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告白
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ニ月。
年が開け、ある程度時間が経った頃のことだった。
牧本さんは二次試験に臨むために東京へ向かった。
試験は今日が最終日だ。現在午後五時。そろそろ最後の科目が終わる頃。
僕は自室を落ち着きなくうろうろとしていた。
自分のことではないのに、胸のざわめきが止まらない。
彼女は合格できそうだろうか。もしも駄目そうなら……。
だけど、心のどこかでは、奇妙な確信があった。
彼女なら、きっと合格できるだろう。そんな思い。
牧本さんから連絡があったのは、午後七時頃だった。
スマホが着信音を響かせて、僕を呼び出す。
画面に表示されている名前が彼女のものであることを確認すると、僕は通話を開始した。
「もしもし、荻野さん」
「もしもし牧本さんっ。お疲れ様ですっ」
「ありがとうございます。荻野さん。三年間の努力、出し切ってきました」
「どうですか。上手く、いきそうですか?」
「たぶん、大丈夫だと思います。難しかったけど、全くできなかったわけじゃないし」
「そうですか。今日はゆっくりと休んでください。そこ、ホテルですか?」
「ええ。今日もここに泊まって、明日町に帰ります。そろそろ夕食が出る時間なので、切りますね。ありがとうございました」
「合格できること、願っています」
通話が終わった。
彼女の声の調子は満足げだった。たとえどんな結果になろうとも、後悔はしない。
そんな声音。
きっと上手くいくだろう。もし僕が神さまならそう、約束してあげたくなった。
「……そろそろ、だよな」
僕は拳に軽く力をこめる。
気恥ずかしかったからずっと先送りにしてきた。
何となく言うタイミングを失ってしまったから言えないで来た、あの言葉。
もう、あまり時間がない。この時期しか、もうチャンスが無い。
「告白、するか」
肉体関係など幾度も結んでしまっているのに。彼女が「どこが弱い」かも知っているのに。一糸も纏わず対面しあったりもしたのに。膣内射精までしてしまったのに。
なぜ愛の囁きを告げることを先送りにしてきてしまったのだろうか。
恥ずかしいというなら、普通はセックスの方がよっぽどだ。
「……そうか。僕は、彼女にリードされてきたからなんだな」
初めて話しかけてきたのは彼女の方からだった。初めて卑猥なことを持ちかけてきたのは彼女の方だった。初めて肉体関係を結ぼうと提案してきたのは、彼女の方だった。
家に誘ってくれたのも彼女の側だったし、様々なことを誘ってきたのは牧本さんだった。
『私とエッチしませんか?』
数多の性行為も、彼女はまるでそんな風に告げるかのように、僕に誘惑をかけてきた。
僕は抵抗などできず、それを受け入れてきた。
いつも、受身だった。
その関係が心地良かったのだ。僕に気がある女の子が、自分から性欲の花をちらつかせてきてくれるのが。
艶かしい肉体に溺れて、その悦楽を思うままに享受していた。
彼女を抱いて悦んで、肉と肉を蕩けさせ合うのが好きだった。
勿論、精神的にも繋がっていたけれど。
その肉欲の関係に甘んじすぎていたのかもしれない。彼女はセックス以外のことも誘ってくれた。結果的にその度に性行為をすることにはなってしまっていたが、純粋に僕と関わっていたかったという気持ちが大きかったのだろう。
牧本さんは性欲こそ強かったが、精神的な繋がりも深く求めていた。
「……僕は本当は、彼女のことを自分からセックスを求めてくる都合のいい女としか見ていなかったのか……?」
僕から彼女にどこかに誘ったりしたことはほぼ無い。いつも彼女の言うことを聞いていただけだ。
もしかしたら、肉欲をただぶつけたかっただけなのかもしれない。
「好き」という気持ちが、性行為の相手として好きなだけだという可能性を否定できない。
……いつか見た、あの彼女に強制的に中出しさせられるあの夢も、僕の都合のいい願望が具象化したものなのだろうか。
「……そんなことは、無いはずだ。僕は、彼女を愛している」
僕は彼女が好きだ。もしも自立していたとしたら、一生を捧げてでも護るという自信があった。
性的にも好きだが、彼女の内面も好きだった。
