50 / 53
紙婚リコチャン その1
しおりを挟むごきげんよう。
リゼット・コンスタンス・ベンフォードでございます。
リゼット・コンスタンス・ルイゾンから二文字増加してから一年あまり、田舎育ちの基礎体力を遺憾なく発揮し元気に過ごしておりましたが、初めて寝込みました。
私室付女官のお仕事もお休みを頂いております。後輩ちゃん達に封蝋の仕事を指導しておいて本当に良かった。思えば一人で仕事を抱えているなんて職務怠慢も良いところでしたね。
あれは本当に何の前触れもない突然のことでした。ある日いつも通りに出勤しいつも通りにシーリングワックスを温めいつも通りにホワンと立ち上るワックスの香りを感じるや否や何だかムカッときましてね。
それ以来どうもシーリングワックスの匂いがダメで仕事にならず、その日は敢え無く早退しました。
事情を聞いたマリアンは
「お腹の風邪が流行っているらしいけれどそれですかしらね?」
と首を捻りました。そう言えばウィルきゅんもポンポンいたいになって、吐くやらピーピーやらで大変だったと聞きました。なるほど、王城在住のウィルきゅんが罹患するのですから王城勤務の私が感染するのも頷けます。
ミロと一緒に一日ゴロゴロしていたらまぁまぁ回復したような気がします。食欲は無いけれど吐き気もないしピーピーでもないので出勤してみました。そしてまた、シーリングワックスにやられて早退しました。
昨日同様ミロと一緒にゴロゴロしていたら回復してきました。吐き気もないしピーピーでもないのも同様です。となれば出勤してみる私は立派なワーカーホリックですかね。
そしてまたまたシーリングワックスにやられました。
三日も続くとさすがの私ももしかして、と閃きました。それで青い顔の私を心配する妃殿下には申し訳無いけれど思い切って打ち明けてみたんです。私、出勤拒否症かも知れないって。
「え………………?」
と呟くなり妃殿下が言葉を失ったのは無理もありません。前世のコネで採用してやったのに出勤拒否だなんて、失礼極まりない話ですものね。
ですが長い沈黙のあと大きな瞬きを繰り返した妃殿下は、訝しげな顔をなさいました。
「一昨日まで変わり無く生き生き働いているようにしか見えなかったけど?」
言われてみればその通りでした。あー仕事行くの嫌だなぁが口癖だった前世とは違い、やり甲斐のあるお仕事をさせて頂いておりまして、ホントに結婚するんだと自覚してから僅か数日で挙式だったとはいえ、結婚退職しようなんて思いつきもしませんでしたもの。ストレス皆無、無自覚な出勤拒否すらありえません。
「もしかしてあなた、おめでたじゃないの?」
声を潜めてそんな事を言われましたが私は首を振りました。シーリングワックスにはやられるけれどそれだけです。大体悪阻って『最近何となく胃の調子が悪いのよね~』みたいに徐々に始まるものですよね?私の不調は三日前にいきなりスタートしたんですけど?
妃殿下だってそうです。何となく胃の調子が……から始まり熱っぽいし風邪かしらね、なんて言っていたら洗面所に駆け込み出した……という経過は、未経験の私から見てもどうやらご懐妊ですなと思った次第でしたから。
しかもその事象、つい二ヶ月ほど前にもございまして妃殿下は絶賛第二子ご懐妊中。私の記憶はまだまだ生々しいのであります。
それでも妃殿下は遅れていないか?と食い下がってきました。遅れていないかと聞かれたら遅れている気もするけれど、別に何週間も遅れてます!ってわけじゃないし、数日の誤差はあるじゃありませんか。というよりもですね……
「ねぇ、もしかして前回の生理が何時だったかはっきり覚えていないとか言わないわよね?」
鋭い視線を投げかけつつ尋ねられ返事に詰まるわたくし。いつもいつもメモしようと思いながらうっかり忘れちゃって、私の『最終』は記憶の彼方でぼんやりしています。多分そろそろ来るんじゃないですかねぇ?としか答えられないけれどそんな事を言ったら絶対にシメられる!
固く口を閉ざしたら逆に悟られたらしく妃殿下はげんなりしました。
「今日は帰って休みなさい」
「はい……」
「それと、きちんとお医者様を呼んで診て頂くのよ?」
「はぁ……」
「じゃあ馬車を手配させるから待ってて」
「え?」
私はきょとんと目を見張りました。
「なんで馬車?」
「なんでって妊婦を馬になんか乗せられないでしょう?」
女官長をちょいちょいと手招きしながら妃殿下はそう言うけれど、私は今朝もチャリで出勤しましたし何の不都合もありませんでしたよ?
「妊娠って確定したわけじゃないのに!」
口答えした丁度その時女官長が合流し馬車の手配の一言で全てを悟ったらしい。私は二人がかりでふざけるんじゃない、何かあったらどうするんだ?とお説教の嵐に巻き込まれました。
「私のチャリンコ……」
涙目の私を二人はギロっと睨みました。
「ホントのチャリンコだって危ないのにチャリンコなんか言語道断でしょ!」
女官長はチャリンコとホントのチャリンコ?と戸惑った顔をなさいましたが妃殿下は見向きもせずに激昂中です。だったら王室用の厩舎で預かるから文句を言うなと喚き散らされて、反論するにもできなくなりました。だって圧が物凄いんですもの。
結局私は王太子妃殿下専用の馬車に乗せられて屋敷へと追い返された上に、妃殿下の担当医入りの馬車に追走されました。医師は呆気に取られるマリアンにテキパキと指示を出しすぐさま診察を開始、記憶の彼方で霞んでいた私の『最終』を明らかにしようと奮闘し始めました。
優秀な医師の手を散々煩わせはしましたが、おかげさまでどうにか浮かび上がってきた私の『最終』により判明したのは、少なく見積もっても二十日は遅れてるって事実でございまして。
「ご懐妊でございます」
と厳かに宣言されたのでありました。
あれこれ注意をした……特に乗馬は厳禁だと釘をさした医師を見送り私の様子を見に来たマリアンは、トキメキが止まらないっ!て顔をしつつも何も尋ねませんでした。つまりバレバレってことですよね。きっと初めの報告はアレンが受けるべきだと考えて呉れたんでしょう。
けれども何時ものように寄ってきたミロを抱いてソファでゴロゴロしようとしたら、パジャマに着替えてベッドで休めと叱られました。寝惚けて転げ落ちてしたらどうするのですと目を三角にしております。むん、昨日までは好きにゴロゴロさせてくれたじゃないか!
だったら先にお風呂に入る!と超我儘発言をしてみたらそそくさと支度を整えてくれちゃって、となると従うしかありません。普段はしてもらわないお世話を当然のように始めたのにもされるがままになりました。滑らないように、転ばないようにと気を配ってくれているのがひしひしと伝わってくるのですから、放っといてなんて口が裂けても言えませんから。
ミロを膝に乗せソファに座る私の髪をマリアンがせっせと乾かしておりますと、帰宅したアレンが部屋に入ってきました。
「風呂上がり?」
この時間……ということは恐らく妃殿下命令で理由もわからず帰って来たのでしょう。何事かと戻ってみれば私は昼間っから風呂上がり。ということは単なる体調不良ってわけでもなさそうで、首を捻るのももっともです。
髪の手入れを手早く済ませ、マリアンは出ていきました。何たる気遣いでございましょう。こうなったら、アレンの次にマリアンに教えてあげるんだ!と決意する私にアレンが尋ねました。
「何故こんな時間に風呂に」
「マリアンがベッドで寝なさいっていうから、だったらお風呂に入ってからがいいなって思って」
「どうしてベッドを指定されているんだ?」
「あー、それが一昨日封蝋しようとしたら気持ち悪くなったじゃない?」
「あぁ、だがソファでゴロゴロしていたら治ったと言っていたが?」
私はそうそうと首を縦に振りました。
「昨日も封蝋しようとしたら気持ち悪くなったでしょう?」
「昨日もゴロゴロしていたら治ったと……だから今朝も仕事に行くと言っていたはずだぞ?」
「そうなのよ。でも今日もまた封蝋しようとしたら、シーリングワックスの匂いにやられちゃって」
「シーリングワックスの匂い?」
アレンはそれはもう混乱した顔で隣に腰掛け私の隣りに座りました。
「それで今は?」
「もう平気なんだけど、マリアンがちゃんとベッドで寝なさいって」
「もう平気なのに?」
「そうなの、寝惚けて転げ落ちたら危ないって言うの」
「転げ落ちる?」
目を細めたアレンは何故か考え込みました。どうしてかな?いつもいつもリコは寝相が悪いからミロとは寝ちゃダメだっていつも言うのに。
ちょっと引っかかりますが私は話を続けました。
「うん。それに妃殿下と女官長にチャリに乗っちゃダメって言われて、チャリは可哀想に王城でお預かりなの」
「なんだってそんな事を?」
「妊婦は乗馬しちゃダメだって」
「それはそうだろう」
アレンは半ば呆れたように眉毛をハの字に下げています。私だってそれはそうだろうと思うんです。ただあの時は自分が妊婦だとは思わなかったので不満だったわけでありまして。
「妊婦に無理は禁物だ。あのブリジットですら懐妊が判ってからは書類仕事しかしなかったんだからな。でもそれとリコのチャーリーに何の関係が?」
「あぁ、私妊婦なんですって」
「なるほど、リコは妊婦なの……か……………」
パチリパチリと大きく目を開け閉めしたアレンは最後に限界まで瞼を開きそのまま硬直しました。
0
あなたにおすすめの小説
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました
四折 柊
恋愛
子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
「美しい女性(ヒト)、貴女は一体、誰なのですか?」・・・って、オメエの嫁だよ
猫枕
恋愛
家の事情で12才でウェスペル家に嫁いだイリス。
当時20才だった旦那ラドヤードは子供のイリスをまったく相手にせず、田舎の領地に閉じ込めてしまった。
それから4年、イリスの実家ルーチェンス家はウェスペル家への借金を返済し、負い目のなくなったイリスは婚姻の無効を訴える準備を着々と整えていた。
そんなある日、領地に視察にやってきた形だけの夫ラドヤードとばったり出くわしてしまう。
美しく成長した妻を目にしたラドヤードは一目でイリスに恋をする。
「美しいひとよ、貴女は一体誰なのですか?」
『・・・・オメエの嫁だよ』
執着されたらかなわんと、逃げるイリスの運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる