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【第一部ダイジェスト】 王太子視点
王太子様の追憶 9 使節団と彼女の野望
しおりを挟む教会からの使節団が到着した。
すごいものを見てしまった。
あのサフィージャが他人に媚びている。
デクラマティオで相手をこてんぱんに打ち負かし、会議で予算を強奪し、他国からの救難要請にとんでもない診察料をぶんどってきたりするあのサフィージャが人の顔色を窺っている。
可愛い魔女どのの健気な応対に、教会の連中は嘲笑を返した。
「どんな病をうつされるか分かったものではない」
憎い政敵といえど相手は自分の孫ほどの年齢の娘だろうに、随分心ないことを言うものだ。
若い女性にとっては酷も酷なその言い草は激しい全面抗争を予感させるに十分だった。
クァイツはさすがに焦りを感じた。サフィージャがどう出るのかが読めない。
「……私ども宮廷魔女は司教さまのご説法がいただける日を心待ちにしておりました。司教さま方のことは父のように尊敬しております。あまり苛めないでくださいな」
クァイツの心配をよそに、彼女は驚愕の方向転換を難なくやってのけていた。
なかなか器用だ。
そういえばいつも外交はそつなくこなしてましたっけね。
なんとなく、彼女はこういう場面が苦手なのではないかと思っていた。
いい意味で裏切られた気分だ。
妙なところで感心している場合ではない。これはそういう方向の戦争なのだ。耐え切れなかったほうが負け、宮廷でも毎日飽きることなく繰り返されている。クァイツもこういうのなら得意分野だ。
おそらくサフィージャも場慣れしているだろうし、そこまで深刻には受け止めないだろうが、様子ぐらいは見にいくべきだろう。
***
そっと覗いてみると、彼女は見るからに不機嫌だった。拗ねているのが丸わかりの行動があまりにも年相応でかわいらしいので、つい声を出して笑ってしまった。
やはり魔女どのはかわいい。手元に置いて愛でてやりたくなるかわいさだ。プライドの高い彼女は絶対に許さないだろうが、この子が甘えながら不満を漏らしてくれるのならいつまでだって聞いてあげられるのに。
今の時点では、むやみに同情したって傍迷惑で気持ちが悪いとしか思われないだろう。
感情を抑えつつ会話をしていると、彼女はいよいよ拗ねたように言う。
「私はあの程度の嫌がらせなど何とも思わん」
あのぐらいは何ともないと来ましたか。
それでこそ筆頭魔女。
意地の張りようもここまで来ると失われるのが惜しいほどだ。
この彼女が有象無象の男になびくとも思えないし、調査でも正体が掴めていないのだが、当人がいると言い張っているからにはどこかに恋人が存在するのだろう。
いまのところ大まかな人物像すら想像がつかないのだが、果たして。
「彼は貧しく何の力もなかった私に富と名誉を与えてくれた」
富と名誉。随分と即物的ですね。
予想外の回答である。一般的に、というかクァイツが思い描く恋人というものは、一緒にいて安らげたり、気持ちが温かくなったり、楽しくなったりする存在だ。
「それだけじゃない、私の野望のために、彼はどうしても必要なんだ」
野望と来ましたか。
この子は恋人のことを何だと思っているのだろう。出世の道具?
クァイツは興味を隠し切れずにどんな野望を抱いているのかと質問した。
「私の故郷は疫病で人口が二分の一になった」
無論、その件は調査済みだ。
「……もうあんなことは起きないようにしたい」
途轍もないですね。
思わず彼女を観察してしまったが、どうも冗談を言っているようには見えない。
とはいえ、彼女が筆頭魔女の地位に拘りを見せていた理由の一端が分かった。疫病撲滅の野望を叶えるためにはどうしても必要なのだろう。
問題は恋人が彼女の野望にどう関わってくるのかということだが……パトロンということだろうか?
