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別れと約束
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三月三日。
午後一時。
僕は自室でうろうろと落ち着きの無く動き回っていた。
既に春休みが始まっており、学校は無い。
暫し春の陽気に浮かれていてもいい頃合だが、今の僕はそんな気分ではなかった。
今日は、『杜國院大学』の合格発表の日。
瑠璃葉さんのこれからが決まる日。
彼女は既に、下宿先の検討を開始し始めたが、それが中断になるかどうかが今日決まる。
彼女の努力が報われるのか、そうでないのか。僕は気が気でなかった。
仮に落ちたとしたら、彼女はこの町で浪人することにするらしい。
滑り止めのような大学は受けていないそうだ。
この町に残るという結果だけ見れば僕にとっては好ましいはずなのだが、そんなことを願う気は毛頭無かった。
彼女は今、東京の大学まで合否の発表を確認しに行っている。
大学に電話をかけても結果は聞けるらしいが、直接自分の目で見たいのだということで彼女は東京へと向かった。
結果がどんな形であれ、彼女は電話で直接報告してくれるらしい。
その時を、僕は待っている。
無性に口の中が渇く。自分のことでは無いはずなのに。僕の順番の時は、これ以上に緊張するのだろうな。
でも一番緊張しているのは、彼女自身だろう。
他の受験者と同じように、心細い気持ちで確認するのだろう。
歓喜に心が染まるか、絶望に肩を落とすのか。
そのどちらかだ。
その時、机の上に置いてあったスマホが着信音を鳴らし始めた。
来たっと思った。
画面を見ると、牧本瑠璃葉と書いてある。やっぱり彼女からだ。
通話開始のボタンをタップしようと思ったが、躊躇ってしまう。
彼女の運命が確定してしまうから。
彼女のことは信じている。でも、もしものことがあったなら。
迷ってしまっている。あんなに待ち望んでいたのに。
でも、出なくてはいけない。
僕は、願うような気持ちでそのボタンに指で触れ、耳元にスマホを持っていった。
「もしもしっ。瑠璃葉さん!」
「……真一さん。こんにちは」
始めに感じたのは、彼女の声のトーンの低さだった。
彼女の様子がなんだか変だ。
「え、ど、どうしたんですか……?」
「……聞きたいですか?」
まさか、駄目だったのか?
あんなに頑張っていたのに。
「駄目……だったんですか?」
沈黙。永遠とも思えるその嫌な間。
唐突にそれは途切れる。
スマホの向こう側からすっと息を吸う音が聞こえた。
続いて、笑い声。
「フフフッ……フフッ」
「え……」
無性におかしさを堪えるような声が聞こえて来る。
まさか。
「あははっ。真一さんっ、緊張しすぎですよっ。聞きたいですか? 聞きたいですよねっ?」
「え、まあ、はい」
「合格ですよ。合格。第一志望の学部、受かりました」
「……」
嬉しいはずなのに、魂が抜けたようになって声がでない。
極度の緊張から解放されて、上半身が固まったまま膝から崩れ落ちる。
「真一さんっ、聞いてます? ちょっとふざけすぎたかな。おーい」
「……異常にテンション低かったから、駄目だったのかと」
「あからさまに上がっちゃってたらつまんないじゃないですか。少しからかってみようかなと思ったんですけど……何かごめんなさい」
「まあ、瑠璃葉さんなら合格出来ますよね」
「神様は見てるんです。ちゃんと頑張ってるのを」
さも合格は当然のような言葉を使うが、口調はどう聞いても興奮気味だった。
彼女自身も、本当に嬉しいし信じられないという気分なのだ。
「お腹空いちゃいました。両親にもさっき報告したし、東京でご飯食べていきます」
「本当に、おめでとうございます。……次は、僕の番ですね」
「そうですよ。でも、真一さんならきっと大丈夫。私がいなくなっても、ちゃんと勉強するんですよ?」
「勿論です。あなたに……」
そこまで言って、口を噤む。
「あなたに会いに行くために」と言い掛けた。
