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何を仰っているのら?

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 「『何を仰っているのやら?』って顔だな」

 微笑んだアレンの指先が私の頬をすっと撫でた。

 「うん、ズバリその通りのことを思っているもの」
 
 リコは宝石……事ある毎にそう言った通りにアレンが思っていたのなら、普通そういうのって一目見た瞬間にビビっと感じるものじゃないの?なのにアレンの印象は限りなく薄くて良くも悪くも普通。なのにほんの数メートルを黙って近づいてくる間にって……

 私も明王化していたのだろうか?明王コニーの背中には怒りの火焔光が立ち昇るのが確かに見えましたよ?じゃあ私の背中にも火焔光がメラメラと?

 でも、おかしくない?

 今もまだ微笑んでいるアレンの眼差し。それはコニーに一喝された時の怯えたものとは全く違う。今まで何度か、いや、何度も何度も繰り返し見てきた何かを訴え懇願するような瞳。そこにはまるで愛しい恋人を見つめるような甘く切ない光が宿っている。

 もう演技の必要なんてなくなった今、怒りの火焔光を背負っていた私にこんな眼差しを向けるだろうか?

 「自分でも何が起きているのかわからなかった……」

 アレンはそう呟きながら視線を逸らし、何処を見るともなく遠い目をした。

 「話し始めたリコはますます輝きを増し俺は指先一つ動かせなくなった。呼吸すら止まったのではと恐怖を覚えながら、それでもリコから目が離せない。そして頭のどこかでは『そうか、魅入られるというのはこういうことなのだ』と妙に納得していた。我に返ったのはリコが立ち去ってからだ」

 そこで口を閉ざしたアレンは急に小刻みに肩を震わせ、やがてプハッと吹き出すと力ない笑い声を上げた。

 「我ながら呆れたよ。リコの言葉は一字一句漏れなく聞き取っていたし意味だって全て理解していた。それなのにどうして魅入られてしまったのかと、自分が情けなくて堪らなかった。俺はリコを誤解してとんでもないアバズレだと思い込み、軽蔑していたから」
 
 それに関しては無理もないと思うし責める気もない。友人と一緒だからって構ってなんかいられるか!と言いたい放題やったものの、実はこれでも私だって多少は反省したのだ。もちろん『でもやっぱりあれで良かった!』って今でも思っているけれど。

 「それで戸惑ったり混乱したりしたわけね」
 「そうだな……何よりもあの時に感じたものが何だったのか腑に落ちる答えが見つけられなかった。そうやって俺はすっきりしない想いを抱えながら、三年を過ごしてきた」
 「…………ん?三年間ずっと?」

 あれは僅か数分の出来事だ。たとえ記憶の中には残っていてもせいぜい時折『そんなこともありましたね』程度に思い出す、その程度じゃないの?

 「そうだ。忘れたと思ってもリコに会う度にそんな想いが湧き上がってぶり返してしまうから」
 「会う度にって……私達、三年ぶりに会ったんじゃなかった?」

 きょとんとしている私にアレンはニヤッと笑った。

 「リコにとって第三騎士団の騎士は二種類しかいないからな。アーネストか、それ以外か」
 「あ……」

 多少なりとも王太子殿下との接触はあるのだから、王太子付きの第三近衛騎士団とも顔を合わせてはいる。けれどもアレンが言う通り、私にとって第三近衛騎士団の騎士はアーネストかその他の騎士の皆様かという認識しかない。そこに『うだつの上がらない文官のお友達』が居たなんて、まるで気が付いていなかったのだ。

 「始めは気不味くて知らん顔をしているのかと思ったんだが、そうじゃない。リコが極端に他人に興味が無いせいだと気が付いた。そして俺が訳の分からない想いに囚われているのに、リコときたら顔どころか存在すらも忘れているってことを会う度に思い知らさせられて、やみくもに腹が立った」
 「忘れていたわけじゃないのよ?」

