51 / 88
水編/水に沈む過去
51.予感と予測
しおりを挟む
都心から少し離れた郊外の高級住宅地は、私には縁のない立派なマンションや邸宅が立ち並ぶ。
ソウさんが車を止めたのは、有名なデザイナーズマンションの真横。富裕層向けで、駐車場一つとってもTFCのビルよりずっと設備が整っている。
マンションのエントランスを入りエレベータに乗り込むと、『9』の数字が押された。ソウさんの部屋は九階にあるらしい。
「眺め、良さそうだね」
「そうだな」
私は落ち着かない気持ちで、他愛ない話題を振った。来さんたちのマンション・クラフトもなかなかお高い物件ではあるけれど、ここはさらにもう一ランク上。
同じフロアにドアが三つ並び、そのうちの一つにソウさんがカードキーを当てた。オートロックのドアは、カードで住人を認識する。
「……お邪魔します」
別世界の建物へ迷い込んだような感覚に陥り、私は萎縮して案内されるまま中へ入った。部屋はきちんと片付けられ、必要最低限の家具があるのみで、一人暮らしにしては広すぎる印象を受ける。
「適当に座ってて。あとはデコレーションだけだから」
「デコレーションて」
「クランセカーケ、食べてくれるんだろ」
「クラ……?」
聞いたことのないスイーツだったが、名前からしてノルウェーのお菓子っぽい。ソウさんは、お楽しみにと言ってキッチンへ向かった。
リビングの窓の外は冬空が広がっている。所在なくソファに腰を下ろして待っていると、しばらくしてソウさんがケーキの乗った大皿を持って来た。
普通のホールケーキとは違い、丸い輪が何層にも積み上がった大きな塔のような形状で、粉砂糖やチョコレートで飾られ、可愛いリボンが巻かれている。どう見ても、お祝いかパーティー用。
物珍しい可愛いお菓子に、私は弾んだ声を上げた。
「すごい! ソウさんが作ったの?」
「ああ。もうじき誕生日だって聞いたから。少し早いけど、バースデープレゼントの代わり」
言いながら、一番下のリングを切り崩し、取り分けたケーキを小皿に乗せる。食べるために仕方ないとはいえ、崩してしまうのがもったいない。
私の誕生日が近いことを知って、わざわざ作ってくれたなんて。TFCも多忙なのに、気に掛けてくれたことが嬉しかった。
「わ、美味しい!」
一口かじると、甘く香ばしいアーモンドの風味が口中に広がる。スポンジケーキ程ふわふわでなく、クッキー程固くない。
塔のリングの数を数える私に、ソウさんはくすりと笑った。
「本来は18段積み上げる。ノルウェーじゃ、祝いの時の定番」
「ウェディングケーキみたいだね」
ソウさん自身は作る側専門で、甘い物を好まない。ただ私が食べるのを嬉しそうに眺めている。
ノルウェーにいた頃、甘党の弟さんにせがまれ、よくこのケーキを作ったのだとか。甘味が苦手なのにカフェ・オーガストの常連だったのも、弟さんに付き合ってのこと。
弟さんもTFCに所属し、兄弟で一緒にノルウェーで暮らしていた。でも今、弟さんとは疎遠になった。なぜそんなことになったのか、そこで話を止めてしまったソウさんに、私から尋ねたりはできなかった。
多分ノルウェーで何かが起こったんだろう。おそらく、二人の関係を壊すようなことが。
「ところで、司門のことだが」
突然変わった話題に、私ははっとして顔を上げる。意図的に話を逸らしたのかもしれない。
「弱ってるのは、星辰の影響だ。高神の治療で、ビヤーキーが神域を広げたのと重なったからな。一時的なものだし心配ない」
私が今日来た目的を最初から知っていたように、ソウさんは核心に触れてきた。こちらが問う前に向こうから切り出され、一瞬戸惑ったものの、教えてくれるなら何でもいい。
「……星辰て」
「星回りのこと。天体の位置が、邪神の力を抑制する」
星の周期が邪神の力に影響し、現在の星の位置はナイアーラトテップの力を大きく削ぐ。ナイアーラトテップの天敵・クトゥグアの住処であるフォーマルハウトの位置が、来さんに負荷を与えている。
普段ならその時期を難なくやり過ごせたはずが、今回は怪我をした視矢くんにビヤが神力を注いだ。運悪く、ハスターのいるヒアデス星団と位置関係と相まって、異なる神性に当てられたことが、今回の来さんの不調の原因。
ソウさんは、邪神と星辰のかかわりについて、そんな風に説明してくれた。
「どうして来さんたちは、そのことを教えてくれなかったのかな」
「邪神にとって致命的な弱点を、簡単に人に言えると思う? 連中も、きみに余計な心配をさせたくなかったんじゃないか」