彼女と同じ大学を志望しているのだということは、まだ話していない。
友人の志望する大学を適当に話して、今はごまかしている。
何で正直に伝えないのかというと、彼女に対しての憧れを感じ取られるのが恥ずかしいというのと、同じ大学を志望していると伝えれば、彼女はこの町にいる間に全力で僕をサポートして、自分の勉強に集中できなくなる可能性があるからだ。
でも、後者はもう大丈夫。後は、僕の気持ちの問題。
電話越しに伝えるべきではないだろう。直接彼女の顔を見て、その憧憬を話したい。
「真一さん? 真一さん? どうしたんです? 何か言いかけてましたけど」
「いや、なんでもないです。そろそろ電話、切りますか。合格、おめでとうございます」
「うん。ありがとうございます。じゃ、切りますね」
通話が終わった。
終わった途端、彼女の夢が叶ったのだという実感が水のように心に流れ込んできて、思わず「よしっ」と叫ぶ。
彼女と会えるのも、後ほんの僅かな時間しかない。
思い残したことが無いか、今の内に検討しておかなくては。
***
一ヵ月後。
三月二十八日。
その日は、よく晴れた清清しい日和だった。
空には鳥の鳴き声が響き、春風が頬をそっと撫でる。そんな日。
目覚まし時計の音で目が覚めた僕は、時計盤を確認する。
午前九時。余裕はまだあるが、それなりに急ぐ必要がある。
僕は朝食をやや慌てて掻き込むと、家を出て自転車で目的地に走った。
今日が、彼女が東京へと旅立つ日。この町から離れる日。新たな生活を始める日。
彼女とこの町で会える、最後の日。
この一ヶ月、彼女とは直接会うことが出来なかった。
彼女は大学への入学手続きや、下宿先を決めたり、教材の整理や、スーツを購入したり、東京ではあまりいらないかもしれないが自動車免許の取得などで忙しく、会う時間が取れなかったのだ。
二日前にはやることは全て終わったそうなのだが、正直彼女は疲れ気味だったし、両親との時間を大切にしたいということで、会えるのはこの最後の日となってしまった。
彼女に僕の気持ちを伝えなくてはいけない。
貴女に憧れているのだと。貴女の大学へ行きたいのだと。
直接会える時間は、もうあまり多くは残されていない。
駅前の噴水広場で会いましょうと僕たちは約束していた。両親が来るかもしれないのに、自分は邪魔ではないかとも思ったのだが、瑠璃葉さんの両親は自分の娘を自宅の玄関で見送るだけらしく、駅には行かないそうだ。
冷たい親……というよりは、「もう子供ではないのだから、ここから先は自分で歩ませよう」というスタンスなのだろう。
まあ、見知らぬ男子と自分の娘が親しそうに話しているのを見られたくないから好都合だ。
彼女の乗る電車は十一時に出る。
ある程度話す時間を取りたいということで、少し余裕を持って会うことにしたのだ。
駅前に着いた僕は駐輪所に自転車を置いた後、きょろきょろと辺りを見回し彼女の姿を探す。
春休みの時期ということで駅前には結構人がいたが、彼女はすぐに見つかった。
駅前に設けられた噴水の縁、そこに腰掛けて僕を待っている。
背中にはリュックを、すぐ傍にはスーツケースを置いていた。結構荷物あるな。
「瑠璃葉さんっ!」
僕が呼ぶと、気がついた彼女はこちらを向いて、にへらと笑う。
傍に駆け寄ると瑠璃葉さんは立ち上がってお辞儀をした。
「真一さん。来てくれたんですね」
「勿論。約束しましたから」
「……今日で、お別れですね」
彼女はどこかしんみりとしていた。
瑠璃葉さんの生まれ育った町。家族。友人。……そして僕。その全てに、永遠とは言わないが別れを告げなくてはいけないのだ。
「瑠璃葉さんなら、東京でも上手くやっていけますよ。そこで新しい友達を作って、この町じゃ味わえない刺激的な、新鮮な体験をいっぱいして、きっと楽しくやっていけます」
「そうだといいんですが……」
覚悟自体はしていたのだろうが、いざその日を迎えてこの駅まで来てみると、やはり心細さが先行するらしい。
「瑠璃葉さんは、強い人です。僕なんかよりもずっと。あなたは、僕の憧れなんです」
ここだ。ここで、彼女に自分の想いを伝えなくては。
「……僕も、あなたの後を追います。一年後、あなたと同じ大学に通います。通いたいと『思う』ではなく、もう心に決めてるんです」
「あっ……」
瑠璃葉さんは一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐそれを崩してニヤニヤと笑い始めた。
「なんとなーく分かってましたよ。君なら、そうするんだろうなって。私の後を付いてくるんだろうなって」
「やっぱり、バレてましたか……?」
「態度でバレてたっていうより、真一さんの性格からそう推理してたんです。君は実直だから。……私のことを、本当に大切に思ってくれてるの、凄く伝わってくるんです。中に出すのだって、結構躊躇ってたし。私に負担、掛けさせたくなかったんですよね?」
「……中に出したいって本能はありましたけどね」
正直に告白すると、彼女はまた微笑んだ。
「まあ、これから頑張ってくださいねっ。私の大学、本当に難しいですから。……何年でも、待ってますよ」
「いえ、来年で行きます。行ってみせます」
「東京で応援してますよ。もしも行き詰ったら、私を頼ってください。君より一歳年上で、先輩なんですから」
ふと彼女が、「お姉さん」の側面を見せてきた気がした。
僕らはお互い対等のつもりで接してきたが、彼女は人生の先輩として、僕のことを心配してくれてもいるのだろう。
彼女を励ますつもりが、いつの間にか励まされていた。
「瑠璃葉さん。また、会いましょう。忙しいでしょうけど、たまには戻ってきてくれると嬉しいです」
「勿論っ。時間が出来たら、この町に帰ってきます。……その時は……」
「電車をご利用くださり、ありがとうございます。間も無く……」
彼女が何かを言いかけた時、駅構内からアナウンスが聞こえて来た。
そろそろ時間だ。
「じゃあ、真一さん。私、待ってます。あなたが私と同じ大学に通う日を」
「ええ。待っていて下さい」
「最後に、キス……してくれませんか? 真一さんから、して貰いたい」
若干周囲には人がいたが、僕らを気にしている様子は無い。時間も、あまり残されていない。彼女の願いを聞くことにした。
僕は一歩前に踏み出し、彼女にぶつかりそうなくらい近づく。
そして自分から顔を近づけ、彼女の唇に触れた。
熱い。炎を帯びているみたい。
柔らかい花弁は、しっとりと濡れていた。
一秒触れると、もっとこうしていたいと思った。二秒触れていると、永遠にこうしていたいと思った。
この甘い口付けを、時間を永久に堪能していたいと願った。
でも、そんなことは出来ない。三秒後、僕の方からその接吻を解く。
彼女の方を見る。どこか恥ずかしそうな、でも感激しているような複雑な表情をしていて。
そんな彼女が愛おしくて、感情が溢れ出しそうで、その華奢な身体を力強く抱きしめたくなって。
「……しちゃいましたね。瑠璃葉さん。もう、行ったほうがいいですよ」
そんな感情とは真逆の言葉が僕の口から紡がれる。
彼女の門出に、これ以上干渉してはいけない。
「じゃあ、真一さん。さようなら」
彼女は歩き出す。重そうな荷物を持っているが、運動部らしくその足取りは軽そうだった。
改札を通り、電車に乗り込むまでの間、彼女は一度もこちらを振り返らなかった。
しっかりとした歩調で、真っ直ぐ彼女は歩いていた。
電車に乗った彼女は、一瞬溜めるように立ち止まると、後ろを振り返る。
僕は駅の外からそれを見ていて、かなり離れていたはずなのに、彼女がにこりと笑ったのが感じ取れた。
ドアが閉まる。電車が動き出す。
僕は彼女の乗る電車を追い掛けた。フェンスに平行して駆け、脚が千切れるのではないかというくらい走った。
電車はどんどん距離を離していく。やがて僕は家の塀に足を止められ、追跡を否応にも断念させられた。
「……行っちゃったな……」
ぽつりと呟く。帰ろうか。
運動不足なのに無理に激しく動かし、今はピリピリとしている足を踏み出す。
とその時。ポケットの中に入れていたスマホがバイブを鳴らした。
反射的にそれを取り出し、画面を見る。牧本瑠璃葉。ラインの通知だ。
