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水編/水に沈む過去
49.フォール・アスリープ
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「小夜、そろそろ来が戻ってくる」
視矢くんの声が耳のすぐ近くで聞こえる。肩を揺すられると同時に覚醒した私は、はっとしてソファから飛び起きた。
支えているのはこちらだったはずが、いつの間にか視矢くんは起きていて、大怪我を負っている人の肩に私の方がもたれ掛かってしまっていた。
「ご、ごめん! 私まで眠っちゃった」
「気にすんな」
寄り掛かられた左肩を視矢くんは軽く揉みほぐす。恥ずかしさと申し訳なさで顔を赤らめながら、壁掛け時計に目をやれば、時刻は十一時を回っている。
昨夜はよく眠れなかったとはいえ、事務所でうたた寝なんて我ながら信じられない。
「ほんとにごめん。肩、大丈夫?」
「朝よりもずっといい。もう左腕は治った」
「嘘。そんな簡単に……」
冗談かと思ったものの、実際自然に腕を動かす視矢くんを見て、ぽかんと口が開いてしまう。「な?」と悪戯っぽく微笑まれ、私はただこくこくと頷く他なかった。
「おなかすいたでしょ、何か作るね」
「じゃ、ツナサンド。来も昼飯まだだってさ」
視矢くんは私が寝ている間に来さんから電話があったと言って、スマホを示した。すぐ傍らで話している声さえ気付かないとは、どれ程熟睡してたのだろう。
仕事中なのだから、と気を引き締め直し、ちょうどキッチンへ向かい掛けたところで、ドアが開く音がした。戻ってきた来さんの姿にぎょっとし、「お帰りなさい」を言う前に驚きが口をついて出ていた。
「ど、どうしたの!?」
「……ただいま」
今朝より一層憔悴した様子で、先程まで私たちが座っていたソファに来さんがぐたりと横たわる。コートを脱ぐ余力もないのか、倒れ込んだまま目を閉じて動かない。
「来さん!」
「心配ねえよ、寝てるだけ」
慌てて駆け寄ろうとした私の背後で、視矢くんが何でもないという口調で告げる。
「先に俺たちだけでメシにしよ」
「え、うん……」
釈然としない気持ちはあったが、疲れて眠っているのであれば、起こすのは忍びない。昼食は目が覚めてから取ってもらえばいい。来さんに毛布を掛け、私はサンドイッチを作り始めた。
座っていて、と言っても聞かず、松葉杖をついた視矢くんが棚から食器を出して手伝ってくれる。
ほんの数時間前は辛そうに体を動かしていたのに、今は痛みが引いたのか動作が随分スムーズになっていた。おまけに来さんの状態についても、理由を納得しているように見える。
「私が寝てる間に、何があったの」
「別に、なんも」
(……嘘つき)
あからさまに目を逸らされたため、誤魔化そうとしてるのは分かった。来さんからの電話で何を話したんだろう。良くない知らせだったのではないかと心配になってくる。無言でじっと顔を見続けていると、視矢くんは仕方なさそうに付け加えた。
「仮に何かあったとしてもだ。何も変わらないし、小夜が気にするようなことじゃねえ」
「私には話せないのね」
「まあ、そんなとこ」
それが最大限の譲歩とばかりに、眉を八の字にして笑う。もっと上手な言い訳はいくらでもあるだろうに、あえて嘘を並べないところが彼らしい。
「分かった。でも、もし視矢くんたちが困ったことになってるなら、ちゃんと教えて」
「そうなった時はな」
「約束」
「指切りかよ」
左の小指を立てて見せた私に呆れた声を上げながらも、視矢くんは自分の小指を絡めてくれる。左手にしたのは、包帯だらけの右手よりはまだ動かしやすそうだったから。
本当は隠したりせずにすべて話して欲しいけれど、問い詰めれば、かえって苦しめてしまうような気がした。
先程の私と同様、来さんはぐっすり眠っていて一向に目を覚まさなかった。こんな風に熟睡する姿を目の当たりにするのは初めてで、やはり不安は拭えない。
来さんがようやくソファから起き上がったのは、十五時前。入れ替わりに、少し眠ると言って視矢くんが自室に入る。遅い昼食を取った後、デスクに座って仕事を再開しようとする来さんを私は慌てて止めた。
「まだ休んでて。事務は私がやっておくよ」
「大丈夫だ。あなたが気にすることは何もない」
はぐらかす台詞は視矢くんと似ている。昨夜から今日にかけてどういう状況だったのか、来さんも語ろうとしなかった。
こうなると、私の不安は増すばかりで疎外感が強くなる。心配させまいとしているのが分かるからこそ、知らないままでいたくなかった。おばけ公園の時と違って、今は私だって同じ事務所の一員だ。
(ソウさんなら、知ってるかも)
私は話が聞けそうなもう一人の人を思い出した。TFCに行ったということは、ソウさんに会っているはず。
「私買い物してくるね。夕食のリクエストある?」
「小夜の作るものなら何でも」
一応聞いてみるも、来さんの答えはいつも決まっている。
事務所でソウさんに連絡を取るわけにはいかない。ちょうど食材も少なくなっていたので、外出するにはいい口実。
コートを着た私は、買い出しの準備をして事務所を出た。ナイにはバレているだろうけど、見逃してくれるつもりなのか、止められはしなかった。
勝手な行動をしていることに胸が痛みつつも、マンションを後にしてポケットのスマホを探る。目当ての人に掛けると、数回の呼び出し音がしてよく通る声が響いた。
『観月か、どうした』
「ソウさん。忙しいところ、ごめん」
普段と変わらない声の調子に、少しほっとする。TFCは鬼門の警戒に加え、神社の一件の後始末に追われ多忙を極めていて、ソウさんも大変な状況にある。
手短に用件を伝えようとしたところ、私より先にソウさんが話を切り出した。
『明日の土曜、予定はある?』
「え、いえ」
『なら、十四時に例の児童公園で』
なぜか、気付けば明日会う約束になっていた。待ち合わせ場所と時間を告げられ、言葉を挟む暇もなく通話が切れてしまう。
(どうしよう……)
私は当惑して手の中のスマホに目を落とした。休みの日に、余計な用事で手間を取らせるのは悪い。わざわざ会わなくても、電話で話を聞くだけでよかったのだけど。
しばらく迷った挙句、リダイヤルすることなくスマホをポケットに戻した。仕事中に何度も電話する方が迷惑になるし、視矢くんや来さんのことを相談できるのはソウさんしかいない。
ざわつく心と罪悪感を振り切って、私は寒空の下スーパーへと急いだ。隠れてソウさんと連絡を取ったお詫びの気持ちも込めて、二人が少しでも早く元気になるように、今日は美味しいものを作ろうと決めた。
視矢くんの声が耳のすぐ近くで聞こえる。肩を揺すられると同時に覚醒した私は、はっとしてソファから飛び起きた。
支えているのはこちらだったはずが、いつの間にか視矢くんは起きていて、大怪我を負っている人の肩に私の方がもたれ掛かってしまっていた。
「ご、ごめん! 私まで眠っちゃった」
「気にすんな」
寄り掛かられた左肩を視矢くんは軽く揉みほぐす。恥ずかしさと申し訳なさで顔を赤らめながら、壁掛け時計に目をやれば、時刻は十一時を回っている。
昨夜はよく眠れなかったとはいえ、事務所でうたた寝なんて我ながら信じられない。
「ほんとにごめん。肩、大丈夫?」
「朝よりもずっといい。もう左腕は治った」
「嘘。そんな簡単に……」
冗談かと思ったものの、実際自然に腕を動かす視矢くんを見て、ぽかんと口が開いてしまう。「な?」と悪戯っぽく微笑まれ、私はただこくこくと頷く他なかった。
「おなかすいたでしょ、何か作るね」
「じゃ、ツナサンド。来も昼飯まだだってさ」
視矢くんは私が寝ている間に来さんから電話があったと言って、スマホを示した。すぐ傍らで話している声さえ気付かないとは、どれ程熟睡してたのだろう。
仕事中なのだから、と気を引き締め直し、ちょうどキッチンへ向かい掛けたところで、ドアが開く音がした。戻ってきた来さんの姿にぎょっとし、「お帰りなさい」を言う前に驚きが口をついて出ていた。
「ど、どうしたの!?」
「……ただいま」
今朝より一層憔悴した様子で、先程まで私たちが座っていたソファに来さんがぐたりと横たわる。コートを脱ぐ余力もないのか、倒れ込んだまま目を閉じて動かない。
「来さん!」
「心配ねえよ、寝てるだけ」
慌てて駆け寄ろうとした私の背後で、視矢くんが何でもないという口調で告げる。
「先に俺たちだけでメシにしよ」
「え、うん……」
釈然としない気持ちはあったが、疲れて眠っているのであれば、起こすのは忍びない。昼食は目が覚めてから取ってもらえばいい。来さんに毛布を掛け、私はサンドイッチを作り始めた。