邪神について知れば知る程、近付けば近付く程危険は増す。来さんも視矢くんも私の身を案じて、事情を隠そうとする。今までずっとそうだった。
「それでも、蚊帳の外にいるのは嫌」
「知ってる。だから、教えた」
はっきり決意を伝えれば、ソウさんは軽く頷きを返した。いつも導師の立場で接してくれるのが本当に有難い。
たいした力にならないとしても、破魔の力を使いこなせるようになってサポートしたい。そう思って、トレーニングを頑張っている。私も、守れるように強くなりたかった。
「また雪か。どうりで、冷えてきたわけだ」
ソウさんがベランダの方に目をやり、換気用にわずかに開いていた窓を閉めた。
室内は十分に暖房が効いていて全然気付かなかったが、外は白い雪が舞っている。
「ソウさん、前に寒さは感じないって言ってたのに」
「気温は感じる。マンションに着いてから、三度下がった」
「正確だね。気象予報士になれそう」
感心して呟くと、ソウさんは可笑しそうに吹き出した。
「きみが勧めてくれるなら、転職するのもいいな」
きっとシェフでも気象予報士でも一流になりそうだ。もっとも、TFCを辞めるつもりはないだろうけど。
「気象予報士も、今の仕事と似たようなものだし」
「え、待って。全然似てないよ?」
「予測できても、対処できないのは同じさ。天候も邪神も」
天候を予測したところで、制御することはできない。邪神も天災と同じく、人の力が到底及ばない存在。だからといって、何もせず諦めたらそこでおしまい。人間ができることだってある。
ソウさんの言葉にも、絶望や悲観的な響きは感じられなかった。単に、事実を冷静に受け止めているだけ。
「これからのことは、どんな予測?」
私の問いは、もちろん天気の話じゃない。
「嵐が来るだろうな」
「天気の話じゃないよね」
「天気なら、もっと確実に予測できる」
漆戸良公園の鬼門が開き切るのはもう間もなく。溢れ出す瘴気を抑えなければ、大惨事になる。
鬼門の件は、ソウさんに何か対策があるようだと視矢くんが言っていた。嵐が来るとすれば、どれくらい先の未来なのか。
予測とは言えないまでも、よくないことが起こりそうな予感は、私の中にも漠然とあった。
ソウさんが車を止めたのは、有名なデザイナーズマンションの真横。富裕層向けで、駐車場一つとってもTFCのビルよりずっと設備が整っている。
マンションのエントランスを入りエレベータに乗り込むと、『9』の数字が押された。ソウさんの部屋は九階にあるらしい。
「眺め、良さそうだね」
「そうだな」
私は落ち着かない気持ちで、他愛ない話題を振った。来さんたちのマンション・クラフトもなかなかお高い物件ではあるけれど、ここはさらにもう一ランク上。
同じフロアにドアが三つ並び、そのうちの一つにソウさんがカードキーを当てた。オートロックのドアは、カードで住人を認識する。
「……お邪魔します」
別世界の建物へ迷い込んだような感覚に陥り、私は萎縮して案内されるまま中へ入った。部屋はきちんと片付けられ、必要最低限の家具があるのみで、一人暮らしにしては広すぎる印象を受ける。
「適当に座ってて。あとはデコレーションだけだから」
「デコレーションて」
「クランセカーケ、食べてくれるんだろ」
「クラ……?」
聞いたことのないスイーツだったが、名前からしてノルウェーのお菓子っぽい。ソウさんは、お楽しみにと言ってキッチンへ向かった。
リビングの窓の外は冬空が広がっている。所在なくソファに腰を下ろして待っていると、しばらくしてソウさんがケーキの乗った大皿を持って来た。
普通のホールケーキとは違い、丸い輪が何層にも積み上がった大きな塔のような形状で、粉砂糖やチョコレートで飾られ、可愛いリボンが巻かれている。どう見ても、お祝いかパーティー用。
物珍しい可愛いお菓子に、私は弾んだ声を上げた。
「すごい! ソウさんが作ったの?」
「ああ。もうじき誕生日だって聞いたから。少し早いけど、バースデープレゼントの代わり」
言いながら、一番下のリングを切り崩し、取り分けたケーキを小皿に乗せる。食べるために仕方ないとはいえ、崩してしまうのがもったいない。
私の誕生日が近いことを知って、わざわざ作ってくれたなんて。TFCも多忙なのに、気に掛けてくれたことが嬉しかった。
「わ、美味しい!」
一口かじると、甘く香ばしいアーモンドの風味が口中に広がる。スポンジケーキ程ふわふわでなく、クッキー程固くない。
