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【第一部・番外編】 一巻未収録話
枢機卿のファンレター
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書籍版未収録話前編。
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自室でもくもくと儀式用の牛角を削っていると、いつものようにクァイツがやってきて、変わったお菓子を披露した。今日は北方のお菓子でリンツァートルテというらしい。肉料理系のスパイスが効いた生地に赤スグリというめずらしい実のコンフィチュールを入れて焼いたやつだ。生地にほどよい甘味と酸味がとろりとからんでおいしかった。
侍女も心得たもので、給仕が終わるとすばやく引っ込んでいく。
何か用かと聞くと、用がないと来てはいけないのかと返されるのが常だったが、この日は違った。
クァイツは楽しげに手紙を差し出した。カーネリアンのような瞳に炎が舞い、ロウソクの加減で金色にそまる。見とれてしまって、何を言われたのかがすんなり頭に入ってこなかった。
「ええと……ファンレター?」
封蝋にはいつか見たエルドラン枢機卿の刻印が入っている。
「ええ。あなたにです」
書状は完全にただのお手紙だった。
宛名書きにそえられた”限りない敬愛と惜しみない抱擁をこめて”という一文にファンレターっぽさを感じる。
角の削りカスを払い、ナイフで開封してみると、そこには見慣れない文字が並んでいた。
つい書状から目をあげて、クァイツを見た。
「なんて書いてありました?」
「読めない」
「そんな。枢機卿はこれで通じると……」
「いや……読めるには読めるんだが……」
「どういうことです?」
「……拝火教の祈祷書で使っている文字とほぼ同じだ。でも子音字しかない……」
かなり珍しい言葉である。
「枢機卿はどこの民族出身なんだ?」
「名前はうちの国のものですが、本当は中東の出身であるようなことを言ってましたね。詳しくは知りません」
「友達なのにずいぶん冷たいなお前……まあいいが、中東の言葉とも違うな。あのへんは系統的に似通ってはいるんだが……」
拝火教の言語を使う国というと、世界にひとつしかない。
かつて拝火教を国教としてさかえた大王朝は、祈祷書を書きあらわすために、とあるひとつの言語から新しく拝火教用の言語を生み出した。
旧言語をモデルに、改良をくわえ、文字同士の連結をよくして母音字を追加し、読みやすくしたのが祈祷書の文字だという。
「おそらく祈祷文字の前身にあたることばだと思うが……」
「読めそうですか?」
文面をにらんだ。ところどころ読めないこともないが、全体としては意味不明だ。
「辞書がなければ無理だ」
「では、書物庫から辞書を探させますか」
サフィージャはぴくんと反応した。王家の書物庫だと?
数冊もあれば家が買えるという装飾つきの高価な絵本などが大量に眠っているあの書物庫か。
通常は限られた文官しか立ち入りできないことになっている。
「……今すぐ行きますか?」
くすりと笑われて赤くなる。行きたがっているのが伝わったらしい。
「前から行ってみたいとは思っていたんだ」
「そうなんですか? 言ってくれればいつでもお連れしたんですけど。王族なら自由に立ち入りできますし」
「王族なら……か……」
サフィージャはうらやましさで気が遠くなった。
さすがは生まれながらにすべてを与えられていると豪語する王太子。
自慢が自慢じゃないところが憎い。
「サフィージャどのも入室できるようにしましょうか」
「本当か?」
「まあ、ただでとはいいませんけど……」
「う……じゃあいい。お前の恩は高くつくから嫌なんだ」
「よくお分かりで」
苦笑しつつ手を差し出された。つなげというのか。
エ、エスコートか。
サフィージャはそれを無視して、とっとと先を行きはじめた。
***
サフィージャは自分の身長よりも高くそびえる書架を見あげて立ちくらみを起こした。
アレクサンドリア図書館もかくやというほどの蔵書量である。古今東西ありとあらゆる言語の書物が集まっている。ほこりっぽさや羊皮紙のかおりでさえいとおしい。
辞書はほどなくして見つかった。
「すごいな王家の書物庫。まさか本当にあるとは思ってなかったぞ辞書。礼を言うぞ王太子どの! 持つべきものは友人だな!」
「いえいえ……こんなにはしゃいでいるサフィージャどのは初めて見ました」
珍獣でも見るかのような物見顔で言われてしまったが、この際どうでもいい。
「分かりそうですか?」
「うーん……」
後ろからのぞきこまれてドキリとした。
距離が近い。もう一歩離れてほしい。
「時間をかけたらできそうだが……そもそもお前の友達はどういうつもりでこんな回りくどい手紙を書いてよこしたんだ?」
「まあ、ちょっと訳ありで。よいお知らせだと思いますんで、読んでやってくれませんか」
他人に見せられない内容だということだろうか。
ひとまず目についたヘッダーから訳してみる。
「”主はここにおられる”? 聖書じゃないか……なら最初っから聖書用の言語で書いてよこしてくれたらよかったのに……いったいどういうつもり……」
違う、とその時やっと気がついた。
そもそもこれは教会の新しい聖書が成立する以前の旧言語だ。
この旧言語から派生したのが拝火教用の言語と――あともうひとつ。
子音字のみでつづる古い聖書といえばあれしかないではないか。
そういえばうちの魔女にもいる。そう、『魔女』なのだ。異教徒扱いである。
「枢機卿はいったい何者なんだ……?」
「面白い人ですよ。彼の野望もまたすごいんです。なんでも……」
耳元にひそやかなささやきが落とされる。
「……教会に復讐をしたい、と」
言葉とは裏腹に甘美なひびきをもつ声が、しずまりかえった空間に吸いこまれていった。
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自室でもくもくと儀式用の牛角を削っていると、いつものようにクァイツがやってきて、変わったお菓子を披露した。今日は北方のお菓子でリンツァートルテというらしい。肉料理系のスパイスが効いた生地に赤スグリというめずらしい実のコンフィチュールを入れて焼いたやつだ。生地にほどよい甘味と酸味がとろりとからんでおいしかった。
侍女も心得たもので、給仕が終わるとすばやく引っ込んでいく。
何か用かと聞くと、用がないと来てはいけないのかと返されるのが常だったが、この日は違った。
クァイツは楽しげに手紙を差し出した。カーネリアンのような瞳に炎が舞い、ロウソクの加減で金色にそまる。見とれてしまって、何を言われたのかがすんなり頭に入ってこなかった。
「ええと……ファンレター?」
封蝋にはいつか見たエルドラン枢機卿の刻印が入っている。
「ええ。あなたにです」
書状は完全にただのお手紙だった。
宛名書きにそえられた”限りない敬愛と惜しみない抱擁をこめて”という一文にファンレターっぽさを感じる。
角の削りカスを払い、ナイフで開封してみると、そこには見慣れない文字が並んでいた。
つい書状から目をあげて、クァイツを見た。
「なんて書いてありました?」
「読めない」
「そんな。枢機卿はこれで通じると……」
「いや……読めるには読めるんだが……」
「どういうことです?」
「……拝火教の祈祷書で使っている文字とほぼ同じだ。でも子音字しかない……」
かなり珍しい言葉である。
「枢機卿はどこの民族出身なんだ?」
「名前はうちの国のものですが、本当は中東の出身であるようなことを言ってましたね。詳しくは知りません」
「友達なのにずいぶん冷たいなお前……まあいいが、中東の言葉とも違うな。あのへんは系統的に似通ってはいるんだが……」
拝火教の言語を使う国というと、世界にひとつしかない。
かつて拝火教を国教としてさかえた大王朝は、祈祷書を書きあらわすために、とあるひとつの言語から新しく拝火教用の言語を生み出した。
旧言語をモデルに、改良をくわえ、文字同士の連結をよくして母音字を追加し、読みやすくしたのが祈祷書の文字だという。
「おそらく祈祷文字の前身にあたることばだと思うが……」
「読めそうですか?」
文面をにらんだ。ところどころ読めないこともないが、全体としては意味不明だ。
「辞書がなければ無理だ」
「では、書物庫から辞書を探させますか」
サフィージャはぴくんと反応した。王家の書物庫だと?
数冊もあれば家が買えるという装飾つきの高価な絵本などが大量に眠っているあの書物庫か。
通常は限られた文官しか立ち入りできないことになっている。
「……今すぐ行きますか?」
くすりと笑われて赤くなる。行きたがっているのが伝わったらしい。
「前から行ってみたいとは思っていたんだ」
「そうなんですか? 言ってくれればいつでもお連れしたんですけど。王族なら自由に立ち入りできますし」
「王族なら……か……」
サフィージャはうらやましさで気が遠くなった。
さすがは生まれながらにすべてを与えられていると豪語する王太子。
自慢が自慢じゃないところが憎い。
「サフィージャどのも入室できるようにしましょうか」
「本当か?」
「まあ、ただでとはいいませんけど……」
「う……じゃあいい。お前の恩は高くつくから嫌なんだ」
「よくお分かりで」
苦笑しつつ手を差し出された。つなげというのか。
エ、エスコートか。
サフィージャはそれを無視して、とっとと先を行きはじめた。
***
サフィージャは自分の身長よりも高くそびえる書架を見あげて立ちくらみを起こした。
アレクサンドリア図書館もかくやというほどの蔵書量である。古今東西ありとあらゆる言語の書物が集まっている。ほこりっぽさや羊皮紙のかおりでさえいとおしい。
辞書はほどなくして見つかった。
「すごいな王家の書物庫。まさか本当にあるとは思ってなかったぞ辞書。礼を言うぞ王太子どの! 持つべきものは友人だな!」
「いえいえ……こんなにはしゃいでいるサフィージャどのは初めて見ました」
珍獣でも見るかのような物見顔で言われてしまったが、この際どうでもいい。
「分かりそうですか?」
「うーん……」
後ろからのぞきこまれてドキリとした。
距離が近い。もう一歩離れてほしい。
「時間をかけたらできそうだが……そもそもお前の友達はどういうつもりでこんな回りくどい手紙を書いてよこしたんだ?」
「まあ、ちょっと訳ありで。よいお知らせだと思いますんで、読んでやってくれませんか」
他人に見せられない内容だということだろうか。
ひとまず目についたヘッダーから訳してみる。
「”主はここにおられる”? 聖書じゃないか……なら最初っから聖書用の言語で書いてよこしてくれたらよかったのに……いったいどういうつもり……」
違う、とその時やっと気がついた。
そもそもこれは教会の新しい聖書が成立する以前の旧言語だ。
この旧言語から派生したのが拝火教用の言語と――あともうひとつ。
子音字のみでつづる古い聖書といえばあれしかないではないか。
そういえばうちの魔女にもいる。そう、『魔女』なのだ。異教徒扱いである。
「枢機卿はいったい何者なんだ……?」
「面白い人ですよ。彼の野望もまたすごいんです。なんでも……」
耳元にひそやかなささやきが落とされる。
「……教会に復讐をしたい、と」
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