メッセージには、こんなことが書いてあった。
「さっきは言えなかったけど、また会ったらエッチなことしてくださいねっ!」
変わらないなと思いつつ、僕は顔を綻ばせた。
午後一時。
僕は自室でうろうろと落ち着きの無く動き回っていた。
既に春休みが始まっており、学校は無い。
暫し春の陽気に浮かれていてもいい頃合だが、今の僕はそんな気分ではなかった。
今日は、『杜國院大学』の合格発表の日。
瑠璃葉さんのこれからが決まる日。
彼女は既に、下宿先の検討を開始し始めたが、それが中断になるかどうかが今日決まる。
彼女の努力が報われるのか、そうでないのか。僕は気が気でなかった。
仮に落ちたとしたら、彼女はこの町で浪人することにするらしい。
滑り止めのような大学は受けていないそうだ。
この町に残るという結果だけ見れば僕にとっては好ましいはずなのだが、そんなことを願う気は毛頭無かった。
彼女は今、東京の大学まで合否の発表を確認しに行っている。
大学に電話をかけても結果は聞けるらしいが、直接自分の目で見たいのだということで彼女は東京へと向かった。
結果がどんな形であれ、彼女は電話で直接報告してくれるらしい。
その時を、僕は待っている。
無性に口の中が渇く。自分のことでは無いはずなのに。僕の順番の時は、これ以上に緊張するのだろうな。
でも一番緊張しているのは、彼女自身だろう。
他の受験者と同じように、心細い気持ちで確認するのだろう。
歓喜に心が染まるか、絶望に肩を落とすのか。
そのどちらかだ。
その時、机の上に置いてあったスマホが着信音を鳴らし始めた。
来たっと思った。
画面を見ると、牧本瑠璃葉と書いてある。やっぱり彼女からだ。
通話開始のボタンをタップしようと思ったが、躊躇ってしまう。
彼女の運命が確定してしまうから。
彼女のことは信じている。でも、もしものことがあったなら。
迷ってしまっている。あんなに待ち望んでいたのに。
でも、出なくてはいけない。
僕は、願うような気持ちでそのボタンに指で触れ、耳元にスマホを持っていった。
「もしもしっ。瑠璃葉さん!」
「……真一さん。こんにちは」
始めに感じたのは、彼女の声のトーンの低さだった。
彼女の様子がなんだか変だ。
「え、ど、どうしたんですか……?」
「……聞きたいですか?」
まさか、駄目だったのか?
あんなに頑張っていたのに。
「駄目……だったんですか?」
沈黙。永遠とも思えるその嫌な間。
唐突にそれは途切れる。
スマホの向こう側からすっと息を吸う音が聞こえた。
続いて、笑い声。
「フフフッ……フフッ」
「え……」
無性におかしさを堪えるような声が聞こえて来る。
まさか。
「あははっ。真一さんっ、緊張しすぎですよっ。聞きたいですか? 聞きたいですよねっ?」
「え、まあ、はい」
「合格ですよ。合格。第一志望の学部、受かりました」
「……」
嬉しいはずなのに、魂が抜けたようになって声がでない。
極度の緊張から解放されて、上半身が固まったまま膝から崩れ落ちる。
「真一さんっ、聞いてます? ちょっとふざけすぎたかな。おーい」
「……異常にテンション低かったから、駄目だったのかと」
「あからさまに上がっちゃってたらつまんないじゃないですか。少しからかってみようかなと思ったんですけど……何かごめんなさい」
「まあ、瑠璃葉さんなら合格出来ますよね」
「神様は見てるんです。ちゃんと頑張ってるのを」
さも合格は当然のような言葉を使うが、口調はどう聞いても興奮気味だった。
彼女自身も、本当に嬉しいし信じられないという気分なのだ。
「お腹空いちゃいました。両親にもさっき報告したし、東京でご飯食べていきます」
「本当に、おめでとうございます。……次は、僕の番ですね」
「そうですよ。でも、真一さんならきっと大丈夫。私がいなくなっても、ちゃんと勉強するんですよ?」
「勿論です。あなたに……」
そこまで言って、口を噤む。
「あなたに会いに行くために」と言い掛けた。
彼女と同じ大学を志望しているのだということは、まだ話していない。
友人の志望する大学を適当に話して、今はごまかしている。