ふとした瞬間に微笑む彼女が好きだった。頭の出来が良くない僕に真摯に勉強を教えてくれた彼女が好きだった。穏やかだが、陸上部らしくびしっとしている彼女が好きだった。
牧本瑠璃葉。唯一無二の、他の人間の人生の代入の許されない、彼女という存在が好きだった。
だからこそ、僕自身が告白しなくてはいけない。僕の口から。僕の言葉で。
女の子をリードしていく男にならなくてはいけない。
もう、僕は逃げない。
***
三日後。
牧本さんが東京から帰宅し、ある程度体を休めたであろう頃合。
午後四時。冬の季節の、空が暗闇に落ち始める時間帯。
僕はスマホを取り出し、彼女にラインでメッセージを送る。
一切躊躇うことなく、その文章を送信する。
「忙しいところ申し訳ありません。大切なお話がありますので、市営プールの前に来てください」
既読が付いた。
「いいですよ! 受験も終わって、後は合格発表を待つだけですし。すぐ行きますね!」
彼女が来てくれることを確認すると、僕は鞄を持って家を出た。
空気が冷たい。
そのピリピリとした感覚が、僕の心を更に引きしめた。
市営プール。
彼女と初めて出会った場所。彼女との交流が始まった場所。
そんな、思い出の場所。
告白に選んだのは、そこだった。
駐輪所に自転車を停め、市営プールの入り口まで来る。
彼女はまだ来ていない。当然と言えば当然だが、他の人間も誰もいなかった。
夏にはあんなに賑わっていたプールだが、室内の温水プールでなければ誰も来るはずが無い。
というか、営業していない。
受付に繋がる出入り口の扉にはしっかりと鍵が掛けられており、中には入れない。
僕は来る途中で買った缶コーヒーを開け、口に含む。
その飲料を飲み終わる頃のことだった。
「おおい! 荻野さんっ!」
聞き覚えのある声が、遠くから聞こえて来た。
よく澄んだ声。落ち着く声音。牧本さんの声。
「こっちですっ。ここにいますよ」
僕は彼女に向かって声を掛ける。牧本さんは街灯の下にいる僕に向かって走ってくる。
「ごめんなさいっ。待ちましたか?」
「いや、今来たばかりです。すみません、急に呼び出したりして」
「いいですよ。久しぶりに荻野さんと会いたかったし。どうしたんです? 私とイイことしたかったんです?」
少しからかう表情を彼女が見せる。
「牧本さん」
僕ははっきりとした口調で言う。
恐らく僕は、かなりシリアスな表情をしているのだろう。
どこか気軽そうだった彼女が、その空気を感じ取りしっかりと僕に向き直った。
僕の目は、彼女を真っ直ぐ見据えている。彼女はその瞳を微塵も逸らさず、次に僕が紡ぐ言葉を聞き逃さないようにと真面目な表情を向けていた。
「僕は、あなたが好きです。一生離したくないほどに。これから、今以上にもっと大切にしたいと思うほどに」
牧本さんの目は、僕の瞳の奥底を見ているかのようだった。
「……やっと、言ってくれましたね……」
彼女はポツリと口に出す。
黒く濡れた瞳からは一筋の涙が頬を伝って流れ、街灯の柔らかい光にキラキラと輝く。
「本当に、いいんです? セックスばかりしたがる私なんかで。勉強くらいしかできない私なんかで」
「セックスだけじゃない。あなたの内面も好きなんです。肉体以外にも、精神的にも気が合うあなただけしか見えないんです」
「荻野、さん……」
牧本さんは、一回溜めてから口を開く。
「私、怖かったんです。性行為ばかりしたがる堕落した女に、愛を告白する勇気は無かった。荻野さんに告白されるのをずっと待っていたという女々しい思いが、ありました」
「僕の方から告白しなきゃいけなかったんですよ。……こればっかりは、僕の方からやらないと」
僕は鞄から、とある包みを取り出す。
「これ、イブのデートの時に渡そうと思っていたけど、渡すの忘れていた物です。今、渡します」
「……開けていいですか?」
いいですよと僕は答える。
彼女は巻かれたリボンを外し、包装の包み紙を丁寧に開く。
「マフラーですね。可愛い。……首に巻いてみます」
彼女はその通りにした。
街灯の薄暗い明かりの下で分かりづらかったが、その頬はほんのりと赤く染まっている。
「どう、です? 似合ってますか?」
「ええ。とっても可愛いです」
「ありがとうございます……」
他人から見たら、初々しいカップルが成立したように見えるのだろう。
ある意味正しく、ある意味間違っている。
