらエレベーターを降り、急いで病室に向かう。軽くノックしてドアを開けると、窓際に置いたパイプ椅子に凭れていた晶が緩く振り返った。
「ごめんね。ちょっと遅くなっちゃった。出掛けに急用が入ったもんだから」
「ふぅん…」
なんとも言えぬ生返事を返す晶。今までにされたことの無い受け答えに直人は首を傾げたが、やはり遅れたことを怒っているのだろうと考えて苦笑する。きちんと謝る為晶の背に歩み寄ろうとした彼に、突っ慳貪なセリフが投げられた。
「いろいろとお忙しいご身分なんだな」
ピタリと足が止まる。――おかしい。普段の晶は、ふざけた物言いをすることはあっても、こんな皮肉めいた話し方をしたりはしない。その何処か冷たさを感じる声を聴いて一抹の不安を覚える直人に、追い討ちが掛かった。
「中庭に、何の『急用』だったんだ?」
「…え?」
直人は耳を疑う。『中庭』という単語が晶の口から出たことに、狼狽の色を隠せない。恐れにも似た一つの予感が頭を過ぎるが、それは有り得ない筈だった。中庭は入院病棟から見えない位置にあり、先程の和彦との遣り取りを目撃された筈は無いのだ。
だが、それでも不安は募る。いつも通りの恍けた答えが返ってくることを望みながら、小さな声を絞り出した。
「…中庭って…」
「残念ながらな、こっから丸見えなんだよ」
直人の微かな希望を踏みにじるように、冷たく言い放たれる言葉。
「そ…んな…」
立ち上がり外を見下ろす晶の後ろから慌てて覗き込んで、直人は絶句した。
眼下に広がる木立。その片隅に、あの藤棚とベンチがはっきりと視認出来るではないか。晶はここから全て見ていたのだ。
――迂闊だった。他の病室とは位置も方角も全く異なるこの部屋の窓が、一般病棟からは見えない中庭に面していたことに気付かなかった自分の愚かさを嘆く。
窓を見詰めたまま動けなくなった直人に、晶が身体ごと振り返って冷ややかな眼差しを向ける。それと裏腹に、その顔は身を焦がすほどの怒りに引き攣っていた。
「…なんであいつがいたんだよ…。あそこで何してた? 何を話した!? なんでキスなんかさせたんだよっ!」
凄い形相で睨み付けられて、直人は思わず身を竦める。
「あ、晶…、あの…」
「俺には言えねぇのか? 言えねぇような後ろめたいことしてたってのか!? どうなんだよ、直人っ!!」
怒りに任せて詰め寄る晶。何かが切れてしまったような激昂ぶりに怯える直人の腕を、軋むほどに強く握り締めて引き寄せた。荒ぶる呼吸をそのままに、眼前まで寄せた面に向かって怒声を浴びせる。
「俺を…俺だけを見てくれてるんじゃなかったのか?! 俺はそう信じてた…、お前だけを愛してきた。なのに、お前は…っ。俺の知らない所でコソコソあいつと会ってたってことかよ! 俺を馬鹿にしてんのか? ――入院の前も後も、終わればさっさと帰っていくのは仕事の為だとか言いながら、実はあいつに会う為だったんじゃねぇのか! えぇ!? 答えろよ!!」
「ちがっ…、それは――」
否定しようとするが、混乱していて言葉が浮かんでこない。何も言えず必死にかぶりを振る直人を、晶は蔑みを含んだ目で睨め付けた。
「…どうしても言わねぇんなら、力尽くで訊き出してやる…っ!」
言い様、直人を後ろへ突き飛ばす。勢いの付いた身体がベッドの上に倒れ込むと、その跳ね返りを妨げるように伸し掛かった。
「晶っ! ちょっ……」
獰猛な、飢えた野獣のような眼差しに射竦められて、直人の声は口の外まで出ること無く喉に貼り付く。