となれば候補は相当限られてくる。たとえば国王陛下、クァイツの父だ。
「め、滅多なことを言うな!」
晴天の霹靂だという反応だ。クァイツとしてもそれはないだろうと感じるので、候補からは外した。
しかし、富と名誉と野望の足がかり――か。
それなら王太子でもいいのではないだろうか。
今挙がった条件だけならおそらく彼女の恋人にも勝っている。望みうる最良を整えてあげられるのだが。
「あと条件に当てはまりそうなのは私ぐらいですかね」
「それだけは絶対にないから安心し……」
嘲笑が途中で止まった。なんだろう。非常に気になる。大穴だと気づいてくれたのだろうか。
「ないない。絶対ない」
まあ、そうでしょうとも。
分かってはいたがこうハッキリ言われてしまうと心臓への負担が大きすぎる。
「わ、私のことはいい。それよりお前はどうなのだ」
だからあなたにしか興味がないと再三言ってきたじゃないですか。分からない人ですね。
「愛してもいない女性とは結婚できません」
「お前はそうもいかないだろう。”神の恩寵による王太子”。神の教えに真っ向から背くつもりか」
教会によれば、結婚は神の与える『秘蹟』なのだそうだ。
たとえそれが誰にも認められない『秘密の結婚』によるものであっても、神が両者の魂を結びつけた暁には、死が二人を別つまで、誰にも切り離すことはできない。だから身分差のある貴賤結婚などでは先にこっそりと二人だけで式を挙げてしまい、事後に公開する、という荒技を取ることもできる。教会の見解では、このケースでも完全に婚姻が成立しているとみなすからだ。
偉大なる教会の庇護のもと、それで正式に庶民の娘が王妃に、そして庶子が正当な王位継承者に認められたこともある。
逆に、王妃に向かって理不尽な離婚を申し渡した国王に対し、教皇が圧力をかけて取りやめさせたこともある。
その先例にならって、クァイツもサフィージャと何が何でも式を挙げてしまえばこちらのもの――かというと、そうでもない。
神が秘蹟を与えられない『例外』というのも存在する。
たとえば異教徒――神の恩寵を信じないものにどうして神が秘蹟を与えられるだろうか。
異教徒との結婚には神が祝福を与えないので、秘密理に結婚を挙げようとも無効、ということになる。
なので、国教に教会の教えを採用し、王権の箔付けに『地上における神の代理人』を僭称しているクァイツが異教徒のサフィージャと秘密結婚をしたところでどうにもならないのである。
――彼女が言いたいのは概ねそういったことだろうが、しかしだからといって全く手がない訳ではない。
方法はいくらでも思いつく。
「私にだって恋をする自由はありますよ」
好きな女性との結婚ぐらいどうにでもしてみせる。
暗にそうほのめかしたが、彼女には通用しなかった。
「見合い話とか何もないのか?」
あなたは私が見合いをしても何とも思わない――ということでしょうか。
その質問だけで殺されるのではないかというほどの殺傷力だ。
少し考えた末、考えている相手がいると返すと、彼女は面白いぐらい反応した。
「私のことは眼中にもなさそうですし、強制するのも面白くないなと思っているところなんです」
眼中にもないのだというのは知っている。それならそれで力づくの囲い込み手段も取れるが、どうせなら彼女にも望まれてみたいと思う。
去り際、彼女は動揺を隠しきれない様子だった。
もっとうろたえればいい。
混乱して、取り乱して、つい気になって思い返したりすればいい。
今しばらくは、かわいい魔女どののお手並み拝見といきましょうか。
***
彼女は『疫病を撲滅したい』と言う。
クァイツにとっては予想だにしない回答だった。守護聖人でも目指しているのかというほどのお綺麗なお題目だが、あれはどう見ても本気だった。
村を襲った疫病についての顛末にもう一度目を通す。
姉を亡くし、祖母が異端認定を受け、火刑に。
彼女を魔女に育てたのは祖母だ。村を疫病から救うために異教の呪術を使い治療にかけずり回った祖母が、一方的な宗教的価値観で処刑されたわけか。
心に傷を残すには十分だ。
そして今また彼女は教会に謂れのない迫害を受けている。
――国内の法や政策については国王の指先ひとつで何とでもなる。
彼女が望むだけ、医療活動の便宜を図ってやることも、まあ不可能ではないだろう。
ただし教会からの圧力は食い止められない。ことに家畜医や薬師の魔女を異教の悪魔崇拝者として弾圧する動きについては聖職者のみが立ち入ることのできる領分だ。
枢機卿の後ろ盾がなければ今回も危うかっただろう。
――千年ほども昔、この地には土着の信仰がいくつも残されていた。教会は自分たちの勢力を広げるためにこれらを悪魔崇拝として否定した。
当時の常識では肉体が動物的なもの、精神が神の側にあるもの。ニンゲンはその二つを結びつける『神』と『動物』の中間物だった。哲学者も多神教徒も唯一神の信奉者も、学のあるものは皆そう思っていた。
教会はその思想をさらに洗練させていき、精神的なものをより尊び、肉体を否定した。季節が巡り春になるたび子を産み殖やす羊や、それを司る豊穣神、多産の象徴、美と愛の女神などは全て人間を『神』から『動物』に貶める悪魔だとして弾圧した。
その考え方を進めていけば、もとは豊穣神、しかし今は教会の都合で悪魔神にまで堕とされた存在を信奉し、祈りを捧げる異教徒の巫女たちは全員揃って『異端の魔女』だ。
宮廷魔女の制度も何かと教会から言いがかりをつけられやすいものだが、頭のいい彼女たちが神学的な駆け引きを色々と弄してくれているおかげで、現状ではそれなりにうまく機能している。
宮廷魔女の人員の追加、各地への派遣活動の強化。
この辺りが国として手を貸してやれるギリギリの範囲だろう。
すでに貰っている枢機卿の書状がいくらか助けになるはずだ。
これ以上異教徒の保護政策を強化すれば、教会は必ず文句をつけてくる。
余計な対立を煽って不興を買うのは国政上、望ましくない。
そう、今の自分の立場ではどうにもならないのだ。
ただし――
彼女のためになら枢機卿としての地位も濫用すると豪語したエルドランが手を貸すのであれば、あるいは彼女の理想にかなり近づけるのではないか。
きっとサフィージャも喜んでくれるだろう。
魔女どののかわいい笑顔を想像して、かすかに胸の奥が甘く痛んだ。
しかし、ただ二人を引き合わせただけでは駄目だろうとも思う。
あの男の執念は根が深く、暗く、底が知れない。
いっそ狂信的でさえある。
サフィージャにはきっと御しきれない。
あの男の持つ深淵のような闇や激情は、いつか必ず彼女を蝕み、殺してしまう。
くつわを噛ませ、手綱を握ってやる人間が必要だ。
クァイツはひとしきり考えたあと、エルドランに手紙を書くべくペンを執った。
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