何で正直に伝えないのかというと、彼女に対しての憧れを感じ取られるのが恥ずかしいというのと、同じ大学を志望していると伝えれば、彼女はこの町にいる間に全力で僕をサポートして、自分の勉強に集中できなくなる可能性があるからだ。
でも、後者はもう大丈夫。後は、僕の気持ちの問題。
電話越しに伝えるべきではないだろう。直接彼女の顔を見て、その憧憬を話したい。
「真一さん? 真一さん? どうしたんです? 何か言いかけてましたけど」
「いや、なんでもないです。そろそろ電話、切りますか。合格、おめでとうございます」
「うん。ありがとうございます。じゃ、切りますね」
通話が終わった。
終わった途端、彼女の夢が叶ったのだという実感が水のように心に流れ込んできて、思わず「よしっ」と叫ぶ。
彼女と会えるのも、後ほんの僅かな時間しかない。
思い残したことが無いか、今の内に検討しておかなくては。
***
一ヵ月後。
三月二十八日。
その日は、よく晴れた清清しい日和だった。
空には鳥の鳴き声が響き、春風が頬をそっと撫でる。そんな日。
目覚まし時計の音で目が覚めた僕は、時計盤を確認する。
午前九時。余裕はまだあるが、それなりに急ぐ必要がある。
僕は朝食をやや慌てて掻き込むと、家を出て自転車で目的地に走った。
今日が、彼女が東京へと旅立つ日。この町から離れる日。新たな生活を始める日。
彼女とこの町で会える、最後の日。
この一ヶ月、彼女とは直接会うことが出来なかった。
彼女は大学への入学手続きや、下宿先を決めたり、教材の整理や、スーツを購入したり、東京ではあまりいらないかもしれないが自動車免許の取得などで忙しく、会う時間が取れなかったのだ。
二日前にはやることは全て終わったそうなのだが、正直彼女は疲れ気味だったし、両親との時間を大切にしたいということで、会えるのはこの最後の日となってしまった。
彼女に僕の気持ちを伝えなくてはいけない。
貴女に憧れているのだと。貴女の大学へ行きたいのだと。
直接会える時間は、もうあまり多くは残されていない。
駅前の噴水広場で会いましょうと僕たちは約束していた。両親が来るかもしれないのに、自分は邪魔ではないかとも思ったのだが、瑠璃葉さんの両親は自分の娘を自宅の玄関で見送るだけらしく、駅には行かないそうだ。
冷たい親……というよりは、「もう子供ではないのだから、ここから先は自分で歩ませよう」というスタンスなのだろう。
まあ、見知らぬ男子と自分の娘が親しそうに話しているのを見られたくないから好都合だ。
彼女の乗る電車は十一時に出る。
ある程度話す時間を取りたいということで、少し余裕を持って会うことにしたのだ。
駅前に着いた僕は駐輪所に自転車を置いた後、きょろきょろと辺りを見回し彼女の姿を探す。
春休みの時期ということで駅前には結構人がいたが、彼女はすぐに見つかった。
駅前に設けられた噴水の縁、そこに腰掛けて僕を待っている。
背中にはリュックを、すぐ傍にはスーツケースを置いていた。結構荷物あるな。
「瑠璃葉さんっ!」
僕が呼ぶと、気がついた彼女はこちらを向いて、にへらと笑う。
傍に駆け寄ると瑠璃葉さんは立ち上がってお辞儀をした。
「真一さん。来てくれたんですね」
「勿論。約束しましたから」
「……今日で、お別れですね」
彼女はどこかしんみりとしていた。
瑠璃葉さんの生まれ育った町。家族。友人。……そして僕。その全てに、永遠とは言わないが別れを告げなくてはいけないのだ。
「瑠璃葉さんなら、東京でも上手くやっていけますよ。そこで新しい友達を作って、この町じゃ味わえない刺激的な、新鮮な体験をいっぱいして、きっと楽しくやっていけます」
「そうだといいんですが……」
覚悟自体はしていたのだろうが、いざその日を迎えてこの駅まで来てみると、やはり心細さが先行するらしい。
「瑠璃葉さんは、強い人です。僕なんかよりもずっと。あなたは、僕の憧れなんです」
ここだ。ここで、彼女に自分の想いを伝えなくては。
「……僕も、あなたの後を追います。一年後、あなたと同じ大学に通います。通いたいと『思う』ではなく、もう心に決めてるんです」
「あっ……」
瑠璃葉さんは一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐそれを崩してニヤニヤと笑い始めた。
「なんとなーく分かってましたよ。君なら、そうするんだろうなって。私の後を付いてくるんだろうなって」
「やっぱり、バレてましたか……?」
「態度でバレてたっていうより、真一さんの性格からそう推理してたんです。君は実直だから。……私のことを、本当に大切に思ってくれてるの、凄く伝わってくるんです。中に出すのだって、結構躊躇ってたし。私に負担、掛けさせたくなかったんですよね?」
「……中に出したいって本能はありましたけどね」
正直に告白すると、彼女はまた微笑んだ。
「まあ、これから頑張ってくださいねっ。私の大学、本当に難しいですから。……何年でも、待ってますよ」
「いえ、来年で行きます。行ってみせます」
「東京で応援してますよ。もしも行き詰ったら、私を頼ってください。君より一歳年上で、先輩なんですから」
ふと彼女が、「お姉さん」の側面を見せてきた気がした。
僕らはお互い対等のつもりで接してきたが、彼女は人生の先輩として、僕のことを心配してくれてもいるのだろう。
彼女を励ますつもりが、いつの間にか励まされていた。
「瑠璃葉さん。また、会いましょう。忙しいでしょうけど、たまには戻ってきてくれると嬉しいです」
「勿論っ。時間が出来たら、この町に帰ってきます。……その時は……」
「電車をご利用くださり、ありがとうございます。間も無く……」
彼女が何かを言いかけた時、駅構内からアナウンスが聞こえて来た。
そろそろ時間だ。
「じゃあ、真一さん。私、待ってます。あなたが私と同じ大学に通う日を」
「ええ。待っていて下さい」
「最後に、キス……してくれませんか? 真一さんから、して貰いたい」
若干周囲には人がいたが、僕らを気にしている様子は無い。時間も、あまり残されていない。彼女の願いを聞くことにした。
僕は一歩前に踏み出し、彼女にぶつかりそうなくらい近づく。
そして自分から顔を近づけ、彼女の唇に触れた。
熱い。炎を帯びているみたい。
柔らかい花弁は、しっとりと濡れていた。
一秒触れると、もっとこうしていたいと思った。二秒触れていると、永遠にこうしていたいと思った。
この甘い口付けを、時間を永久に堪能していたいと願った。
でも、そんなことは出来ない。三秒後、僕の方からその接吻を解く。
彼女の方を見る。どこか恥ずかしそうな、でも感激しているような複雑な表情をしていて。
そんな彼女が愛おしくて、感情が溢れ出しそうで、その華奢な身体を力強く抱きしめたくなって。
「……しちゃいましたね。瑠璃葉さん。もう、行ったほうがいいですよ」
そんな感情とは真逆の言葉が僕の口から紡がれる。
彼女の門出に、これ以上干渉してはいけない。
「じゃあ、真一さん。さようなら」
彼女は歩き出す。重そうな荷物を持っているが、運動部らしくその足取りは軽そうだった。
改札を通り、電車に乗り込むまでの間、彼女は一度もこちらを振り返らなかった。
しっかりとした歩調で、真っ直ぐ彼女は歩いていた。
電車に乗った彼女は、一瞬溜めるように立ち止まると、後ろを振り返る。
僕は駅の外からそれを見ていて、かなり離れていたはずなのに、彼女がにこりと笑ったのが感じ取れた。
ドアが閉まる。電車が動き出す。
僕は彼女の乗る電車を追い掛けた。フェンスに平行して駆け、脚が千切れるのではないかというくらい走った。
電車はどんどん距離を離していく。やがて僕は家の塀に足を止められ、追跡を否応にも断念させられた。
「……行っちゃったな……」
ぽつりと呟く。帰ろうか。
運動不足なのに無理に激しく動かし、今はピリピリとしている足を踏み出す。
とその時。ポケットの中に入れていたスマホがバイブを鳴らした。
反射的にそれを取り出し、画面を見る。牧本瑠璃葉。ラインの通知だ。
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