有無を言わせず直人の唇にむしゃぶりついた晶は、荒々しく咬み付くようにその口腔を犯した。呼吸出来ず苦しげに首を振って拒絶する恋人の頭を押さえ付け、更に深く貪りながら彼のシャツの裾を捲る。乱暴に突起を摘み、捻り上げた。
「んぐぅ…っ」
直人の身体が跳ね上がる。
口内を蹂躙し尽くし、唇を離す晶。体勢を変え白い胸に舌を這わせると、激しく水音を立てながら桜色の突起を舐った。
「あぅぅ…っ、い…やだっ。晶、お願……やめっ…っ」
懇願の声を無視して、苛立ちをぶつけるように口中のそれをギリリと咬んだ。
「いっ…っっ!!」
激痛に全身を震わせる直人の胸から顔を上げ、たった今咬み付いた部分を見る。己が付けた傷から滲み出た血が、赤い玉になって丸く浮き上がった。それを舐める。口の中に錆びた味が広がるのを感じて、晶は上目遣いに鋭い目線を頭上の彼に向けた。と、その眼差しが光を失う。
――直人は泣いていた。両の眼を手で覆い、声も無く涙を流す。覆った指の間から、溢れた雫がぼろぼろと零れていった。
「直人…」
怒りが急速に冷めていく。酷いことをしてしまったという自責の念が、晶の胸に押し寄せた。
止め処なく流れる涙が直人の頬と手を伝い、シーツを濡らしていく。小さく漏れる嗚咽の合間から微かな呟きが聞こえてきた。繰り返し、繰り返し。
「…ごめんね…、ごめん…。許して、晶……」
許しを請うその声に居た堪れなくなる。目を逸らして起き上がると、マットレスの軋む音と共にベッドを降りた。
捲れた彼のシャツをそっと戻す。そのまま晶は窓に歩み寄り、晴天の大空を仰いだ――。
★★★次回予告★★★
和彦の想いと自分の気持ちを正直に話す直人。
それを聴いた晶は、己の取った行動を恥じる――。
「ごめんね。ちょっと遅くなっちゃった。出掛けに急用が入ったもんだから」
「ふぅん…」
なんとも言えぬ生返事を返す晶。今までにされたことの無い受け答えに直人は首を傾げたが、やはり遅れたことを怒っているのだろうと考えて苦笑する。きちんと謝る為晶の背に歩み寄ろうとした彼に、突っ慳貪なセリフが投げられた。
「いろいろとお忙しいご身分なんだな」
ピタリと足が止まる。――おかしい。普段の晶は、ふざけた物言いをすることはあっても、こんな皮肉めいた話し方をしたりはしない。その何処か冷たさを感じる声を聴いて一抹の不安を覚える直人に、追い討ちが掛かった。
「中庭に、何の『急用』だったんだ?」
「…え?」
直人は耳を疑う。『中庭』という単語が晶の口から出たことに、狼狽の色を隠せない。恐れにも似た一つの予感が頭を過ぎるが、それは有り得ない筈だった。中庭は入院病棟から見えない位置にあり、先程の和彦との遣り取りを目撃された筈は無いのだ。
だが、それでも不安は募る。いつも通りの恍けた答えが返ってくることを望みながら、小さな声を絞り出した。
「…中庭って…」
「残念ながらな、こっから丸見えなんだよ」
直人の微かな希望を踏みにじるように、冷たく言い放たれる言葉。
「そ…んな…」
立ち上がり外を見下ろす晶の後ろから慌てて覗き込んで、直人は絶句した。
眼下に広がる木立。その片隅に、あの藤棚とベンチがはっきりと視認出来るではないか。晶はここから全て見ていたのだ。
――迂闊だった。他の病室とは位置も方角も全く異なるこの部屋の窓が、一般病棟からは見えない中庭に面していたことに気付かなかった自分の愚かさを嘆く。
