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リリアナの帰郷

15 リリアナの事情

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 リリアナの部屋は二階にあった。南向きの明るい部屋だ。
 使用人に付き添われて自室に戻ったリリアナは、ソファに座らされた。

「お嬢様。大丈夫ですか?」

 母親のような歳の年配のメイドは、心配そうにリリアナの顔を覗き込んだ。彼女も青い顔をしていた。さきほど聞いたリリアナや男爵の話にショックを受けているんだろう。
 リリアナは申し訳なさから俯きそうになった。だがなんとか堪え、弱々しく微笑み頷いた。

「ええ、大丈夫よ。心配をかけてごめんなさい」

「どうか無理はなさらないでください」と言われ、本当に大丈夫だと、少し力強く微笑む。
 旅装のまま父と面会していたので、着替えを彼女に手伝って貰い楽な格好に着替えた後、リリアナは少し一人になりたいと彼女に告げた。
 メイドはいまのリリアナを一人にすることに難色を示したが、大丈夫だと繰り返すリリアナに強く出ることも出来ず、部屋を整え繰り返し大丈夫かと確認した後、退出していった。

「どうしよう」

 大丈夫だというところを見せるため彼女をドアまで見送ったリリアナは、一人になった途端、力なく床に座り込んだ。

「私、どうしよう」

 途方に暮れて、顔を両手で覆う。

「どうしたらいいの」

 脳裏にはまざまざと婚約破棄の時の風景が思い浮かぶ。

 王子は決闘に負け、リリアナは学園を追い出された。
 いや、追い出されたというのは正しくない。元々卒業パーティが終った後には帰郷する予定だったのだから。
 家に戻ったのは『リリアナ』の予定通りではある。

『家に戻りなさい』

 リリアナだけに聞こえるように耳元に囁かれた悪役令嬢の優しい声が思い出される。
 堪えきれなくなって、リリアナは涙をこぼした。

 どうしてこんな事に。
 どうしよう。
 これからどうなっちゃうの。
 どうしたらいいんだろう。

 胸の中を様々な思いが渦巻く。

 しばらく泣き続け、泣きつかれたリリアナは涙を拭くために顔を上げてハンカチを探した。
 鏡台の前にあったハンカチを手に取った時、鏡にゆるふわカールの金髪をした少女が写りこんだ。

 私じゃない。私の髪は黒かった。

 鏡の中の可愛い金髪の少女は、ハンカチを取り落とし再び泣き続けた。





 目の前が真っ赤だった。

 それは力なくアスファルトに横たわった少女の最後の記憶だ。

 高校に行く途中。駅前の交差点。いつものようにスマホアプリの乙女ゲームで大好きな声優の声を聞きながら、『私』は赤信号が変わるのを待っていた。

 そのはずだった。

 気がつくとアスファルトに横たわり、点々と赤く染まった白いラインを見つめていた。

 痛みはなかった。と、思う。

 記憶のどこかに、暴走車が歩道に突っ込んできて信号を待っていた歩行者を跳ね飛ばした、という情報があった。

 多分『私』はその時に死んだんだと思う。




 そこからの記憶ははっきりしない。

 次に意識がはっきりしたのは、その時に聞いていたのと同じセリフが聞こえた時。

「エリーヌ・ルゼッタ! お前との婚約を破棄する!!」

 リリアナは驚いた。

『私』は驚いた。

 目の前で、さっきまでやっていた乙女ゲームの婚約破棄イベントが繰り広げられている。

 違うのは、悪役令嬢の台詞。

「貴族同士の主張が対立したならば、決闘しかありませんね。リリアナ・アムスン男爵令嬢。わたくしの名誉をかけて、貴女に決闘を申し込みます」

 映画でしか見たことがないような、妖艶で美しい女性が、口角をあげてリリアナに微笑みかけていた。

『悪役令嬢』だ。

 その迫力に『私』はぞっとした。
 慌てて周りを見回すと、すぐ側にスマホの画面で『私』に微笑みかけていた『王子』がいた。
 助けて欲しくて、必死で彼に縋りつくと、いつのまにかリリアナは悪役令嬢と決闘することになっていた。
 もちろん『私』に決闘なんて出来るわけがない。
 この場で頼ることが出来るのは『王子』だけだった。

 リリアナの代理として、力強く勝利を請け負った『王子』は、あっさりと『悪役令嬢』に負けた。

 なんてこと! 『王子』がこんなに弱いなんて。

『王子』を打ち負かした『悪役令嬢』は『私』に謝罪を要求した。

 悪巧みなんて『私』はやってない! スマホアプリで見た『私』も、そんな事はしていなかった。

 けれど、リリアナの記憶の中に、王子と一緒になりたくて、公爵令嬢を陥れようとした記憶があった。

 積極的に動いたわけではない。だが、王子が悪役令嬢を疑った時、その疑いを晴らそうとはしなかった。
 正直に言えば、リリアナには本当に誰がやったのか、また誰かに押されたのか、分からなかったのだ。

 もっとはっきり、そう訴えなければならなかった。だがリリアナは口を噤んだ。

 ずっと公爵令嬢だけを見ていた王子が、密かに憧れていた人が、リリアナを見てくれたから。

 もしかしたらと、夢を見てしまった。

 決して振り向いてはくれないと思っていた人の、そばにいられるかもしれない、と。

 王子が好き。

 リリアナの恋心と共に、その記憶を思い出した途端、リリアナが『私』の中に流れ込んできて、『私』が押しつぶされそうになった。
 身体から力が抜けて、地面に崩れ落ちる。

「さぁ、リリアナ様、謝罪を」

 消えそうな『私』に悪役令嬢が声をかけた。

 おかしな話だ。『私』と『リリアナ』は違うけれど、それが彼女に分かるわけがない。なのに彼女の声は『私』へと真っ直ぐ届いた。『リリアナ』にも届いていた。

 気がつくと、口が勝手に動いていた。

「も、申し訳、ありませんでした。お詫びして済む事ではありませんが、私の浅はかさからご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした!」

『リリアナ』は必死で叫んだ。『悪役令嬢』が怖かった。

 けれど『私』は、怖いとは思わなかった。彼女の声のトーンは、どこか懐かしい気がした。

「許します」

「…え」

「許します。立ちなさい、リリアナ様」

『悪役令嬢』は、腰の抜けたような『私』の腕を取り、立ち上がらせると、その耳元にそっと囁いた。

「家に戻りなさい。貴女にとって、ここは危険です」

 それは『リリアナ』に言われた言葉のはずなのに、『私』に言ってくれたような気がした。

『ここは危ないから、お家に帰りなさい』と。

 胸の奥から言葉に出来ない思いが込み上げて、涙が溢れ出した。

 消えそうになっていた『私』は、泣きじゃくりながらリリアナになった。



 いつまで一人で泣いていたのか。

 たった一人でこんなおかしな世界に放り込まれても、どうしたらいいかなんて分からない。
 誰かに、助けて欲しかった。

 泣きつかれたリリアナがバルコニーでぼんやりしていると、庭の木からバルコニーに飛び移ってくる影があった。

「リリアナ」

「レビン! どうしたの、そんなところから」

「お前に話があって来た」

 陽はほとんど暮れかけていた。『リリアナ』の記憶ではこんな遅い時間に男女が同じ部屋にいるなどありえない事だったが、あいにくとリリアナの警戒心は薄い。

 話とはなんだろう。

 リリアナは単純にそう思った。



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