座っていて、と言っても聞かず、松葉杖をついた視矢くんが棚から食器を出して手伝ってくれる。
ほんの数時間前は辛そうに体を動かしていたのに、今は痛みが引いたのか動作が随分スムーズになっていた。おまけに来さんの状態についても、理由を納得しているように見える。
「私が寝てる間に、何があったの」
「別に、なんも」
(……嘘つき)
あからさまに目を逸らされたため、誤魔化そうとしてるのは分かった。来さんからの電話で何を話したんだろう。良くない知らせだったのではないかと心配になってくる。無言でじっと顔を見続けていると、視矢くんは仕方なさそうに付け加えた。
「仮に何かあったとしてもだ。何も変わらないし、小夜が気にするようなことじゃねえ」
「私には話せないのね」
「まあ、そんなとこ」
それが最大限の譲歩とばかりに、眉を八の字にして笑う。もっと上手な言い訳はいくらでもあるだろうに、あえて嘘を並べないところが彼らしい。
「分かった。でも、もし視矢くんたちが困ったことになってるなら、ちゃんと教えて」
「そうなった時はな」
「約束」
「指切りかよ」
左の小指を立てて見せた私に呆れた声を上げながらも、視矢くんは自分の小指を絡めてくれる。左手にしたのは、包帯だらけの右手よりはまだ動かしやすそうだったから。
本当は隠したりせずにすべて話して欲しいけれど、問い詰めれば、かえって苦しめてしまうような気がした。
先程の私と同様、来さんはぐっすり眠っていて一向に目を覚まさなかった。こんな風に熟睡する姿を目の当たりにするのは初めてで、やはり不安は拭えない。
来さんがようやくソファから起き上がったのは、十五時前。入れ替わりに、少し眠ると言って視矢くんが自室に入る。遅い昼食を取った後、デスクに座って仕事を再開しようとする来さんを私は慌てて止めた。
「まだ休んでて。事務は私がやっておくよ」
「大丈夫だ。あなたが気にすることは何もない」
はぐらかす台詞は視矢くんと似ている。昨夜から今日にかけてどういう状況だったのか、来さんも語ろうとしなかった。
こうなると、私の不安は増すばかりで疎外感が強くなる。心配させまいとしているのが分かるからこそ、知らないままでいたくなかった。おばけ公園の時と違って、今は私だって同じ事務所の一員だ。
(ソウさんなら、知ってるかも)
私は話が聞けそうなもう一人の人を思い出した。TFCに行ったということは、ソウさんに会っているはず。
「私買い物してくるね。夕食のリクエストある?」
「小夜の作るものなら何でも」
一応聞いてみるも、来さんの答えはいつも決まっている。
事務所でソウさんに連絡を取るわけにはいかない。ちょうど食材も少なくなっていたので、外出するにはいい口実。
コートを着た私は、買い出しの準備をして事務所を出た。ナイにはバレているだろうけど、見逃してくれるつもりなのか、止められはしなかった。
勝手な行動をしていることに胸が痛みつつも、マンションを後にしてポケットのスマホを探る。目当ての人に掛けると、数回の呼び出し音がしてよく通る声が響いた。
『観月か、どうした』
「ソウさん。忙しいところ、ごめん」
普段と変わらない声の調子に、少しほっとする。TFCは鬼門の警戒に加え、神社の一件の後始末に追われ多忙を極めていて、ソウさんも大変な状況にある。
手短に用件を伝えようとしたところ、私より先にソウさんが話を切り出した。
『明日の土曜、予定はある?』
「え、いえ」
『なら、十四時に例の児童公園で』
なぜか、気付けば明日会う約束になっていた。待ち合わせ場所と時間を告げられ、言葉を挟む暇もなく通話が切れてしまう。
(どうしよう……)
私は当惑して手の中のスマホに目を落とした。休みの日に、余計な用事で手間を取らせるのは悪い。わざわざ会わなくても、電話で話を聞くだけでよかったのだけど。
しばらく迷った挙句、リダイヤルすることなくスマホをポケットに戻した。仕事中に何度も電話する方が迷惑になるし、視矢くんや来さんのことを相談できるのはソウさんしかいない。
ざわつく心と罪悪感を振り切って、私は寒空の下スーパーへと急いだ。隠れてソウさんと連絡を取ったお詫びの気持ちも込めて、二人が少しでも早く元気になるように、今日は美味しいものを作ろうと決めた。
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