窓を見詰めたまま動けなくなった直人に、晶が身体ごと振り返って冷ややかな眼差しを向ける。それと裏腹に、その顔は身を焦がすほどの怒りに引き攣っていた。
「…なんであいつがいたんだよ…。あそこで何してた? 何を話した!? なんでキスなんかさせたんだよっ!」
凄い形相で睨み付けられて、直人は思わず身を竦める。
「あ、晶…、あの…」
「俺には言えねぇのか? 言えねぇような後ろめたいことしてたってのか!? どうなんだよ、直人っ!!」
怒りに任せて詰め寄る晶。何かが切れてしまったような激昂ぶりに怯える直人の腕を、軋むほどに強く握り締めて引き寄せた。荒ぶる呼吸をそのままに、眼前まで寄せた面に向かって怒声を浴びせる。
「俺を…俺だけを見てくれてるんじゃなかったのか?! 俺はそう信じてた…、お前だけを愛してきた。なのに、お前は…っ。俺の知らない所でコソコソあいつと会ってたってことかよ! 俺を馬鹿にしてんのか? ――入院の前も後も、終わればさっさと帰っていくのは仕事の為だとか言いながら、実はあいつに会う為だったんじゃねぇのか! えぇ!? 答えろよ!!」
「ちがっ…、それは――」
否定しようとするが、混乱していて言葉が浮かんでこない。何も言えず必死にかぶりを振る直人を、晶は蔑みを含んだ目で睨め付けた。
「…どうしても言わねぇんなら、力尽くで訊き出してやる…っ!」
言い様、直人を後ろへ突き飛ばす。勢いの付いた身体がベッドの上に倒れ込むと、その跳ね返りを妨げるように伸し掛かった。
「晶っ! ちょっ……」
獰猛な、飢えた野獣のような眼差しに射竦められて、直人の声は口の外まで出ること無く喉に貼り付く。
有無を言わせず直人の唇にむしゃぶりついた晶は、荒々しく咬み付くようにその口腔を犯した。呼吸出来ず苦しげに首を振って拒絶する恋人の頭を押さえ付け、更に深く貪りながら彼のシャツの裾を捲る。乱暴に突起を摘み、捻り上げた。
「んぐぅ…っ」
直人の身体が跳ね上がる。
口内を蹂躙し尽くし、唇を離す晶。体勢を変え白い胸に舌を這わせると、激しく水音を立てながら桜色の突起を舐った。
「あぅぅ…っ、い…やだっ。晶、お願……やめっ…っ」
懇願の声を無視して、苛立ちをぶつけるように口中のそれをギリリと咬んだ。
「いっ…っっ!!」
激痛に全身を震わせる直人の胸から顔を上げ、たった今咬み付いた部分を見る。己が付けた傷から滲み出た血が、赤い玉になって丸く浮き上がった。それを舐める。口の中に錆びた味が広がるのを感じて、晶は上目遣いに鋭い目線を頭上の彼に向けた。と、その眼差しが光を失う。
――直人は泣いていた。両の眼を手で覆い、声も無く涙を流す。覆った指の間から、溢れた雫がぼろぼろと零れていった。
「直人…」
怒りが急速に冷めていく。酷いことをしてしまったという自責の念が、晶の胸に押し寄せた。
止め処なく流れる涙が直人の頬と手を伝い、シーツを濡らしていく。小さく漏れる嗚咽の合間から微かな呟きが聞こえてきた。繰り返し、繰り返し。
「…ごめんね…、ごめん…。許して、晶……」
許しを請うその声に居た堪れなくなる。目を逸らして起き上がると、マットレスの軋む音と共にベッドを降りた。
捲れた彼のシャツをそっと戻す。そのまま晶は窓に歩み寄り、晴天の大空を仰いだ――。
★★★次回予告★★★
和彦の想いと自分の気持ちを正直に話す直人。
それを聴いた晶は、己の取った行動を恥じる――。
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