彼女との付き合いは半年程度で、実際に会った回数はそう多くない。
でも、関わり方の密度は、物理的にも精神的にもかなりの物だった。
幾度も身体を重ねた。キスだって、濃密な物を何回かしてしまった。
「私からも、告白したいことあるんですけど、いいですか……?」
「いいですよ。どうぞ」
一瞬彼女は躊躇うように顔を背けたが、再び僕に向き直る。
「イブの時、安全日だって言って中に出して貰いましたよね」
「ええ。やっぱり、嘘だったとか……?」
「いえ、安全日なのは本当でした。でも、冷静な部分が呟いて、アフターピルを産婦人科でいただいたんです」
「飲んだんですか?」
「……飲みました。かなりギリギリだったけど。……でも、本当に避妊しきれたのかどうかは分からないです。緊急避妊も、確実じゃないから」
「告白というのは、それですか?」
彼女は軽く首を振る。巻かれた白いマフラーの端が、それに合わせて揺れる。
「荻野さん。もしも避妊が駄目だったら……私と結婚してくれませんか」
彼女と、結婚。
「私、本当に考えて考えて考え抜いて避妊薬を飲んだ時、一種の達成感と、一抹の後悔があったんです」
「後悔……というのは」
「恥ずかしいですけど、荻野さんの赤ちゃんを産めないんだなって気持ちが心に蟠っていて」
「……」
「でも、そうしなきゃいけなかったんですよね。このままじゃ、お互い破滅するだけ。高校生にできることなんて、たかがしれてる。皆、不幸になるだけ。高校生に、誰かの人生を強制的に始めさせちゃいけない。だから、ピルを飲んだんです」
寂しそうな表情を、牧本さんはする。
本当に赤ちゃんを作りたかったんだろうな。
でも、それが正しい選択なのだろう。
偉い。という気はない。
僕も含めて、危険な橋を自分から渡っておいて、偉いも何も無い。
「結婚して……というのは?」
「……それでももしもデキちゃったら、中絶する勇気は私に無いんです。荻野さんと、一緒に育てたい。……いい、ですか」
「中に出したのは僕の責任でもありますからね。その時は、腹をくくります。万が一着床したら、その子の人生はもう始まっている」
牧本さんは儚い笑みを浮かべる。
「ねえ。お願いを後二つだけ、聞いて貰ってもいいですか?」
「いいですよ。僕にできる範囲なら」
「……名前で呼び合いませんか? 『真一さん』って私は呼びますから、荻野さんは『瑠璃葉』って私を呼んでください」
「分かりました。でも、敬称は付けさせてもらいます。瑠璃葉さん」
「ありがとう。真一さん。……後一つ、お願いします」
拳を手に当てコホンと彼女は咳払いし、僕にその言葉を告げる。
「もしも、もしも将来私たちが自立して……ちゃんと結婚できるようになった時は、その時は、生でセックスして、赤ちゃん作ってください」
「勿論。何年後になるか分かりませんが、約束ですよ。瑠璃葉さん」
「それまでは、万が一『ヤる』ってなった時は、ちゃんとゴムつけましょうねっ?」
瑠璃葉さんは、にこりと笑いながら言う。
どこか切なさそうだった、感傷的だった先ほどまでの彼女の姿は無かった。
生真面目そうだが、女子高校生の活力は持ち合わせている、そんな普段の彼女の姿に戻る。
「……今日は、ありがとうございました。おぎ……真一さん。その、嬉しかったですよっ。告白されたの、初めてですし」
「これで、恋人同士ですね。……いつまで会えるか分かりませんけど」
「遠距離恋愛って珍しくないと思いますよ? 合格して東京に行っちゃっても私、真一さんが遊びに来たら歓迎します。たまにはこの町にも帰ってくるつもりですから」
「じゃあ、ゴム持って遊びに行こうかな。夏休みにでも」
「是非是非ちゃんと避妊してヤりましょうっ! 大丈夫ですよ! 真一さん以外の男の人に浮気なんてしませんからっ」
ゴムを持っていくの下りは半分冗談だったのだが、彼女は嬉しそうに言った。
まあ、比較的安全な日に更に避妊具をするのなら、たぶん大丈夫だろう。
「じゃあ、寒いし暗くなってきたし、そろそろお別れしましょうか」
「……ええ。駐輪所、行きましょうか」
僕らは自転車に乗る。
並列した彼女と顔を見合わせて、僕らは互いに微笑む。
「合格、できるといいですね。瑠璃葉さん」
「きっと合格してますよ。きっと」
地面を軽く蹴り、タイヤに勢いをつける。