塔のリングの数を数える私に、ソウさんはくすりと笑った。
「本来は18段積み上げる。ノルウェーじゃ、祝いの時の定番」
「ウェディングケーキみたいだね」
ソウさん自身は作る側専門で、甘い物を好まない。ただ私が食べるのを嬉しそうに眺めている。
ノルウェーにいた頃、甘党の弟さんにせがまれ、よくこのケーキを作ったのだとか。甘味が苦手なのにカフェ・オーガストの常連だったのも、弟さんに付き合ってのこと。
弟さんもTFCに所属し、兄弟で一緒にノルウェーで暮らしていた。でも今、弟さんとは疎遠になった。なぜそんなことになったのか、そこで話を止めてしまったソウさんに、私から尋ねたりはできなかった。
多分ノルウェーで何かが起こったんだろう。おそらく、二人の関係を壊すようなことが。
「ところで、司門のことだが」
突然変わった話題に、私ははっとして顔を上げる。意図的に話を逸らしたのかもしれない。
「弱ってるのは、星辰の影響だ。高神の治療で、ビヤーキーが神域を広げたのと重なったからな。一時的なものだし心配ない」
私が今日来た目的を最初から知っていたように、ソウさんは核心に触れてきた。こちらが問う前に向こうから切り出され、一瞬戸惑ったものの、教えてくれるなら何でもいい。
「……星辰て」
「星回りのこと。天体の位置が、邪神の力を抑制する」
星の周期が邪神の力に影響し、現在の星の位置はナイアーラトテップの力を大きく削ぐ。ナイアーラトテップの天敵・クトゥグアの住処であるフォーマルハウトの位置が、来さんに負荷を与えている。
普段ならその時期を難なくやり過ごせたはずが、今回は怪我をした視矢くんにビヤが神力を注いだ。運悪く、ハスターのいるヒアデス星団と位置関係と相まって、異なる神性に当てられたことが、今回の来さんの不調の原因。
ソウさんは、邪神と星辰のかかわりについて、そんな風に説明してくれた。
「どうして来さんたちは、そのことを教えてくれなかったのかな」
「邪神にとって致命的な弱点を、簡単に人に言えると思う? 連中も、きみに余計な心配をさせたくなかったんじゃないか」
邪神について知れば知る程、近付けば近付く程危険は増す。来さんも視矢くんも私の身を案じて、事情を隠そうとする。今までずっとそうだった。
「それでも、蚊帳の外にいるのは嫌」
「知ってる。だから、教えた」
はっきり決意を伝えれば、ソウさんは軽く頷きを返した。いつも導師の立場で接してくれるのが本当に有難い。
たいした力にならないとしても、破魔の力を使いこなせるようになってサポートしたい。そう思って、トレーニングを頑張っている。私も、守れるように強くなりたかった。
「また雪か。どうりで、冷えてきたわけだ」
ソウさんがベランダの方に目をやり、換気用にわずかに開いていた窓を閉めた。
室内は十分に暖房が効いていて全然気付かなかったが、外は白い雪が舞っている。
「ソウさん、前に寒さは感じないって言ってたのに」
「気温は感じる。マンションに着いてから、三度下がった」
「正確だね。気象予報士になれそう」
感心して呟くと、ソウさんは可笑しそうに吹き出した。
「きみが勧めてくれるなら、転職するのもいいな」
きっとシェフでも気象予報士でも一流になりそうだ。もっとも、TFCを辞めるつもりはないだろうけど。
「気象予報士も、今の仕事と似たようなものだし」
「え、待って。全然似てないよ?」
「予測できても、対処できないのは同じさ。天候も邪神も」
天候を予測したところで、制御することはできない。邪神も天災と同じく、人の力が到底及ばない存在。だからといって、何もせず諦めたらそこでおしまい。人間ができることだってある。
ソウさんの言葉にも、絶望や悲観的な響きは感じられなかった。単に、事実を冷静に受け止めているだけ。
「これからのことは、どんな予測?」
私の問いは、もちろん天気の話じゃない。
「嵐が来るだろうな」
「天気の話じゃないよね」
「天気なら、もっと確実に予測できる」
漆戸良公園の鬼門が開き切るのはもう間もなく。溢れ出す瘴気を抑えなければ、大惨事になる。
鬼門の件は、ソウさんに何か対策があるようだと視矢くんが言っていた。嵐が来るとすれば、どれくらい先の未来なのか。
予測とは言えないまでも、よくないことが起こりそうな予感は、私の中にも漠然とあった。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる