王太子様、魔女は乙女が条件です

くまだ乙夜

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【第一部ダイジェスト】 王太子視点

王太子様の追憶 2 素顔の魔女と月夜の狼

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 薄暗い室内に、辺りを憚るようにして女性が忍び入った。
 氷のように透き通った白い肌が眩い光を放ち、彼女の存在を一層際立たせた。
 アネモネの色をした唇が驚きに引き結ばれる。

 戸惑ったように立ちすくむ姿は儚げで頼りなく、丈の高い花が風に揺れるのと同じぐらい刹那的な美しさに満ちていた。

「恋人を作られたことのないあなたが、どういう心変わりですか」

 ひばりのような声が凜と問う。
 臆することなくまっすぐ見返す視線は落雷のように烈しい。

 彼女に見つめられて、心が湧き立った。
 その瞳に宿しているのは、まぎれもなく意思の光だった。

 あの輝きを見れば分かる。
 あれはただの女性ではない。
 ただ美しいなりをしただけの貴婦人たちにはない宝石を持っている。

 彼女はクァイツが待ち伏せていた理由も素早く察して、若鹿のように逃げだそうとしているのだ。

 あの黄昏色の双眸はただの琥珀の一対とはわけが違う。
 どんな曙光よりも叡智に明るく、どんな夕暮れよりも情熱的に燃え上がる、至上の宝石だ。

 この女性は一体どこの誰なのだろう。
 これほどの美しさと聡明さを兼ね備えた女性ならば社交界でうわさにならないはずがない。未婚であればなおさらだ。
 彼女を王太子妃にと推す声だって必ず挙がったはずなのだ。

 だというのに一度も見聞きしたことがない。

 ――既婚なのではないかと問うと、彼女はためらいがちに肯定した。
 やはりかと羨望のため息が出る。

 彼女の持つ宝石は、金貨ではけして購い得ない類のものだ。
 これを所有する喜びはどれほどのものだろう。
 なぜその相手は自分ではないのだろう。

 抗いがたい衝動に突き動かされて、気づけば激しくその唇を奪っていた。

 柔らかな三日月型の唇に吸い付き、舐め取り、舌の先でこじ開ける。
 その奥に覗く小作りの円い舌は、触れただけで今にも枝を離れてこぼれてしまいそうな、爛熟の果実を思わせる味がした。

 もっと味わいたい。もっと。もっと。

 思うさま口腔を蹂躙して、唇を放すころには、彼女の体からしどけなく力が抜けていた。
 どうしようもない胸のうずきをこらえながら、クァイツはぐったりと身を寄せてくる体に腕を回して、彼女のほつれた前髪を払ってやった。

 ――玲瓏たる美貌に暁のライラックが咲き初めたかに見えた。
 黄昏の色をした瞳が熱っぽく潤む。

 こんな色の瞳を、今までにもさんざん見せられてきた。
 淫蕩に溶けた表情でこちらを見つめ、バルコニーの物陰へと誘いをかける女性などもはや見飽きるほどに見てきたが、誰の手を取る気にもならなかった。心を動かされることもなかった。相手の機嫌を損ねずにかわすため、口先ではいくつもの美辞麗句を覚えて操りながら、結果的に完璧な拒絶を図ることに成功していた。

 どんな女性であっても肉体は動物のものと変わりない。
 ひと皮向けば血肉の塊だ。
 そうなるともう、生涯の伴侶はおろか、一時的に気持ちを通い合わせるのも難しいのではないかというほど、誰も彼もが等しく遠い存在に思えた。

 なのに今、彼女に覚えている渇望はどうだろう。

 たまらなくなってもう一度唇を合わせると、彼女はかすかに鼻を鳴らした。言葉になるほど明瞭ではなく、吐息というには大きすぎる声が、甘える小動物のような音色で発せられる。

 くちづけの終わり際、彼女はまぶたをとろんと下ろして、ひくひくと肩口を震わせていた。
 その艶めかしさに、クァイツのほうが驚いた。

 深酒に理性を飛ばした人間だって、こんな顔はめったにしない。

「困ります……私はほかの方を真実愛しております……」

 彼女は瞳にはっきりと情欲の炎を揺らめかせながら、恥じ入るようにおもてを伏せていた。強い混乱の入り交じった甘い表情に、改めて心臓を鷲掴みにされた。

 湧き上がった感情が純粋なものだったとは思わない。
 少なからず彼女の美しさと色香に当てられていた。
 一時の激情で血気に逸っていいことなど何もないと必死に自分を御そうともした。

「……王太子さま、王太子さまのお慈悲に免じて、私を見逃してください……この身をこれ以上侮辱なさるのでしたら、私は……」

 彼女も今ならたちの悪い冗談として許してくれる。
 この先はもう後戻りなどできない。

 分かっているはずなのに、口から滑り出たのは真逆の宣言だった。

 ――どうぞお好きな言葉で私を鞭打ってください……
 ――私はもう、あなたを手に入れることしか考えられない。

 どうしてもこの人が欲しかった。

 どうすればいいのだろう。
 勢いだけで唇は奪ってみたが、その先の手管などクァイツは何も知らなかった。

 人より重い任につけられているとはいえ、今この場にいるクァイツは、見初めた夫人を前にして、ただみっともなくあがいてみせることしかできない若造だ。
 慌てたりためらったりして、子どもだと笑われるのは耐えがたかった。

 彼女は他人のものだ。
 ひとのものがほしいのなら、相応の覚悟がいる。
 国教の美徳など何の役にも立ちはしない。
 規範を守り、敬虔さを示していても決して手に入りはしないのだ。

 そしてクァイツは狼男に成り果てることに決めた。

 ――不安や焦りを全ていったん飲み込んで、震える身体をごまかしながら彼女の服に手をかけた。

 
 そしてその先は坂を転がるようにして事態が行き着くところに行き着き――

 確かに彼女を手に入れたのだ、と思った。
 少なくともその晩はそう思っていた――きっとこれが運命なのだとさえ感じていた。


 浅はかだったと思い知らされるのはその翌朝だ。


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