すぐ先にある分かれ道を僕らは別々の方向に進み、帰路についた。
年が開け、ある程度時間が経った頃のことだった。
牧本さんは二次試験に臨むために東京へ向かった。
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僕は自室を落ち着きなくうろうろとしていた。
自分のことではないのに、胸のざわめきが止まらない。
彼女は合格できそうだろうか。もしも駄目そうなら……。
だけど、心のどこかでは、奇妙な確信があった。
彼女なら、きっと合格できるだろう。そんな思い。
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スマホが着信音を響かせて、僕を呼び出す。
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「もしもし、荻野さん」
「もしもし牧本さんっ。お疲れ様ですっ」
「ありがとうございます。荻野さん。三年間の努力、出し切ってきました」
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「そうですか。今日はゆっくりと休んでください。そこ、ホテルですか?」
「ええ。今日もここに泊まって、明日町に帰ります。そろそろ夕食が出る時間なので、切りますね。ありがとうございました」
「合格できること、願っています」
通話が終わった。
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そんな声音。
きっと上手くいくだろう。もし僕が神さまならそう、約束してあげたくなった。
「……そろそろ、だよな」
僕は拳に軽く力をこめる。
気恥ずかしかったからずっと先送りにしてきた。
何となく言うタイミングを失ってしまったから言えないで来た、あの言葉。
もう、あまり時間がない。この時期しか、もうチャンスが無い。
「告白、するか」
肉体関係など幾度も結んでしまっているのに。彼女が「どこが弱い」かも知っているのに。一糸も纏わず対面しあったりもしたのに。膣内射精までしてしまったのに。
なぜ愛の囁きを告げることを先送りにしてきてしまったのだろうか。
恥ずかしいというなら、普通はセックスの方がよっぽどだ。
「……そうか。僕は、彼女にリードされてきたからなんだな」
初めて話しかけてきたのは彼女の方からだった。初めて卑猥なことを持ちかけてきたのは彼女の方だった。初めて肉体関係を結ぼうと提案してきたのは、彼女の方だった。
家に誘ってくれたのも彼女の側だったし、様々なことを誘ってきたのは牧本さんだった。
『私とエッチしませんか?』
数多の性行為も、彼女はまるでそんな風に告げるかのように、僕に誘惑をかけてきた。
僕は抵抗などできず、それを受け入れてきた。
いつも、受身だった。
その関係が心地良かったのだ。僕に気がある女の子が、自分から性欲の花をちらつかせてきてくれるのが。
艶かしい肉体に溺れて、その悦楽を思うままに享受していた。
彼女を抱いて悦んで、肉と肉を蕩けさせ合うのが好きだった。
勿論、精神的にも繋がっていたけれど。
その肉欲の関係に甘んじすぎていたのかもしれない。彼女はセックス以外のことも誘ってくれた。結果的にその度に性行為をすることにはなってしまっていたが、純粋に僕と関わっていたかったという気持ちが大きかったのだろう。
牧本さんは性欲こそ強かったが、精神的な繋がりも深く求めていた。
「……僕は本当は、彼女のことを自分からセックスを求めてくる都合のいい女としか見ていなかったのか……?」
僕から彼女にどこかに誘ったりしたことはほぼ無い。いつも彼女の言うことを聞いていただけだ。
もしかしたら、肉欲をただぶつけたかっただけなのかもしれない。
「好き」という気持ちが、性行為の相手として好きなだけだという可能性を否定できない。
……いつか見た、あの彼女に強制的に中出しさせられるあの夢も、僕の都合のいい願望が具象化したものなのだろうか。
「……そんなことは、無いはずだ。僕は、彼女を愛している」
僕は彼女が好きだ。もしも自立していたとしたら、一生を捧げてでも護るという自信があった。
性的にも好きだが、彼女の内面も好きだった。
ふとした瞬間に微笑む彼女が好きだった。頭の出来が良くない僕に真摯に勉強を教えてくれた彼女が好きだった。穏やかだが、陸上部らしくびしっとしている彼女が好きだった。
牧本瑠璃葉。唯一無二の、他の人間の人生の代入の許されない、彼女という存在が好きだった。
だからこそ、僕自身が告白しなくてはいけない。僕の口から。僕の言葉で。
女の子をリードしていく男にならなくてはいけない。
もう、僕は逃げない。
***
三日後。
牧本さんが東京から帰宅し、ある程度体を休めたであろう頃合。
午後四時。冬の季節の、空が暗闇に落ち始める時間帯。
僕はスマホを取り出し、彼女にラインでメッセージを送る。
一切躊躇うことなく、その文章を送信する。
「忙しいところ申し訳ありません。大切なお話がありますので、市営プールの前に来てください」
既読が付いた。
「いいですよ! 受験も終わって、後は合格発表を待つだけですし。すぐ行きますね!」
彼女が来てくれることを確認すると、僕は鞄を持って家を出た。
空気が冷たい。
そのピリピリとした感覚が、僕の心を更に引きしめた。
市営プール。
彼女と初めて出会った場所。彼女との交流が始まった場所。
そんな、思い出の場所。
告白に選んだのは、そこだった。
駐輪所に自転車を停め、市営プールの入り口まで来る。
彼女はまだ来ていない。当然と言えば当然だが、他の人間も誰もいなかった。
夏にはあんなに賑わっていたプールだが、室内の温水プールでなければ誰も来るはずが無い。
というか、営業していない。
受付に繋がる出入り口の扉にはしっかりと鍵が掛けられており、中には入れない。
僕は来る途中で買った缶コーヒーを開け、口に含む。
その飲料を飲み終わる頃のことだった。
「おおい! 荻野さんっ!」
聞き覚えのある声が、遠くから聞こえて来た。
よく澄んだ声。落ち着く声音。牧本さんの声。
「こっちですっ。ここにいますよ」
僕は彼女に向かって声を掛ける。牧本さんは街灯の下にいる僕に向かって走ってくる。
「ごめんなさいっ。待ちましたか?」
「いや、今来たばかりです。すみません、急に呼び出したりして」
「いいですよ。久しぶりに荻野さんと会いたかったし。どうしたんです? 私とイイことしたかったんです?」
少しからかう表情を彼女が見せる。
「牧本さん」
僕ははっきりとした口調で言う。
恐らく僕は、かなりシリアスな表情をしているのだろう。
どこか気軽そうだった彼女が、その空気を感じ取りしっかりと僕に向き直った。
僕の目は、彼女を真っ直ぐ見据えている。彼女はその瞳を微塵も逸らさず、次に僕が紡ぐ言葉を聞き逃さないようにと真面目な表情を向けていた。
「僕は、あなたが好きです。一生離したくないほどに。これから、今以上にもっと大切にしたいと思うほどに」
牧本さんの目は、僕の瞳の奥底を見ているかのようだった。
「……やっと、言ってくれましたね……」
彼女はポツリと口に出す。
黒く濡れた瞳からは一筋の涙が頬を伝って流れ、街灯の柔らかい光にキラキラと輝く。
「本当に、いいんです? セックスばかりしたがる私なんかで。勉強くらいしかできない私なんかで」
「セックスだけじゃない。あなたの内面も好きなんです。肉体以外にも、精神的にも気が合うあなただけしか見えないんです」
「荻野、さん……」
牧本さんは、一回溜めてから口を開く。
「私、怖かったんです。性行為ばかりしたがる堕落した女に、愛を告白する勇気は無かった。荻野さんに告白されるのをずっと待っていたという女々しい思いが、ありました」
「僕の方から告白しなきゃいけなかったんですよ。……こればっかりは、僕の方からやらないと」
僕は鞄から、とある包みを取り出す。
「これ、イブのデートの時に渡そうと思っていたけど、渡すの忘れていた物です。今、渡します」
「……開けていいですか?」
いいですよと僕は答える。
彼女は巻かれたリボンを外し、包装の包み紙を丁寧に開く。
「マフラーですね。可愛い。……首に巻いてみます」
彼女はその通りにした。
街灯の薄暗い明かりの下で分かりづらかったが、その頬はほんのりと赤く染まっている。
「どう、です? 似合ってますか?」
「ええ。とっても可愛いです」
「ありがとうございます……」
他人から見たら、初々しいカップルが成立したように見えるのだろう。
ある意味正しく、ある意味間違っている。
彼女との付き合いは半年程度で、実際に会った回数はそう多くない。