 だけど気が付かなかったのは否定しない。ごめんね。
 
 そんな脳内の謝罪が筒抜けなのか、アレンは見透かしたように唇を歪めて笑いを堪えていた。

 「俺達がリコを見かけることは滅多になかったけれど、それでも二度、三度と数を重ねるうちに『素材としてはかなりの上物だ』と言い出す目ざとい奴が現れた。『人並みに着飾らせるだけで大化けするに違いない!』なんてほざいたせいで、他の奴らまでリコをそういう目で見始めて……それを見聞きするにつけ何故か不愉快でたまなくなり、その不愉快さの理由がわからずに混乱し苛立つ。もう顔を見るのもうんざりだと思っているのに、リコが現れると目が離せなくなるんだ」
 「にゃーん」
 
 アレンの膝の上で丸まっていたミロが強請るように鳴いた。アレンはミロの喉元を撫でたけれどミロはそうじゃない!と不服だったようだ。身を捩ってぴょんと私の膝に前脚を乗せ丸い瞳でじっと見上げている。

 前脚を肩に乗せるように抱き上げて背中を撫でると、ミロはゴロゴロと満足そうに喉を鳴し始めた。私はミロの頭に頬を擦り寄せながらアレンに尋ねた。

 「それが三年間繰り返されたってこと?」
 「あぁ、そうだ。三年間、俺の心には常に釈然としない想いが燻ぶっていた。もしかしたら俺はリコに惹かれているんじゃないか……そんな考えが掠めたこともあったが、馬鹿馬鹿しい、この俺がアバズレに恋をするなんてあり得ないじゃないかとその度に跳ね飛ばした」

 正直に白状したは良いが気が咎めるのかアレンはそわそわと視線を泳がせていた。

 「そう思われても致し方ないという自覚はあるから気にすることないのに。ねえミロ?」

 『同感!』の返事の代わりにミロは喉を高らかに鳴らしている。アレンはほっとしたように目を細めてミロを一撫でしてからまた話し始めた。

 「何故かは知らんが妃殿下が睨みを効かせて妙な圧を掛けていたせいで直接口説こうとする者はいなかったが、あわよくば近づいてやろうと色気を覗かせるヤツは何人もいたんだ。なのにリコはとにかく危なっかしくて無防備で、警戒心の欠片もないからついついハラハラさせられた…………ってリコっ!」
 「んー?…………あ、ごめん……」

 だってね、膝の上で毛繕いを始めたミロったら、前脚で必死に抱えた尻尾をベロンベロンしているのよ?こんな可愛いミロが膝にいるのに夢中にならずにいられるだろうか?

 だけどアレンはアレンで真剣に話をしていたし、上の空に見えていたのは申し訳ない。けれどもそう見えたからって聞いていないかと言えば決してそうではないんだけど。

 「聞いてはいたわよ?」
 「でも聞き流してもいただろう!」
 「えぇまぁ……」

 だってミロったら悶絶級に可愛いんだもん。

 恐縮している素振りを見せつつも不可抗力だ!という開き直りがチラ見えしている私を眺め、顔を顰めたアレンはプイと横を向いた。

 「猫の同席は必須だと言われたからここに呼んだのに……本当にこれで良かったのか?」
 「え?なに?」
 「もういいっ!」

 何言ってるかわからなかったけれどもういいなら独り言だろう。だったら構わずにミロを撫でようと思ったが、横から手を出したアレンに抱き上げられてしまった。しかもミロったら、あざとい顔でアレンを見上げている。うー、ミロめ。やはりお前は魔性の猫だな?
 
 「どうせ馬鹿馬鹿しいと思っていたんだろ?」

 ご機嫌なミロを抱いたアレンは相当不機嫌だ。執務室で三年振りに会ったアレンと同レベルくらい嫌な感じである。ミロを没収された上にこの態度。それならこっちも遠慮はしない。

 「だってお門違いも甚だしいんだもの。三年間もモヤモヤした気持ちを抱えていたなんてさぞや鬱陶しかったでしょうねって同情はするけど、一人でおかしな勘違いしておいてとやかく言われても知らないわよ」

 これでも中身は人並みに恋愛経験アリの享年28歳だもん、グイグイ来られたらちゃんと気が付きますって。ジョルジュの一件だってそうだったではないか。しかも自分でしっかり危険を回避し、その上仕返しまで抜かり無く済ませたのに。

 「つまり何も感じなかったと?」
 「だって何も無かったし」
 「無くはない。大アリだ!」
 「ねぇアレン。いくら私だってその気がある素振りをされたら気が付くけど?」
 「だがあからさまに気があると思わせなきゃ気が付かないじゃないか!」
 「あからさまじゃないのに気があると思うなんて自意識過剰過ぎだってば!」
 「あれは気付くべきだ。いいかリコ。あいつらは王太子殿下っていうお目付け役がいる以上、そう安安と口説いたりなんかできない。だが奴らが宝石の輝きに気がついたら危険を冒してでも……そう思うと生きた心地がしなかった。だから俺は……心を掻き乱すリコが疎ましかったんだ」 

 そう言うとアレンは不愉快そうに口を閉ざした。
 
 はーん。どうりで感じが悪かったワケだ。でもさぁ……

 何を血迷ったのかブチ切れた私が宝石に見えちゃって、でも自分では受け入れたくなくて、それなのに同僚達がモーション掛けるのは気に食わない、そんな自分が信じられないから私のことが疎ましいって……

 そんなの知らんわ!である。

 今や私の不愉快指数はアレンの比ではない。一体私が何をしたっていうのだ。ジョルジュを成敗しただけじゃないか。それ以外はアレンの思い込みと、アーネスト以外の騎士のうんちゃらかんちゃら。それだって真偽は定かではない。それなのにそんな拗ねた顔をされても困る。ホントに困る。

 もう帰ろう。ミロを連れて。ミロがどうしても私の部屋に馴染めないならその時はその時、追々考えていけば良い。

 抱き上げようとしたがミロはアレンの膝の上に良い感じに馴染んでいるらしい。パタパタっと耳を動かし私に背中を向けてしまった。『おいで』と言って手を出したが小声で『シャー!』なんて抗議しつつベストなポジションを死守している。ミロめ、これは絶対に寝る気だ。

 そんなミロの背中を撫でながら選ばれた嬉しさの隠し切れないアレンは実に腹立たしい。だけど困った。何食わぬ顔をしようとしても口元が緩んでついニヤニヤしてしまうのを必死で堪えているのが、何だか可愛く見えてしまうではないか。

 仕方がない。それならもう少し話の続きを聞いてやろう。

 「それで?」

 そんな胸のうちに勘づかれてしまわぬように極力刺々しく冷ややかに話の先を催促したが、アレンは今度こそ我慢することなく私の気持ちを見透かしていると言わんばかりに微笑んだ。

 「前言撤回だな……」
 「何が?」
 「いや、何でもない!」

 何だかわからないけれどどうせミロに選ばれた優越感だろう。『懐かれちゃって困っちゃうよな』という自慢に違いない。そんなもの聞いてやる気は一切無い私は黙ってアレンの純粋な話の続きを待った。

 「この三年の間に持ち込まれた縁談が幾つかあった。それなりに出会いもあったし好意を寄せられたこともあった。だが心が動かされたことは一度もない。それどころか何かを求める気持ちが膨らむばかりで、しかもその正体などわからない。でもまるで渇きのような苦しい想いは、その何かを見つけ手に入れるまで満たされることはないだろうということを本能的に感じていた」

 そう言えばさっき殿下がそんなことを言っていましたっけね。結局何が言いたいのか良くわからなかったけど。

 「相変わらず『何を仰っているのやら?』って顔だな」
 
 そう言ったアレンの指は今度は撫でるのではなく私の頬を軽く摘まんでいる。

 「だってその通りのことを思っているもの」
 「それなら……そろそろはっきりさせないとな」

 結局アレンの指はまた私の頬を撫でた。
 



 
  

 

 

 
 
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