でも、関わり方の密度は、物理的にも精神的にもかなりの物だった。
幾度も身体を重ねた。キスだって、濃密な物を何回かしてしまった。
「私からも、告白したいことあるんですけど、いいですか……?」
「いいですよ。どうぞ」
一瞬彼女は躊躇うように顔を背けたが、再び僕に向き直る。
「イブの時、安全日だって言って中に出して貰いましたよね」
「ええ。やっぱり、嘘だったとか……?」
「いえ、安全日なのは本当でした。でも、冷静な部分が呟いて、アフターピルを産婦人科でいただいたんです」
「飲んだんですか?」
「……飲みました。かなりギリギリだったけど。……でも、本当に避妊しきれたのかどうかは分からないです。緊急避妊も、確実じゃないから」
「告白というのは、それですか?」
彼女は軽く首を振る。巻かれた白いマフラーの端が、それに合わせて揺れる。
「荻野さん。もしも避妊が駄目だったら……私と結婚してくれませんか」
彼女と、結婚。
「私、本当に考えて考えて考え抜いて避妊薬を飲んだ時、一種の達成感と、一抹の後悔があったんです」
「後悔……というのは」
「恥ずかしいですけど、荻野さんの赤ちゃんを産めないんだなって気持ちが心に蟠っていて」
「……」
「でも、そうしなきゃいけなかったんですよね。このままじゃ、お互い破滅するだけ。高校生にできることなんて、たかがしれてる。皆、不幸になるだけ。高校生に、誰かの人生を強制的に始めさせちゃいけない。だから、ピルを飲んだんです」
寂しそうな表情を、牧本さんはする。
本当に赤ちゃんを作りたかったんだろうな。
でも、それが正しい選択なのだろう。
偉い。という気はない。
僕も含めて、危険な橋を自分から渡っておいて、偉いも何も無い。
「結婚して……というのは?」
「……それでももしもデキちゃったら、中絶する勇気は私に無いんです。荻野さんと、一緒に育てたい。……いい、ですか」
「中に出したのは僕の責任でもありますからね。その時は、腹をくくります。万が一着床したら、その子の人生はもう始まっている」
牧本さんは儚い笑みを浮かべる。
「ねえ。お願いを後二つだけ、聞いて貰ってもいいですか?」
「いいですよ。僕にできる範囲なら」
「……名前で呼び合いませんか? 『真一さん』って私は呼びますから、荻野さんは『瑠璃葉』って私を呼んでください」
「分かりました。でも、敬称は付けさせてもらいます。瑠璃葉さん」
「ありがとう。真一さん。……後一つ、お願いします」
拳を手に当てコホンと彼女は咳払いし、僕にその言葉を告げる。
「もしも、もしも将来私たちが自立して……ちゃんと結婚できるようになった時は、その時は、生でセックスして、赤ちゃん作ってください」
「勿論。何年後になるか分かりませんが、約束ですよ。瑠璃葉さん」
「それまでは、万が一『ヤる』ってなった時は、ちゃんとゴムつけましょうねっ?」
瑠璃葉さんは、にこりと笑いながら言う。
どこか切なさそうだった、感傷的だった先ほどまでの彼女の姿は無かった。
生真面目そうだが、女子高校生の活力は持ち合わせている、そんな普段の彼女の姿に戻る。
「……今日は、ありがとうございました。おぎ……真一さん。その、嬉しかったですよっ。告白されたの、初めてですし」
「これで、恋人同士ですね。……いつまで会えるか分かりませんけど」
「遠距離恋愛って珍しくないと思いますよ? 合格して東京に行っちゃっても私、真一さんが遊びに来たら歓迎します。たまにはこの町にも帰ってくるつもりですから」
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「是非是非ちゃんと避妊してヤりましょうっ! 大丈夫ですよ! 真一さん以外の男の人に浮気なんてしませんからっ」
ゴムを持っていくの下りは半分冗談だったのだが、彼女は嬉しそうに言った。
まあ、比較的安全な日に更に避妊具をするのなら、たぶん大丈夫だろう。
「じゃあ、寒いし暗くなってきたし、そろそろお別れしましょうか」
「……ええ。駐輪所、行きましょうか」
僕らは自転車に乗る。
並列した彼女と顔を見合わせて、僕らは互いに微笑む。
「合格、できるといいですね。瑠璃葉さん」
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